クラス内対抗戦 その3
一回戦第五試合、淵江敦対永宮雅成。
二人の生徒が杠の呼びかけに応えて前へ。
淵江敦。少し生意気そうな態度の少年。
安彦元の様な熱血の真面目さもなく、目の前の永宮雅成の様な誠実さも感じられない。前述の二名と本日試合を行った男子生徒全員の中で一番不真面目そうな雰囲気だ。
「準備は良いかな?」
「はい」
「おっけーっす」
二人が返事をし、互いに向かい合う。
「では用意――始めッ!」
杠が開始の宣言を行い、一回戦第五試合が始まった。
五回目となると見る側も慣れたもので、両者の動向をそれぞれに見守っている。
しかし試合が開始したにも関わらず両者動かない。
淵江敦は体勢を低くしたまま、永宮雅成は直立した姿勢のままで向かい合っている。
静寂。外野もまた二人の間にある緊張感に影響されてか、口を噤んでいた。
そのまま約数十秒、先に停滞を破ったのは淵江敦。
「永宮君さぁ、ランク4だかなんだか知んないけど、それってあくまで数字だよね?」
「急に何が言いたいんだ?」
開口一番、永宮雅成を煽る淵江敦に至極冷静に永宮は応対する。それは永宮雅成の言う通り確かに突拍子の無い話題だ。
しかしそれを気にも留めず淵江敦は更に続けた。
「だからさぁ、いくら才能があっても実践じゃどうなのかって事よ。ほら、今も動かないじゃん」
「…………」
「どうしたのぉ?テストと実践は違うんだぜ?」
明らかに永宮を腹立たせる事を目的にした煽り口調。
彼が言っている事が根も葉もないことであるのは明らかだ。彼は天帝近衛四家の永宮家であり、【羅針盤】にランク4を測定されている。肩書に実績、共に彼がパッケージだけの存在ではない事を証明している。
そしてそんな事は当然淵江敦にも分かっていた。
(異能の発動まで後少し……このまま時間を稼いでやる)
異能の発動、或いは発現。異能が現実に影響を齎すには過程を踏む必要がある。
それが異能領域の展開。超常なる異能が現実を改変できる力の規模であり範囲。異能はこの異能領域の内部において異能力者のパーソナリティを具現する。
異能力者は自身の体内に常に異能領域を展開している。故に自身の身体から近い程異能の発現は早く、要するエネルギーも少ない。安彦元の〈炎の人〉や肉体変化系統はその典型の様なもので、発動のタイムラグは無いに等しい。
これを踏まえ忘れてはいけない異能の大原則が幾つかが存在する。
その一つが『異能領域は干渉しあう』という事だ。
干渉しあうが故に、影響しあう。滅多に起きない事だが異能領域の強度に圧倒的な差が存在した場合、弱い異能領域の異能は発動すらしない。
人体に直接影響を齎す異能がピンキリの理由はこれだ。異能力者の身体には常に異能領域が展開されており、例えば精神に関与する異能はこの異能領域の干渉を突破出来るだけの強度を備えてく必要がある。そうしなければ発動しないから。
そしてそれこそが淵江敦が自身の異能、〈落下弁〉を発現させる為に時間を稼いでいる理由であった。
(既に効き始めてる筈……!このまま戦意喪失させれば俺の勝ちだ!)
〈落下弁〉。それは対象の気分を下げる精神感応系の異能。より正式には〈気分落胆〉。
この異能は淵江敦の足から伝播した目には見えない根を対象に巡らせ、次第に対象の異能領域を侵食していく。そうして徐々に気分を低下させていく異能なのだ。
まず相手と地続きでなければ意味が無い事や、対象迄根を届かせなければならないが故にタイムラグ、更には異能領域の侵食にかかる時間と多くの制約があるが……徐々に気分を低下させるこの異能は十分に凶悪な可能性を秘めていると言えよう。
(ランク4と正面から戦う?そんな馬鹿な事するかよ、俺は安全に勝つ!そして俺が一番になる!)
淵江は永宮の様な人間は開始直後にいきなり攻撃を仕掛ける事はないだろうと考えていた。
そしてその読みは当たり、淵江と永宮は互いに様子を伺いあう形で静止した。
開始直後から根を伸ばし始め、侵食するまでの時間を会話によって更に引き伸ばす。煽る事で少しでも永宮雅成の精神が揺らげば儲けものだ。
「なぁ?いいとこの坊ちゃんなんだろぉ?戦いは怖いのかぁ!?それとも噂に見合わない実力を見せるのが恥ずかしいのかなぁ!?」
(……いける!)
淵江敦はそう考えた。
これ程煽っているのだ。激高し襲い掛かってもよさそうなものだが、永宮雅成は俯いたままで動かない。開始直後よりも視線を落としている。
これは明らかに自身の異能が永宮雅成に届いているという証拠だろう。
この時の淵江敦に訪れていた高揚感を何と例えればいいのか。
それは天帝近衛四家という名家の出身であり、ランク4という格上の実力を持つ相手に勝ったのだという優越感そして愉悦。
淵江敦は決して善良な人間では無いが、不真面目な人間では無い。
〈落下弁〉、それは淵江敦の性格から生まれた異能。自身を磨くよりも他者を落とした方が良いとする彼の性格故のもの。
故にこの状況は淵江敦にとって夢にまで見た下克上。
優越と愉悦、この二つの感情。この二つの感情を持ってしまったが故に……彼はミスをする。
「なぁ!このままだと長くなるだけだぁ降参しろよ!」
「良いだろう」
「ははッ!じゃあ降……」
「もう良いだろう。そんなに長く感じるならさっさと終わらせてやる、お望みならな」
「参しろ……って、え?」
それは地雷ではない。トラウマでもない。
彼は一つ忘れていたのだ、それはこの異能を真面に対人で使った経験が乏しかったから。そして彼自身、対人関係が希薄だったから。
人間によってはある一定のラインで、その気分の低下が感情の爆発になるという事を。
「――――」
瞬間、永宮雅成の周囲に複数の球体が出現する。
否、それは球体ではない。それは握り拳程の大きさの岩塊。赤き炎で燃え盛る、複数の岩塊が永宮雅成を囲う様にして宙を浮いていた。
それはまるで、絵本に出てくるような流星にそっくりな光景。或いは映画で見るような隕石か。
そんな創作と異なるのは、目の前の火球が現実であるという事。そして今から自分に襲いかかるのだという事。
淵江敦は理解した。
いや理解させられた。
目の前の少年と、自分との差を。そこに存在している圧倒的な格の違いを。
小手先の自分の異能では、その精神すら揺るがす事が叶わない。ランク3とランク4の境界線。
「異能力……」
「わ、分かった!!こ、こうさ――」
「〈流星〉」
降参を宣言するよりも早く、最早彼の異能は展開されている。
けたたましい爆発音と衝突音。それが永宮雅成の生み出した燃える岩塊の数だけ継続する。
それはあたかも流星が空を流れる様子。
極小の流星が生み出した熱波が閉じられた空間である実習室に吹き荒れる。
後に残ったのはぼろ雑巾の様にのされ、ステージの上で気迫なく転がっている淵江敦の姿。
確認するまでもない、敗北者の姿だった。
■◇■
「勝者、永宮雅成!」
杠の言葉によって、試合が完全に終えられる。
勝敗を言い終えると杠はそのまま倒れている淵江敦の元へ近寄り容態を確認した。
「……うん、良かった。怪我はあるけど意識が無いだけだね」
「大丈夫ですよ、手加減はしましたから」
「そうだね……すぐに彼を救護室に運んで!」
ロボットが淵江敦を運んでいく。
本日では安彦元以来の救護室に運ばれていく生徒。安彦元は骨折の危険性から救護室に運ばれたが、淵江敦の場合はその身体を検査する為。
見た目が無事、意識が無いだけだと言っても内部ではどうなっているかは分からない。
「…………」
淵江敦が運ばれていく間。多くの生徒は何も声を出せないでいた。
実習室の中は静まり返り、世間話すら聞こえない。
安彦元が言っていた、手加減こそ失礼だと。
なら手加減をしたと自ら言った永宮雅成はどうだろう。彼が本当に手加減をしなければ今頃、淵江敦は意識を失っているだけで済んでいたのだろうか。
きっと済んでいなかった。
この場にいる生徒の多くは理解した。これが、これからなのだと。
戦闘経験の薄い、或いは皆無の未だ若き異能力者達。彼等が身を置く事になる世界は、これが普通になるのだという事を理解したのだ。
「はいはい!みんな、怖がることは無いよ」
パンッ、と手を叩く音で生徒達がステージに目を向ける。
既に永宮雅成はステージから降りて、集団とは少し離れた場所に戻っていた。
「これは今、今の所はって話なんだ。君達はまだまだこれからなんだから。永宮くんの戦いを見て自分では無理だーとか、もう無理だーとか考える事は無いんだよ。君達はこれから三年、いやもっと長い期間自分で自分を鍛えていく事になる。それが異能者なんだからね」
杠は教師らしく生徒達に話かけるが、その言葉を聞いて「はいそうですか」と全員が納得する訳が無い。それだけのインパクトが今の試合には存在していた。
実際に自分の目で見る事で、気が付く事は余りにも多い。
「さっ!残り三試合なんだけど……そうだね、少し休憩しようか。時間は巻いてるし余裕があるからね。十分間の休憩!お手洗いとかは今の内に!」
■◇■
少しづつ会話や賑わいを取り戻す実習室を後に、彼は一人呼吸を整えながら歩いていた。
恐らく注目されているだろう事は理解していたが、しかしその場に留まる事も出来ず、結果として場を後にした。
休憩は十分。それ程時間は無いが、しかし彼はこの時間が必要だと判断していた。それは他ならない自分の為に。
「はぁッ……はぁッ………はぁッ…………!」
あの異能は確実に彼の精神を削り取っていた。
それは彼が自覚するよりも早く。だからこそ彼は決着を急いだ、自分自身の醜さをこれ以上晒さない為にも強引に片を付けた。
彼は慎重だった。誰よりも誠実であろうとした。それが彼の失敗を生みだしていた。
しかし、あの場において自分はそうあれただろうか、疑問が自分自身を襲う。
「大丈夫だ……大丈夫……」
あの異能〈落下弁〉には淵江敦も知らないもう一つの効果が存在していた。というよりは過程における一つの誤解が存在していた。
淵江敦は自分の異能を単に相手の気分を下げる異能だと認識していた。それは正しいし、結果的にはそうなるのだから普通は問題ない。
しかし彼は特異な存在だった。
彼は自負している。自分が優れた人間である事、そして責任を背負う義務がある人間である事を。
故に彼にとって殆どの失敗は落ち込むに値しないし、彼の気分が落ち込むことは滅多に無い。それは誇りと言い換えてもいい、彼が彼自身にかけた一種の誓約。
その誓約が彼を彼足らしめている、彼のパーソナリティ。
なら彼の気分を下げるにはどうするのか。
〈落下弁〉は対象の気分を下げる異能。そしてそれは『過去の気分の再現』という形で行われる。
これが〈落下弁〉が態々根を対象に張らなければならない理由。根を通して過去の思い出を呼び起こす。故に時間はかかるが確実に対象の気分を下げられる。
その再現には記憶は伴わないが気分の低下は当時の様に発生する。
普通の人間は小さな事でも気分を落胆させる。ゴミ箱にゴミが入らなかった、電気を消し忘れていた、電車に間に合わなかった。そうした気分の落胆は表装のもの、記憶にも残らないかもしれない。
〈落下弁〉の侵食とはそういうもの。故に気分の低下は徐々に起こる。
ならば彼は?彼はどうなのだろうか。
彼はそんな事では気分を落胆させはしない。揺らがない。
ならば〈落下弁〉が抽出する過去の記憶は……どんなものを再現するのか。
「…………母さん」
十分。短すぎる時間。
しかし息を整えるには十分な時間。
彼は優れた人間だ、客観的に自分が陥っている状況を判断し、冷静になれる。
手加減をした事も、実習室から抜け出した事も、彼が気分をコントロール出来た証拠。衝動的に強引な手を用いたが、結果的に大事には至らなかった。
休憩が終わる。戻る時間を考えてもそろそろ動かなければならない。
彼はもたれかかっていた壁から背を離した。
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