異能者SS 怪物(加筆 2023 3/2)
生活環境の変化に忙殺されていました
追記 100人ありがとうございます。
超常史四十三年。
街を破壊しながら進む姿はさながら特撮映画のようだった。現実味のない、非現実的なそんな光景。作り物のようなソレが動くたびに、人々は自分が小さいことを無理やりにでも理解させられた。
新たに異能特区として認定され、新都として発展していった外観は既に廃墟のように崩れ去っている。
戦闘機に乗る隊員の眼下に広がるのは無数の残骸と。人だったもの、ビルだったもの、車だったもの。それらの多くは踏みつぶされて原型をとどめていない。
皆、決死の面持ちでソレと相対していた。
「此方一番隊、攻撃準備完了しています」
「同じく二番隊、異能展開準備完了しました!」
「司令、砲撃三番から八番いつでもいけます!」
司令室に慌ただしく届く、兵士達の報告。
「討伐対象〈怪物〉」
そして。
「全部隊──撃てぇ!!!!」
ソレは唐突に表れた終わりそのもの。命の有無に関わらず都市の万物を貪りつくしながらソレは確かに地の上を這いながら生きていた。
確実なのはソレがこの世のモノだという事一点のみ。
確実な絶望を振りまきながら、事実として世界を蹂躙しているという事だけ。
何処からともなく現れ、一日で都市機能を麻痺させ、二日で都市を文字通り半壊に追い込んだ漆黒の筐体を持つソレ。
蠢く触手の先にギラギラと光る獰猛な歯を携えて、ビルよりも大きなその巨躯を緩やかに動かし、触手の根元に垣間見える無数の瞳孔はいつまでも何かを見つめ続けている。
有り得ないのだ。有り得てはいけないのだ。
こんな馬鹿げた現実が、こんな哀しい現実が、起こっていい筈が無いのだ。
誰もがそう思っただろう。
ソレを討伐する為にまず警備員が動かされた。
警備員と言っても単なる警備員ではない。最新鋭の装備を身に纏った対異能犯罪者のスペシャリスト達である。数という強みと高度に平均化された武力を保有する、小国の軍隊にも匹敵する異能特区の異能者達。
結果は言うまでもなかった。
遺族の元に帰ってきたのは基地に残された彼らの遺書のみだった。
次に軍隊が動かされた。
紛うことなき国が誇る武力、それが国軍。先の警備員達のような異能特区内だけの脅威に備えたのではなく、更に大きな脅威を想定して編成された者達。全員が強力な異能者であり、世界異能機関が定めた六段階の異能のランク付けにおいてランク4を有する存在。十数年後においても永宮一族によって組織された日本国の異能部隊は世界に名を轟かせる程の練度である。
ただしこの時は無力としか言いようが無かった。
今まさに、戦闘機は機体事ソレの腹の中へ消えていった。周囲の建物からソレを攻撃していた異能者はいつの間にか連絡が取れない。爆弾も銃弾も口の中へ、運よく体躯に届いても傷一つ負うことは無い。
全ての部隊が崩壊したのだと推測するのは容易だった。
何も通る事は出来なかった、何も。
彼等が到着する前と何一つ現状はかわらなかった。
屍の数が積み上がり、瓦礫がより都市を満たした。それだけだった。
「駄目です司令!あれは、あれは何なんですか!?本当に私達と同じ──人間何ですか!?そんな事が、あってもいいのですか!!」
最後の部隊、一人無線を繋いだ兵士が問うた。
「銃も、爆弾も、異能も!何一つ通らない。何一つ届かない。全部、全部、全部。届く前に喰われてしまう!!有り得ないだろ!?最新の兵器なんだぞ、俺達が使っているのは!」
「落ち着け、落ち着くんだ!」
「これが落ち着いていられるかよッ!!??」
最早上官に対しての敬語にすら気を使う事も出来ない。彼は戦闘機の中でマイクの音が割れる程大きく、悲しく、啼いていた。
彼には自負があった。自分が繰り返してきた訓練は、必ず役に立つという自負が。自分はこの国の国民を守るのだという自信があった。だからこそ彼は耐えられられなかったのだ。
そんな事は無為だったと、言葉も出さずに否定されている現実が。
「どうすればいい!?どうすればいいんだ?なぁ!?答えて下さいよ!」
すぐにでも応援を呼ぶべきだ。それが普通だ、悠長に過ごしている時間はない。このまま放置すれば被害はこの都市だけに留まらないだろう。蹂躙する歩みはいつしかこの日本という国を食らい尽くすかもしれない。それだけの脅威が目の前にいるのだ。
だが彼等は肌身で感じていた。
圧倒的な脅威を目にしてしまったからこそ感じてしまっていた。
そんなちんけなものを呼んでも意味がないことを、本能で気が付いてしまっていた。
自分達がウサギだったとして、ライオンを相手にウサギの同胞の助けを求めるだろうか。答えは否だ。無闇に犠牲を増やす事にしか繋がらない。
寧ろライオンを更に肥えさせる結果になるだけだ。
例え自分達よりも強力な、それこそ永宮一族であったり天帝近衛四家の人間を応援に呼んだところで戦況は一切変わることは無いという事を理解していた。
それだけの差が目の前の存在と自分達の間には開いている、主観的で客観的な事実だった。
それは彼らが幾度となく訓練を重ね、研鑽を続けてきた人間だからこそ分かってしかった事。無知の人間のように誰かをこの場に呼び寄せ、また犠牲にすること等、軍人の彼等には出来なかった。
「……すまない」
「どうして謝るんだ!?もうそんな言葉何も、何も意味が無い!!」
「本当にっ……すまない……!!」
「だからどうして謝るんだ!!!!もう死ぬんだ、助けてくれよあんた何の為にいるんだよ!?」
「……ッ!」
段々と恐怖が理性に勝り、言葉が荒んでいく兵士。
誰がその言動を責められようか、いや誰も責める事は出来ないだろう。何故なら彼は地獄に行った。他ならない上官が遠方から指揮を執っているのに、彼は今も現地で戦闘機を駆っているのだから。
司令室の誰もが司令の葛藤を知っているからこそ、止められなかった。
カメラの中央で黒いソレの周りを羽虫のように飛び回りながら必死に触手から逃げ回る様子が見える。一つ、二つと搭載していた爆薬を切り離し触手に当てようとしたが……効果は薄い。眩い光がポツポツと画面に映るが、やはり傷一つついていない。
ソレは気にも留めず、意にも介さず、ただ進む。
「はは、こんなことになるならなんで軍になんか入ったんだ。もっと、もっとやりたいこともあったのに、俺は……俺は……」
司令を含め司令室の者達は無言で彼の言葉を聞くしかなかった。
それは彼が何も言葉を言えなくなってしまったから。せめて彼の最後の言葉を聞き届ける為。彼の終わりを見届ける為。
「──死にたくない」
ポツリと無線機越しに声が。か細く、今にも風に吹かれて消えてしまいそうな弱々しい声がスピーカーから漏れてくる。
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない」
滴る様に漏れ出た声は激流、いや濁流となって作戦司令室を埋め尽くす。呪いにも取れるその言葉は、あっという間に部屋に満たされた。
耳を塞いでしまいたくなるような、腹の奥底から出た声。頭をおかしくしてしまうような、そんな声。
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくn──」
バキボキと音が聞こえた。それと同時に映像の中で何かが咀嚼される様子が映し出された。迷宮産の素材で作られた最新鋭の戦闘機はどうやらスクラップにされたようだ。
鮮血が飛び散ることもなかった。悲鳴が司令室に届けられる事もなかった。丸呑みされるように機体ごと貪り食われ、さっきまで確かに通じていた無線回線にはエラーメッセージが表示されている。
最後の兵士はこの世界から消えてしまった。
「──何なんだ、これは」
誰かが言った。
誰が言ったのか分からない。だがその言葉は静まり返った作戦司令室でやたらと響いた。
「今すぐ上層部に連絡を。至急応援を要請し、本部のランク5異能者に作戦参加を。そして永宮最高司令にラインを繋いでくれ」
「で、ですが……」
「早くしろォッ!!」
「は、はい!」
司令と呼ばれた人物は叫んだ。
目の前の大画面は未だにゆっくりと、しかし着実に進むソレの姿が映し出されている。
画面越しにでも伝わってくる圧迫感は今でも司令室を満たしていた。
■◇■
結論から言えば、司令が呼んだ応援は現地に来ることは無かった。
そして、全ての事はこの日中に解決した。
そう、全てだ。
「応援は必要ない、貴様等はさっさと帰還しろ」
その声はそれまで司令室に居た誰の声にも当てはまらない声だった。
司令の後ろに立っていたのは背の高い女性だった。黒いスーツと大きなサングラスを着けており、その容姿から大きな特徴を捉えることは出来ない。もしかしたら司令よりも年齢は上なのかもしれないし、下なのかもしれない。
言うなれば、どこにでもいるような、かといって現実にはあまり見かけないようなそんな風貌である。
「……誰だ貴様は。階級を言え」
「それを言う必要はない、時期に分かる」
「どういう意味だ」
「貴様が求める情報は、貴様の求めた場所からやってくるという意味だ」
「何……?」
その時だった。司令室後方の扉が、大きな音を立てて開かれる。飛び出してきたのはつい先刻司令が送り出した下士官。まだ司令室から使いを出してから十数分も経過していない。
「何事だッ」
「ほ、報告します!」
肩で息をしながら敬礼をする下士官。その様子は明らかに異常だ。だが続く彼の言葉でその理由は直ぐに明らかになる。
「──本部、永宮弥助大将より応援の必要無し、また異能対策課の介入を受け入れ即時戦場より撤退を、と」
「なん、だと!?」
天帝近衛四家が一家、永宮。その現当主であり大将位を保有する永宮弥助。彼等軍部の人間にとっては天帝を除いた最高位の権限を持つ存在。
その本人が、彼等に戦場からの撤退を命令しその上異能対策課の介入を了承している。
「本当に永宮大将からそのように命令が下ったのか」
「ハッ、間違いありません。確実に永宮大将本人との緊急連絡ラインからの命令です」
「異能対策課が、何故」
異能対策課。それはこの国における対異能事件の専門組織である。
これは世界異能機関の方針によるもので、自国内の異能に関する事件は自国内で解決すべきだというものが存在するからである。怪異事件や異能犯罪者への対処は彼等の職務だ。
普通その作戦規模は軍部よりも明らかに小さく、国外の脅威や都市規模の作戦を展開する軍に比べ異能対策課の主な職務は国内や地方に留まる。
基本的には国際的な作戦規模と、日本国だけの作戦規模では前者の方が大きい。
つまり異能対策課とは軍部とは管轄が異なるにしても軍部よりも作戦の規模が明らかに小さな組織なのである。
少なくともこれまではそうで、管轄が異なれど異能対策課がこれ程大きな作戦に軍部を差し置いて介入してくる事等前例に無かった。
「細かいことはどうでもいい。ただ、これから起こる事その全ては他言無用だ。ほら、分かったらとっとと消え失せるがいい」
その時、怪物の咆哮が作戦司令室に響き渡った。
地を這うような重低音、しかし耳に届くには余りにも複雑で例えようのない咆哮。だがその声は明らかに威嚇の為の物ではなく、痛烈な悲鳴の様だった。
「どうなってる、画面を拡大しろッ!」
「り、了解!」
拡大された画面には大きく怪物の姿が映し出される。拡大することで鮮明に見えてくる怪物の肌は、これまで怪物に抱いていたイメージを更に悪質なものに変えるだけの力を持っていた。
だが、そこではない。
「チッ、連絡ぐらい待てないのかあの人は」
女性が呟くが、そんなものは最早彼らの耳には入ってこない。
今までどんな重火器ですら怪物の表皮を傷つけられなかった。爆薬、刺突、殴打、そのどれもが強靭で柔軟な黒い肉塊に妨げられ意味をなしてこなかった。
異能も同様だ。ランク4を含む異能者によるあらゆる攻撃が無意味だった。つまりそれだけあの怪物の持つ異能領域が強固だったのだ。
だから、彼等は画面に釘付けにされた。
自分達の見ている景色を疑った。
そこにあったのは歩く人影と怪物の姿。
──巨大な風穴を開けられた、怪物の姿であった。
■◇■
「徒歩で向かわせるなよ、たく危ないだろうが」
男が歩いていた。日本人にしては長身だが、大きなコートを羽織っている為か不思議と縮こまって見える。黒髪に短髪、年齢は三十代程。良くも悪くも普通の顔立ちで覇気は感じられない。
「AHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH」
怪物が吠える。空気を響かせ、揺らし、啼いている。
声にならない声を鳴らして、世界に対して訴えかけている。
同時に怪物の触手が薙がれた。巨大な触手である、当たればひとたまりもないだろう。
「五月蠅い」
瞬間、怪物の触手が消え失せる。
文字通りの消失。それまで確かに存在していた怪物の黒く太い触手はどこにも見当たらない。
「暴れるな静かにしていろ。被害が増えるだろうが」
見れば男が右腕を突き出していた。その右腕の延長線上に真っすぐと向かっていた怪物の肉体が丸ごと消えている。
重火器の類ではない。手には何も握られていない、それにそんな重火器はこの世界の何処にも存在していないのだから有り得ない。
ならばこれは、男の異能だ。
「AHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!!!!」
興奮したように怪物が無数の触手を男に向かって送り出した。触手の先に生えそろった幾百本もの鋭利な歯、触手の先から更に伸びる一本一本が人型はありそうな腕のような何か。
ソレは物理法則を味方にして、圧倒的な膂力をもって触手を伸ばす。風圧で瓦礫が飛散し、辛うじて残っていたコンクリートの道路に夥しい程の亀裂を走らせ近づく。
切っ先の速度は音速をも超えているだろう。異能云々を抜きにしても超質量の巨大な触手から放たれる攻撃はそれだけで脅威であり凶悪だ。
しかし届かない。
男が線をなぞるように空を撫でる。
たったそれだけ、それだけで襲い掛かる触手その全てが根元を残して消失した。
音もない。熱量による焼失ではない、分解による喪失ではない。
本当に何も残っていないのだ。
怪物を構成していた物質ごと、この世界から消え失せたのである。
それは即ち、消失である。
「暴れるなって、言ってるのが聞こえないのか?」
男の歩みは止まらない。止めることが出来ない。
「ああもしかして耳が無いのか」
何でもないように、ただ街を散歩するのと同じように男は歩く。
襲い掛かる猛威を、迫りくる脅威を歯牙にもかけずその全てを消し去りながら進んでいく。
「まぁ、どうでもいいか」
男を食い散らかそうと差し向けた口は、悉くが消されてしまう。この世に最初から存在していなかったかのように傷口すら奪われる。
その光景はある意味で怪物とは真逆。
轟音を迸らせながら都市を破壊した怪物とは異なる無音の蹂躙。
何も出来ずに怪物は徐々に体積を減らし、触手を減らしていく。
軍部の誰も彼の素性を知らなかった。当然だ。急に現れた異能対策課が引き連れてきた謎の人物。司令室の誰が彼の素性を知っているだろう。
だが彼の行動は知っている。故に信じがたい。
その事実はある意味で怪物に大穴を穿った事よりも彼等を驚かせた。軍部という戦いを生業とする彼等でその行動を知らない者がいるならばその方がおかしい。
かつて〈魔王〉と呼ばれる異能者が居た。
その名の通りに世界各地で紛争を起こし、都市を占領しては自国として恐怖と暴力で支配した大犯罪者。それが歴史上に残る〈魔王〉という存在。今も尚御伽噺でない実際に存在した恐怖の象徴として人々に語られる一人の異能者。
その異能は通常一人につき一種の筈の異能を複数保有しているとしか思えない程の多彩さを誇り、物質の創造から生物の創造まで全てを行った。
故に付けられた名が〈魔王〉。
故に認定されたランクは6。
それ迄〈巨竜〉、〈大陸〉、〈迷宮〉のたった三名だけに与えられた最高位。
あらゆる異能者をはねのける当時無敵の存在。
だがそんな〈魔王〉を討伐した二人の異能者が居た。
当時何千何万もの異能者が束になっても打倒せし得なかった存在を、たった二人の異能者が倒したという事実が世間には知られず存在していた。
当然にその二名に認定されたランクは6。
片や万物の変化を拒む者。流転の否定者、変わらずの者。通称〈不変者〉。
そして残る一方こそ、万物を消滅させる手、あらゆる縛鎖の解放者。
現実の破壊者と謳われる現代神話の一つにして、人類最強の一角に数えられる強者。
──〈消滅者〉。
「あばよ」
時間にして彼の到着より一分五十一秒、戦闘時間四十七秒。
何千、何万もの犠牲者を生んだ三日間は〈消滅者〉到着から約二分で終わりを迎えたのだった。
■◇■
「馬鹿な……あれは、〈消滅者〉ではないか!!何故異能対策課に、いや何故今になって……!?」
「分かっただろう。これが他言無用であり、貴様等が不要である訳だ」
〈消滅者〉は伝説的な存在だ。
突如として現れ、当時暴虐の限りを尽くしていた〈魔王〉を〈不変者〉と共に討伐し、消滅という強力な異能を用いる世界に5人だけのランク6異能者の一人。
しかし〈魔王〉討伐後、一切表社会に顔どころか姿も出さなかった〈消滅者〉は同じく表社会に姿を出さない〈不変者〉と共にあくまで実在する都市伝説となっていた。
「答えろっ!何故だ!?何故異能対策課が〈消滅者〉の所在を知り、協力を仰げる!?どこからそのルートを手に入れたのだ異能対策課は!?」
「質問に答える必要は無い。早く帰還しろ、これ以上は繰り返さんぞ。これは命令だ」
「ふざけるなッ!!この力が、〈消滅者〉が最初から居るならばッ」
拳を握りしめる司令。
その拳は血が滲み、滴り落ちる程に強く握り占められていた。
「──何故これだけの人間が死ななければいけなかったのだッ!?」
怒号が部屋に響く。
見れば後ろに立っている士官の一人が静かに泣いていた。
彼は作戦に参加した人間のした一人の……親友だった。
「この三日間でどれだけの物が破壊された?どれだけの人間が死んだ!?多くの犠牲者を払って我々がしたのは……お前達が出し渋った〈消滅者〉の時間稼ぎなのか!?」
司令には納得が出来なかった。いや、この場にいる誰もが納得いかなかっただろう。
この三日間で死んだ人間の数は優に五桁を超える。死者以外の、怪我人も含めればもっとだ。それこそ書類上ではまだ生きている人間はもっと存在するに違いない。
それだけの犠牲が、たったの三日の間に存在してしまったのだ。
「…………」
「分かっている、分かっているッ!〈消滅者〉と我々では……余りにも力の差が違いすぎるのはッ。だが〈消滅者〉が居るならば、それが最初から知っていたならば……」
ぼたぼたと涙が流れる司令。この場にいる人間は知っている、司令は派遣されてからずっと、休む暇なく働き続けていた。それは普通の作戦ではたったの二日に過ぎないが、この場では精神をすり減らしながらの作業だったことも。
目の前で消えていく命に罪悪感を抱え、無力に苛まれた時間であった事も。
「そんなのは、余りにも、余りにも……やるせないではないか……」
力なく、握りしめた拳を解く。
血は流れたままだが、そんな事を注意するものはこの場にはいない。
彼自身痛みなんてものは感じていないに違いない。
数分の沈黙があった。
やがて口を開いたのは女性の方。
「話はそれだけか」
「何?」
「ならば早く行け、こちらも予定が詰まっているのだ。貴様の愚痴は聞いてやった、これ以上果たす義理は此方には存在しない。命令違反で全てを無為にしたくなければ、もういいだろう」
「……ッ!」
そうして司令が帰還の指示をしようとした、その時だった。
「おい花梨、早くしろ。送りもなければ迎えもない。私をいつまで待たせるんだ」
その声の主は扉付近に立っていた。
大きな黒いコートを纏ったその男性は、無感情な顔で佇んでいる。
「……すいません。予想以上に伝達に手間取りまして」
「言い訳はいい。早く帰るぞ、ここにこれ以上留まっている必要はない。業務がまだ残っている」
「ハッ」
間違える訳がない。
もう彼らの記憶から彼の顔が消えることは無いだろう。
彼は間違いなく。
「〈消滅者〉……」
その姿は間違いなく、モニター越しに見た〈消滅者〉と同じ。モニター越しとはいえ、背格好、顔立ち全てが〈消滅者〉と同じなのだ。
「花梨、まさかとは思うが」
「……申し訳ありません、一部始終見られてしまいました」
先ほどの高圧的な女性の態度とは打って変わって素直に謝罪する女性。
しかしそれも目の前の男性が〈消滅者〉納得も出来る。
何せ〈消滅者〉である。何かあれば自分の命ごと痕跡も無く消されるかもしれないのだ。
「はぁ……もういい花梨。知られたなら口を噤ませればいい。そこはお前の仕事だ、そこをしっかりすればいい。それ以上を私の口から咎める事はしない」
「ありがとうございます」
「行くぞ花梨」
「はい」
そしてそのまま帰ろうとする二人。
「ちょっと待ってくれ!」
だがその二人を司令が呼び止める。
「……何だ、君は」
「私はこの作戦指揮を任された作戦司令だ。階級は」
「それは良い。そうか。で、その司令が私に何か?」
本気で無関心そうに、あくまで業務的に尋ねる〈消滅者〉。
その態度に言いたい事はあるが司令はぐっと堪えて言葉を続ける。
ここで事を荒げては〈消滅者〉との対話の機会を失い、最悪の口封じすらされる可能性も存在する。〈怪物〉の討伐、永宮弥助からの通達含め味方である可能性は高いにしてもだ。
そしてそうなった場合、誰も彼を止められない。
永宮大将ですらどうか。
「担当直入に問う。何故今頃になって、軍が全滅したタイミングで現れたんだ。もっと早く、それこそ軍が到着する前にも貴方は〈怪物〉を倒す事が出来たのではないか?」
それは最も大切な事で、司令が最も尋ねたかった部分である。
「答えないで下さい」
「分かっている」
再び歩みだす二人。歯牙にもかけないその態度に司令は思わず叫んでしまう。
「何故答えられない、〈消滅者〉!貴方さえいれば貴方さえいれば余計な犠牲者を出す事もなかった!最小限の犠牲で済んだ!人が、何百何千何万の命が消える事も無かった!そもそも貴方は誰なんだ、何故異能対策課に与する!?」
ピタリと歩みを止め、〈消滅者〉が振り返る。
女性もつられて止まるが今から起こるであろう事に頭を痛めているようにも見えた。
「念の為に言いますが、分かっていますね」
「分かっている。花梨、お前は車を回して待っていろ」
「……はい」
女性が先に出ていき、司令室には軍部の人間、そして〈消滅者〉が残される。
完全に女性が司令室から離れた所で、〈消滅者〉が口を開く。
「さて、花梨も行っただろう。だが私から言えることは別に無い」
「……どうして」
「ただ、ここまで戦った君に一つだけ教えてやる」
永遠にも取れるような一瞬が訪れる。
「私の名前は奈多旗真吾、異能対策課課長だ」
■◇■
〈怪物〉はその後軍によって討伐が多大な犠牲の末に討伐が行われたと発表された。
また世界異能機関によって〈怪物〉の残骸を解析した結果ランク6相当の異能強度を誇る事が確認され、〈怪物〉は史上七人目のランク6異能者認定が行われた。
これが事実上死後にランク認定が行われる初めてのケースであり、それだけ〈怪物〉が残した影響が大きかった事を内外に示す結果となった。
一部ではこのランク認定に疑問や批判が存在したが、不思議と大きな問題にはならなかった。
後に異能特区に残された怪物の残骸から、異能特区は破壊以前とは比べ物にならない程成長を遂げ数年後には世界有数の研究都市として発展を遂げることになる。
中でも〈怪物〉の触覚を利用したより詳細なランク測定装置が開発され、その装置の性質から異能特区に設置されたの異能者養成学園にはこう名前が付けられた。
羅盤異能者養成学園、と。
〇ランク6
それ以下のランクの異能者では対応不可能、または世界規模の異能者であると判断された場合に特別に世界異能機関が認定するランク。現在までに七名認定されている。