Day8 僕の為の物語。
■◇■
「俺の名前は愛染王位。荒日学園の三年生だ」
そうやって、愛染王位は名を名乗る。
高らかでもない、優美でもない。当然の様に名を名乗る。
「愛染………王位………」
桜海ソラは耳に届いたその言葉は反芻した。
今の今まで知らなかった彼の名前。彼を表す記号。
異能力者にとって名前は重要だ。名前、それはそのものを表すから。
異能力者が自身の能力に名前を付ける様に、或いは自身の技に名前を付ける様に。名は『もの』と結びつき、イメージを強化する。想起させる力をより強くするのである。
〈光槍〉、〈理知減測〉、〈透下力学〉。これ等の異能も、その能力の持ち主によって名付けられたもの。
機関の認定する異能の名称、異能力者本人が名づける異能名、或いは誰かから呼ばれる名前。異能力者と異能には様々な呼称がある。異能の名前がそのまま異能力者の呼称となる場合もある。
つまる所、異能力と名は密接に結びついている。
血液型が深層心理に働きかけ行動を変化させる様に、占術において結果に沿う様に人間が行動する様になるのと同じ様なものだ。プラシーボ効果にも似ているかもしれない。
そう思う事によって、そう感じる事によって異能の力は変化し増幅する。
異能は現実を改変する現象、空想を具現化する超常なのだから。
だからこそ、愛染王位は異常だった。
名前すら分からず、偽って、関わって、そして誰もそれを異常だと認識しない。
桜海ソラでも気が付けない程の違和感。だが精神干渉系の異能力では無い事は分かり切っている。
異能であれば、彼女が気が付けない筈も無い。
「さて、此処からは主役交代の時間だ」
であれば、彼のは技術なのか、それとも未知の何か。
異能の原則が及ばない、理知外の存在か。
「その名前がどうした!?てめえの名前なんざ関係ねえ!!異能力ッッッ!!!!!!」
「そうだな。アンタの為に名乗ったんじゃねえからな―――異能力」
愛染王位は名の名乗った。
そして、自身の異能領域を展開する。
「“落石流”ッッッ!!!!」
先に発動したのは稲浪透日の異能、〈透下力学〉。
既に展開されていた異能領域は十全に機能し、異能を発現させた。
能力の発動と共に、沈んでいた岩石が浮かび上がる。人間の力では到底持ち上げられない程、大きなものも中にはあった。
そしてそれ等の岩石が、前方向へと落下する。弾丸の如き速さで、人間よりも巨大な岩石が飛翔する。
稲浪の拳が触れただけで、巨大な岩石達はいとも簡単に吹き飛ぶ。
“落石流”、それは単なる下方向への圧力の追加ではない。
彼が操るのは下方向のベクトルだが、これはその応用。
地球上に存在する限り必ず受ける最も大きな下方向のベクトル、重力。重力自体は様々な力の複合だが、彼の認識によって重力が捉えられた時、その強弱に干渉する事が可能となる。
異能領域内に存在する岩石にかかった重力を、下方向の力を弱める。
簡易的な無重力状態を生み出し、岩石を浮遊させる。そうなった岩石を動かすのは簡単だ、投擲する様に動かし、異能の効果を解除すればベクトルは再合成されて速度を生み出す。
桜海ソラの様に無事で身柄を確保しなければ相手には使えない業だが、愛染王位には関係ない。
彼の生死等、稲浪にとってはどうでもいい。寧ろ今は殺したいとすら考えているのだから。
「―――駄目ッッ!!逃げてッ!!!!」
桜海ソラは知っている。彼の異能力を見た事がある。
〈愚者一撃〉。発動が遅く、威力も特筆して高くも無い異能力。
名は体を表し、異能の名はその性質を表す。何故彼が自身の異能にそんな名前を付けたのかは分からないが、確かにその能力は愚者の様に使い難い。
間に合わない。
咄嗟に叫んだが、そんな事は桜海ソラが一番分かっていた。
彼の名前が分かった所で、少し雰囲気が変わった所で、彼の本質と異能力は変わらない。
彼の異能では、“落石流”を防ぐ事は出来ない。
「〈戦車〉」
――――――筈、だった。
彼の後方が光り輝き、光弾が放たれる。
それは桜海ソラの“天撃”に似て非なるもの、高密度のエネルギー弾。それも一つではない。無数の門が開き、そこから光弾が放たれていく。
光弾は飛来する岩石を次々と撃ち落とし、破砕していく。
その姿は人の形をした兵器………戦車の如き光景。
「………は?」
意味が分からなかった。火力もさることながら、それ以前の問題だ。
桜海ソラの眼前で行使された愛染王位の異能力は、以前彼が見せた異能力とは全く異なる。
自らの肉体からエネルギーを放出するのでもなく、エネルギーの出口を砲門を異能領域内に展開するというやり方での攻撃。そして速度も威力も段違いに、高い。
(〈愚者一撃〉じゃ、ない?………〈戦車〉?)
砲門から放たれる光弾はが岩石に着弾する度に、破砕音が響く。
光弾が弾ける度に、辺りに光の粒子が撒かれる。
その光景は、とてもランク3かそこらの異能力者になせる光景ではない。
少なく見積もってもランク4相当。それもかなりの上位だ。
桜海ソラも既に気が付いていた。
つい先程までに感じていた彼のエネルギーとは異なる。
身体から溢れ出んとする膨大なエネルギーの奔流を感じ取る。
「良いね、撃ち合いは大好きだ!存分にやり合おうか!」
「ほぉざぁけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
稲浪透日が駆けだす。
既に周囲に埋まっていた岩石はあらかた使い終わっている。故に遠距離の撃ち合いでは不利になると踏んだのだろう、身体に強固な異能領域を纏い突進する。
単純な身体強化。だが単純、シンプルだからこそ使用するエネルギーが増大する程に身体強化の幅は大きくなる。超人的な肉体を手にする事が出来る。
「異能領域―――加重ッ!!」
稲浪が一歩駆けるたびに、地面がへこむ。
踏み出す際の肉体に下方向のベクトル強化を施す事で移動相度を飛躍的に向上させているのだ。
「ああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「なんだ、やんねぇのかよ!!案外つまんねぇ奴だなあ、おい!」
余裕綽々な態度だが、決して油断できない相手である事を桜海ソラは知っている。
先程の距離では届かなかった異能が、距離を詰める事で届く可能性がある。だからこそ稲浪は近づいたのだ、そして攻撃を開始したのだ。
「〈剛毅〉!」
再び、愛染王位の纏う雰囲気が一変する。
最初の穏やかな雰囲気から、荒々しいものになり、今は歴戦の猛者の如き風格を漂わせている。
全員同じ存在である事は分かっている。だが全員が別人の様にも感じてしまう程の、変化。
「なんで、なんで潰れねぇ―――!!??」
既に稲浪の拳は受け止められ、彼の拳は空を切っていた。
「身体強化。お前と同じだよ」
「有り得ねえだろうが!!これは身体強化じゃねえ、異能領域の展開………異能そのものだ!!」
「やってる事って意味では間違ってないだろ」
「何なんだお前は、何なんだてめえは………!?」
「さっき言っただろ、愛染王位。荒日学園の三年生だよ」
当然の様に、彼は再度名乗った。
「ありえねえ、何でお前は二つの異能を持っている!?異能は一人につき一つしか発現しねえ!有り得ねぇ!!!」
「さあ、そう見えるだけじゃないか?」
「しらばっくれてんじゃ―――ねぇッ!!!!」
稲浪は彼の手を振り払い、再び拳を振るう。
彼の異能力〈透下力学〉は彼の異能領域内でさえあれば干渉可能。だが彼自身に距離が近い程に操作の精度は増し、効果も上昇する。
つまり、彼が直接触ったものにはより強大な力が及ぶのだ。
強化された肉体から放たれる攻撃の応酬。そしてソレに確実についていけている愛染王位の身体能力。これも彼女が見た彼の能力とは異なっている。
(異能が三つ?そんな事は有り得ない。異能は一人につき一つだけ、二重人格でもそれは同じ。人間の本質は変わらない………なら、彼のは?)
桜海ソラが過ごした人生の大半は知識と共にあった。
教育機関に通わずとも学力を身に着けられる様に機関の者達が手配し、世界最高水準の異能教育も行われて来た。
これらは彼女が自身の力をコントロール出来る様にする為の教育でもあったが、学習カリキュラム自体を彼女が苦痛だと感じた事は無い。
知識を身に着ける程に、憧憬の存在である彼等に近づいた気がしたからだ。
故に彼女は分析できる。
天性の察知能力と、努力故の教養。その両方から彼女自身の疑問を解決すべく分析する。
(〈戦車〉の砲撃、〈剛毅〉の身体強化………そして〈愚者一撃〉の攻撃方法………どれも異なる能力で、似ている能力………)
そして彼女は、そんな訳が無いと、否定しながら思いつく。
眼前の光景を説明できる、ある可能性。
(異能の性質は、異能力者の本質から決定される。でももし………もし、その本質すら変化させられる人間が居るとすれば?)
そんな事はある筈が無いと、彼女は思う。二重人格者の例で言えば、それすらも異能力者の本質に組み込まれている筈だからだ。
だが、前例が無いが故に否定しきれない。
数ある仮説の中で、最ももっともらしい。
そしてそれは正解である。
◇
〈人相遣い〉。それが愛染王位の異能である。
正確には異能ですらない。ただ超常史の仕組みに合わせ、彼の能力を異能と呼んでいるだけだ。
人相とは人の表情に留まらない。
人の考える事、人の感じる事、人の思う事、人の話す事、人の見る事、人の見ない事。
人相とは、人の心の内側から外側に生じる人の有り様なのだ。
人相が変わるという事は同時に、内側も変化しているという事。
内側とは即ち『本質』であり、異能の性質。
〈人相遣い〉愛染王位の異能、それは自身の異能性質を自在に変化させられる異能である。
愛染王位は自身の人相を幾つかの傾向に分類し、体系化している。
印象に残らない、誰からも嫌われない、普通の人間としての愛染王位。
凄烈であり、暴力的であり、攻撃的な性格の人間としての愛染王位。
静かに力を振るう、冷静沈着かつ剛力を併せ持つ人間としての愛染王位。
様々な愛染王位が居て、それら全てが愛染王位。
別人格ではない。記憶は同じであり、身体にも変化はない。
ただ考え方も感じ方も、思い方も話し方も見方も違うだけ。
それを愛染王位と人が感じるかどうかは別にして、全てが愛染王位という人間。
オリジナルの人相も存在するが、既に愛染王位は自身の生み出した人相で生きている。
だがそんな事を気にしてはいない。全て愛染王位なのだから。彼は自分が生み出した人相を愛しているのだから。
愛染に産まれた人間は、何かを創る事に呪われる。
愛染に産まれた人間は、創作という行為から逃げられない。
創作という愛に染められらし一族。それが愛染という一族。
超常史以前より紡がれて来た、魔術師ならぬ異能の一族。
ある愛染は物語に魅了された。ある愛染は玩具に魅了された。ある愛染は文字に魅了された。
ある愛染は陰影に魅了された。ある愛染は恋慕に魅了された。ある愛染は人形に魅了された。
ある愛染は紙片に魅了された。ある愛染は色彩に魅了された。ある愛染は工作に魅了された。
そして愛染王位もまた、人相に魅了された。
それが愛染王位。荒日学園三年生であり、愛染家次期十一代目当主。
「………凄い」
だがそんな事は、桜海ソラは知らない。知り得る筈も無い。
愛染家の事も、そもそも愛染王位という名前すら今初めて知ったのだから。
だが、それでも理解出来た。
―――彼は特別だ。少なくとも。
それだけが確かな事実。
一人の学生が、一人のテロリストを圧倒している。
火力ではどちらも負けていない。状況は拮抗している様に見える。
遠距離での異能の撃ち合いは終わり、近距離戦闘が開始した。徒手での格闘の最中にも稲浪は異能を用いて攻撃を行うが、その悉くを回避されるか撃ち落とされている。
対して愛染王位の攻撃も先程〈剛毅〉と彼が言ってからは格闘術のみ。高威力の光弾射出は行っていないし、最初に桜海ソラに見せた様な攻撃も無い。
一見拮抗している様に見える状況。だが桜海ソラは理解した。
勝っているのは、有利なのは………愛染王位。それも圧倒的に。
「嘘だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ!!」
「静かになれないのかお前」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
「………ったく」
既に稲浪の精神は錯乱している。異常状態に陥っていると言っても良い。
これまでの彼の人生で、こんな事は一度も無かったのだろう。
彼は確かに敗者だった、弱者だった。産まれながらに兄と比較され、劣っていると彼自身が彼自身に呪いをかけていた。
だが異能を手に入れ、それが変わった。
異能とは心の現れ、捻じれた彼の心が生み出した異能は到底まともとは言い難いもの。だが同時に、発現時点から十分に凶悪で強力なものだった。
だから殺した。
殺して自分が優れている事を証明した。
だが心の内にある劣等感は完全には拭えず、彼の心の歪みは益々酷くなっていく。
暴力で解決する事を覚え、力を使う方法を覚えて、支配する感覚を覚えていく。
そうして学んでしまう。
彼にとって現状とは、社会とは自らが望めば変えられるもの。自分が暴力を振るう事で正せるもの。例え自分が劣っている人間だとしても、逆転出来るもの。そう学んだしまったのだ。
しかし今、その考えが否定されようとしている。
彼の暴力は通じず、彼の信念は通せず、彼の欲求は通らない。
「“落ちろ”!“落ちろ”!!“落ちろ”ぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
異能は精神状態に大きな影響を受ける。その究極が異能の暴走だ。
精神状態が荒めば当然、普段通りには異能は働かない。働く訳が無い。
稲浪が異能を連発する。目には見えないが、下向きの圧力が愛染王位の肉体を圧し潰すべく産まれる。だが潰せない。桜海ソラの様に、地に這いつくばらせる事すら出来ない。
不意に、桜海ソラは自身の肉体が自由に動く事に気が付く。
身体にかけられていた〈透下力学〉が解除されたのだ。
それが意味するのはつまり、それだけ稲浪の精神に限界が訪れているという事。桜海ソラの分までリソースを割けない状態にまで追い詰められているという事。
一見拮抗している彼等の間に生じ始めている精神という絶対的な壁。
繊細な異能のコントロールを失い、照準すらままならない。お粗末なまでの異能の力。
冷静さを完全に失った彼に、〈透下力学〉が御しきれない。
だが、普通ならこうはいかなかっただろう。
いくら稲浪透下がそういう人間であったとしても、仮にもテロリストとして活動して来た異能犯罪者だ。
実戦経験も愛染王位より何倍も多い。異能の練度も上だった筈だ。
「何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で!!!!」
冷静さを失った彼に、自己分析は不可能だ。
自分が何故これ程までに翻弄されているのか、彼自身も理解出来ていない。感情のままに動いてしまうのか、いつも以上に激昂してしまっているのか、分からない。
「俺は特別な筈だ!もう負けられないんだ!俺は――――――!」
それも当然だ。気が付ける筈が無い。
そもそも、愛染王位の能力とは何なのか。
それは〈人相遣い〉、人相を操る能力。
異能ですらない、異能。
だが仮に、この能力を世界異能機関が定める所の分類法補に従って分類するのであれば。
仮に、彼の能力を異能として扱い、異能力として定めるのであれば。
それはこう分類される。
異能の三系統の内、最も希少な系統。
支配系統現象系ランク5。
「――――――〈魔術師〉」
〈人相遣い〉。
◇
世界異能機関が定める異能の分類法では、異能は三系統に分類される。
異能者自身の肉体を変化させる異能系統、肉体変化系統。
何かを生み出し操る異能系統、創造系統。
そして三系統の内最も希少かつ強力であるとされているのが支配系統である。
支配系統。それは肉体変化系統の様に肉体を変化させる事は出来ない。創造系統の様に、無から有を生み出す事も、現象それ自体を発生させる事も出来ない。
だが支配系統は三系統の内で最も強力であるとされている。それは何故か。
支配系統とはその名の通り支配する能力だ。
既に世界に存在する『何か』を異能の力で支配する能力。
その干渉力は三系統の中でも圧倒的であり、同ランクの異能ですら干渉する事は困難とされている。
既にあるものを利用する為に、他の系統よりもコストパフォーマンスが良く、その分干渉力にリソースを割けるからだ。
では、〈人相遣い〉とは如何なる支配系統なのだろうか。
答えは既にある。
〈人相遣い〉とは人相を操る能力。つまり、〈人相遣い〉の効果は己一人に留まらない。
他者の人相、即ちパーソナリティに直接干渉する能力、それこそが〈人相遣い〉。
異能とは異能力者のパーソナリティの表れ、それそのものと言っても過言ではないもの。故に当然、パーソナリティが変化すれば異能もまた変化が起きる。
稲浪透日は既に〈人相遣い〉の術中にある。
「あ、あああ――――――」
勝敗は決した。
膝を着き地面を見る稲浪と、そんな彼を見下ろす愛染王位。拮抗していた両者の攻撃は次第に差を広げ、遂に稲浪の腹部に命中した攻撃が彼に膝を着かせたのだ。
「何でだ………俺は凄いんだ………俺はやれる、変えられるんだ………父さんも母さんも兄貴達よりも、誰よりも俺が一番の筈なんだ………そうだ、その筈なのに………」
心此処に在らず。稲浪の精神は既に折れている。異能を発現させようとすら思わない程に、目の前で見下ろしてくる愛染王位に何も言い返す事すら出来ない程に。
「何で………」
「当たり前だろ。あんたつまんないから」
「俺は、俺が………つまんない?」
「つまんないね。俺は正直、あんたなんかの思いとか信念とかどうでもいいし、共感する気もさらさら無いけど。だからこそ分かる。あんたはめちゃくちゃしょうもない」
愛染王位の雰囲気がまた変わっていた。
人相を変えたのだ。
「俺は………俺が主役なのに………」
稲浪の人生という物語は、彼の思う様に進んだ。
彼が弱い立場に居て、暴力を使って逆転する。自分が優秀であると証明される。さながら英雄譚の様に、悪を正義である自分が打ち倒して駆け上る。そんな物語の主役であるかのように。
だが、それは違う。違った。
「勘違いしてるから教えてやる。あんたは全然、主人公とか主役とかの器じゃないよ。メンタルが弱すぎるしね」
そう、〈人相遣い〉は最初から稲浪の精神に干渉できていた訳では無い。
稲浪透日とて強力な異能力者。〈人相遣い〉でパーソナリティを書き換える程の干渉は出来ない。
人減に直接干渉しようとする能力は、異能力者の体内に常駐している異能領域によって抵抗を受ける。これは精神に関与する異能力が最初にぶつかる壁であり、最も大きな障害だ。
対象となる異能力者が強力である程に精神干渉は効き辛く、効果も薄れる。力量差によっては何も効果を生じさせられないなんて事も多い。
だが戦闘が進むにつれ、稲浪の精神は乱れていった。
これまで積んできた何となくの成功体験が崩され、自分の暴力が通じない相手が立ち塞がった。
自尊心が揺れ、怒りが沸いて来た。
〈人相遣い〉はそんな彼の心の動きを後押ししたに過ぎないのだ。
「そういえば、アンタの名前って何だっけ?………まあいいか。もう興味ないし」
稲浪透日は名を名乗らない。名乗る必要も無い、と考えていた。
彼にとっては暴力こそが存在証明だった。そしてそれは、今打ち倒された。
「これは、僕の為の物語だ。二度と登場するな―――じゃあな」
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