Day8 天使減算
■◇■
その時の感情を、彼等がただ一言で言い表せと言われれば。
彼等は等しく同じ単語を脳裏に浮かべただろう。
ただ――――美しい、と。
一人の少女が立っていた。
その少女の名は桜海ソラ。荒日学園に転校してきた少女。
元より確かな美をその身に宿していた少女だったが、今の少女は誰が見ても評価できる。
天使の如き美しさ。羽が生え、光輪が現れたのかと幻視する程の光輝。
時間が緩やかに流れる。停止しているのかと錯覚すら覚える程の、緩やかな時間。
しかしそれは現実のものではなく、であるが故に終わりは訪れる。
瞬間。空気が揺れる。
「――――逃げろッッ!!」
最初に正気に戻ったのは一人の少年だった。その少年は桜海ソラを包囲した際に一番初めに声をかけた少年でもあった。彼は誰よりも早く気が付き、警告したのだ。それは彼の立ち位置が最も桜海ソラに近い場所であったという事も関係しているのかもしれない。
彼の言葉は正しい。身体に纏われているエネルギーは先程の比ではない。彼は正しく、賢かった。
だが……彼の肉体は次の瞬間には地面に寝転がっていた。
――これは、拙い。
誰かが、いや誰もがそう感じた。言葉を発さずとも、意思と肉体が理解した。
一目散に桜海ソラから距離をとるAチームメンバー達。東西南北、陣地がある方向等も気にもせず、彼等が脇目も振らずに逃げていく。走り、駆けて逃走を図る。
逮捕されないように、目の前の恐怖から逃れる為に。
だが、それを彼女が黙って見ている筈も無い。
地面が抉れる。砂埃と土砂が空に舞い、彼女の姿形も残さない。
最初にAチームメンバー達の耳に轟いたその音が、彼女の移動した音であると気が付いたのは一体誰だったのか。
少なくとも今倒された少年で無かった事は確かだ。
「――――次」
「ひッひぃぃぃぃぃ!!!??」
死刑宣告にも等しいその言葉。脱兎の如く逃げ出せど、彼女は一瞬にして距離を詰めてくる。
兎に角走れ、走るのだと、脳が警鐘を鳴らす。
そしてまた一人、風を切り裂く音と共に散る。だが彼等は振り返らない、振り返るという一つの動作が、一瞬の気の迷いがどうなるかを既に理解していたからだ。
例え振り返っても結果が変わらないと知っていたとしても、現実から目を背ける為に彼等は振り返らなかったに違いない。
桜海ソラは気絶させた生徒をその場に静かに寝かすと、立ち上がり視線の先……逃げる女子生徒の背中を見た。次の標的を倒す為、狙いを定め直す。
そして、再び音が森に響き――――ガキィン!と、音がした。
「――間に、あった」
「……宗谷さん」
桜海ソラと逃げた女子生徒の間に割り込んだのは宗谷智晴。
手に握られていたのは金属の棒。長く、鉄パイプに似たそれは女生徒を狙って放たれた桜海ソラの拳を確かに防いでいる。
「逃げろ!!時間は俺が稼ぐ!!」
「う、うん!!」
衝撃からか茫然と尻餅をついていた女生徒を宗谷は一喝し、立ち上がらせるとそのまま走り出させる。
彼もまた理解して駆けつけていたのだ。自分以外の誰が此処に居ても、それは彼女の獲物を増やすだけであるという事を。
少なくとも彼女を相手するのに相応しいのは、自分しか居ないという事を。
「リベンジマッチ……とはいかないが、俺が相手だ桜海さん」
「……こちらこそ、お相手願いましょう」
一瞬の再演が、始まる。
■◇■
宗谷は彼女の拳を受け止めた鉄棒を勢いよく弾き返す。無論、この程度の行動で彼女が姿勢を崩す筈も無い。しかし桜海ソラはあえて大きく跳躍した。
既に宗谷の異能〈理知減測〉は発動しており、異能領域が周囲を覆っている。当然だ、異能領域とは異能力者本人の身体の内から外へと広げられるもの。それはどのような異能であろうと変わらない。
〈理知減測〉の異能力者である宗谷智晴自身が桜海ソラへと距離を詰めて来たとなれば、異能領域の中心もまた桜海ソラの元へと近寄って来たという事。
大きく跳躍しようが、しまいが、既に周囲一帯は宗谷の異能領域範囲内。〈理知減測〉の効果範囲を抜けるには至らない。しかし彼女は避ける事を選択した。
それは桜海ソラ自身も、宗谷が纏う異能力の気配に何かを感じたからだ。
(……勘が良いな)
反応速度が良い、というのは運動能力が向上しているという話だけではない。動きを測る動体視力に加え、思考速度もまた重要である。
異能力者が自身の身体能力を向上させる手段は大きく分けて二つ。
一つは身体能力強化系の異能力。そしてもう一つは異能エネルギーを肉体に循環・纏わせる手段である。
前者が完全に異能に頼る方法に対し、後者は多くの異能者にとって当たり前に出来る事だ。前者による強化と比べ効率は悪いにしても、殆どの異能力者は後者を使っている。
後者の場合、更にその方法は二種に分けられ、無意識と意識的の二種類の方法が存在している。
無意識の強化とは即ち体内に展開された異能領域、そしてもう一つが直接エネルギーを出力する方法。
言わば常時発動か任意発動かの話なのだが、意識的に強化を行う場合……それは〈理知減測〉の適用範囲に入る。
宗谷は桜海ソラの包囲から今に至るまで一度も異能領域を閉じていない。いや、それどころか赤座護による訓練開始後最初の戦闘時から現在まで、異能領域は展開されたままにしている。
〈理知減測〉はtypeルールに属する異能だが、しかしその性能は固定値ではない。宗谷の調子に左右される事は勿論、異能領域の範囲や対象の実力によっても効果は異なる。
例えば異能領域を広げ過ぎれば、その分操作は難しくなり効果も落ちる。約三十メートルという数字は、これを鑑みて設定された距離だ。
対して実力による効果の減少だが…実の所宗谷はこれについて余り理解出来ていなかった。それは、これまで宗谷が出会って来た異能力者には自身の〈理知減測〉が通用していたからだ。彼自身、効果が無かったという事を実感した事は無い。
つまり桜海ソラがそうである可能性は十分にある、が。
(だが、桜海ソラに〈理知減測〉が効くのは確認している)
でなければ包囲された時点でも異能を使っていた筈。だがそれをしなかったという事は少なくとも桜海ソラは〈理知減測〉の効果を実感していたという事だ。
宗谷は自身の異能領域内の異能力者の動きを漠然とだが把握出来る。Aチームメンバー達の動きから言っても桜海ソラが包囲開始してからしばらくは異能を使っていないのは確認している。
つまり桜海ソラは〈理知減測〉が発動しているにも関わらず、現在の出力を維持しているという事になる。
これらから宗谷が推測できる事。
(このチカラはエネルギーを出力による強化。そして今手札を切ったという事は何かしらのデメリットが在る筈だ……!)
エネルギー出力量から考えて、桜海ソラに二度目は存在しないと宗谷は推測する。
デメリットが何なのかまでは理解出来ずとも、〈理知減測〉によって手数は封じられている。
それは今に至ってもあの雷撃を放って来ない事からも推測出来た。
(俺の役目は一つ……なら!)
思考の最中にも攻撃を鉄棒をいなし続け、直接攻撃を避け続ける。向上した身体能力から放たれる連撃は、常人の目では到底追えない速度に到達している。
だが宗谷は桜海ソラの動きに紙一重で食らいつき、決定的な攻撃を避けている。
言うまでも無く、宗谷智晴の異能〈理知減測〉に身体能力強化の能力は無い。
宗谷が桜海ソラの動きにギリギリで付いてきている理由は、彼自身の修練の賜物。そして既に周囲が宗谷の異能領域内だからだ。
「ッ――!!」
だが元より身体能力には断崖の如き差が存在している両者。均衡は長くは続かない。いずれ動きを捉えきれなくなった宗谷が敗北するだろう。
それはこのまま行けば確実に訪れる、確定的な未来だ。
そう、このまま行けば。
「…………」
息も切れず、静かに、しかし速く。桜海ソラは冷静に宗谷へと攻撃する。
鉄棒への攻撃によるダメージは彼女には無い。強化された手足は、鉄棒を攻撃する程度では痛まない。
鉄棒という武具をどこから手に入れて来たのか、という疑問が無い訳では無いにしても、それはある意味鉄棒が無ければ攻防すら成立していないという事を意味している。
故に少し前から桜海ソラは宗谷への攻撃を肉体への直接攻撃から鉄棒を弾き飛ばす為の攻撃へとシフトしていた。手足を狙い、フェイントを織り交ぜながら、少しずつ可動域外からの攻撃を行う。
宗谷の防御行動の秘密は手に持つ鉄棒、そして異能領域内におけるエネルギー感知。莫大なエネルギーを直接身体に纏っている現在の彼女は、寧ろ動きを感知しやすい存在だろう。
だが宗谷の推測と同じく、彼女もまたいずれ訪れる終わりが彼女の勝利だと考えていた。
鉄棒とエネルギー感知。この二つによって成り立つ宗谷の奇跡的な回避と防御は、鉄棒を失う事によって成り立たなくなる。
そうでなくとも現在の身体能力は圧倒的に彼女が上なのだ。いずれは確実に彼女が勝利する。
しかし悠長に戦う事が出来ない理由が、彼女にはあった。
(……おかしい)
彼女が違和感に気が付いたのは、幾つもの攻撃が防がれた時だった。
(身体が、重い。まだ限界は来ていない筈)
それは微妙な感覚の違い。例えるのなら、普段より一枚上着を着ている位の動きにくさ。
急激に動きが悪くなった訳では無い。恐らくパフォーマンスも落ちていない。だが、確かに覚えたその違和感は桜海ソラにとって無視し難いもの。
桜海ソラが自身に課した限界はまだ遠い。宗谷との戦闘開始からまだ五分と経過しておらず、彼女自身の感覚から判断してもまだパフォーマンスが落ち始める時間ではない。
(思えば、一度目もそうだった)
一度目とは最初に攻撃を鉄棒によって防がれた時。
何かを感じ、わざと大きく回避行動を取った時の記憶。
(あの時に覚えた違和感、そして今感じた違和感。何が違って、何が同じだった?……彼の異能はエネルギーを吸い取る異能ではない。なら、適用範囲を変えた……?いや、そんな事が出来るなら最初からしている筈……まさか)
もう一度彼女の攻撃が返され……その勢いから今度ははっきりと自身の威力の低下を感じる。
そして確信する。
自身の体力が落ちているのではない。
まして、宗谷が隠していた切り札を切った訳でも無い。
(〈理知減測〉の効果が……上がっている)
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