第2話 「ご主人様のお手伝いを」
「では、また調査が終わりましたら改めてご連絡差し上げますので」
ぺこりと頭を下げて、玄関先まで一基は依頼人を見送っていた。
しかし九月半ばとは言え冷房を利かせていたにもかかわらず、去り際の依頼人の額には変な汗が滲んでいた。
その原因など、決まっている。
「……もう一度だけ訊くぞ」
少々乱暴に扉を閉めて、一基は背後に立つ神崎真咲を睨みつける。
「何してんだテメェ」
「ご主人様のお手伝いを」
にっこりと浮かべた満面の笑みと共に、真咲は片足を斜め後ろに引いて少しかがみ、おまけにスカートの端まで少し摘まんでいた。見事なくらい日本人の知るカーテシーだった。
身に纏うのは白と黒のフリルの衣装。しっかりカチューシャまで付け、白のニーハイソックスまで合わせた、完全完璧なミニスカメイド服である。
「要らねぇ世話を焼くんじゃねぇよ、依頼人ドン引きしてただろうが! あといつどこで着替えてきたんだ!?」
「女性にそういうことを尋ねるのは失礼ですよ、ご主人様」
前半の説教は華麗にスルーして、真咲は適当に一基をたしなめる。どうにも「これが私の仕事だ」と圧力をかけて来ている。
「ところで、紅茶のお味はいかがでしたか?」
「っぐ、おいしかった、です……」
それを言われてしまうと、強くは反論できなかった。
気を利かせた真咲が、依頼人に振る舞うように、と勝手に階下の台所を使って紅茶を入れてきたのだが、しかしそれがまた絶品だった。茶葉など先程真咲に出したのと同じティーバッグの安物しかないのだが、淹れ方一つでここまで化けるかと驚愕したほどだ。
依頼人もその味に感心し、いきなり現れたメイドに対する警戒も僅かに解けていた。
それは歴とした事実で認めざるを得ないから、一基も真咲を無下には扱いづらくなっている。これがおそらく真咲の作戦なのだろうとは理解しているが、もう既に「雇ったら便利かも」と思わされ始めてしまっている。
(待て、これは真咲の罠だ……っ! 俺の胃袋から懐柔しようと――)
「ところで一基様。紅茶のおかわりはいかがでしょうか?」
「……貰う」
逡巡した結果、結局一基は罠だと理解した上でそう答えていた。どうやらもう罠の中に入った後だったらしい。
「はい」
頼まれること自体が嬉しいのか、花が咲くような笑顔で答えて真咲は紅茶を淹れ始めた。ティーバッグの安物だと言うのに、一つ一つの動作が丁寧だった。
コトっと差し出された二杯目の紅茶に、一基は口を付ける。いつも飲んでいるものと同じ茶葉だとは思えないほど薫り高く、思わず顔も心もほころんでしまう。
「美味い。お前、紅茶好きなの?」
「いえ、わたしはコーヒーも紅茶も進んでは飲まないですよ。――でも、ご主人様に美味しく飲んで頂ければ、と思って頑張って勉強しました」
「お、おう……」
予想していなかったタイミングでの攻撃に、思わず一基も動揺してしまった。先程のようなストレートな告白よりも、今の献身的なフレーズは少なからず心に響いてしまう。
「どうでしょう、雇って下さる気にはなりましたか?」
「それはない」
きっぱり答えると、真咲は不貞腐れたように頬を膨らませていた。
「あんなに美味しそうに飲んで下さったのに」
「それとこれとは関係ないだろ……。いいから、本当に暗くなる前に帰れよ」
「明るくても乙女を一人で歩かせるのは危ないですよ? ここは一晩泊めていただいて、明日に正式採用と言うことでどうでしょう?」
「一人で勝手に来たんだろうが……。変態さんの上におバカさんなのか……?」
「だから忘れて下さいってば!」
可愛らしく顔を真っ赤にして真咲は怒鳴るが、しかしあのセンセーショナルな光景を忘れろと言うのは無理がある。
八歳も年下で美少女、という二つの要因が免罪符になっているが、普通の男子高校生が気になる女子の荷物の匂いを嗅いでいたら、生徒指導室に呼び出されるレベルだ。『リコーダーぺろぺろ』の次点くらいに君臨する社会的にアウトな行為である。
「……まぁでも、確かに危ないのか……? そう言えば最近魔術絡みで――……」
一人暮らしの長さが災いしたか、思わず独りごとを呟いてしまっていた。やや遅れてようやく一基は自らの失言に気付き、はっと真咲の方を向く。そこでは、にんまりと笑みを浮かべた真咲が、ハンカチを取り出して涙など出てもいないのに目元を拭い始めた。
「わたし、このままほっぽり出されて悪い魔術師に襲われちゃうんだー。一基様が見捨てたからわたしは襲われてしまうんだわー」
「棒読みがこの上ないぞ……」
真咲は同情を誘おうとしているようだが、一基としてはいら立ちを掻き立てられていた。
しかし、真咲の言うこともただの被害妄想や冗談ではない。
現状、一基も知り得ない魔術師の動きが街のあちこちで見られる。ピリピリとした殺気のような気配が充満していて、感知できるレベルの魔術師であれば息が詰まる。
そんな中でふらふらと歩いていればどうなるか。見習いとは言えどの程度魔術に精通しているか分からない以上、やられるまえにやれ理論で真咲が襲われる可能性もなくはない。
「……仕方ねぇか。今日一日は職場体験をしてもらう。で、その後、雇うに足る人材かどうかの判断をします」
その判断は当然一基が行うことになる。重箱の隅をつつくような文句だろうと、平穏無事に真咲を追い返すことは可能になる。
そして、今日さえ乗り切れば、明日以降は適当な魔術的保護団体に預けてしまえばいい。その伝手くらいは一基も持っている。
「はい、頑張ります!」
しかし真咲は、他の追随を許さぬようなポジティブシンキングで拳をぎゅっと握る。一基の思惑など気付いていないのか、むしろ一層やる気を滾らせているほどだ。
「……もしかして、大人の汚い『検討します』を真に受けてしまうような、ただの馬鹿なんだろうか」
「ご主人様の暴言はさておくとして、わたしは何をしたらいいでしょうか」
「まずはご主人様っていう呼び方を変えようか」
「では、一基様で」
「……まぁ、まだマシかなぁ……?」
微妙に自分の感覚が麻痺してきているような気がしないでもないが、とりあえず一基はその呼び方くらいは認めておくことにする。
「で、仕事だっけか。見ての通り暇だから特にはねぇよ。それより、魔術的な知識ってどれくらい持ってんだ?」
「何も」
「……はい?」
「ですから、何にも知りませんよ?」
真咲はきょとんとした顔で答えるが、その顔をしたいのは一基の方だ。
「……魔術師見習いだって言うのに魔術のことを知らねぇのかよ……」
「一基様のことを調べた過程の副産物で存在を知っただけで、誰かに教わったことはありませんから」
「その発言、ストーカーっぽいからやめようぜ……」
そもそも秘匿されねばならない存在である魔術を、ただの恋心で一基を追いかける最中で見つける、と言うのもおかしな話ではある。どうやって彼女がその片鱗だけでも知り得たのか、大きな疑問だ。
「まぁ、基本は隠さなきゃいけないことなんだが……。そうだな。自衛の為に魔術の知識はあった方がいい。仕組みを知っているのと知らないのとじゃ、対面したときの恐怖の度合いは全然違うだろうし」
「一基様は心が大きいですね!」
「ふっふーん。もっと言ってもいいんだぜ?」
大きいというフレーズに気を良くした一基は、今日一番の笑顔で講釈を始める。「もしかして、チョロい……?」と真咲が思ったことに気付いた様子はない。
「魔術が作用するのは、世界の外側だ。――現実世界に例えるなら、そうだな。チートツールとかマクロとか、『本来内部で完結する作業を外部から強制的に行う』ものだ」
「……それって、簡単じゃないですよね?」
「まぁな。そもそもまともな人間には、世界の外側なんて分からない。プログラマーでもなければ、OSがどんな言語で成り立っているのかも分からないのと同じ理屈だ」
「どうやって一基さんはそれを認識しているんですか?」
「実のところ、俺も認識してはいない。認識しているのは『使い魔』だ」
一基はそう言いながら、丁度事務机の上にあったノートパソコンを指差した。
「魔術師は使い魔を通すことで、ようやく魔術が行使できる。これもまた例えると、ゲームエンジンみたいなもんだな。本来必要となる複雑なものを理解せずとも、簡素化、効率化を図って容易に扱えるようにしてくれている」
だから、魔術師には世界の外側の構成を認識する必要はない。現実で起こしたい変化を使い魔に伝えることで、使い魔が自動的に逆算して世界の外側に変化をもたらしてくれる、という訳だ。
「魔術師は使い魔を生成、契約した人間を指す。で、魔術言語――要するに口頭詠唱やら魔方陣やら――で使い魔に術式を入力、変数を代入して実行することで、あとは使い魔が魔術を発動してくれる、って訳だ」
「は、はぁ……」
分かったような分からないような、といった曖昧な様子で真咲は生返事する。
その真咲を詰る気もなく、一基はもう少しだけ力になってやるか、と立ち上がる。
「論より証拠、百聞は一見に如かず。って訳で、依頼の消化がてら少し魔術を見せてやるよ」




