その四
よし!行こう。
パチパチと顔をはたいて気合いを入れ直し、また鋭く走り出す。
まだまだ半分以上ある。
走りながら先のことを考えると、どうしても気持ちが重くなる。
気力を保つ為の方便に、短距離の目標を無意識に作っていた。
とにかく次の信号、次の電信柱、次の標識。
ただそれだけを目指して、その他の事を意識しないように心がけながら、なおも急峻な峠道を登ったり下ったり、果てしなく繰り返しながらただただ無心に走り続けた。
ごうごうと唸りを上げるエンジンの行き交う大型トラックはやはり恐ろしい。
それでも夜に比べれば視界が開けただけで数段にマシだった。
道程の七八割程まで来たときに、大きな公園が見えた。
一望にできない広々とした清らかそうな池水と、その周囲を囲んでいる様子のこじゃれたウッドデッキの遊歩道と、犬を連れた人々がのどかに逍遙する爽やかな緑の果てしない芝生と。
柵の外側をずっと走りながら、続く柔らかい景色にフラと吸い寄せられそうになった。
ずっと道々の標識にも後何キロと度々表示されていたので、さぞ有名な公園なのだろう。
気付けば既に午後一時である。
昨夜からの遠路に、気力も萎えていた。
さすがに肉体の疲労も甚だしく、広い公園でゆっくり横になったら気持ちよかろうな、という甘い誘惑に抗う術はなかった。
思わずフラフラと公園の入口に入って自転車を停めると、まるで甘い香りに吸い寄せられる小さな虫の様に、ただただ池のほとりへと向かってよろよろ歩き出していた。
公園には古い巨木が整備されながらも自然のまま生かされていて、青葉繁れる無数の木々ときれいに整備された芝生との対比が目にも鮮やかに美しい。その向こう、透き通った水辺にさざ波がチャプチャプと揺らめいている。
激しいエンジンの機械音に疲れはてた両耳に、そよ風が運ぶ自然の囁きが限り無く心地好くかつ爽やかであった。
人気の少ない木陰の、手を伸ばせば届きそうな清い水のほとりに、鉛のように重たくなった腰を下ろす。
水面を見つめながら、持ってきたおせんべいを二三枚かじっている内に、猛烈な眠気が意識の全てを覆い尽くしていた。
水面のさざ波に寄り添って遠く人々ののどかに笑う声が聞こえてくる。
ああ、これだ。
今の自分が失ってしまったほのぼのとした世界。
それを微かにでも取り戻したくて、家出同然の小さな旅に出たのだ。
老若男女の幸せそうな笑い声が風に揺れる木の葉の音と重なりながら、次第に遠退いてゆく。
気が付けば陽は傾いて大気が少し薄暗くなっている。
見渡せば、のどかな景色に人影はまばらであった。
ぼんやりとした半熟卵のような意識の中で、遠く自治体のスピーカーが鳴らす夕方のメロディを聞きながら、しばし甘い感傷に浸っていた。
やがて立ち上がり、夕陽を映す柔らかな水面を前に大きなあくびを二つ三つして、すっかり疲労の抜けた実感を五体に抱きながら、駐輪場へと走り出した。
途中、紫の美しい花が咲いていた。
いや、今なら分かりきっている。
公園内に咲いているのだから勝手に自生しているのではなく、ちゃんと手入れをされて育てている植物であるに決まっているのだが、愚かな少年はささやかに群生していた二十センチ程に成長している健気な花を二本、ボキリと手折ってしまった。
軽い気持ちだった。
手ぶらで行くのもなぁという程度の気持ちで、罪の意識もなくお土産に選んだのだった。
花を前かごに入れて、自転車にまたがる。
足が、軽い。
これなら陽の沈みきる迄にY子の家にたどり着ける。
今度は家を出るときのやわな机上の空論ではなく、今の自分の肉体の声がはっきりとそう断言していた。
夕陽が沈みかける頃、Y子の住む住宅街にたどり着いた。
まだほんのりと明るい。
道沿いの家々の台所に蛍光灯の明かりがともって、グツグツとカレーを煮込むスパイシーな香りやら魚を焼く芳ばしい匂いやらが、道行く私の鼻をくすぐった。
やがて立ちどまる。
新築の、きれいな庭のある二階建ての家屋の白い門にY子の家の表札がある。
ここまで来て、インターホンを押す勇気がなかった。
急に冷静になってしまった。
まず、Y子なり、そのお母さんなり、そもそも私の存在を覚えているだろうか?
仮に覚えていたとしても、リアルタイムで半年も会っていなかった唐突な訪問者をどんな感情で出迎えれば良いかと困惑してしまうのではないか?
よしんばY子がひょっこり出てきた時に、私はなんと言えば良いのか?
急に分からなくなったのである。
また、なんでここまでわざわざ来たのか、上手く説明する自信がなかった。
自転車を降りて、私はぼんやりと門扉の前で立ち尽くすしかなかった。