本当のもの
■◇■
救護室。
白い部屋には恐らく検査や治療に用いるのであろう機器が揃えられ、ここも一つの実験室或いは研究室の様な風体だった。
当たり前だがベッドも並べられており、これまで新が見て来た部屋よりかは狭いといえど、それでもそれなりの広さを持っていた。
そのベッドの内の一つに新は寝ている。
(これ、意味あるんだろうか)
救護室に来たは良いが、特段何かされる事も無く新はベッドに寝転がされた。
運んできたロボットがそのまま新をベッドに置いた、という表現の方が正しいかもしれない。
兎も角新はベッドに寝転んでいた。
少し身体を起こして救護室を見回す。
救護室には現在、数名の生徒と救護室担当であろう大人が一名居た。
この大人が治癒に関する異能を保有した異能者なのだろう。
新もベッドに寝転がされた後、彼女によって形式上の診断を受けて『問題なし』と判断された。つまるところ現在の新は念の為に救護室に留まっているだけという事だ。
(……まぁ全く問題ないんだけど)
実際新の身体は最早ダメージを残していない。
白木銀子の〈金剛白装〉による浸透する打撃は確かに新に痛みを与えた。しかし新の肉体はそれ以上に頑強であったのだ。
服の下には隠れていて見えないが、傷一つない肉体が存在している。
試しに新は手を開いたり閉じたりしてみるが、問題は無い。
今すぐに再戦を要求されたとしても彼のパフォーマンスは変わらないだろう。
だがそれを知るのは新だけで、他の誰もが知らない。恐らく戦った白木銀子自身も新の現状を勘違いして認識している事だろう。
もう一度救護室を見る。今度は同じようにベッドに寝かされている生徒達をだ。
(全員軽傷だな。流石にクラス内の対抗戦で大怪我させる生徒は居ないか)
数名の生徒を観察するが、殆どの生徒が救護室に来た原因は打撲といった所だろう。巻かれた包帯、置かれた氷嚢がその証拠である。
大方場外に吹っ飛ばされた事による落下の衝撃、或いはその吹っ飛ばされた事自体のダメージが原因という事だ。
そしてそれはおかしな事では無い。寧ろ普通の事である。
異能者同士の試合、何が起こるのか分からないとはいえ相手を殺そう等と考えて行動する生徒はそう居ない。となれば何かしら無意識のブレーキが働いて人は手加減をしてしまうものだ。
そうでは無いにしても相手を気絶させて勝利、というのは余程実力差が無いと出来ない芸当。この時点での生徒の勝因の大半は場外か制限時間による判定勝ちだ。それも後者の方が圧倒的に多い。
(そう考えるとうちのクラスは結構レベルが高いのかもな)
上手く場外勝ちするというのも技術が要る話である。
永宮雅成がそうであるように、ただ爆風で吹っ飛ばすというのは本来困難な事だ。あれは永宮雅成レベルの異能力者だから出来る事なのだ。
しかし永宮雅成や白木銀子を除いても、十五組の勝利は場外の割合が高い。制限時間による判定勝ちの試合も勿論存在するが、割合で言えば4:6程度でかなり高い方だろう。
それだけ今の時点で異能を上手く扱える者が多いという事でもある。
(授業もそろそろ終わりか……)
前半よりもスローペースで進んでいるとはいえ、今日の試合は新の試合を含めて残り二試合だった。休憩時間を鑑みても当然五分の試合は終わっているだろうし、クラスメイトは教室に戻った頃合いである。
本来なら新もここから午後の一般教養科目の授業なのだが、現在の新は救護室で経過観察中の身。
少なくとも後一時間か二時間はこの部屋から出られないだろう。
脳や神経系へのダメージというには一目では分からない事が殆ど。
いくら本人が大丈夫だと言っているからといって、今後もそうだとは限らない。
そして異能者にとって脳へのダメージは最も恐れる所でもある。
異能とは意思の力。個人のパーソナリティから生まれた超常なる力。
そして個人を個人たらしめるものとは意思であり、その意思を司る器官こそ脳だ。
故に脳は現在の異能研究においても人体の他の構造と比べて重要視される。
しかしまぁこれは異能力者に限った話では無いだろう。
異能力者でなくとも脳に深刻なダメージを負えば、結局人間の身体は機能不全に陥る。ともすれば意識不明、或いは障害を残す事になる。
人間に限らずとも生物の殆どはそういう存在なのだ。
だからといって気にしなくて良い訳でも無い。
羅盤学園に在籍するのは未来ある若き異能力者達。その才能を守る為には少し位過保護でも何ら問題は無いのである。少なくとも新入生として呼ばれる期間は。
ぼす、と起こしていた身体をベッドに倒れさせる。
仰向けのままで天井を見つめ新は考えていた。
(遅れを取り戻すのは少し面倒だけど……今の所難易度もそんなに高くない。一日位なら然程遅れも無いだろうし……今日はこのまま救護室に居た方がいいかもな)
すぐに教室に復帰するのも、それはそれで面倒臭い。
明らかに新は白木銀子に吹っ飛ばされて倒されていたし、白木銀子が新との試合で出した力はこれまで彼女が戦ってきたどの試合よりも強いものだった。
そこで新が「もう傷一つありません」と教室に戻れば、何らかの疑いを持たれる可能性は十分に存在している。
疑われる位なら、今はこうして寝転がって大人しくしている方がましだ。
(……白木さんの実力は確かなものだった。まだ全部見れてる訳じゃないけど、多分永宮雅成と同等か或いはそれ以上の……)
永宮雅成と白木銀子。共に天帝近衛四家に数えられる名家の出身であり現時点でランク4相当の実力者。彼等の実力を疑っていた訳では無いが、実際に戦ってそれを確信する。
遠距離から文字通り火力を出す永宮雅成の戦闘スタイルとは違い、白木銀子の戦闘スタイルは身体能力強化の近距離主体。試合も速攻で終わらせてきた永宮とは異なり、ある程度拳を交わしてから終わらせている。
なので試合時間だけ見れば圧倒的に永宮に軍配が上がる。
しかし新が実際に手合わせをして抱いた感想は、威力だけを見れば白木銀子の方が優れているのではないかというものだった。
(一致率っていうのがどれだけ信用できるか分からない。けど現状だけ見れば戦って勝つのは白木さんだろうな。……勿論永宮雅成があの程度じゃないとは思うけど)
この二人が学年でもトップクラスの実力者で有る事は疑いようもない事実。
ならば新人戦で最終的にこの二人が戦う事になるのも十分にあり得る話だ。
そうなった場合、新は恐らく白木銀子が勝つだろうと推測した。
(……ま、あくまで今の所だけど)
それは単純な異能の強さだけではない。
永宮雅成には本気を出しにくい理由も存在している。
この学園において、彼はやりにくいであろう事も。
(僕は上手くやれただろうか)
ふと頭によぎる同僚の言葉。
あの夜に彼が新たに伝えたボスからの言葉というのは本当に単純で、一言しかないものだった。
命令と前置きをされたが、聞いてしまえば拍子抜けしてしまうもの。
◇
「ボスからの命令です、気にする事でもないっすけどね」
菓子を頬張りながらディテクターがそう口にする。
「ボスから、ですか九堂さん」
「ええ、まぁ。……っと、美味いっすねこのお菓子。お土産に買って帰ろうかなぁー?これどこで買ったものっすか?」
「どこにでも売ってる市販の物です。そんな事より、ボスが追加で僕に命令を出したのなら早く伝えて下さい。というかそれが本題じゃないですか」
「いや〜アラタ君と話すのが楽しくてつい」
ボスからの命令。
それは新達の組織における最も重要なものだ。
新達の組織はそれぞれがそれぞれの目的の為に集まった異能力者の集団。目的は様々であり、夢や野望、或いは生活とメンバーによって異なる。
しかしメンバーに共通している点は、ボスに忠実な部下であるという事だ。
組織のメンバーに上下関係は無い……とされている。実際には加入順や年齢順と各々が勝手に順列をつけているのだが、しかしどの順列においてもボスが最上位に来る事は間違いない。
ボスからの命令を受け、任務を遂行する。その対価としてメンバーは報酬を受け取る。
それが組織の形態なのだ。
つまりディテクターの言う、ボスの命令とは新たな任務の事を指していた。
「どんな任務ですか、まさか……」
「いやいやアラタ君最初に言ったすよねー、気にする事でも無いって。だからそういう命令じゃないっすよ、もっと気を楽にして聞いて良い話っていうか言葉っす」
「……分かりました。ありがとうございます、九堂さん」
「謝らないで良いっすよー、もったいぶって話さなかったのはこっちっすから」
笑いながら次の菓子に手を伸ばすディテクターとは対照的に、新の内心は不安が生じていた。
新しい命令、任務。それはどういうものなのだろうか。
今の任務を放棄する筈は無い、しかし……上書きしないとは限らない。
新は現在潜入任務中ではあるが、元々は戦闘員である。戦う事、それが新の組織における役割だった筈なのだ。そしてそれは新自身も十分に理解している事である。
そんな新に下される命令とは、何なのか。
新は少し緊張しながらディテクターが口を開くのを待った。
「では原文ままに伝えますね……『真摯に向き合え』……以上っす」
「……え?」
しかし緊張を裏切るように、ディテクターの口から出た言葉は余りにも簡潔な一言だった。
原文ままに伝えたという事は、疑う余地も無い、勘違いする隙間も無い。
『真摯に向き合え』というボスからの言葉が命令なのだ。
「それだけ、ですか?」
「そうっすよ?『真摯に向き合え』って態々オレに伝言を頼む程の言葉じゃないっすよねー?まぁこれも任務なんでオレは原文ままに伝えたっすよ」
「それは……そうかもしれませんが」
正直なところ、新もその言葉の真意を測りかねていた。
明確な命令ならば例えそれがどれだけ困難なものであっても遂行しようとする。する事が出来る。
しかしこの命令は、いや命令とも言えないこの言葉は何の意図から生み出されたものだというのか。
「……任務の件といい、僕にはボスの心が分かりません」
「んーそれでもいいと思うすけどね。ボスなりの……まぁ親心?的な?」
「はは、何ですかそれ」
新は軽く笑う。しかし、ディテクターのその言葉を聞き少しながら心が軽くなった。
「兎に角っす。そんな気にしなくてもいいって事っすよ!気にしすぎて本来の任務に支障が出ても駄目でしょ?ちょーっと心に残しておく位が丁度いいんすよ」
「そう、ですね。そうします。ありがとうございます九堂さん。……もう少し楽に考えてみます」
「まだまだかたいっすねー。ま、それもアラタ君なんでしょうけど」
ハハハと笑って、ディテクターが菓子を食べる。いつの間にか用意していた菓子は殆どが消えていた。
「……それ、まだあるので良かったら持って帰りますか?」
「え!?いいんすか!?正直めっちゃ美味かったんでめっちゃ嬉しいっす!」
目の前で余りに美味しそうに食べるものだから新も提案せざるを得なかったという話なのだが。
そうしてこの日、新は念の為の来客用にストックしておいた菓子を全て持って帰って行った。
◇
(真摯に、真摯にか……)
ボスからの新たな言葉『真摯に向き合え』。
この言葉を思い、新は白木銀子との戦いをしたつもりだ。
現状出せる実力を、精一杯出した。白木銀子と競り合える限界の所まで力を出して戦った。
勿論もっと手加減も出来た。直ぐに負ける事も出来たし、白木銀子を引き立たせる様に立ち回れたかもしれない。
自分は真剣に彼女と戦った筈だと、新は思う。
ただ、最後だけ少し本気を出してしまった。
それは予想以上に彼女が強かったからである。
白木銀子の戦闘スタイルに合わせてチカラを使った筈だった。それで十分だと考えていた。
チカラを使って変化させた体躯の出力が、白木銀子の能力に追いついていない事に気がついたのは試合がそれなりに進んだ段階であった。
新があの段階で白木銀子の実力、その幅を知る術は無かった。故にこれ迄の試合を参考にするしか無かった。
なので最後の一撃。
あの一撃をまともに食らえば、自分でもダメージを過剰に受けてしまう事を直感した。
そうなった時、新は無意識の内にチカラを使い直してしまったのである。それは捉え方にもよるが十分本気を出した、と思っても仕方ない事だった。
(まぁ……少しだけだ。怪しまれる程、じゃないよな)
チカラによって本気の一部を出した時間は防御の一瞬だけ。あくまで耐える為の防御の力である。
恐らく大丈夫だろう。あの程度であれば姿にも影響が出ない範囲なのだから。
(僕はやれてる。大丈夫だ……不満は無い)
意識的に瞼を下ろす。
睡眠は必要無い程度の眠気だったが、どうせならだ。新は自分の意思で微睡みへと沈んだ。




