side 桜海ソラ
少女は歩いていた。
少女が歩けば、彼女とすれ違う者は全員振り返る。振り返り、彼女の背中を目で追ってしまう。
咲き誇る花畑のような、或いは晴天の中の聖堂のような清廉な匂いが彼女の残り香として空間に漂う。
天使の如き少女、荒日学園三年生、名を桜海ソラ。
この肩書はほんの一日前に付与されたばかりのものだが、しかし彼女を表す記号は今の所これが最も相応しい。特に学内に居る間はそうだ。
実技訓練が終了し、本日の授業日程は終わっている。
普通の日程ならば午前四時間、午後二時間分の授業があるのだが、実技訓練は肉体への相当な負荷を伴う。そう言う事もあり、特に対人訓練は午後に設置されその後の授業は切り上げる傾向にあった。
勿論、これは授業としてはの話であり生徒達は各々に来週に迫る団体訓練の準備を進めている。
数人のグループで対人訓練を再開する者、グループの参謀役として戦術を練る者、或いは人知れず何処かへ向かう者と行動は様々だ。
そしてそれは桜海ソラも同じだった。
彼女は授業が終わり、真っ先に授業中に倒れた少年の元へと向かった。つまり救護室の元へ。
あの最終戦、一番近くで目撃したのは彼女だった。
展開される異能領域。しかし先に完成したのは彼の対戦相手の道木修の方だった。その後は余りにもあっけの無い結果であり、一撃を受けてそのまま彼は気絶してしまった。
彼女はその光景に少々衝撃を受けたのだが、しかし周囲の反応は異なっていた。
驚きもせず、慌てもせず、いつも通りの光景だと全員が受け入れていたのだ。いや、たった一人道木修だけは心配して倒れた彼に駆け寄ったが、それもやりすぎを心配しただけの様だった。
異質、とまでは形容しない。
しかしソレが日常になる程、彼の弱さは周囲にとって既知であった。
転校生である彼女だけがその光景に違和感を抱いたのだが、彼女と彼が過ごした期間はたったの一日足らず。本の一時間程度の事でしかない。であれば、彼女が知らない彼の普段がこのクラスにはあるのだろう。
それを態々口に出す程、彼女は幼くも無かった。
故に彼女に出来るのは救護室で眠る彼の様子を窺いに行く事だけだった。
クラスメイトが彼女を質問攻めにするよりも早く、素早く荷物を纏めて教室を出て行った。そして今、彼女は救護室に向かう廊下を歩いている。
やがて救護室の扉の前まで辿り着く。
少し早歩きで来たのからか、疲れは感じていないが呼吸は早くなっていた。
スゥ、と息を吸い込み落ち着かせる。
息を吐く。息を吐き終わると彼女は扉に手をかけた。
「ん……?いらっしゃい。何の用かな?怪我?それとも体調でも悪いのかい?」
扉を開けると、中の空気と共に珈琲の香りと、救護室独特の清潔な匂いが彼女の鼻腔に入って来る。視線の先には一人の白衣の男性……有木柚木が椅子に座って優雅に珈琲を飲んでいた。
少し大きめの丸眼鏡をかけた有木柚木は一般的観念から言っても男前に入る部類であり、入って来た彼女に向けた微笑は場合によっては何人もの少女を恋に落としていたかもしれない。
最も、彼女にそんな事は無かったのだが。
「いえ、あの……お見舞い、のようなものなのですが……」
「あぁ成程。あいつならそこのベッドだよ。と、言ってもまだスヤスヤと寝ているから暫くは起きないだろうけれどね」
有木柚木が指さす方角へ向かうと、確かにそこにはベッドに眠る彼の姿があった。
制服のまま、特段大きな傷も見当たらない。当たり前と言えばそうなのだが、これでは単に寝ているだけの様にしか見えなかった。
「……寝て、いますね」
「そりゃあ寝ているからね」
桜海ソラは少しだけ、そう少しだけ彼の額に手を触れる。
熱は無い。やはり単に寝ているだけのようだ。
「どうする?別にここで彼の目覚めを待っていても構わないよ。待つならそこにソファがある」
どうしようか、と一瞬迷った後彼女は。
「やめておきます。無事のようですし、それに起きるのを待つ……というのも少々変な感じですから」
「そうかい。じゃあ何かこの馬鹿に伝言をしておこうか?」
「それも大丈夫です。また明日話せば済む事ですし……今日も少し心配で来ただけで、何か話したい事がある訳でも無いですから」
クラスから逃げるように救護室に来たものの、彼が目覚めていないのならばする事も無い。いつ起きるか分からない彼を待つというのも、先程彼女が言ったように出会って一日目の関係にしては変な感じだ。
どうせ明日も学校はある。幸いと言うべきか彼女の席は彼のすぐ近くである。今日の試合について話したい事はあったが、それも明日話せば済む事だ。
「では失礼します。有木先生」
「うん、気を付けて帰るんだよ」
丁寧に頭を下げて、そのまま彼女は救護室を後にした。
「……あれ、僕自己紹介したっけ?」
■◇■
救護室を後にした桜海ソラ。
彼女は意味も無く校内を歩いてた。
それは目的を見失ったから、というよりも暇を持て余していたからだ。
(……帰っても、良いですけど……)
それは少し寂しいと感じる。折角荒日学園に入学したばかりなのだ、放課後を何もせず自宅へと直帰というのは寂しい話である。
昨日はばたばたとして校内を見て回る余裕は無かった。なので昼休みの彼との散歩は彼女にとっては願っても無いとは大げさだが、少なくともそれなりに望むところではあった。
クラスメイトは各々に本番のチームで練習をしているが、今の彼女はどちらのチームに配属されるのか未定の状態である。今日の試合結果を見て杠信二が判断する事になっているのだが、それも最短でも明日以降の話だ。
その状態でクラスメイトと迂闊に手合わせを行えば、情報を敵に渡してしまう事に繋がりかねない。味方になる予定の人間とならある程度情報のすり合わせは行いたい所だが、現状ではそれも出来ない。兎も角今の彼女は宙ぶらりんで暇なのだ。
(どこか見て回りましょうか……)
思い浮かべていくのは今日までに彼女が行った場所達。
(あ……)
そうすると対して時間もかからず、彼女はある場所を思い出した。
◇
(……やっぱり、凄い蔵書数ですね)
彼女が思い出した場所とはつまり、図書室である。
本の放つ独特な匂い、紙とインク、そして木々の匂いが空間に満ちている。
そういえば今日の昼休みは終わりかけに訪れた為かゆっくり読書をする時間も無かった。ついでに生徒用端末を持っていない彼女は本を図書室外に持ち出す事も出来ない。
なら今の放課後の時間は丁度良かった。図書室の閉館時間は運営の関係上早めに設定されているが、それでも数時間は居ても問題ない程度には残されている。
折角の暇の時間だ、読書に費やすのも悪くはないだろう。
入口の新刊コーナーから数冊手に取ると、そのまま桜海ソラは奥へと進もうとする。しかしその途中、不意に受付コーナーが目に入り……そこに居た人物と目が合った。
向こうも目が合った相手が桜海ソラであると気が付いたのだろう、受付には数名の図書委員が居たが席から立ち上がると何やら他の委員と話した後に彼女は受付から桜海ソラの方へと近づいて来た。
「あらあら、視線を感じたので誰かと思ったら桜海さん……ですよね?合ってますか?」
「え、えぇ……合ってますよ。昼休みぶりですね」
「良かったです。流石に今日会ったばかりの人の名前を忘れるというのは最低ですからね。桜海さん、桜海さん……はい、これでしっかり覚えられました。昼休みぶりですね、桜海さん」
近づいて来た人間は、昼休みに彼女を本棚まで案内した文学少女であった。
きっちり着られた制服に、肩まで延ばされた黒い髪、黒い縁の眼鏡。当たり前だが昼休みから姿は何も変わっていない。しかしこの文学少女の場合、休日もこの姿で過ごしているのだろうと想像してしまう程に今の姿が彼女の持つ雰囲気に適していた。
「そういえばお昼は本を借りて行きませんでしたね。お目当ての本……お気に召した本はありませんでしたか?もし見つけられなかったのなら、またお手伝い出来ますが」
「あ、いえ……本自体は見つかったのですが……」
「あら、では借りて行かれますか?」
「……実は生徒用の端末をまだ持っていなくって……」
「そんな事があるんですね」
「ですので本当にお心遣いはありがたいのですが、今日の所はここで読ませて頂きます」
態々話しかけて来てくれた彼女には少し申し訳ない所だが、制度上そうなっているのであれば桜海ソラにはどうにもならない問題である。今すぐに端末が手に入る訳でも無い。読む事自体は今の状態でも出来るのだからと、今日の所は図書室内で読む旨を桜海は文学少女に伝える。
「私の端末を貸しましょうか?それなら今日本を借りて行く事も出来ますよ?」
「いえ、そんな!そこまで迷惑をかけられませんから……」
「図書室の利用者を増進するのも図書委員の業務の一つですし、何より折角の出遭いですから。私の端末という事で最低かもしれませんが……それでも借りられないよりは幾分かマシだと思いますよ?」
そう言うと、文学少女は懐から生徒に配られている端末を取り出した。
薄く、小型のタブレット形状のソレは、側面に備え付けられたボタンが押されると音もたてずに画面を明るく反転させる。
そこには荒日学園の校章である『荒』のデザインが表示されていた。
「どうでしょう?」
「どうして、そこまでしてくれるんですか……?」
桜海ソラは尋ねる。深い意味は無い、その分彼女の心から湧き出た純粋な疑問であった。
「どうして……繰り返すようですが図書委員としての業務と折角の出遭いです。本当にそれだけの理由ですが……じゃあそうですね、こうしましょう」
文学少女は一歩桜海ソラに歩み寄ると、桜海ソラが手に抱えていた本達の一冊を手に取りにやりと微笑んだ。
「今日読書に費やす筈だった時間を、私とお話しましょう。そうです、交換条件という奴です。最低な私と個人的な時間のお取引はどうですか?」
その微笑は、文学少女が浮かべるには下手なものだった。
これまでイメージ通りの文学少女だった彼女が浮かべているとは思えない、ぎこちない笑み。どこか遠い、或いはこちらが文学少女の本当なのかと思わせる笑みであった。
その笑みを見て、ぷっ、と思わず桜海ソラは小さく噴き出した。
それは疑っていた自分が馬鹿馬鹿しいと感じたが故の面白さだったのかもしれないし、或いは丁寧な口調を用いる彼女の素の部分だったのかもしれない。
「ふふ……はい、ではお取引お願いします。こちらの本達と、向こうの本棚の本も含めて貸し出して貰ってもよろしいですか?」
「はい、勿論。それに通常貸出数は十冊ですが、図書委員会特権でニ十冊まで貸出可能ですので」
「そ、それは確かに魅力的ですね……」
彼女等は朗らかに会話を交わしながら、残りの本を選ぶ為に本棚へと共に歩いていく。
◇
「『犯罪史から見る異能者の変遷』、『八王についての考察』、『S級異能犯罪者大全』、『魔王の登場以前と以後』、『神話の英雄は異能者であったのか』……流石にマニアックですね」
「書店では手に入り難い専門書ばかりで、少し興奮してしまいました……すいません」
「いえいえ、こうして読書を楽しむというのは本当に最高な事です。図書委員の一員としてこれ程光栄な事も無いでしょう。では計ニ十冊、私の名義で貸し出しましたので。返却は入口付近のポストにどうぞ、私に断る必要は無いですから自由な時間に返却してください」
「はい、ありがとうございます」
本棚で物色と選別、選考を終えた二人は図書室内のテーブルの上で戦利品を眺めながら会話していた。
本棚に辿り着いた桜海ソラは結構な時間をかけてニ十冊を選び、流石に一人では量が多かったので二人で協力して受付まで運んだ。
ニ十冊でも少ないと選んでいる最中に呟いていたので、彼女としてはもっと借りたかったのだろう。
「異能犯罪史以外にも異能者自体に興味があるんですね?私が案内する前にも新刊コーナーから数冊持っていたようですし。歴史が好きなんでしたか」
「歴史とか……そうですね、後は異能者自体にも興味があります」
「成程。それで『公開異能者名鑑!!謎多き彼等の実態に迫る!!』も持って来ていたんですね」
桜海ソラが借りた本の中には昼休みに丁度新刊コーナーで見ていた本が並んでいた。
「もしかして前の学校ではそういった事を専門に学んでいたりしたのですか?」
「いえ、そういう訳では無いんです。これは完全な趣味ですね」
「そうですか。それも良いですね。楽しみは人生を豊かにしますから」
文学少女はそういうと、積み重ねられた本の中から一冊の本を抜き取った。
その本のタイトルは『異能テロリスト史』とあった。
「懐かしいものもありますね」
「確かにそれは一際古いものですけど……読んだ事があるんですか?」
「ええ、授業の課題で。それに異能テロは現代においても重要な問題の一つですから」
本をペラペラを捲っていく。図や写真等は少なく、垣間見える頁からはびっしりと詰め込まれた文字が目に入って来る。相当な文字量だ。
「〈騙討〉、〈重荷〉……〈魔王〉もある意味テロリストでしょうか。彼はテロリストと呼ぶには余りにも規模が違い過ぎますが。武力で社会を変えようとした事には変わりないでしょうし」
一度読んだ事があるからなのか、彼女は素早く捲られていく頁の中でも内容をある程度さらえている様だった。
「ああそれと、〈正体不明〉もテロリストですね」
「…………」
「こちらもある意味、いえ他のテロ集団以上に〈正体不明〉はテロリストなのかもしれません。目的も不明ですが、かの英雄を殺害した動機がある以上テロリストと呼んでも差し支えないでしょう。……おや、どうかしましたか?」
文学少女の呼びかけに、はっと桜海ソラは表情を変える。
「い、いえ大丈夫です!あの、その本の事は一旦置いておいて、この学園について教えてくれませんか?本はまた自宅でゆっくりと読ませて頂きますので」
「ああ、すいません。読書家にネタバレは厳禁でしたね……最低な事をしました。では本についてはこの辺りに致しましょうか。ですが……そうですね、この学園についてですか」
文学少女は先程抜き取った『異能テロリスト史』を積みあがった本の頂上に戻すと、ふーむと考え始めた。
実際自分の学園について何か話せと言われても、何を話せば良いのか分からなくなるものだ。何かについて尋ねられた方がまだ話しやすい。少女の悩みも数ある話題の中から、桜海ソラという転校生に何から話せば良いのだろうかという思案からくるものだった。
「あぁ、そうです。では桜海さん」
「はい」
「――荒神期生についてご存じでしょうか?」




