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家出  作者: 若葉
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その一


同じ時間に同じ電車で乗り合わせる人達がいる。


田舎の朝である。だいたい同じ面子になる。


地方都市へ向かう五両編成。

私と同じく疲れた面持ちのサラリーマンが三人。この間まで中学生だったであろう初々しい高校生の男子が五人、女子が六人。皆で仲良くお喋りしながら毎朝駅へと歩いてくる。


初夏のある日、男子が一人姿を消した。数日して女子が一人、現れなくなった。


たった二人分の座席が空白となっただけで、車内は随分とがらんとした空気を醸し出していた。


いつものメンバーもどこか狼狽えた面持ちで、常の大きな声での雑談もこのところはやけにひっそりとしている。

不登校か。

家出か。

偶々二人共々に風邪でもひいたのか。

転校にはまだ早すぎるだろうし、何だろう。


彼等彼女等の真向かいにいつものように座りながら、私は秘かに心穏やかではなかった。


思い返せば、二月近くもほとんど毎日電車で顔を合わせていながら、消失した二人がどんな顔だったか声だったか容姿だったか、甚だ定かではない。記憶のなかでモヤがかかっているような、もどかしさ。

車内に今も俯いてスマホをいじっている面子はどれもアクの濃い連中である。

もしや連中にいじめ、とまでは行かなくとも、行動を共にするうちに軽い疎外感を覚えて同じ電車を避けるようになったのかも知れない。

何をそんな。

とも思う。

しかし、感受性豊かな若人は我々中年の思うより遥かにセンシティブであるから、あり得ない事でもないだろう。

スクールカーストなんぞという、遥かに昔から存在したけれども敢えて言わなくてもよさそうな概念までもしっかり意識しなければならない今の若い人々はさぞや息苦しいだろうと思う。それは時には逃げたくなるだろうと思う。


大丈夫かなぁ?

元気かなぁ?

また姿を見せると良いがなぁ。



昨日の朝食もろくに覚えていない愚かでいい加減な中年親父が、一応そんな心配をする位には、いなくなった二人は全く曖昧かつ地味で頼りなさげな、いわば存在感の薄い儚げな二人であった。



世代の違う他人事とはいえ、一寸ばかり心配だった。


そう言えば、中学一年生の今頃、私も小さな家出をした事があった。

小学校卒業まで仲のよかった女の子の引っ越した転居先へと、手紙の住所を頼りに県を越えてボロい自転車で走って行ったのだ。


その頃、学校でも家庭でもなんだか上手くいかなくなっていた。


おいおい、そりゃないだろう?はははダセェな。何を睨んでいるんだよ。ウケる。冗談だろうがよ。


後輩のくせに生意気だよな、調子に乗るなよガキが。

あんた、なにやってんのよ、しっかりしてよお母さんもお父さんもあんたを思って怒っているんだからね。何よ、その不満そうな顔つきは?


へらへら笑いながら発せられる皆の言葉がやけに鬱陶しく尊大であるように思われて、不愉快なそれらに真顔で一々激しく反応していた。



うるさい!ふざけるなよ!


反抗期という奴だったのだろうか。

或いは、もう中学生なんだ、子供じゃないんだ、という自尊心の発育に伴う尖った感情の発露であったのであろうか。

一寸した先輩や友人のからかい、又は親のお小言が酷く不愉快であった。

彼等の放つ一言一言が一々胸を刺し、自身への許しがたい尊厳の損傷である様に感ぜられていた。


毎日苛立ち、親にも先輩にも友人にも突っ張った態度で接した。実際に大きな声で怒鳴ってもいた。

結果としては自業自得なのであろうが、その頃の私はどこでも孤立していた。


来る日も来る日も苛立ちながら、軽い疎外感を伴う寂しい気持ちがいつでも常に私の心に渦を巻いている。

大袈裟にいうところの厭世感というか人間不信というか、曖昧ながらも虚しい感覚に陥っていた。



どれもこれも、今にして思えば些細な表情や言葉の行き違いだったのだ。


ゆとりを持って笑いながら受け流せれば、何でもない日常会話の一コマだったのだ。

けれども、その頃の私は親教師も友達も、身近な誰もがちょっと信じられなくなって、学校から帰ってはピシッとドアを閉めて部屋に閉じ籠る日々が続いていた。



その頃は今みたいにネットも普及して無くて、かつて読んだ古い漫画雑誌を読み返したり、こっそりと居間からかっぱらってきたおせんべいをかじりながら、部屋の窓際に置いてある十四型の小さなテレビをぼんやりと眺めたりしていた。


馬鹿馬鹿しいお笑いを見てアハハと笑いながら、脳裏の片隅には不安が常に付きまとっていた。

テレビに出てくる芸人さん達は本当に心から笑っているのだろうか。学校にいる時の自分の様に空気を読んで詰まらなくても笑っているのではないか。

楽しい空間を維持するために、必死なのではなかろうか。


それでよいのか!


今の自分は無気力に、芸能人も一般人も、コミュニケーション能力が必須なのだから、愛想笑いも、まぁそれもビジネスでしょうからねと、自身が自分の心にお愛想笑いをしてまで慰めるような寂しい人間に成り果ててしまった。


あの頃は違った。

ただ虚しかった。


自分も嘘だ。親も教師も友達も兄弟も世間も、誰もが皆、腹のなかに黒い一物を抱えながら互いにごまかしごまかし生きている。

その当然の日常が酷く虚しく不潔なものに感ぜられた。

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