人生という名の数奇なパズル
長い波を見つめて、さらに奥を見つめて。
白い光に惹かれた、青い悪魔の歌が、無数の声なき歌が、たしかに聞こえた気がした。
洞窟の中は薄暗く、手持ちのライトでは照らしきれない。
なるべく広範囲を照らすために、上に向けた。幾何学な幾重にもなる模様が、こちらをじっと見つめていた。
空間を支配する糸が、プツンと音をたてて切れた。瞬間から、人は畏れを忘れた。
まさしくいなくなったのだと思った。
しかし、それは人の傲慢であった。
我々の意識に、敬うという精神、他者を気遣うという精神が不足したからこその断絶であった。たしかに死んだ。
ただ、無ではなかった。
あり続けるものがそこにはあった。
意味はない。意識も恐らくない。
ただあるだけの空虚な器。
ある時、気づく時ぐ来る。
あの器は、自分自身のことであったのだと。
器は語らない、語れない。
故に知識として人から人に世代を超えて伝播していく可能性もない。
悲しい器だと思っていた。
器は満たされない。
満たされることはない。
溢れ出す時があるとするならば、それは崩壊の時だ。
崩れて無くなって、それでも残る。
チリやカスが、また新しい可能性となる。
希望はない。夢もない。
ただ、朽ち果てていく。
朽ち果てて、そしてまた現れる。
一進一退の攻防、と思いきや一方的に削られていく。
削られて削られて、芯が残る。
芯が、大革命を起こす。
それが歴史の偶然の産物。
流れてゆく景色が、すべて光の中に、あるいは闇の中に埋もれていく。
人は知ることができる。
あるいは、できた。
見ないこともできる。
あるいは、見ないようにしている。
取り返しがつくかつかないか、で言えばギリギリのラインなのかもしれない。
しかし、それは大きな視点から見るとどちらでも良いものだ。
生かすも殺すも、生者にのみ与えられて特権である。
権利は義務を必要とする。
義務は履行しなければならない。
当然、報いを受ける。
そして、また新しい朝が始まる。
新しい朝は、雨模様。
陽の光など感じられない、仄暗い光の世界。
世界は反転した。 世界は相反した。 世界は反撥した。
弾けて飛んで、ばらばらな点が、無数の点が、散り散りなった点が、共鳴した。
感覚的共有は、愛に近い。
衝突は覚醒の刻。
瞬間が永続的に世界を支配する。
支配は、反逆者の理性で撃ち砕かれて、事態が変化する。
雨より冷たい。冷たい世界を。
死んで、死んでも死に切れない冷たい世界は、磯の香りがする。
外側からではアクセスできない感情の波に流されて漂流する。
理性の舟は矮小すぎて流される。
遭難したところで、感覚的な共有があれば逃れる術もあるやもしれない。
狂ったような月も、無慈悲な太陽も、風も波も、すべてを味方に。
砕けてなくなる人生の中。
生きることの意味を問われ、生きる意味の無意味さを知る。
生きること、生きていること、そのものに価値などないのであった、と。
何人たりとも、辿り着けない場所。
薄い空気に淡い光、不釣り合いな月。
存在することが、存在しないことの証明であり、存在しないことがそこがあることの証明であった。
なるべき未来は枯れ果ててしまったので、何もないが、何もないがある。
何もない( )は、T.J.と言う。
記憶にはない。
記録でもない。
感情は遠の昔に錆びれてしまった。
感覚が鈍い。
本能とは何者だろうか。
歩いていればいつか着くのか?