第6話 「まさか人の寝こみを襲おうとしてた?」
人肉が焼け焦げる、酷い臭いが立ち込めていた。
至るところで悲鳴が折り重なろうとして、けれどそうなる前に喉が焼けたか、叫声の洪水は崩れ落ちていく。
おぞましい世界を前に、幼き日の東雲一基は立ち尽くしていた。
こんな世界を変えたくて、彼は魔術師になった。魔術で誰かが死んでしまわないように、悲しむ人を出さないように、自分のその身だけを犠牲にするつもりだった。
けれど、結果はどうだ?
自分はただ無傷で立ち尽くすだけ。
周囲の誰も、救えない。
「……どうすれば、いい……」
発動されたのは、《死の業火》という高等呪術。指定した範囲の生物を一つずつ焼き殺していく、残虐非道な魔術だ。炎に呑まれる前であれば魔術の走査から逃れることも出来るが、一度炎に包まれてしまえば助かる術などない。たとえそれが、世界有数の魔術師であろうとも。
その触れ込みには、偽りなどなかった。
何故なら。
現に目の前にいる独立十字騎士団の仲間が、炎に焼かれているのだから。
もがき苦しむ様から、目を逸らすことさえ出来なかった。
手を差し伸べれば、その手を伝って己の身が焼き尽くされる。水をかけようが消火器をぶちまけようが、意味はない。魔術で構築された『消えない炎』は、物理現象の枠を逸脱している。
助けたかった。
不幸な人を出したくなかった。
だから彼は、この手に刃を握ったと言うのに。
その刃は、ただの棒切れよりも役に立たなかった。
「……う……」
目の前の仲間が、声を絞り出す。
きっと辞世の句か何かだ。それだけは聞いて、彼の家族に伝えねばならない。そう思った。既に自身の柱が壊れていると知った上で、それでも最後の彼の望みを叶えようと思った。
けれど、それは違った。
「……後ろ、だ……。カズキ……っ」
直後、後方で燃え盛っていた建築物が、いよいよ自重さえ支え切れなくなって崩れ始めた。
目の前の仲間の言葉がなければ、回避は遅れたかもしれない。
そして。
それを避けた一基の目の前で、炎に包まれた仲間は瓦礫の塊に圧殺された。
「……あ……?」
全身の細胞が、理解を拒む。
彼の最期の言葉が助けを求めるものであれば、たとえどんな手を使おうと助けようとした。この世を呪う言葉であれば、どれほどの重荷を背負うことになったとしても、一基は世界を変えようとしたはずだ。そうであれば、どれだけ一基が救われたことだろう。
そういう人間だった東雲一基の目の前で、彼は最期の最期に、その一基を助ける言葉を口にした。
徐々に、染み込むように理解が広がる。
東雲一基と言う人間は、救うのではなく、救われる側であると。
彼の手では、一人の仲間の心を救済することさえ許されないと。
「――っぁぁあああ!!」
その事実から逃れるように、一基はがむしゃらに走り出した。
まだ状況は中断されていない。団長がまだ撤退を命じていない。それでも一基は任務など放り出した。
そんな中で、小さな何かが聞こえた。
それは泣き声だ。
この絶望の中で、まだ炎に呑まれることなく助けを求める幼い子供の声だった。
すがるような思いだった。
必死で走り、小学生くらいの茶髪の少女を見つけた。そのまま転がるように彼女の傍に駆け寄り、《死の業火》の索敵から逃れる防護魔術を展開する。これで《死の業火》によって焼き殺される恐れはなくなった。
救えただろうか、と僅かに過った一基の視界に何かが映る。
真っ黒い何かがあった。
それは、きっと、彼女の家族だったものだ。
そうして一基は気付く。彼女はもう大切な何かを失ってしまった後だったのだ、と。
ただ枯れ果てた涙を流して、東雲一基は自分の肩を抱き締めるように爪を立てる。
――一人を救えないだけならば、まだ道はあったのかもしれない。ヒビだらけの心は、それでもまだ持ち堪えてくれたかもしれない。
だが、これは駄目だ。こんな短い間に二度もその衝撃を受けて、まだ少年だった心が耐えられる訳がなかった。
何の為に戦ってきた?
何の為に刃を握り締めた?
その問いの答えが、目の前で失われていく。
一基の胸が捻じれ、押し潰され、引き千切られる。
「お、れには……っ」
現実が、濁流のように押し寄せる。
とうに壊れたその身体を呑みこみ、肉も、骨も、温度さえをも奪っていく。
「俺には、救えない……っ」
誰も、何も、救えない。
空虚な絶叫が、火の粉舞う空へ呑み込まれていく――……
*
「――き様! 一基様!!」
言葉と共に、意識が無理やり引きずり上げられる。
反射的に跳ね起きた一基の額が、何かと衝突する。目の前がチカチカするような、鈍い衝撃があった。
「イッテェ……」
「痛いです……」
額を抑えながら横を見ると、同じく額を抑えている真咲がいた。朝っぱらだと言うのに既にメイド服を着ていることには、ツッコミを入れまいと一基は決意する。
「何してんの、お前……。まさか人の寝こみを襲おうとしてた?」
「その疑いは心外です!」
憤慨する真咲は置いて、一基は自分の姿を見下ろす。本当に襲われた形跡はないが、ただ汗にまみれていて指先が微かに震えていた。
「大丈夫、ですか? 酷くうなされていましたけど」
「……いつものことだ」
適当に言いながら、一基はベッド代わりにしていた応接室のソファから降りる。
一基のベッドは、現在暫定的に真咲が使用している。真咲は当然「わたしがソファで寝ますから!」と言っていたが、一基としては流石に子供をそんなところに寝させる訳にもいかない。
「やっぱり、ソファで寝るから熟睡できなかったのでは……」
「普段から割とソファで寝る確率高いし、お前が気にすることじゃねぇよ」
悪夢にうなされるのは、特別変わったことではない。
東雲一基にとって、それはもう日常の一部になってしまった。
「ですが、一基様が辛そうに見えたものですから……」
「言っただろ、お前が気にすることじゃない」
ピリッとした空気を、一基はあえて作った。真咲にそれ以上踏み込ませない為に。
彼女は優しい。だから、きっと慰めようとする。
それはあってはならない。
あの罪はただ自分の胸の中に溜めこみ、醸成し、その身を焦がす炎としなければならないのだから。
「そうですか。――では、朝食のご用意をしますね。一基様は支度をなさっていて下さいませ」
「そうさせてもらうよ」
真咲もちゃんと何かを感じ取ったらしく、ただ頷いてくれていた。
明らかに一基の異常を察知した上で、それでも疑問や好奇心を押し殺してくれると言うのは、実はとても難しいことだ。
それを成し遂げてくれた真咲に口内で礼を紡ぎ、一基は一階の自室へ向かおうとする。
そんなときだった。
ピンポーン、と。
再三に亘って『非日常』を運び続けてきたインターホンが、またしても鳴り響いた。珍しい、珍しすぎて怪しいほどの、三日連続の来客だった。
「……お客さまでしょうか?」
「クローズドの札がかかってるし、違うと思うぞ。騎士団の誰かかもしれねぇけど」
昨日の午後は、女ライダー襲撃の件で騎士団の日本支部の人間から散々っぱら事情を聴取されていた。基本的に魔術絡みの事件は法の埒外の存在である為、過剰だろうが正当だろうが防衛であればそれは認められるし、特に罪もない。まして相手は国際的テロ魔術結社だ。どちらかと言えば昨日の聴取は、『浄化の星』に関して他に有力な情報はないか、という捜査の一環であった色合いが強い。
それでも逮捕権などを有していない彼らにそれほどの捜査能力はないし、一基が協力的だったこともあり、昨日の聴取でほとんど終わったはずだ。
閉まっていると分かった上で来訪してくるような親しい友人も、この近辺にはいない。基本的には、当時の独立十字騎士団のメンバーくらいしか友人と呼べるものもいないのだが、彼らのほとんどはドイツの本部にいるし、そもそも自分よりも年上のオジサンたちは友人というジャンルとはやや違う。日本支部の連中は軒並み見ず知らずで、昨日の聴取のときも一基が元騎士団の出だとは知らなかった。
ドイツの彼らも忙しいし、わざわざ国外にまで遊びには来ないだろう。何か重要な、魔術に絡んだ用件でもあれば別だが――
「……あ。そうか」
そこまで考えて、一基は結論に至る。
「一基様。もしかしてまた魔術師でしょうか」
「確かに警戒するのは分かるが、俺の勘があってるなら招いても大丈夫だ。――魔術師には違いねぇだろうけどな」
そう言って、一基はTシャツにハーフパンツという寝巻姿のまま玄関を開ける。それは、相手が客人ではないと確信しているからだ。
がちゃり、と扉を開けた先に立っていたのは金髪碧眼の外国人女性だった。ラテン系の血の混じった白人らしい整った顔立ちをしていて、高身長かつ圧巻のボディラインを誇っている。
身に纏う黒のスリムなロングコートには、金色の華美な装飾があった。それは、彼女がある組織において最上級階級に立つことを示す飾緒だ。
彼女のことを知っていようが知っていまいが、思わず身なりを正してしまうのが道理に感じてしまうような、そんな存在だった。
その彼女が、一基の姿を見てにやりと笑う。
「来ちゃった」
「アホなこと言う前に用件を話せ、用件を」
てへ、と年甲斐もなく舌を出す彼女に呆れたため息をついた一基は、そこでようやく後ろの異変に気付いた。
振り返った先にいた神崎真咲は、顔全体が青ざめ、目を点にし、顎が外れたかと言うくらいに口を開けていた。
「……か、一基様に恋人が!? どど、どうしましょう! ライバルが金髪碧眼美人って、わたしとキャラがかぶってます!」
「いや、お前は碧眼じゃねぇし全然キャラかぶってねぇよ、何言ってんだ」
「恋人の方を否定しない!?」
いよいよ本気で泣きそうになる真咲に頭を抱えながら、一基は扉を開け放ってそこに立つ金髪女性を紹介する。
「あのな、別にその人は恋人でもねぇよ」
そう言った一基の横に立ち、金髪碧眼の女性は真咲に満面の笑みを向けた。
「私はセレーナ・ローゼンクロイツ。独立十字騎士団の現団長で、カズキの義姉よ。よろしくね、可愛い可愛いメイドさん」
「――へ?」
土産物のあかべこみたいな顔をして、真咲が硬直する。
そして、義姉というフレーズに対してなのか独立十字騎士団というフレーズに対してか、とにかく特大の驚愕を浮かべて絶叫する。
「えぇぇぇぇぇえええええ!?」




