Day8 君の為の物語。
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「………さて、これでよしっと。うん、これなら目が覚めてもちょっとやそっとじゃ逃げられないし大丈夫かな。………まあそうならないように祈るしかないけどね」
僕は気絶している男を拘束する。勿論ちゃんとして拘束用のものなんて持ってないから、来ていた服をちょっと加工して縛った感じだ。
正直勿体ないけれど、学校支給の制服は頑丈だし手足だけでも縛っておけば安心だろう。気休めに程度ではあるのだけどね。
「待たせたね、桜海さん。多分だけどもうすぐ先生とか来るし………ここで待っとく?」
振り返り桜海さんに声をかける。
テロリストの異能によってさっきまで地面に這いつくばらされていたからだろう、服は土で汚れてしまっているし、擦り切れている部分も多い。
地肌が見えている部分もあるので、思春期男子には少々厳しいものがある。
「それとも校舎の方に歩く?その場合はコイツを背負って行かないとだけど………」
「貴方は………」
どうする、言いかけたその途中で彼女が声を発した。
「いえ、貴方の名前は愛染王位………で合ってるんでしょうか」
「………ああ。うん、そうだよ。愛染王位。変わった名前だよね?愛に染まると書いて愛染。王位って言うのはまんま王の位って書くんだ。僕の家族って変わっててさ、男子は絶対『王』の文字が入ってるんだ」
因みに女子の場合は『玉』だ。妹である愛染玉記も例に漏れず『玉』の文字が入っている。
いつからかは知らないけど、僕の知っている限りだと一族全員このルールを守っているので、結構重要なのかもしれない。
ただちょっと恥ずかしいっていうのはある。自分で王位って言うのは、ね。
「そうですか………愛染王位。では愛染くん、助けてくれてありがとうございます」
「気にしないで、約束だからね」
約束が無ければ自分が今この場に来ていなかったかもしれないのだから、そんな僕に感謝なんてする必要は無いだろう。約束したのは僕だけど、きっかけは彼女だ。
僕がそうなるようにしてくれた、僕がそうする事が自然なようにしてくれた彼女の手柄だ。
「約束でも、助けれくださった事は事実ですから。………でも、その上で、失礼を承知で聞かせて下さい愛染くん。いったい、どれが本当の貴方なんですか?」
「………何を言ってるのかな?」
「恍けなくても大丈夫です。誰にも言うつもりはありません。貴方が実力を隠している事も、誰にも自分を秘密にしている事も、話すつもりは全くありません。でも、聞かせて下さい。本当の貴方は誰ですか?」
別に、誰かに隠していたい訳じゃ無い。でも隠している事を辛いとも感じていない。
だから彼女の秘密云々は根本から勘違いだ。僕は別に彼女が僕の事を誰かに話したとしても、全く問題ないのだから。
でも、確かにその言葉は僕に刺さるかもしれない。
だから。
「………そう。なら良いよ」
「――――――」
僕は久しぶりに僕を止めた。
高校生活の中で一度も止めなかった僕を、今初めて止めた。
「でも、君の感じ方には一つ間違いがある。僕は愛染王位だし、愛染王位以外になった事も無い。全て僕だよ、本当も何も無いんだ」
「………では、今の貴方は?」
「これは最初の僕だよ。僕を作る前の僕………と言っても、伝わり難いかもしれないけど」
目の前の景色が彩度を失う。急速冷凍された思考が、感情を凍結させる。
目の前のあらゆる情報が、ただ脳を素通りしていく様な感覚。久しぶりの、色眼鏡をかけていない現実の景色が僕の頭に投影されていく。
けれど、特に何も無い。色もあるし、音も聞こえるし、森の匂いもする。ただそれ等を情報としてしか認識しなくなるだけ。記憶も僕、ただそれだけ。
それでも、数年ぶりの僕にとっては眩しかったようだ。
「何で、僕を知りたかったの」
「………さっきも言った通りです。いえ、実際には言ってないのですが………それは、私が貴方の友達であると、そう思っているからです」
「………そっか、友情か。………そうか………そうだね。その通りだ」
真っすぐな瞳だった。傷ついたとは思えない程に、透き通った綺麗な瞳。
少しでも傷がついた水晶玉は、次第に曇っていく。透明であるというのは、つまり純粋であるという事であり、曇りが無いという事だ。
人の心も同じようなものだ。一度傷がつけば、もう元には戻らない。欠けた破片を埋め合わせても、そこには曇りが産まれ元の澄んだ水晶玉には戻らない。全ては不可逆な変化なのだ。
僕が僕である事、彼女が彼女である事。
その成り立ちは全くと言って良い程に異なっている。僕は彼女の人生の内の一週間しか知らないし、彼女も僕の人生の内の一週間しか知らない。たったそれだけの共有で、全てを知る事は出来ない。
ただそれでも、彼女の心が澄んでいるという事は理解出来る。瞳と眼差しで感じる。
この目は、心の清い物にしか出来ない。目は口程に物を言うという言葉がある様に、目は精神………中身を反映し人に見せつける。
嬉しかった、と素直に言葉にしないのは僕が『僕』であるからだろうか。
恐らく『僕』以外の僕ならば何かを言った筈だ。それが肯定であれ、否定であれ、彼女の友達という言葉にもう少し反応を示した筈だ。
でも僕にはそれが出来ない。言葉で分かっていても、僕は目に出す事が出来ない。
「……愛染くんは、何も言わないのですか?」
「何を?」
「私が………隠していた事について」
「………聞いて欲しいのなら、聞くけれど」
サルトマ・アベルの娘。その情報は僕が愛染王位であるという情報より何倍も何十倍も意味を持つ。
所詮僕の名前なんて、僕の周囲だけの話だ。クラスの人間に知られていなくとも、家族は全員僕の名前を知っている。誰も知らない不思議な名前、なんて事では全然無いのだから。
だが、サルトマ・アベルの娘という言葉は余りにも重い。
サルトマ・アベルの娘、それは同時にかの〈世界最強〉ユグド・アベルの妹でもあるという事。
英雄と世界最強の血統。異能因子を秘めた遺伝子は当然、〈世界最強〉に対抗する人質としての価値もある。そうでなくともあの力だ。喉から手が出る程に求める人間も居るだろう。
そしてその求める人間の半数以上は、きっと悪人なのだ。彼女の事なんてどうでもいいような。
僕は幸せな人間だ。自分の事を不運だと思った事は何度かあっても、不幸だと思った事は無い。
裕福な家庭に産まれて、優しい両親が居て、妹と弟が居て、打ち込める趣味もある。
全く別の本質を持った自分自身を創り、そう過ごすという行動が趣味と呼べるのかは別として、僕は人相というものを通して人の内面を創る行為に魅せられている。
それは最初の『僕』がこんな人間だったから、違う『僕』を創ったのかもしれない。
兎も角、僕は幸福な人間だ。
そこまで考えて、僕は気が付く。
「そうか、君は………ずっと誰かに話したかったんだね」
不幸というものをどう定義するのかは、人によって異なるだろう。誰かの不幸が、誰かの日常で、誰かの日常が、誰かの不幸なんて事は往々にして存在する事なのだ。
僕は彼女の事なんて、殆ど知らない。彼女もそう。
ただ想像できる事もある。
自分がサルトマ・アベルの娘である事を誰にも言えないのだろう。
自分がユグド・アベルの妹である事を誰にも言えなかったのだろう。
自分が異能力者とも異なる存在であるという事も、言えなかったのだろう。
隠れるように生きて来たのかもしれない、秘密を隠して生きて来たのかもしれない。
その過程でさっきの様な事もあったのかもしれない、誰かを傷つけた事もあったのかもしれない。
彼女は、彼女自身が抱えるには大きすぎるものを抱えているのだろう。
「………私は、サルトマ・アベルの娘です。名前はソラ、ソラ・アベル。桜海という名前は………此方に来る前にお世話になった人が偽名として付けれくれた名前です」
僕は黙って彼女の声に耳を傾けていた。割り込んではいけないと、ふと感じたからだ。
「さっき見て貰った通り………私は厳密には異能力者じゃありません。そして私は………人間ですら、ありません。人が天使と呼ぶ超常の存在………私の中には天使の血が半分流れているんです」
天使。不思議だけれど、確かにその言葉はしっくりくるものがあった。
それは初めて彼女を見た時の印象と合致する言葉だったから。そしてそれが真実である事も理解出来た。彼女は嘘を言っていない。
異能領域。それは異能力者が異能を発現させる時に創り出す空間だ。
だけれど僕は知っている。異能力者が生まれる前、つまり超常史以前から魔術師と呼ばれる存在は居たし怪異と呼ばれる存在も居た。
異能領域というのは超常史になって改めて名づけられたものに過ぎない。だから魔術師も異能領域を使うし、怪異は異能領域から生まれる。
あの時、あの姿の桜海さんから感じたのは単なる異能領域では無かった。
まるで彼女自身が異能領域として動いているかのような感覚。異能力者は異能領域を展開するが、異能領域そのものになる訳じゃ無い。
あれが、種族が違う、と彼女が僕に言う理由なのだろう。
異能領域で構成された肉体で動く生命。それは確かに人間ではない。
「ずっと、ずっと孤独でした。一人で………待っている毎日でした。こんな日が、どれだけ続くんだろうって毎日不安に押し潰されそうになりながら、生きていました」
この世界の中でたった一人、彼女だけが半天使。
それはきっと僕には想像もつかない程の孤独に違いない。
誰とも違う、誰とも同じではない。個性と言えば聞こえは良いけれど、種族という根本が違う彼女にとって、人間の世界は誰も居ない荒野の様なものだったのだろう。
その中で唯一頼れる筈の家族とも、まっとうに関われないまま。
それはどれ程の寂しさだったのだろう。
「………謝らせてください。あの日、貴方を傷つけてしまったこと」
「気にしてない、って言っても君は納得しないんだろうね」
「気を付けていたつもりでした。でも、直前………どうしても耐えられなくて泣いてしまっていて。反射的に、攻撃をしてしまいました」
とっくに気が付いていた。けれど別にいう必要もないと思って何も言わなかった。
だって彼女は泣いていたから。
「本当にごめんなさい。もう貴方達に迷惑がかかる事は無いと思います。………テロリストが狙っているのは、私です。私が居なくなれば、彼等もここを襲う事は無いでしょう」
「………何を言ってるんだ?」
「言った通りです。元々ほんの少しの間だけの予定だったんです。それが少し短くなるだけ、何もおかしな事はありません」
「君はどうなる?元の場所に戻って、そこから君はどうするんだ」
「多分、また機関の施設内で過ごす事になるでしょう。機関の本部は世界で一番安全な場所ですから。そこで一生、力を抑える訓練とか、本を読んで過ごすと思います」
変な時期の転校。そもそも彼女は卒業しようなんて思っていなかったのだ。
たった少しの時間だけ、その時間だけ自由を得る為に転校してきたのだ。
「それで君は満足なのか?」
「正直………辛いです。ですが、仕方ない事なんです」
そうして、彼女はへたくそな顔で笑った。
「私の人生は、私のものじゃない。………人間じゃない私は。社会の中で誰かの迷惑にならない様に、生きなきゃいけないんです」
その笑顔が余りにも純粋で、悲しいものだったから。
僕は余計な言葉を言ってしまったのだ。
「それは違う」
「―――え?」
僕は自分が好きだ。嫌いな訳が無い。
僕は僕だ。僕以外な筈が無い。
僕という僕は、彼女の言葉を否定したくなった。それだけだ。
「僕は君の事を一週間分だけ知っている。秘密がある事も知っている。君が孤独であった事も知っている。殆ど君の事を知らないけれど、君がどんな人間なのか、たった一週間分だけ知っている。その一週間だけを記憶の中の君は………普通の人間だった」
「普通の、人間?」
「笑う事もする、泣く事もする。冷静な時もあるし、激情に駆られてしまう事もある。勉強をして運動をして友達を作って、会話して、頼られて頼る。悲しいと感じられて、楽しいを感じられる。君は人間そのものだ、普通の人間だよ」
僕は人相が好きだ。人相を創作する行為に魅了されている。
そして僕は人の心が好きだ。様々な一面を持っていて、様々な考え方を持っていて。複雑で到底一つとは言い切れない、一つの言葉では到底表現できない人間の心に魅了されている。
感情が希薄だった自分が、人の心に魅せられ〈人相遣い〉になった。
愛染王位は今の愛染王位になった。
「秘密何て誰にもあるものだ。人間の心は一方向からだけでは見えないんだから。だから君が隠し事をしている事を後ろめたく感じる必要は無い」
「でも………私は………!」
ようやく理解出来た。
彼女は自分を責めているんだ。自分という存在を、責めているんだ。
なら、僕もちゃんと向き合わないといけない。
「あぁもう五月蠅いな!!言い訳ばっかりもういい!」
「―――ッ!?」
僕の人相が代わる。違う僕が現れる。
「種族がどうとか、隠しているのがどうとか、誰かを傷つけたとか、そんなんは君が自分を抑えて生きて行かなきゃいけない理由には全くならない!自分を責めていても、自分を貶める理由には全くならない!!」
「――――――」
僕は、思う。僕は、感じる。
それは僕が確かに感じている事で、決して嘘ではない。
心から思った、僕の本当だ。
「本当は自由に生きたいんだろ!?だから荒日学園に来たんだろ!?皆と友達になって、協力して、今日まで戦って来たんだろ!!誰かに自分を隠しても、自分に本心を偽るなよ!」
「わ、たしは―――」
「自分の人生だろ、人と違っても、それが桜海ソラの人生だと言えよ!!自分の人生が、自分のものじゃないなんて、そんな事を言う必要は………全くない!!!!これは―――」
彼女の瞳を真っすぐ見据え、肩を両手で掴む。
彼女の美しい瞳の中に自分が写り込む程の距離で、僕は彼女の心の内に叫ぶ。
「君の為の物語だろ!!!!」
人の数だけ、物語が存在する。
物語には自分が居て、誰かが居る。一人だけの物語は存在しない。
人の心に様々な顔がある様に、人の心に様々な思いが渦巻いている様に。
様々な人間が、存在が人生の中には登場して………その主役は自分なのだ。
「………本当は」
「うん」
「誰かと、友達と一緒に買い物に行ってみたい」
「うん」
「勉強会っていうのもしてみたい」
「うん」
「遊びに行って、疲れて笑いたい」
「うん」
「旅行だってしてみたい」
「うん」
「………兄さんの、役に立ちたい」
「うん」
「誰かの為に戦える人になりたい」
「うん」
「私は………私は………」
涙が流れていた。溢れた涙が、頬を伝って、僕の腕に落ちて来ていた。
作り物の表情ではない、彼女自身の表情。心の中から溢れ出た、声。
「―――私の人生を生きたい」
僕が、彼女に偉そうに何かを言う資格が無い事は十分理解出来ている。所詮は一週間程度の付き合いで、彼女の人生の事なんて推測でしかない。こんなものは僕のお節介なのかもしれない。
それでも伝えたかった。『僕』は彼女に伝えるべきだと思った。
自分の人生は自分のものだ。
産まれたからには、自分の物語を創らなければならない。
強制じゃない。けれど、物語の無い人生はとても冷たい。
僕は静かに、彼女の傍に居た。
この物語は、僕達の為にあるのだから。
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