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ベツバラ!!  作者: 理想久
第一記 愛染王位日誌
70/82

Day8 天使墜落 (改稿2023/12/23)

追記 すみません、結構な間違いをしていたので改稿しました。よろしくお願いします。


 ■◇■


 眩い光が、遂に収まる。


 たった一瞬の降臨。しかし、その傷跡は大きい。


「―――終わりだ」


 そこにあったのは地面に墜落した天使と、それを見下す男の姿。

 一度の攻防であったが、既に彼女の服は破れ所々地肌が見えている。

 白磁の様に澄んだ白い肌、ブロンドの髪。

 天使の頭上に輝いていた光輪は切れかけの電球の様にバチバチと点滅し、背中の翼も消えかけている。天使ではある、しかしその姿は、死にかけの虫の様に弱弱しい。


「いい攻撃だった、だが………まだまだ俺には届かねえなあ」

「――――――」


 桜海ソラの意識ははっきりしていた。

 切り札を切った。訓練の中温存していた、彼女の切り札だった。

 半暴走状態に自ら陥る事で、自らの本質である天使の力を最大以上に引き出す。異能力としての体裁は保てなくなるが、紛う事なき彼女の奥の手だった。


 だが、想定外の事が起きていた。起きてしまった。

 それもまた彼女の本質であるが故の………弱点。


 天使。それは天にて羽ばたくものであり、住まう者。

 

 故に、天使の力は地に近づく程に減衰してしまう。

 天に近ければ近い程に力を増し、地に落ちれば出力は急激に低下する。

 普通に能力を行使する分には殆ど影響はない。というより寧ろ、普通の状態が地に落ちている状態なのだ。それ以上出力が低下しようが無い。


 だが天使の力を解放し、天使としての性質が強化され宙を飛ぶ。

 そうなった彼女にとって、地に落ちる、という現象は致命的であった。


 これは気合でどうにかなる問題でも無く、彼女自身の欠陥でもない。

 彼女が半天使であるが故に生じている、種族的な弱点。克服しようの無い問題。


「惜しかった。だが、異能力者ってのは相性勝負だからな」


 稲浪透日の異能、〈透下力学〉の本質とは『対象の降下』にこそある。

 下げる事、それを無理に干渉する事で落とす能力へと繋がる。

 天使の力を持ち飛翔する桜海ソラにとって、稲浪透日という人物は天敵であった。


 “天威”。彼女の持つエネルギーに指向性を持たせて放つ必殺の一撃。

 だがそれすらも、〈透下力学〉には及ばなかった。

 通常の状態で押し負ける彼女の出力では、地に落ちた今勝てる道理も無い。


 今も尚、押し潰れそうな程に圧力を受けている。立ち上がる事すら出来ない。


「さて、うっかり本題を忘れちまう所だったが………もう良いよな?いやもう良いだろう?惨めだろう、敗者は。これが弱者の気持ちなんだ、俺の気持ちだ。伝わったか?ん?」


 地に伏せる彼女の顔を覗き込むように、稲浪が語りかける。


「俺達と来い。そんでやり直そう。あの人ならそれが出来る」

「――――――ッ」

「あぁ………潰したまんまだった。すまんな、返事も出来ねえか。ほら、返事を聞かせてくれよ」


 桜海ソラにかかっていた圧力が弱まり、肺に空気が流れていく。

 声も出せない程にかけられていた圧力が緩んだ事で、やっと彼女は声を出せるようになった。


「―――なる、訳、ないじゃないですか………!」


 答えが変わる訳が無い。何故、この男にはそれが分からない?

 彼女の思考は怒りと悔しさに満ちていた。


「私は、私は………!屈しない!絶対に………!!」


 桜海ソラ。彼女の根底にあるものは清廉さだ。


 幼少期より孤独を知り、謀略の渦中に身において尚、歪まず。

 齢四つにして父を亡くし、その身に責任を負って尚、歪まず。

 

 六歳の時、彼女の本質は目覚めた。

 それまで保ってきた彼女の精神が壊れ、天使の力が暴走したのだ。

 彼女の力は種族に由来するものであり、異能ではない。だがその現象は異能の暴走に類似したもの。理性を失い、本能のままに超常なる力を行使する暴走状態に陥った。


 ―――六つの時に私は『私』を自覚した。

 ―――私は普通の人間では無かった。


 幸い、まだ幼かったが故に暴走状態はすぐに収まったが、この事件をきっかけに彼女は再び心を隠す。

 それは彼女が自らを人外であると認識してしまったからだ。


 『私』は人間じゃ無い。『桜海ソラ』は普通の人間ですらない。


 ―――私は天使。いや人である父と、天使である母との間に産まれたハーフ。

 ―――怪物(ネフィリム)と呼ばれる存在。


 六つの少女。自責の念に陥るのも無理は無い事だった。


 そこから殆ど外界を知る事無く知識を貪り、鍛える日々。

 穢れを知らないのではない。知った上で押し留めたのだ。

 それ故の清廉、それ故の神聖さ。天使の如き精神と評された、彼女の心内。


 だが、それこそが彼女の本質。


「貴方がどんな人間だろうと、どんな信念があろうと、それは『私』には関係ない………」


 どれだけの苦難を味わおうと、どれだけの孤独を感じようと。

 それは彼女が折れる理由には、ならない。

 父と母、兄。桜海ソラは彼等を一度も恨んだ事は無い。

 そこにあるのは憧憬のみ、故に崩れない。


 彼女を満たしているのは、孤独と愛。


 ―――例え、私が怪物であろうとも。

 ―――私は、あの人の子供だから。


『桜海ソラ』()は―――折れない!」

「………そうかよ!!」


 心の叫びだった。

 なんで私が、どうして父が、何度も桜海ソラは悩んだし苦しんだ。

 だが彼女は彼女であるが故に、偉大なる父の子であるが故に。


 稲浪透日の異能領域が拡大する。

 辺り一帯を覆い尽くさんとする巨大な異能領域。

 異能領域の範囲とは異能力の範囲である。つまり稲浪の異能領域内とは〈透下力学〉の効果範囲であり射程距離に等しい。では巨大な異能領域は何をする為のものなのか?


「なら圧し潰して、持って帰る!!てめえは今から人質だぁぁぁ!!!」


 稲浪は単純な男だ。彼の思考回路には優先順位の変更が存在しない。

 彼の最優先事項とは常に自らの感情で有り、作戦の合理性は二の次。

 だからこそ〈騙討〉(シラサギ)に忠告も受けていたのだが、最早関係なかった。


 彼は我慢の限界だった。効率性等、最早考えていなかった。


 幸いな事に、或いは彼女にとっては不運な事に、殆ど全ての生徒が周囲から避難している。

 道木修の決着は既につき、学園の救援は呼ばれているものの、彼女等が居る場所は校舎側から最も離れた地点。辿り着くにもまだ時間がかかる。

 更に言えば教師達は負傷者や逃げ遅れた者から優先して差探す。彼女等の地点まで来るには相当な時間が必要だろう。


 だから普通は出来ない事もする。


 巨大な異能領域がそのまま〈透下力学〉の効果範囲内であるのならば、それ即ち巨大な重圧空間だ。


 つまり彼の行為とは―――全て、一切合切を圧し潰して制圧しようとする行為。


 本来ならば悪手だ、する必要も無い。

 折角彼の居場所は分かり難い場所にあるというのに自らの居場所を主張する事になるし、そもそも桜海ソラに抵抗する力は残されていない。これ程巨大な異能領域は過剰だった。


 だがもう彼にとって、そんな事は知った事では無い。

 彼の意識にあるのは桜海ソラの心を粉々に潰す事だけ。

 その為に超出力を以て攻撃する。それだけの思考回路。


「逝ねやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 異能領域を、自らの限界まで展開し、異能を発現させんとする。

 当然、異能領域はいきなり広げられない。

 0を1にする事は出来ても、いきなり0を10には出来ない。時間は個人の能力にもよるが、1の領域を展開するよりも必ず必要な時間は長くなる。


 だからこそ―――間に合った。


「やあ」

「―――!?」

「―――なんだあ、お前」


 その声は、余りに能天気な声だった。

 天然と表現するのが正しいのか、或いは阿呆とでも言うのか。兎も角、場の状況と雰囲気を少しでも感じ取る事が出来る人間ならばこんな声を出す事は出来ない。

 いやそもそも、ここに居る事は出来ない。


「ごめん、待たせたかな」

「貴方、は………どうして………」

「どうしてって、約束しただろ?『もし桜海さんがピンチになったら、その時は僕が戦う』ってさ。約束を守りに来たんだよ。遅くなってごめんね」

「それは、でも………」


 確かに約束はした。だがそれは、建前の様なものだ。本心から言った訳では無い。

 何故なら、それは単純な話だ。

 彼は弱い。少なくとも桜海ソラよりも、各段に。


 彼の戦いを見た事はあった。

 だがその感想は正直に言って、弱い、というものだった。


 桜海ソラは自分が強い側の人間である事を知っている。

 彼女の努力の産物では無いが、天使の力を使い、父譲りの内在エネルギー量の多さもある。学生レベルであれば、最上位であると言って良いだろう。


 そして彼女の能力の一つに、人間の危険さを感じるというものがある。

 その能力故に彼女は危機回避能力や危険察知に優れ、今回の場合でも稲浪の場所を把握出来た。

 その能力によれば、彼に全く危険さは存在しない。危険の欠片も無い。

 それ即ち、彼の力は桜海ソラにとって危険にすらならないという事だ。


「―――逃げて、逃げてください!!貴方じゃ無理です!!早く逃げてっ!!!!」

「桜海さん………」


 桜海ソラが叫ぶ。最後の力を振り絞って、彼に逃走を促した。

 身体にかかる圧力が一層強くなり、骨が軋む音が耳に響く。地面と稲浪の異能との間で板挟みとなって、彼女の身体を苦しめる。


「だとよ。てめえが誰かは知らねえが、そうだな………こいつに免じて逃がしてやる。おら、さっさともと来た道を戻りやがれ」


 稲浪が言う。

 だが、彼の歩調は変わる事無くゆっくりと彼女の方へと近づく。


「聞こえなかったのか?もどれ、と言ったんだが?」

「勿論聞こえてる。でも、約束だし………恥ずかしいけど、友達だから」

「友達だぁ………?分かってんのか?命かかってんだぞ、てめえ」

「分かってる」


 友達。その言葉が桜海ソラの中に響く。


 何故だ、何故彼はそう言うのか。桜海ソラは自分を客観的に見る。


「たった一週間程度で、たったそんだけの付き合いで!!そんだけの友情に命賭けんのかてめえはよぉ!」

「たった一週間だけど、僕は結構桜海さんの事知ってるからね。見捨てられない」

「何が知ってるだ、なァ!!??」


 グイ、と地面に倒れている桜海ソラの身体を稲浪が持ち上げる。

 苦痛の息が漏れるが、そんな事を稲浪が気にする筈も無い。


「お前は知ってんのか?こいつの正体を、本性を!」

「―――ッ」

「なあ言ってやれよ!『こんな事が起きたのは、全部私のせいです』ってよ!どうせ何も話して無いんだろ?弱みは誰にも見せたくないもんなぁ、可哀そうになぁ。ほら言ってやれよ!自分で言えねえなら俺がいってやろうか!!??」

「や、め―――」


 分かっていた。これは裏切りなのだと。

 全てを話せば、間違いなく彼女はここに居られなくなる。

 たった一週間程度、たったそれだけの付き合い。確かに稲浪の言う通りだ。


 だがそれでも彼女は思ったのだ、だからこそ、だからこそこの一時を壊したくないと。


「お前が言えないなら言ってやるよ!こいつはな、桜海ソラは―――」



「サルトマ・アベルの娘なんだよ!!」



 ◇


 サルトマ・アベル。

 その名を超常史に生きるもので知らない者は居ない。

 〈英雄〉、彼をそう呼びだしたのは誰だったのか。いつの間にかそう呼ばれ出した事は間違いない。


 様々な偉業を成し、超常史を超常史にした男。

 世界異能機関を創った男。

 そして、殺された男。


「英雄サルトマ・アベルは死んだ!そしてその息子、ユグド・アベル。だがもう一人!サルトマ・アベルが遺したもう一人の血筋!それこそがこの女、ソラ・アベルだ!!」

「――――――」


 ―――言われてしまった。


 誰にも言わず、隠してきた事。


 桜海ソラの人生は孤独だった。

 英雄として日夜世界中を飛び回り、機関の中枢にて働く父。

 若き英雄の息子として同じく機関で作戦任務に就く兄。


 その身柄は厳重に保護され、彼女の人生の大半は新大陸に存在する機関本部で過ごした。

 それは単に彼女がサルトマ・アベルの娘であるという理由だけではない。


 その遺伝子を守る為である。


 異能力者の力は何で決定されるのか。言うまでも無い、異能力だ。

 では異能は何で決定されるのか。これも周知の事実、個人のパーソナリティである。

 そして個人のパーソナリティとは個人の性格だけを指すのではない。精神性、身体、そして遺伝子。個人を形成する全てが異能を発現させるパーソナリティなのだ。


 遺伝子。

 超常史以前より魔術師の一族がそうしてきたように、血統は重要な要素。

 それは異能力者でも同じこと。子は親の異能の性質に似る。多くの場合、両親の異能の形質は子の異能に受け継がれる。

 遺伝子とは最も基本的な個人の形成要素であるが故に。


 超常史初期、優秀な異能力者の遺伝子を求めた誘拐が多発した。人身売買が公然と行われていた時機すらあり、中には国家が主導して異能力者狩りと後に呼ばれる行為を行っていた事すらあった。

 これを止めたのが世界異能機関でもあるのだが、兎も角優秀な異能力者の遺伝子は何億円を出しても足りない程の価値を有しているのは間違いない。


 それが世界最高と謳われた英雄、サルトマ・アベルの娘であれば尚の事。


「分かるか!?最強の遺伝子に産まれた、子供!兄のユグド・アベルは手を出せないが………こいつはまだガキに過ぎない!!落ち零れの弱者に過ぎないんだ!!」


 サルトマ・アベルの遺伝子を受け継ぎ、ユグド・アベルと同じ素質を持つ娘。

 それがどれだけの価値を持つのか、特に力を求める勢力にとってどれだけの意味を持つのか。想像に難くない。故に彼女は護られて来たのだ。


 生きて来た十七年間を、機関の施設で過ごしてきたのだ。


「馬鹿だよなぁ、ずっと引きこもってれば良かったのに………遂に飛び出してまさかこんな場所に居るなんてよ。聞いた時は耳を疑ったが………これはチャンスだ。こいつを人質に………ユグド・アベルの首を狩る、絶好のチャンス!」

「――――――ッ」


 彼女は自分が兄の何よりの弱点である事を知っていた。

 世界最強の、偉大なる兄。その弱点が自分なのであると。


 ―――ああ、やはり私なんて。


 約束があった。正体がばれない様に努める事。残り半年の間だけ、その間だけの時間である事。


 ―――私なんて。


 ずっと我慢して来た。

 孤独も悲しみも、恨みも憎しみも、自己嫌悪も。


 天使は物語の存在。時に厳しく、そして優しく人を導く。

 だけれど、自分には無理だ。

 私の人生は、物語は。


 ―――産まれるべきでは、無かった。


「桜海さん」


 そんな時、再び彼の声が聞こえた。


 彼は変わらず桜海ソラの瞳を真っすぐに見つめていた。


「一つだけ、一つだけ聞かせて欲しい」


 真っすぐな瞳で、真っすぐな声で、真っすぐな心で彼女を見ていた。


「君は、僕の友達かな?」


 友達。たった一週間だけ、それだけの時間の付き合い。

 最初は、自分の不注意で傷つけた彼を探る為に会話しただけの関係。

 けれども、彼女にとってこの一週間は十七年間の中で最も誰かと関わった時間だった。

 機関の職員でも無く、親でも無く、兄でも無く、同年代の誰か。

 そんな初めての関係に戸惑う事もあった、だけれど確かに。


「――――――」

「そっか、ならやっぱり助けるよ」


 彼女は頷いた。

 頷くべきでは無かった。肯定すれば、彼は助けようとするだろうから。

 だからこれは矛盾している行動だ。逃走を促した先程の行動と、真逆の行いだ。

 だが、偽れなかったのだ。もう偽りたくなかったのだ。


 初めて出来た友人を、偽りたくなかったのだ。


「おいおいおいおい。話聞いてたか?何も話さない、語らない。内心では見下してたかもしれない女だぞ?そんな奴が本当に友達か?仲間か?」

「あんたは勘違いしている。僕は全てを話して秘密を曝け出す事が友達とは思わない。秘密を共有しない、そんな信頼関係だってある筈だ」

「随分偉そうに人生を語るじゃねえか………!」


 彼はそうして、歩き出す。


「第一、僕だって桜海さんに話していない事はいっぱいあるしね」

「そうかよ―――“落ちろ”」


 発動される〈透下力学〉。不可視の重圧が、彼を襲う。

 襲った、筈だった。


「何で、何で潰れねぇ―――!?」

「さぁ、何でだろうね?」


 明確な敵意を以て放たれた異能力。桜海ソラを押さえつけるそれと何も変わりない。

 異能領域の展開も既に十分以上にされている。不発な筈は無い。


「何を―――てめえ一体何をしやがったッ!?」

「何もしていないさ。君が勝手に何もしなかったんじゃないの?」

「そんな訳ねぇだろうがッ!!答えろ、何をした!!??」


 歩き、語る。

 それだけだ。何ら変わった事はしていない。

 毎日歩く道を散歩している様に、普通に歩く。優雅でも、華麗でも、惨めでも無い。


 なのに、それは異なっていた。


 ―――何が?


 瞬間、桜海ソラを襲った強烈な違和感。


「さて、アンタの名前を聞こうかな」

「ふざけてんじゃねぇぞ糞餓鬼がぁッ!」


 怒号と共に、周囲に撒き散らされる異能。感情のままに放たれるそれは、最早コントロールが出来ていない。手当たり次第に圧し潰しさんとする暴力。

 木々が押しつぶされ、草木が潰れる。

 だが、彼は何も変わらない。


「巫山戯てなんか無いさ。ただ教えて欲しいだけ」


 彼はこんな雰囲気だっただろうか。こんなにも強気な人間だっただろうか。

 桜海ソラの脳裏に二重人格という言葉がよぎる。

 だがそれはすぐに他ならない自分自身によって否定される。

 二重人格者であっても、二つの異能は持てない。二重人格者は、『二重人格』というパーソナリティを持つのであって、二つの異能が発生する訳では無い。


 つまり彼が稲浪の異能を何とかした理由にはならない。


(彼は、どうして――――――)


 そして、気が付く。気が付いてしまう。知ってしまう。


 その気付きは致命的だった。すぐに彼女の脳を、思考を占拠した。


 ―――知らない。


 心の中に隠れていた違和感の終着点であり、そして新たなる疑問の始発点。


 ―――私は、彼の名前を知らない。


 桜海ソラは自らの記憶を探る。しかしどうしても見つけられない、思い出せない。

 彼から名前を告げられた記憶、彼が誰かに呼ばれている記憶、彼の名前を知った記憶、彼を名前で呼んだ記憶が一片たりとも彼女の記憶に存在していない。


(でも、私は彼を知っている。知っているのに――――――)


 たった一週間とは言え、誰かの名前を知らないなんて事は有り得ない。

 他のクラスメイトの名前は知っているし、覚えている。にも拘わらず、彼の記憶だけが彼女の中には存在していない。


 ずっと抱いていた、何かが氷解する。


 ―――じゃあ、彼は誰?


 思考が深く沈むが、それは彼の言葉によって引き上げられた。


「ごめんね、桜海さん。君を騙すつもりは何も無かったんだ。でも、君が余計に苦しむかもと思って」


 初日に彼女が誤って攻撃してしまった彼、の筈だ。

 でも纏っている雰囲気が全く違う。

 陰と陽、正と邪、表と裏。そう例えられればしっくりくるのだろうか。

 でも、違う。顔も、肉体も、言葉も同じ。でも彼女には彼が、全くの他人の様に見えている。


「もう一度だけ聞くよ、アンタの名前は?」

「だから、言う訳ねえだろうがッ―――!!」


 男が叫び、今まで掴んでいた桜海ソラの頭部を話して両手を解放する。

 イメージをより明確にする為、稲浪は両手で挟み込む様にして彼を見る。

 挟み込む、つまり圧し潰す為の本気の異能。


「くたばれ―――!!」

「そっか、それでも―――僕は名乗るよ」


 彼の雰囲気が一層変わり、威圧感を放つ。

 最早、穏やかな彼の雰囲気は見る影もない。


 異能が発現される。


 押そう莫大な空気圧。空気の塊を認識し、塊として圧し潰す技。

 稲浪の奥の手の一つ。


 響く轟音。空気が移動する音が、風の音となり響く。

 余剰の圧力が、微かに残っていた物体をも圧し潰していく。

 ひしゃげ、折れ、砕かれ、消える。


 一瞬の出来事だった。


 彼は立っていた。

 あらゆる物の中で唯一、彼は立っていた。更地になった光景の中でただ立っていた。


 そして、宣言通りに―――。


「俺の名前は愛染王位(あいぞめ おうい)。荒日学園の三年生だ」


 愛染王位は名を名乗る。


第二章は残り三話程の予定です。お付き合いお願いします。

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