白木銀子の一端
「お前、白木銀子ッ!!」
男が白木銀子の名を叫ぶ。
路上で、しかもかなり掠れていた声ではあったが声量もあってか周囲に響き渡る。
そして彼等はその嗄れ声に聞き覚えがあった。
「あれ、君もしかして昨日ナンパしてた人?」
そう、昨日白木銀子に恐れ知らずにもナンパした男子生徒のものと同じだったのだ。
「たった一日で随分やつれたね〜?」
しかしその姿は昨日初めに見た時とは大きく異なっていた。
具体的に言えば、
新が昨日の帰り道で見た時には既にこの姿であった事を考えると、それ迄の間に何かがあったのだろう。一日にして別人と見紛う程の何か。そしてその何かが彼の言葉から白木銀子関連である事も疑いようがない。
「やつれた…と言うよりもう別人じゃないか」
「確かに!人間ってこんなに変われるんだね〜可能性は無限大だ」
新も声を聞くことでようやく同一人物であると理解出来た程の変わり様。二つの写真を見比べても共通点を探すのが難しい位に彼は変わっていた。
「お前の……お前のせいでッ!!責任取れよ!!おい!」
男子生徒は唾を撒き散らしながら叫ぶ。
明らかに異常、正気ではないと分かるその様。昨日ナンパを楽しそうにして学園から帰って行った彼とは似ても似つかない。
何かにとり憑かれたかの様に、目が虚ろに揺らめいていた。
「すいません、皆さん私のお客様のようです」
「みたいだね」
「みたいだな」
「少々待っていて下さい、すぐに終わらせますので」
◇■◇
「よくも……よくも!僕をあんな目に遭わせてくれたな!!」
「あんな目って……貴方が勝手に捕まったのでは?」
「五月蠅いッ!お前が……!」
あくまでも冷静に話す白木銀子と変わり果てたナンパ学生。その姿は余りにも対照的だ。
見目麗しい白木銀子はそこに居るだけで空気を引き締める、対し彼はどうだ。明らかに正常ではないし、傍目から見ても彼に原因があるように思えてしまう。
実際に彼等の間に何があったのかは分からない。昨日の一幕を目撃したのはこの観衆の中では八十新と舞桜瞳だけ。それもその後に何があったのかを知るのは当人達のみだ。
ただあからさまにナンパ学生の様子がおかしい、という事だけがこの場で得られる情報だった。
「五月蠅いって……迷惑を考えてください。貴方、今凄く通行の邪魔ですよ」
「————ッ!な、舐めやがって……!」
彼の手に持つナイフが淡い光を放つ。
目に薄っすらと映る、光の挙動。変換されていく、エネルギーの軌跡。
刃が赤熱し、発光する。間違いない————彼の異能力だ。
(さて、お手並み拝見だ)
正直に言えば、新にとってこの状況は非常に美味しいものだった。彼の目的の一つは『白木銀子の監視任務』、彼女の実力を素直に見るのはこれが初となる。
この先どれ程の期間彼女の監視任務が継続するのかは今はまだ分からない。敵対関係へと変化するのは目的ではないにしても何らかの要因で戦闘行為になることは十分に考えられる話だ。
そしてその時の為にも彼女の実力を知っておくのは重要となるだろう。
「異能力ッ!!」
学生が駆ける。
「〈炎熱負荷〉!!」
手に持つナイフに纏わりついた熱はいつしか炎となり、周囲を歪ませる。
切れる。その鋭さではなく、焼き切るという形によって。
人間の肉体が炎に耐えるには何らかの防具が必要で、そしてそれは学生服等という薄い布切れでは到底基準を満たせないものだ。
距離は無いに等しい。
走れば数秒もかからない。つまり彼女が、白木銀子が避ける行動に移るには一秒は足りない。
ぐさりと、或いはジュウッと。その場にいる殆どの人間が想像する。
肉が貫かれる音を、焦げる音を予見する。
しかし————。
「あらら、危ないですね」
その音はいつまで経っても訪れない。
当然だ、ナイフは彼女の肉体に届いていない。血液が流れ落ちる事も、肉を焦がす匂いもしない。
当然だ。ナイフは彼女の服を傷つけてすらいなかったのだから。
カタカタと、ナイフが空で震えている。
「は?え?」
男子生徒は何が起こったのか理解できない。
彼が本当に彼女を害するつもりだったかは定かではない。
もしかすると、ほんの少し脅かそうとしたのかも知れない。
それが正常な判断であるかは保留するにしても、場の支配権は彼にあったのだから。
避けられないというのはあくまでも白木銀子側の話であって、彼が白木銀子の回避行動に合わせてナイフの軌道を変える事は容易に出来るのだ。
だからか、この予想外の事態は彼に衝撃を与えたに違いない。
高熱を浴び、炎を纏ったナイフは簡単に人体を害し傷つけられる筈だ。
なのに。
ナイフは結果的に彼女の布一枚すらも貫けていない。
まるでそこに透明な壁が一枚立ち塞がっているかのように、ぴくりとも動かないのだ。
「……なんで」
彼の口から言葉が、疑問が漏れる。
この場にいる誰もがその疑問を思い、そして自己解決していくに違いない。
ああ、そうか————と。
「これで正当防衛ですね。では————」
男子生徒が異能を用いてナイフを熱した様に。
昨日、舞桜瞳が新の声を奪った様に。
オリエンテーションにてあの教師が場を掌握した様に。
これが彼女の、白木銀子の異能なのだと。
「異能力……」
男子生徒は思い出す。
例えソレが日常から遠い場所にあったとしても、異能社会となった現代日本でその名を知らぬ者は居ない。
まさかこれまで異能を実践的に使った事の無い自分が敵う相手では到底無かった事を、思い知る。
「〈金剛白装〉」
衝撃波が伝わる。
透明な鈍器が男子生徒を殴りつけたかの様に彼は吹き飛ぶ。
めしゃりと地面が窪む、ぶつけられた壁が丁度人の形になる。 そしてそのままボロボロと崩れていく。その様は一昔前の映画を見ているかのようだ。
時間にして三分。
余りにも呆気ない終幕だった。
◇■◇
「大丈夫だった~?」
戦闘……と呼んでいいのかわからないが一先ずの決着の後に舞桜瞳が白木銀子に近寄る。
どう見たって大丈夫なのは白木銀子で、大丈夫じゃないのは男子生徒の方なのだが。しかしこの騒動が男子生徒の明確な攻撃によって始まったのは事実。犯人を心配する必要はない、ということだろう。
「ええ、大丈夫です。心配ありがとう」
「良かった~実は心配してたんだよ」
「あれくらいなら何も問題にはなりませんよ」
「心配すべきなのは向こうの方でしょ。かなり派手に吹っ飛んだね」
男子生徒は今も壁に埋もれながら意識を失っている。当然といえば当然だ。
「手加減はしましたよ?それに異能者なら、あれくらいはただの打撲で済むでしょう」
「分かってても、一応な」
そう、新も誰も彼が死んだかどうかの心配はしていない。
というかこの場にいる誰も、彼の生死を心配する者はいない。
それは彼等が異能者だから。
「しかしすっごかったね~銀子ちゃん!あれが噂に聞く白木の異能なの?」
「ええ。とは言ってもあれは単にエネルギーを手から放出しただけですので異能と呼べるかは分からないですけどね」
「ほえ~でもそれもすごいことだよ。私達くらいの年齢だとそこまで異能を上手く使える人なんていないんじゃないかな?しかもあの人かなり吹き飛んでたし」
白木。天帝近衛四家の一つ。
新は先程の戦闘、一部始終を逃さず見ていた。
その結果は……
(想像以上だ。しかもかなりいい線まで行ってるかもしれない)
当初の想定を上回る技術の練度。白木は謙遜していたが、エネルギーを体外で操作するのはかなり高度な技術だ。異能は千差万別。しかし根底にあるのは現実に干渉し変化を起こすだけのエネルギーなのだ。
一定のランク以上になれば当然になる技術ではあるが、この年齢でそれを使いこなすのは流石白木の一族といったところだろうか。いくら白木の能力がソレに特化した部類とは言え手放しに称賛するべきだろう事は確かだろう。
あれが白木銀子という異能者の一端。
(けれど……)
新に任せられた任務の一つ。『白木銀子の監視』。しかし監視とはいったい何を指すのだろうか。そもそも監視任務が複数、加えて新自身も学園生活を普通に過ごさなければならない状況では四六時中一人を監視するのは困難だ。
(一体、ボスは何を思ってオレにこの任務を与えたんだ)
潜入任務に自分が向いているとは一ミリたりとも新は思えない。
しかしボスが彼にそう命じたからには何か理由があるはずなのだ。
(まぁ……今考えても仕方ない。一先ずはこのまま様子を見よう)
そうして思考を切り上げた新は白木と舞桜の呼ぶ声に「うん」と返事を返し、帰り道に戻るのだった。