Day8 天使現界/side 桜海ソラの話
■◇■
異能領域を展開する。
それは異能領域が異能力者の体内から体外へと広がる事からそう呼ばれている。
実際、その表現は間違っていない。
異能領域とは一種の波であり、一種の粒子であり、一種の概念であるからだ。
矛盾しているようだが、矛盾していない。異能とは想像の力、思い込む力と言ってもいい。
波の様に広がり、粒子の様に散布され、概念として空間に存在する。
それぞれが別個にあるのではなく、それぞれが深く手を取り合って異能領域を成している。
その様子が広がっているからこそ、展開と呼ばれるのだ。
そして異能力者は自身の異能領域内において異能を発現させ、異能を操る。
それが異能力者の基本中の基本、異能力の発現の段階だ。
だが異能力とは千差万別であり、その形が異能力者の数だけ存在する。
創造系統、支配系統、肉体変化系統の三系統から更に細分化され、現代においては系統という括りでは収められない程に多彩化しているのだ。
超常史が進んだ現在、既に異能力は明確な区分が不可能な程に系統樹を伸ばしている。
そうなると必然ある問題も起こる。
それが理想と現実の差異。異能力の持つイメージと、現実に起こる現象との差異である。
多くの異能力者は異能領域を『展開』と言う。それが最も基本的な異能領域の出力の形式であり、最も無難かつ分かりやすい方法だからだ。異能者養成学園においても、更にその下の段階においても、異能領域の展開は最も基礎的な部分として教えられている。
異能領域展開………殆どの異能力者ならばそれで足りる。そもそも創造系統現象系typeルールの様に、展開という言葉が最適な異能力者もいる。宗谷智晴等は確かに『展開』が合っている、最適でないにしても。
だがそうでない異能力者も居る。
放出系の異能力者は本当に『展開』するのか。無駄が多いのではないか。
肉体変化系統の異能力者に『展開』は必要か。意味が薄いのではないか。
支配系統の異能力者に『展開』は適切なのか。別解が在るのではないか。
故に異能領域の展開には更なる段階が存在する。
異能力とはイメージの世界、異能とはパーソナルの現れ、故に異能力者は名前を呼ぶ。
そしてそれは『展開』という言葉では足りない。
異能領域を展開するのでは無い。展開という行為に異なるイメージを紐付ける必要がある。
例えば―――彼女ならば。桜海ソラという人間ならば。
それは彼女の本質から至る言葉。即ち―――
異なる存在への変化である。
◇
「おいおいおいおい!………何だその姿は!?」
稲浪透日が目にしたのは、一つの現象だった。
かつて人間は気象現象に神の存在を感じた。一つの天候に感情を感じた。
神話が産まれた時、人はそこに確かな何かを感じ取り、曖昧模糊な上位存在を認めた。
文化を包括し、文明を育て、時に恐怖を、時に恩恵を与えながら概念は成長した。
幻想は存在する。少なくとも超常史においては。
異能力者は異能を使い、魔術師は魔術を使う。迷宮が出現し、魔物もまた溢れた。
異なる世界に素材と恵を見出し探索する職業があり、強力な異能者は戦争の形を大きく変える。
〈英雄〉が居れば〈魔王〉も居る。王が居れば、罪人も居る。
だが、それは目にしたことが無かったのだ。
存在すると知っていても、存在しないと認知していたのだ。
多くの魔術師の家系が異能力者として偽り超常史に住まう様に、異能犯罪者ですら日常を送っている様に。幻想は現実に住んでいる。
なのに、それは正真正銘の幻想として彼の目の前に降臨した。
宙に浮く彼女の頭上に輝く眩き光輪。背中から溢れたエネルギーがあたかも一対の翼の様に浮いている。いつの間にか目には灯火が宿り、迸る空気が周囲を清めていた。
それを、彼女を形容するのえあれば………正しく天使だった。
天使、天の使い。
時に人を見守り、時に人を罰する存在として伝承に描かれる者。
そして時に、美の象徴として選ばれる事すらある存在。
彼は感じる。目の前のこれは、決して異能ではない。
これは、天使は、現実に降臨した幻想そのものだ。
「――――――」
「そうか、これが!これがお前の本質って訳か!!良いじゃねえか最高だ!!!墜としてやる、地に這いつくばらせて蹂躙してやる!!羽を捥いでひき潰してやる!!」
稲浪を突き動かす信念。例えそれが歪んだものであろうとも、彼は彼自身を正義であると認識している。
故に彼は臆しない、彼は怯えない。それこそが信仰であるが故に。
本来の目的すらも狂信者たる彼にとっては些末事だった。
「異能ォォォォォ力ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」
飛翔する天使が雷光を身に纏いながら右手にエネルギーを集約させていく。
圧縮された異能エネルギーが砲撃となって顕現する。
超電磁砲ではない、光線兵器ではない。
正しく天から訪れる裁きの光柱。異能ならぬ神秘の力によって顕現した幻想兵器。
天から天使が光を集め、地より罪人が咆哮する。
一瞬だった。どちらも卓越した異能力者。故に目を覆う光は一瞬で訪れる。
「―――“天威”」
「―――〈透下力学〉ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥl!!!!」
柱と見紛う程に巨大な光が天より至る。
同時に展開された異能領域が領域内の全てを墜落させるべく力を振るう。
拡散した光もまた彼女の力の範囲内。〈透下力学〉の範囲内に入る落とされた光線が再び四方八方から稲浪に向けて襲い掛かる。さながら意志を持った矢の様に。
だが稲浪も劣っていない。展開された異能領域は同心円状に彼から広がっている。四方八方から襲う光線ですらも彼は撃ち落とし続けていく。
現在は均衡しているが、いずれ均衡が崩れる。
桜海ソラか、稲浪透日か。数十秒後、残っている者は―――
■◇■
初めての記憶。
私を囲む大人達と、優しく私を抱く誰かの手。
そして……
私を見下ろす、誰かの目。
私が初めて自分を認識したのは、自分が母の胎内から出て来てすぐの事だった。
そういう人間が稀に居るという事は後から学んだ事だ。幼少期よりも更に前の段階、胎児の時の記憶すら保持したまま産まれる子供も居るのだという。
そういう人間に比べれば、私はとても普通だったと思う。胎児の記憶は普通に無くて、ただ産まれた瞬間の事だけを覚えているから。
ただそれが、間違いなく『私』が産まれた瞬間だった。
「産まれたか………そうか、そうか………本当に良かった」
誰かの声がしていた。低く、けれど落ち着く声だった。
青白い光は恐らく分娩室のもので、産まれた瞬間の硬さは分娩台のものだった。これもある程度賢くなった後から知った事だけれど。
声の主の正体も知らぬまま、私は言葉を持ち合わせぬままに、ただ音としてそれを聞いていた。
「無事か?調子は悪くないか?こんな事は無かった、君は………」
そして、もう一人の声がした。
「大丈夫です。それに貴方と私の御子ですもの。必ず強く、そして輝かしい子になるでしょう」
今なら分かる。それは父と母の声だったのだ。
目が開かないから、ただ声だけの世界で私は聞いていた。
父が私を母に差し出し、母は優しく私を包んだ。
暖かい。羊水から出たばかりの私の肉体は、母の体温によって再び温められていく。
何も知らない、純粋無垢の私。
産まれたままの姿の、穢れを知らない私。或いは、元の私。
「名前を決めよう。君は何が良い?何を考えている?」
「貴方が決めて下さい。知っているんですよ、貴方がずっと考えていた事を。つけたい名前があるんでしょう?あの人の子供には付けられませんでしたからね」
「変な事を言わないでくれ。あの子の名前だって私が考えて付けたものだ。多少の強引さは、あったがね」
「でしょう?なら、貴方が、貴方の娘の為に、考えて下さい」
「そうか、では―――」
そして、『私』は。
「―――ソラ。君の名前はソラだ」
『私』はこの瞬間、『ソラ』になった。
◇
そうして、私は成長した。
私はすくすくと大きくなって、普通の子供になった。
いや、普通の、というのは変だった。
私には歳の離れた兄が居た。ただし普通の兄じゃなかった。
ただ異常でも無かったと思う。兄として、兄はとても真面目で真摯な兄。
私の母とは違う母から産まれた、父を受け継いだ兄。
偉大な父と兄。優しい二人の母。普通では無いけれど、普通の私。
多忙な父と兄、そして二人の母。幼い私は、良く一人で過ごしていた。
寂しいという感情が無かったと言えば嘘になる。勿論寂しかったし、辛かった。
普通の子供である私には、一年の殆どを仕事等で家を空けていた両親が恋しくて仕方が無かった。
兄も父程では無くとも多忙な人だったので、中々家に帰って来てはくれなかった。
でも、同時に私は彼等の事が誇りだった。
父も母も兄も、誰かの為に毎日働いていた。誰かの為に動いていた。戦っていた。
幼い私が何も出来ないのは幼いから。仕方のない事だ。産まれて数年で彼等と同じ様には動けない。これは仕組みがどうとかでは無く、ただ私が幼いから。
異能が発現していない私に、出来る事なんて無い。
「兄さん、わたしにできることはありますか?」
「ん?気にしなくて良いんだぞ?父さんも母さん達も、勿論俺も!ソラに一緒にやって欲しいなんて思ってない。強制するつもりは何も無いし、心配する必要も無いんだ」
「ですが………」
これも幼い時の記憶だ。
兄に尋ねた際の記憶だ。
「わたしも、わたしも父さんや兄さんみたいにたたかいたいです。だめですか………?」
「うーん………なら、ソラが大きくなった時にもう一度考えてくれ」
「大きく、なったとき?」
「そう、大きくなった時」
想像も出来なかった。家で使用人の人や、父の関係者、兄の友人に囲まれて、ただの子供だった私には大きくなった時の事なんて考えも及ばなかった。
「ソラが大きくなった時に、それでも俺達と一緒に戦いたいって思ってくれてるのならもう一度言ってくれ。その時は父さんを一緒に説得してやる、勿論母さんもな」
「ほんとうですか?」
「うん、本当だ。正直おれもお前位の歳の時は何にも出来ないガキだったし、気にしないで欲しいんだけど………それでもお前がやりたいのなら、応援する。一緒に頑張ろうな」
「………はい!」
兄は優しく私の頭を撫でてくれた。あの時と同じ、父と母と同じ、優しくて暖かくて大きな手。
強くてかっこよくて優しい兄の言葉に、私は幾ばくかの安心感を抱く。
私でも、こんな私でも皆の力になれるのだと。そんな安心感を。
「それじゃ、そろそろ行くわ。良い子にしてるんだぞ?」
「次は………次はいつ帰って来てくれますか?」
「そうだな………なるべく早く帰れる様に頑張るよ。ごめんな」
言わない様にしていた言葉が、つい漏れてしまう。
この言葉が兄にとってどれだけの重荷になるのか分かっているつもりだったのに。
「なら、ソラに一つ力をあげる」
「ちから?」
「そう、力。おまじないかな?」
そう言って、兄は私の手をぎゅっと握る。
「もしどうしても辛くて、悲しくて、寂しかったなら、こうやってぎゅっと手を握るんだ。なるべく強く、温かくなるまでぎゅっとな」
「ぎゅっと………」
「一人で辛い時は両手で握る。誰かと一緒なら手を繋ぐんだ。これが強くなれるおまじない。当然、俺が居る時はいつだって握ってやる」
少し痛い位だったけど、冷えた心が解けて暖かくなる気がした。
暖かくて、嬉しくなる、そんな温度と圧力。
「これがおまじない」
ありがとうと、そう言って。兄は笑って外へ出て行った。
この時は私も笑って見送ったと思う。
残った兄の体温を嚙みしめながら、私は部屋に戻り考える。
未来の事、将来の事、なりたい姿。
そして、なりたい私。
そして―――終わる。
◇
私が多分、四歳の時。
父が死んだ。
あの約束からたった一年程度で。
私はまだ子供まま。何も変わっていなくて。
駆けるニュースと慌ただしく動く家の中で、私は自分の手を強く握る。
食い込んだ爪、流れる血。
ただそれでも冷たいままで………
「―――うそつき」
ただ痛みだけが、心を満たしていた。




