ようこそ、異能学園へ
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身体との繋がりを失い、肉体が崩壊する。
元より異能で作られた仮初の肉体。本体である白木銀子からのエネルギーの補給が断たれれば実体が崩壊するのも当然である。
異能で生み出された物質はエネルギーを失えば消滅する。異能の基本原則の一つだ。
そして彼女の〈金剛白装〉もまた異能と魔術の差こそあれど例外では無い。
「……」
地面に座る新の腕の中に眠っているのは白木銀子だった。
所謂お姫様だっこに似た形なのだが、それを指摘する人間は此処には居ない。
彼女の制服の所々が破れているが、肉体に大きな損傷は見当たらない。掠り傷が点々と存在しているが、これ位なら白木の回復力を以てすれば数日あれば痕も残らないだろう。
新の腕の中で瞼を閉じている白木銀子の姿は、美しく、清廉だった。
先程迄暴走していたとは到底思えない普段の凛とした雰囲気。汚れや傷は寧ろ彼女の美しさを引き立たせ、寧ろ普段よりも美麗にすら思える。
白銀の如き輝き、彼女自身の美しさ。
「――――っ」
「っ白……銀子さん!」
やがて、白木銀子が目を覚ます。
自分が新に抱えられている事に気が付き身体を起こそうとするが、力が上手く入らないのか身体を起こせない。やがて自身の置かれている状況を把握したのか、ぐったりと新に抱えられるままになる。
「そう……私、止めて貰ったのね」
ぼんやりと天井を眺めながら、彼女はぽつりと呟く。
「負けたんだ、私」
その一言にどれだけの感情が込められていたのか新には分からない。諦観、悲観、安堵、放心、幾つかの感情がごちゃ混ぜになって漏れ出た言葉。
敗北という現実を理解した、白木銀子の言葉だった。
「君の異能は暴走してた。だからこれは勝ち負けなんかじゃないよ。それに……」
「いいの、慰めはいらない。私が一番よく分かってるから」
どう声をかけてやれば良いのか新には分からない。
この期に及んでも答えを見つけられない自分に、新は歯がゆさと無力さを感じる。
腕を通して伝わる彼女の重みが、余計に重く感じられる。
「……きっと、罰なんでしょうね」
「そんな事は――」
「いいえ、そんな事はあるの」
咄嗟に否定するが、彼女に制止され言い切られてしまう。
新の腕の中で彼女は言葉を紡いでいく。
「私ずっと、自分が強くならないとって思ってた。馬鹿にされないように、認められるように、見返してやりたいって、ずっと思ってた。強く、なって……私を証明したいって思ってた」
「………」
「『白木』に、その名前と血に相応しい私になろうって、ずっと。努力して、藻掻いて足掻いて、人並み以上を目指して」
彼女の頬を涙が伝う。
その涙は『白木のお嬢様』のものでもなく、『優秀なランク4異能者』のものでも、『責任と伝統ある近衛四家の人間』としてのものでもない。一人の十六歳の少女、『白木銀子』の涙。
新はこれまで何度も人の涙を見て来た。けれどそれは敵対者の涙であり、命乞いの涙であって、深い哀しみを湛えた涙。
「でも、いつの間にか私は同じになってた。上辺で人を判断して、勝手に分かった気になって。あいつらとおんなじ、私が人を評価する側だなんて……なんて傲慢」
白木銀子の中に巣食っていた劣等感。
一族の本家であるにも関わらず未熟な自分、白木らしからぬ自身の思考。それらが齎した心の抑圧。他者からの評価を気にしないような白木が、反対に気にしているという事が自分を否定する。
優れ、優しい人間が周囲に居た、居てしまったが故に抱いた惨めさが彼女を苦しめた。
羅盤学園に通う中で、彼女は自分を他者よりも上だと位置付けた。
白木家の自分は優秀だと、他とは異なるのだと。
それは無意識のものだったのだろうし、何よりも他者を貶した訳でも無い。しかしその思考は彼女が何よりも嫌う彼等と同一のものだった。
「結局、私は駄目だった。手加減なんて、私が言えた義理じゃないのに。勝手に怒ってその結果が暴走……あいつらが正しくて、私が駄目だっただけ。笑えるでしょ?全部私の……」
「それは違う」
「……ぇ?」
新は白木銀子を支えたまま、彼女の顔を改めて見る。
改めて彼女の目を見て話しかける。
「銀子さん。僕は君の過去は知らないし……知らないから、こういう時にどんな言葉をかければいいのか本当に分からない。分からないから、多分気の利いた事だって言えない」
白木銀子の瞳は濡れていた。涙の線が、頬からゆっくりと沁みだしていた。
潤んだ瞳が、震えているようにも見えた。
――決断しただろう。決意したんだろう。
――分からないなら、自分で決めるって、思ったんだろう。
「でも、僕は君が駄目な人間だとは一度も思った事は無いよ」
「――!」
正解を選ぶ事は出来ないかもしれない。だからこそ新は、正解を与えられてきた今までとは異なる、自分自身の選択と言葉で伝えたいと感じた。
そう思った、感じたのなら言わねばならない。
「僕の中の銀子さんは優しくて、綺麗で、舞桜さんと仲良しで、実は冗談も好きだし、食べるのも得意だし、責任感があって、そして何より………強い人だ」
「そ、れは……そんなの、そんなの全部演技です!本当の私はもっと、弱くて、醜くて、歪んでて……貴方の思う強くて綺麗な『白木銀子』はこの世界の何処にも居ない!この学園には存在しない人間なんです!!」
「ううん、それも違うし、多分君は勘違いをしてると思う」
新は白木銀子の身体を起こして、目の前に座らせる。
お互いに地べたに座りこんで、向き合って話す。
嘘偽りの無い、新の本心の言葉を吐き出せるように。
「それも、銀子さんの一部なんだよ」
「私の……一部?」
聞き慣れない初めての単語を聞いた子供の様に、白木銀子が繰り返す。
「うん。綺麗な部分も汚い部分も、弱さも強さも……多分、人間なんだから誰にでもあるよ。誰にでもあって、あって当たり前なんだ。だから全部ひっくるめて、君なんだ」
「で、でも……私は………白木たりえない」
白木銀子の心を縛る鎖。
自身の思考回路そのものが『白木』の物ではないという事。本当の『白木』ならば起こりえない、アイデンティティへの疑念こそが白木銀子を縛り付けている。
「私は、自然体ではいられない!父や祖父、みんなの様には生きられない………!」
今まで見た事の無い表情。毅然として表情を崩して、幼い子供がするように涙を流す。
彼女にとって当たり前に出来なければならない事が、彼女には出来ない。出来ないからこそ劣等感を抱えて、彼女の心は抑圧された。
だから、今のこの表情は……。
「ほら、それも君だ」
「え……?」
白木銀子が涙で濡れた顔を持ち上げて、目の前に座る新の顔を見る。
そこには穏やかに笑う八十新が居た。
「自然に泣けてるじゃないか、まさかそれも演技って事はないだろ?」
「あ………」
「じゃあ君はやっぱり大丈夫。それに考えて欲しい、銀子さんが過ごした僕や舞桜さんとの日々は楽しくなかったのかな?本当に全部演技だったのかな」
「それ、は……」
白木銀子の脳裏に過るのは、新達と過ごした毎日。
短い期間だ、出会ってからまだ二週間も経っていない。それだけの時間、たったそれだけ。
彼女が生きて来た十六年間からすれば圧倒的に短い一瞬。彼女が問題を抱えた時間からみれば、本当にちっぽけな時間でしかない。
けれど、そう、けれど。
舞桜瞳は善い人間だ。良く笑い、良く話す。時折無邪気さ故の残酷さもあるけれど、しかし彼女は誰に対しても平等で優しい人間だ。
白木銀子にとっての初めての友人。
八十新は不思議な人間だ。常識人のようで、少しずれている。柔軟というか、すぐに適応してしまう。彼もまた誰に対しても平等で、優しい。
そして今は自分を止めてくれた人物。
彼等との日々は、演技であったのかもしれないけれども。確かに笑顔で過ごした短い期間だった。
しょうもない会話、一人の人間としての会話。素直に自分の長所を褒めて、変に称賛したりもしない。純粋な人間関係。
白木銀子自身が『白木』に縛られていただけ。それだけだったのだ。
「凄く……凄く………楽しかった、演技じゃない………楽しい日々だった………!」
彼女の心の奥底からの声だった、言葉だった。
嘘偽りの無い、彼女の本音。彼女の自然体。
――そうだ、父も祖父も、白木の皆も、そうだったのだ。
自然体に生きるとは素直に生きる事。
自分を疑わず、誇りを持って生きる事。
『白木』とは自ずと、そう生きるのだ。
悲しみを持たない人間も居ない。怒りを覚えない人間も居ない。
人間とは不完全であるからこそ、人間であり自然体なのだから。
ようやく彼女は悟ったのだ。すぐ近くにあった答えを、ようやく掴み取ったのだ。
今はまだ意識して理解できていないかもしれない。しかし彼女の心は理解した。
ならば、大丈夫なのだ。
そんな彼女の様子を見ながら、新は再び微笑む。
「なら、ここからもう一度始めよう。新しく始めよう」
「こんな……醜い私でも?」
八十新は立ち上がり、笑う。彼の制服もまたボロボロだった。白木銀子と同等か或いはそれ以上に破れている部分もほつれている部分も存在している。
言わずとも白木銀子は理解出来た。これは彼が、自分を止める為に身を挺してくれた証明なのだ。
「さっき言ってたよね、本当の白木銀子はこの世界にも、この学園には居ない……って」
「言ったけど、あれは」
「入学式の事、覚えてるかな。ほら、生徒会長の」
「え、ええ」
入学式の生徒会長といえば、庵膳木星毅のあのスピーチの事だろう。
新達新入生全員が講堂に集められて聞いた、初めての学園行事。
異能力者としての人生を歩み始めるきっかけの一つ。
「なら、今は僕が生徒会長に代わって言うよ」
壊れた壁、ボロボロの服、怪我をした身体、擦れて汚れた二人。
そのどれもがあの時の新しい彼等とは異なっている。煌びやかな講堂でも無いし、新しい制服でも無い、生徒も二人っきりだ。
何もかも対称的だ。けれど、だからこそ彼は言わなければならないと自分で決めたのだ。
「銀子さん!」
名前を呼ぶ。そこには既に躊躇いは無い。
手を差し出して、彼女の手を握る。
そうして力を込めて、座る彼女の身体を引き寄せ、言う。
「――――ようこそ、異能学園へ!」
新たな始まりを告げる、あの言葉を。
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