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ウィザード・オブ・ビギナーアーツ  作者: 九条智樹
終章 As I thought, you are my hero. 「プロポーズですか?」
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第18話 「プロポーズですか?」


 神崎真咲は、瞼を開けた。

 真っ白い空間だった。

 消毒液の匂いと、洗いたてのシーツの匂い。

 見なれた場所で、代わり映えのしない、大嫌いな世界だ。

 全ては夢だったのかと、呟きそうになる。

 だが上体を起こそうとした瞬間、鋭い痛みが背中に走った。


「――っ!?」


 それは間違いなく怪我の痛み。――東雲一基を助ける為に受けた、あの男の斬撃による傷だ。

 夢なんかじゃない。

 真咲は確かに、一基を助けに向かった。


「……っ。一基様――」


 慌てて真咲は視線をきょろきょろと移して、「ひぇっ!?」と間抜けな声を上げた。

 真咲のベッドで、突っ伏したように一人の男が眠っていたからだ。

 赤黒く変色した血の染みたシャツの下には、包帯が透けて見える。適当な治療だけして、ずっとここで看ていてくれていたのだ。


「……一基様」


 その優しさに触れるように、真咲はそっと頭を撫でる。

 彼の傍にいることだけが、彼女の望みだったから。




 その動作で気が付いたか、一基の瞼がぴくっと動く。ゆっくりと顔を上げる。


「真咲……?」


 まだ頭がうまく働かない。

 だが、目の前でほほ笑む金髪の少女は、確かに、一基が護りたかったものだ。

 胸の奥から、歓喜という名の衝動が弾けそうになる。それを必死に抑え込んで、震える笑みを向ける。

 それに応えるように、その少女は小首を傾げて挨拶する。


「えっと、おはようございます?」


「……もう動いていいのかよ」


「た、たぶん。それよりもですね、わたしの寝顔は可愛かったですか?」


「起き上がった瞬間に寝言を言う奴なんて初めて見たな……」


 そんないつものやり取りが、どうしようもなく懐かしく思えた。

 みっともないと思って必死に堪えていたのに。

 そんな些細な我慢は、何の意味もなさなかった。気付いたときには、一基はもう力いっぱい彼女の身体を抱き寄せた。


「イタタタ!? 一基様!? 痛い、超痛いです! 主に背中の傷が! あぁ、でもせっかく抱きつかれているし差し引きで言えば結構プラスかも!?」


「うるせぇ。ちくしょう、無茶ばっかりしやがって……っ!」


 一基はそのまま、真咲を胸の中に納め続ける。

 とても華奢な身体だった。抱き締めただけで脆く崩れてしまいそうなくらい、細くて、柔らかくて、繊細なガラス細工を持ったみたいな恐怖があった。

 それを失わずに済んで、本当に良かった。そう思わずにはいられなかった。


「……ごめんなさい」


 真咲はほんの少し嬉しそうに、一基の胸の中で謝っていた。


「だから、泣かないで下さいよ」


「泣いてねぇ」


「いや、でも……」


「うるせぇ黙れ」


 その言葉に真咲はくすりと笑い、一基が離すまでただじっと受け入れてくれていた。

 しばらくそうしてから、ようやく平静を取り戻した一基は真咲を放す。


「……悪かった。ちょっと取り乱した」


「あ、もう離すんですか……。もう少し一基様の匂いに包まれて――」


「もう少し自分の発言に注意しようか、神崎・匂いフェチ・真咲さん」


「また酷いあだ名を!?」


 涙目になる真咲に一基は少年っぽい笑みを浮かべる。

 やっと、帰って来たような気がした。

 彼女と過ごした数日は、きっと非現実的なものだっただろうに。それでもこの場が自分の居場所だと、一基はそう思って疑わなかった。


「……話がある」


「プロポーズですか?」


「永遠にないな」


 即座に答えると、真咲は拗ねたように唇を尖らせていた。

 変わらない真咲のテンションをどこか嬉しく思いながら、一基は真面目な雰囲気を出した。


「一瞬見てたから知っているかもしれないけど、今回の『浄化の星』絡みの事件の犯人はジェダイト・ジェルマンっていう、セレーナの側近だった。――それは、八年前のテロも含めての真犯人だ」


「――そう、でしたね」


「セレーナはお前の治療の為に駆け付けてくれてて、今は後始末に動いてる。全部終わったら菓子折り持って謝りに行くから待っていて欲しい、だってさ。――あと、赦してくれるとは思っていないけれど、って言ってた」


「……いいですよ」


 しかし、真咲はその一言で片づけた。

 セレーナの謝罪の意味を理解していない訳ではないだろう。

 ジェダイト・ジェルマンによって、真咲は貴重な時間を奪われた。小学校、中学校もろくに通えず、人並みの平凡な幸せの何一つも得ることが出来なかった。たとえ今からどれほどの努力をしたって、その時間を取り戻すことだけは絶対に出来ない。

 だけど、真咲はそんな一言で終わらせてしまった。


「だって、セレーナさんの責任じゃないじゃないですか。――それに」


「それに?」


 一基が訊き返すと、真咲は意地悪げに笑う。


「おかげで、わたしは一基様と出会えましたから」


 失ったものを数えない。

 得られたものを大切に抱える。

 そんなことが出来てしまう彼女が、一基にはとても眩しく見えた。――だから、思わず視線を逸らしてしまう。


「……どうしました、一基様?」


「何でもねぇよ」


「でも、顔赤いですよ」


「――っ。見間違いだ」


 そのまま一基はそっぽを向き続けるが、紅潮した頬を隠す術はない。真咲はそれを見て楽しそうに笑っていた。


「……それで、続きだな」


 一瞬軽く目を閉じて落ち着きを取り戻して、一基はもう一度真咲と向き合った。


「呪術の解き方は二つ。解呪の方法を見つけ出して行使するか、あるいは、術者に魔術の行使を止めさせること。――どっちも困難だとしても、術者が死んでしまえば勝手に止まる」


「……え?」


 その言葉に、彼女がようやくのように理解を広げていく。


「ジェダイト・ジェルマンは……俺が殺した。つまり、お前の《緩やかな死(スロウ・ディスペア)》は、もう解けてるんだ。削られた寿命までは戻らないし、改変されたアルビノみたいな症状もすぐには治らないだろうけど、それでも確実に、お前は回復している」


「――――っ」


 そこにあった真咲の表情からは、全部の感情は読み取れなかった。

 喜びとか安堵とか解放感とか、きっと、彼女が八年間溜め込んでいた膨大なものが噴き出しているのだ。その片鱗でも汲み取ろう、なんて考える方が高慢だ。

 彼女の抱え続けた苦しみは、きっと彼女にしか理解してあげられない。


「……一基様は、やっぱりヒーローです」


 目に溜まったいっぱいの涙を拭って、真咲は呟く。


「いつだって、わたしを救い出してくれる、最高の救世主です」


 その言葉で。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それを噛みしめて、一基はその言葉を密かに胸へとしまう。


「……さて。話はこれだけじゃねぇんだ」


 そう言って、一基はあえて区切った。

 きょとんと可愛らしく首を傾げる真咲に、冷たい視線を向ける。



「……お前、どうして俺の居場所が分かった?」



 その言葉に、真咲は肩をびくりと震わせた。あれほど真っ直ぐに見つめていた一基から目を逸らしていて、額には僅かに汗が浮かんでいるように見えた。


「そ、それはですね。こっそりコンちゃんにインストールを……」


「俺は言ったはずだけど」


「いやぁ、確かにするなとは言われましたけど……」


「そうじゃねぇよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って、言わなかったか?」


 その言葉で、完全に真咲の表情が揺らいだ。

 コンにはもう新しく魔術を入れられない。煙幕魔術を消したなら分かるが、その説もあり得ない。真咲をジェダイトから守る為、一基はコンに煙幕魔術を使わせたのだから。もう一度再インストールするには、真咲の魔術的技能が足りていない。


「じ、実は発信機を――」


「じゃあ聞くが。お前、どうして真っ直ぐに東雲探偵事務所まで来れた? 俺と会う前に発信機なんて付けられねぇだろ。何かしらで検索するにしても、八年前お前を助けたときに俺は名乗ってないし、お前の担当医だって知るはずがねぇんだけど」


「あ、う……」


 だらだらと汗を流し、真咲がしどろもどろになる。


「……ところが、だ。ここである仮説を立てると腑に落ちるんだが」


 そう言って、一基は真咲を指差す。



()()()()()()()()()()()()()?」



 真咲の全ての動きが、完全に硬直した。

 そう考えれば、全てにつじつまが合うのだ。

 簡素とは言え初級呪術を超がつくほど積み重ねれば、一度会ったことのある人間の名を調べ上げるくらいは出来るだろう。まして、一基は一度彼女に呪術に対する防護魔術を発動している。逆探知はしやすいはずだ。

 後はネット検索なりに頼れば、あっという間に一基の居場所は出てくるだろう。SNSなんかで実名を出している場合もあるし、実際、探偵事務所としてホームページを開いている。出てこなければさらに追跡魔術を付加するだけだ。

 だから、真咲はたった一度しか会っていない一基の居場所すら分かったのだ。


「……本業らしく推理を晒してみた訳だが。反論はあるか?」


 ふふふ、と。

 一基の問いかけに、真咲は涙目になって変な高笑いを上げ始めた。


「そ、そうなのです! 実は私こそが謎の結社、えっと、えっと、そう『ブラックユニオンナントカ』の幹部――」


「完全にいま思いついただろうが。誰もそんなことは考えてねぇよ!」


 今なおごまかそうとする真咲に対し、一基は両の拳骨で頭蓋を万力のように締め上げる。真咲の断末魔が真っ白い病室に木霊した。

 機械だったらしゅうしゅうと煙を発しそうなほどのダメージを負った真咲がベッドの上に沈む。その半死体の真咲に、一基は更に言葉で追い打ちをかける。


「呪術に侵された以上、どうしても合併症のリスクがある。魔術病院なら、その危険を減らす為に、患者を一時的に使い魔と契約させて、魔術師になることを勧めることだってあるだろう」


 それは、実際によくある対処法だ。無闇に病人全てを魔術師にするのは避けるべき行為ではあるが、呪術の程度によってはその限りではない。上級認定されるような呪術なら、大抵はそう対処しておかないと、僅かな体力低下で命を脅かされることもあるのだ。


「《緩やかな死》の中期以降は、『魔術師は魔術以外で殺せない』なんて制約は役に立たなくなるけどな。とは言え、初期段階で体力を落とさせなければ、中期まで時間を稼げるし。――そんなことは俺だって分かってるんだよ」


「あ、もう完全にバレてたんですね……」


「問題は、何でそれを黙ってたのかってことだ」


 ドスを利かせた一基の声と睨みに、真咲が本格的に目に涙を浮かべていた。シーツなんかを掴んで、ささやかな盾にしようとしているほどだ。


「……あの、怒らないで聞いて下さいね?」


「分かった」


「魔術を全然知らない振りして一基様に教えてもらえば、『ナンデモシッテルンダスゴーイ』という魔法の言葉で、一基様に取り入れるのではないかと――うぎゃあ! ず、頭蓋を噛み砕かれるような痛みが!? ヒドイ、怒らないって言ったのに!!」


「怒ってねぇ、説教してんだ!!」


 無芸として鍛え抜いた身体能力をフルに発揮し、一基は真咲の頭蓋を締め付けた。ミシミシという音がするが、この程度では生温い。


「無闇に魔術を使うってことは、それだけ、危険なんだよ……っ」


 感情が渦を巻きすぎて喉が締まったのか、一基の声は絞り出すようなものだった。だが言わずにはいられなかった。

 女ライダーが一基を見つけたのは、付近に不穏な動きがあり彼女が警戒をしていただけではなく、探偵稼業の為に一基が魔術を使ったからだ。

 魔術を行使すると言うことは、少なからず危険を孕んでいる。周囲の結社の抗争や緊張感などを意に介さずに使い回していれば、命がいくつあっても足りないだろう。


「……頼むから……っ。頼むから、無茶な真似は止めてくれ……」


 それは、紛れもなく嘆願だった。

 もうこれ以上、彼女に傷付いてほしくなかった。けれど、彼女は自分をあまりに軽く考えすぎているきらいがある。

 たとえ死期を早めるとしても、一基の元へやって来たように。

 危険だと理解していながら、一基を助ける為に戦場へと踏み込んだように。

 それは自分の命が短いと悟っていたせいなのかもしれない。自らが満足して、決して後悔しないように生きる為に、危険性という項目を完全に排除しているのだ。

 けれど、もう彼女にそんな生き急ぐ必要はない。これからはもっと、幸せを噛みしめていくべきなのだ。

 だから、叱らずにはいられなかった。

 八年もかけて培った彼女のヒビだらけの価値観を今からでも直さないと、いつか彼女は危険な目に遭ってしまうから。



 なのに。



()()()



 と。

 はっきりと、彼女は拒絶の意を示した。

 一基に付き従おうとしていた彼女が明白な拒否を示したのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。だからこそ、一基はすぐにその言葉を理解できなかった。


「……な、んでだよ……っ」


「だって、一基様の方が無茶ばっかりするじゃないですか」


 笑って彼女はそう言った。


「たった一人で敵のアジトに乗り込むなんて、本当、魔術で知ったときはびっくりして死ぬかと思っちゃいましたよ」


 くすくすと笑って、彼女はそう続けていた。

 まるで何でもないように。

 けれど、一基にすら、決して譲らないという決意をその瞳に乗せて。


「だから、わたしも無茶をします。一基様の為なら、わたしは今までもこれからも、どんな無茶だってするんです」


 あまりにも眩しい笑顔で、彼女はそう真っ直ぐに言い放った。

 それはとても美しかった。東雲一基が、心の底から憧れた()()のようだった。

 誰かを護りたい。そんな、夢見がちな少年の抱えた目標だった。

 八年前に失ったはずだった。けれど、真咲のおかげで取り戻した一基だけの夢だ。


「……俺みたいに、か?」


「そうです。だって、一基様はわたしの憧れですから」


 真咲はそう即答した。

 一基が何を見て、どれだけの苦悩を背負っていたのかを彼女は知っている。それでもなお、そんな安い英雄感に浸ろうと言うのだ。

 それは、神崎真咲の愛を証明するかのようだった。


「でも、一基様はわたしのことが心配なんですよね? いやぁ、あんなに拒絶していたのに、これは前進ですね」


「……それでいいよ。だから、俺はお前に傷付いてほしくないんだ」


 今はまだ、一基は彼女に抱いている感情に名前を付けられない。単純な恋愛感情ではないように思う。けれど、それでも、彼女が傷付くことは、自分の身が張り裂けそうなほどに辛いということは分かっている。

 だから、素直にそう吐露した。

 そんな心からの言葉に、真咲は少し面を食らったようだった。


「……そう、ですか。確かに無茶していたら危ないですし、傷付きそうなときもあるかもしれませんね」


 真咲は少し頬を赤く染め、笑っていた。さっきまでの真っ直ぐな笑みとは、まったく温度が違った。もっと熱くて、けれど心地いいものだった。

 ぐいっと彼の顔を引き寄せ、その頬にキスを残す。


「――っ!?」


 突然のことに驚いてガタガタと椅子から転がり落ちる一基を見て、真咲はほんの少し舌を出して微笑んでいた。

 そして、彼女は一基の理想を口にする。



「そのときは、またわたしを救って下さいね、一基様」




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