ほんとうのもの
「……白木さん?」
扉に手をかけたその時から気が付いていた。とはいえソレは有り得ないと知っていた。
だから躊躇した。開ける事に対して、嫌な予感がしたからだ。
「舞桜さんから帰ったって聞いてたんだけど……」
舞桜瞳の話では用事で今日は一人で帰った筈だ。
だから舞桜瞳は救護室に一人で来たし、新にもそう話したのだ。
ならば何故、一人で帰宅した筈の彼女が此処に居るのか。
何故自分の席では無く、新の席に座っているのか。
舞桜瞳の口ぶりからして彼女と白木銀子は教室で別れた筈だ。なのに今ここにいるという事は、彼女は教室に戻って来たという事になる。
考えられるのは三つ、いや二つ。
彼女が用事を終えて此処に戻って来たのか、或いは……用事そのものが無かったのかだ。
彼女が偽物という線も存在するが、それはほぼ有り得ない。
新が扉を開ける時に感じた気配は白木銀子その人のもの。そして今彼が感じている情報も、彼女が白木銀子本人であることを示している。
「……用事は終わったんだ?なら一緒に帰る?舞桜さんも心配してたよ」
もし、もし仮に。二つ目が真実であるとするならば。
態々そんな嘘を吐いた理由は何だというのか。
新は白木銀子に語りかける。確認と、確証を得るために。
「新さん」
新の言葉に応じてか、白木銀子は口を開いた。
「試合,お疲れ様でした。どうでしたか?」
何の変哲もない、ただの言葉。
一見、新の体調を心配して出た言葉。声音だってそうだ。
試合が終わって、勝者が敗者に語り掛けるには一番適した言葉かもしれない。
けれどそれが新のどの問いにも答えるものではない事は早々に理解出来た。
問いかけていた筈が、答える立場になっている事も。
「あ、あぁ……身体はもうすっかり大丈夫だよ。ありがとう心配してくれて。試合も悔しいけど、当然の結果だったと思う。それより舞桜さんが――」
「当然。ですか……?」
新の言葉を遮って、白木銀子が椅子から立ち上がる。
ゆらりと、けれどその動きは決して優雅ではない。
会話が成り立っていない。そう感じてしまう。
例え上辺が繋がっていても理解に及んでいないのではないか、そう感じてしまう。
「新さん、私が尋ねたいのはそんな事じゃないんです。身体の調子も、試合の結果も、……そんなどうでもいい事を聞いた訳じゃないの」
「な、何を――」
明らかに様子がおかしかった。
容姿は同じだ。白木銀子そのもの、髪も顔つきも、体つきも彼女そのものだ。
けれど明らかに違う。
佇まいには普段の彼女の優雅さ等どこにも存在せず、美しさはあれど儚さは無い。纏う雰囲気が全く変わってしまった、或いは外では無く中身がそのまま変わってしまった様な。
気配の変わりようは一瞬だった。新と話すまで、普段の白木銀子と同じだった。多少暗い様子を感じはしたが、それだけだった。
なのに、これは最早別人の様だった。
外見が全て同じでも、雰囲気も言葉遣いも普段の彼女からは想像もつかないもの。荒々しいとすら表現できる雰囲気を纏って、彼女は教室に立っている。
「何を、ね……もう分かってるんじゃない?」
「――――!」
心当たりはある。
寧ろこの状況になった時、そうなのだろうと薄々感じてはいた。
言葉が彼の耳に突き刺さる。
「けどね、それもどうでもいいの。言葉で聞くよりももっと単純で分かりやすくて自然な方法があるから。私はそっちを使う」
白木銀子が新の方へと歩いて来る。
その足取りは速く、直線的で高圧的だった。
例えるのなら、生徒を叱る教師が真っすぐにその生徒に向かう様な。そんな自分に向けて歩いていると理解させられる歩行だった。
そして扉を開けてすぐの場所に立っていた新の傍へとやって来ると、彼の顔を見る事無くこう告げた。
「今日の夜、二十二時に実習室で待ってる。……誰にも言わないわよね?」
新はすぐ傍に立っている筈の白木銀子を見れなかった。決して身長の問題ではない、彼女が新の方を向いていなかったからでもない。
それは新にも理解しがたい感情だった。
その感情が、新が白木銀子の表情を伺おうと首をねじる事を拒否していたのだ。
数秒の時間。その数秒だけ世界がゆっくりになっている勘違いをしている様だった。
新が集中している時、俗に言われるゾーンに入っている感覚とも異なる時間。
思考が、体感時間に追い付いていなかった。
けれどその数秒が経過して新はすぐに顔を横へ向けた。
「――白木さ……ん」
呼び止めようと名前を呼ぶ。
しかしそこにはもう誰も居ない。視線の先には普段通りの廊下が在るだけだ。
廊下の先にも白木銀子の影一つ存在しない。彼女が教室を出てすぐならば彼女の後姿が見えた筈なのだから、それだけの時間新は停止していたのだ。
新は教室の中を見る。より正確には彼女が座っていた自分の席を見る。
教室の中へと入り、自分のカバンがそこに在るのを確認する。開けられている様子も無く、彼が試合でこの教室を抜けてから誰も触っていない事は確からしい。
新は少し躊躇いながら、自分の座席に座る。自分の席なのだから躊躇うというのも変な話なのだが、少し前まで白木銀子の座っていた席だ、そこに座るというのは少々変な感じがしたのだ。
座ればほのかに暖かい。椅子に体温が残っているという事は、あの一瞬だけこの席に座っていたという事は無い。少なくとも温度が残るだけの時間彼女は此処にいたのだ。
それが何分か、或いは一時間以上なのかは新には分からない。授業が終わってからなので数時間、という事は無いだろうがそれでも。
「………」
天井を仰ぎ見る。意味は無い。
溜息は出なかった。意味は無いから。
決断も済ませていた。それしかないから。
なら、しょうがない。
「うん、しょうがない」
ふと舞桜瞳を待たせている事を思い出し、新は自分の鞄を机から手に取ると急いで教室から飛び出た。時計を見るが、ぎりぎり怪しまれない程度の時間である。
新はそのまま舞桜瞳の元へと駆け出した。
走りながら、新は考えていた。
■◇■
夜。と言っても定義は人それぞれかもしれないが、二十二時は夜と言っても何の問題もないだろう。
何が言いたいのかと言えば、それだけ人通りも少なくなるし、それが学校という環境ならば尚更だ。
羅盤学園でもそれは同じだった。
羅盤学園は基本的に二十四時間開校している。それは羅盤学園が研究施設という側面を持つからであり、合宿等も行える施設も用意されているからだ。
一部の教師職員は学園の敷地にある教師寮に居住しているし、宿直として校舎に居残る教師職員も存在する。広大な敷地故に出来る事だ。
それでも夜という時間になれば人の出入りは少なくなる。それも極端に。
学生の殆どは自宅に帰るし、教職員だって全員が教師寮に住んでいる訳じゃない。多種多様と言っても、それでも多数派となるのは『夜には学園から出る』者達だろう。
特にまだ入学したて、殆どの者が研究とは無関係であり、夜の活動に関与しない一年生の区画なんかは特に人の気配が無い場所と言える。
上級生の区画では仄かに感じた人の気配もこの区画には存在しない。研究室からも他の学年よりは離れているので、それも無い。
だから彼女はこの場所を選んだのだろう。
実習室の扉の前で新は立っている。
扉を開けるのは簡単だ。手元の端末を操作すればいいだけ。
警備システムは存在しているが、入るだけなら反応しない。何故なら端末を使って入るのは正規の手段でありそこには何の不正も存在しないのだから。
申請が必要な理由は、殆どが他生徒との競合を避ける為であり、特に実習室の様な特別な機会が無い教室では本来必要のないものだ。つまり形式上は、という事である。
とは言っても利用に申請が必要なのは変わりない。言うなればこれは無断使用。れっきとした不正行為であり、それは白木銀子らしからぬ行いだと新は感じる。
先程も述べた通り、羅盤学園は基本的に二十四時間開校している。しかしそれは敷地の中に入れる、という意味であって多くの教室の使用時間は二十二時までだ。
そう、まだ申請をすれば不正利用にならない時間帯なのだ。申請自体は端末から容易に行えるのは説明にあった通りだし、この場に競合する生徒が居ないというのも見れば分かる。
つまり、申請してはいけない事がこれから起こるのだろう。
端末に表示された時刻を見る。同期しているこの端末は常に正確な時刻を表示する。
もう二十二時になる。約束の時間だ。
白木銀子の姿は外には見えない。つまり彼女は既に中で待っている。
実習室が特殊な素材で作られている影響か、中の気配は分からない。しかし確かだろう。
新の知る限り、彼女は約束を破る様な人間ではないのだから。
扉の傍に設置された端末と、自身の持つ端末を重ねる。
新達に配布された端末はタブレット形式だがポケットに入る程度の小型だ。
ピッ、と電子音が鳴り、開錠される。
自動で開く扉、これも壁と同様の素材が使われているのかそこそこの厚さだ。
扉が開き、新は実習室の中へ。
そこに待っていたのは見覚えのある彼女の姿。
「……約束、守ってくれたみたいで安心した」
「そりゃ言う訳にもいかないからね」
「瞳には尋ねられなかった?いえ尋ねられたでしょうね、あの子の事だから貴方が遅れた理由聞いてきたんじゃないの?」
「そうだね……めちゃくちゃ聞かれたよ。『何で取りに行くだけでそんな遅いのさ~』ってね。けど……言ってないよ、誰にも」
正確には『こんな事ならやっぱり一緒に行けば良かったよ~』『新君は一人でお使いも出来ないおこちゃまなのかな~』と更に色々言われたのだが、これ以上言う必要も無いので黙っている。
そんな風に真似をして笑う雰囲気では無い事位、新でも理解出来た。
「そうね。一先ず安心した」
新は話しながらも歩いていた。
それは新と彼女――白木銀子との距離が離れていたから。
ステージ上に立っている白木銀子に近づくという理由があって、新は歩いていた。
「……それで、何が聞きたいのかな」
「あら、忘れてしまったの?」
「?」
まだ新は何も聞かされていない……筈だ。新がぼーっとしていたのは最後の数秒だけの事だし、その時間で何かを語りかけられたという事も無い。
では何を新は忘れているというのか。
「私、最初に聞いたじゃないですか。――『どうでしたか?』って」
確かに白木銀子はそう尋ねた。しかしその返答は彼女も知っている筈である。
「だからそれは」
「そうね。でもこうも言ったでしょう?『そんなどうでもいい事を聞いた訳じゃない』って」
「だから、白木さんは何を言って」
新は聞き返す。質問の意図を、もう理解している筈なのに。
新は分からない。彼女が何故こうなっているのかを。
「そう――――そうね」
一つ先に気が付いたのは新だった。
生物の本能なのか、それとも新自身の能力故かは分からない。
ただ、そう。言葉に言い表すのなら……予感がしたのだ。
「あくまで『分からない』のね……ならやっぱり分かりやすい方法で聞きましょう」
――その方が、私も答えを知れるから。
瞬間。既にステージ上に上がっていた新を衝撃が襲った。
「―――ぐがぁっ!?」
衝撃と共に襲いかかるのは痛烈な痛みと、燃える様な痛みその両方。それは今日体験したばかりの性質で、食らい覚えのある衝撃だった。
そのまま勢いよく吹き飛ばされる新。何度も地面にぶつかり、跳ねて、そして破片が空に舞う。
まるで勢いよく地面に転がしたボールが跳ねながら進む様に、彼はステージを動く。
それだけだ。そこに炎や風や、水も土も盾も剣も無い。
ただ殴った。それだけだった。
「………やっぱり、そうなの」
傍から見れば、最早立ち上がれはしないだろうとも思えた。それだけ衝撃的な光景だったし、それだけ派手に吹き飛ばされた人間はこれまでの対抗戦のどの試合にも居なかった。
それは場外という理由もあるが、これは下手をすれば、いやしなくとも人が死ぬ攻撃。
特殊素材で出来たステージを破壊する威力。これが殴打による衝撃では無く、それによって吹っ飛んだ人間の勢いで生み出されている。
白木銀子の一撃は明らかにこれまでのどの一撃よりも重く、それはつまり今日の試合の最後に見せた彼女の一撃すらも優に越している威力を有していたのだ。
そんな一撃を放ってなお、白木銀子の表情には疲労の一切が存在していなかった。
ただ一点、彼が吹き飛ばされた方を見て呟いただけだった。
「――――」
そこには一人の少年が立っていた。
上半身の制服が地面との衝突によって何か所か破れているが……それだけ。
多少の流血はあれど、それだけ。そこに骨折も無い、内臓も破れていないだろうし、肉が抉れ削れてもいない、そこに大怪我と呼べるものは存在していなかった。
見れば流血していた傷も既に塞がったのか、流血が止まっている。
それどころか掠り傷も癒え始めている。
数分もすれば何も起きなかった様に、傷一つない身体が在るのだろう。
そんな新の姿を見て、彼女は慄く事無く一歩を踏み出し。
宣言した。
「行くわ……〈金剛白装〉」
白い光が、彼女を覆う。




