第17話 「今度は一人残らず俺が救う」
重い鉄の扉が、軽快な電子音と共にゆっくりと開く。
一面には灰色の地面が広がっている。五十メートル四方の人工的に切り取られた空間だった。
風と共に雨が中に吹きつける。そこをくぐり抜けた一基の視線の先には、一人の男が立っていた。
黒い団服に身を包み、眼鏡を押し上げる。理知的で、どこまでも『一基が知っている彼』と同じで、だからこそ吐き気がするほど気味が悪い。
胸の傷を大事そうに撫でながら、ジェダイト・ジェルマンは嗤う。
「やぁ、死ぬ覚悟は出来たかい?」
「……俺が死ねば、真咲も死ぬ」
「放っておいてもあの出血だ。安心して共に旅立つといい」
ジェダイトはそう言って、魔術で生み出した剣を一基へ投げつける。
弓矢のように打ち出されたそれは、空気を引き裂いて確かに一基の眉間へと突き進む。
――だが。
それを、黄金の影が真横から弾き飛ばした。
すたっと降り立ったそれは、金色の毛並みの狐だった。
「……何だい、それは」
「見れば分かるだろ。真咲の使い魔だよ」
そう言って、一基は左手の甲を見せつける。
熱く輝く青い紋章がそこには浮かび上がっている。
彼女の使い魔と契約を結ぶことで、一基は魔術師に舞い戻った。これでジェダイト・ジェルマンと戦うことが出来る。
「……そんな矮小な使い魔で、この僕に対抗する気か」
ジェダイトの言葉を無視して、一基は詠唱を口にする。
既存のどの言語にも属さない特異な魔術言語を、一片の淀みもなく完全にトレースする。
僅か数秒で詠唱を終えた一基の真横に、銀色の剣が突き刺さる。
「何だ」
詠唱を続ける。
繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す。
一振り、また一振りと剣がコンクリートの地面へと突き刺さっていく。
「何をしている!」
ジェダイトが激昂しながらクレイモアを振るう。それを、呼び出した剣の一つで一基は真正面から受け止める。
「……元々俺に、魔術の才能なんかありはしねぇんだよ」
鍔迫り合いの間も、一基の詠唱は終わらない。その隙間を縫うようにして、一基はジェダイトに答えた。
「俺に多変数魔術は使えない。上級どころか、中級魔術だって使えない。――だけど。初級魔術なら俺は何だって出来るんだ」
愚直なほど真っ直ぐに、一基はその才能だけを伸ばして来た。一基にはそれしかないから、それだけでも誰かを救えるように。
「――使い魔か!!」
ジェダイトがようやく一基が行っている魔術を見破り、地面に突き刺さった剣の使い魔を破壊する。
だが、それよりも一基が喚起する速度の方が圧倒的に速い。加速度的に使い魔が増え続ける。
「これならテメェにはどうしようもねぇだろ。喚起魔術に属性はない。魔術同士の相性が介在しない以上、封じる術なんてありはしないんだから」
コン一体の魔力では、到底ジェダイトには及ばない。だから、一基は使い魔をこの場で喚起することにした。
普通なら不可能だ。魔術のインストールは時間がかかるし、何よりその正確性が求められる。魔道書を一字一句丸暗記して行う喚起魔術などあり得ない。
だが。
一基は覚えている。
寝ることさえ出来なくなった彼は、毎晩、ただ脳を疲労させる為だけに魔道書を読み漁った。自身の部屋にある魔道書の全ては、彼の頭に入っている。
たとえそれが初級魔術しかなくとも。
喚起魔術には、そもそも変数を必要としない。多変数が苦手なだけの一基にとって、魔力さえ確保できるなら神格級の使い魔だって喚起できる。
「どうやってだ……ッ! そんなキツネ一匹で、これだけの使い魔が喚起できる訳が――」
「……使い魔を二体以上契約する理由ってのは、三つある。一つは、柳光二みたいに単なる予備。一つは、テメェみたいに魔術のバリエーションを増やす為。――もう一つは、並列契約により魔力を重ね合わせることだ」
それは『浄化の星』のように、一人では不可能な大規模魔術を行う為に、大勢の使い魔を借りて行うときに使われる。
それを、一基はこの場で再現する。
一体の使い魔を二体にし、その魔力の合計値で届く最大の使い魔と、また新たに並列契約を結ぶ。三体に増えた使い魔の魔力の合計が届く限界の使い魔を新たに喚起して、また並列契約を結ぶ。
それを、ひたすらに繰り返す。
延々と、気が遠くなるような量を、この土壇場で。
既に契約印は左の甲だけで足りるはずもなく、左腕をびっしり埋め尽くしてなおも増え続けている。まるで、身体を侵食するかのように。
「身体が保つはずがない……っ! それだけの使い魔と契約して、精神的な負担は数十、数百倍では利かないはずだ! 大規模魔術で使い魔を寄せ集めるときだって、負担を軽減させるパスを用意する。その身一つで背負える訳がない!!」
ジェダイトの指摘は、当然のものだろう。
たとえば、CPUを無数に持っていたとして。
それを適当に並列に繋いだところで、スーパーコンピューターとして使うことはまず不可能。補助プロセッサーやOSの構築以前の問題だ。それではCPUの温度上昇だけで勝手に壊れる。たかだか一個や二個なら小さなファンで事足りるかもしれないが、スーパーコンピューターであればそれに見合った規模と方法の冷却装置が必要となる。
だから、大規模魔術などそうそう行えないのだ。並列契約の負荷を散らす為の準備だけでも、かなりの歳月を必要とする。しかも、それすら一時的なものにしかなり得ない。恒久的な多数の並列契約は、それこそ『不老不死』にも匹敵し得る現代魔術の到達点ともされる。
そんな、莫大な負荷の中で。
全身の回路を焼き切りそうになりながら、なおもそれを繋ぎ続けて。
一基は、ただ一言吐き捨てた。
「それが、どうかしたかよ」
契約印は左の足も、右の足も、右腕も、全てを覆い尽くしていく。
脂汗が滲む。血管と神経を締め上げるような激痛が全身を襲う。指先一つ動かすことさえ、苦痛以外の何ものでもない。脳自体がドロドロに溶けていきそうな感覚さえある。
全身の筋肉が太いワイヤーに挿げ替えられたかのように堅かった。それでも一基は詠唱をやめない。無限とも思える数を繰り返し、更に高位の使い魔を呼び出し続ける。
たった、一人の少女の為に。
東雲一基は世界の理すらねじ伏せる。
それこそが、魔術師の在るべき姿だとでも言うように。
「ふざけるなよ、カズキ・シノノメ!!」
クレイモアが光る。
だがいくら一基の使い魔を砕こうと、喚起魔術がそれを上回る速度で発動する。もはやジェダイトの手で破壊できる閾値を超えていた。
「――これが俺だけの、俺にしか出来ない魔術だ」
無数の剣が、屋上の地面を埋め尽くす。
夥しい数の銃器が互いに絡み合うように乱立する。
あらゆる獣や猛禽が、ジェダイトを取り囲んで唸りを上げる。
その全てが使い魔だ。
息を呑むほどの圧倒的な質量だった。全てを寄せ集めた魔力は、ジェダイトの二つの使い魔など笑い飛ばせるほどに膨らんでいる。
「カズキ……ッ!」
「来いよ、ジェダイト・ジェルマン。テメェはこの手でねじ伏せる」
そう言って笑う一基の顔にまで、契約印は及んでいた。太いゴムチューブを無理やり引き千切るみたいな音が、鼓膜を内側から震わせ続ける。冗談抜きで、全身でおかしな震えが止まらなかった。
それでも、一基の笑みは変わらない。
「この僕の邪魔をするな!!」
激昂するジェダイトは、握り締めた剣に高圧水流を生み出し、斬撃へと変えた。
防ぐことなど出来ないだろう。触れた瞬間に骨まで切断される。
だが。
一基はそれを、真正面から受け止めた。
眼前に、燃え盛る業火を生み出して。
「な――ッ!?」
一瞬で大量の水が蒸発したせいで、水蒸気爆発が生じた。鼓膜を打ち破るような轟音と共に、辺りが真っ白い煙に包まれる。
互いに魔術の障壁で衝撃波はカバーしていたが、しかし、それでもジェダイトの精神にはダメージがあった。
「馬、鹿な……ッ」
当然だ。
目の前にあった業火は、まず間違いなく、炎系統の魔術を極めたジェダイトのモノよりも強力だったのだから。
「いくら使い魔を呼んだところで、君の身体は限界だ。《影喰らい》が解けた訳でも、僕から受けた傷が塞がった訳でもない……っ。そんなむちゃくちゃな並列契約が、一分でも保つと思ったか」
血が出るほどに唇を噛みしめ、ジェダイトは魔術を走らせた。
「なのにどうして、君が勝ち誇ったように笑っている!!」
「決まってんだろ。勝たなきゃいけねぇからだ」
放たれるジェダイトの幾千もの魔術。だが、それが一基の身へ届くことはなかった。
水が放たれれば、炎で焼き尽くした。
樹木を生み出し圧殺しようとすれば、暴風だけで薙ぎ倒した。
正面突破の斬撃を、生み出した盾だけで粉砕した。
いかなる魔術も、ただ無数の使い魔による魔力だけで、相性さえ踏み倒して一基が押し切っていた。
「俺は必ず真咲を救う。この手でもう一度! 今度こそ完璧に、あいつを救わなきゃいけねぇからだ!!」
一基の気迫が、一瞬、しかし完全にジェダイトの不気味なほどの余裕を凌駕した。
それがジェダイトの焦りを生んだ。
「吠えるなよ、ガキがぁぁああ!!」
ジェダイトのクレイモアが一際黒く光る。
刹那、銀白色に輝く縄が虚空から現れ、一基目がけて伸びていく。
《巨狼の縛紐》
最上級の拘束魔術にして、ジェダイトの必殺技。拘束したという結果のみを生み出し、防御も回避も紙切れ同然に破り捨てる凶悪なまでの絶対性を誇る。一対一の状況で使われてしまえば、もうその拘束から逃れる術はない。
――はずなのに。
「遅ぇよ」
たった、一太刀だった。
それだけで、《巨狼の縛紐》は砕け散った。
「――な、んだと……ッ!?」
「今の俺の使い魔が、魔力がどれだけあると思ってやがる。――そんなちっぽけな魔術なら、相性どころか魔術の性質すら踏み倒して、硬度操作の魔術だけでぶち壊せるぞ」
本来起こり得ないほどの魔力差が、上級魔術すら踏み砕いてみせたのだ。
これが、東雲一基の魔術。
魔術の才のない彼が辿り着いた、初級魔術の極致だ。
「終わりにするぜ、ジェダイト・ジェルマン。テメェを殺して、俺は真咲を救う!!」
叫びに反応して、ジェダイトはクレイモアを垂直に構えて防ごうとする。
だが、薙ぎ払う。
一閃があった。
ジェダイトのクレイモアは断ち切られ、彼の胸が裂けて血を噴き出す。
「――っが……っ!?」
その場に崩れるように、ジェダイトは膝を折る。
完全に殺す気だった一基の斬撃を、彼は紙一重で半歩分躱していた。それでも、まともに動けるだけの余力を完全に奪うほどのダメージだ。
勝敗はもう決している。
「あり、得ない……っ」
「……その傷じゃもう動けねぇ。テメェの使い魔の一つは壊した。テメェの負けなんだよ、ジェダイト」
もう既に幕は降りていた。
彼の首元へ、刃を突き付ける。
今度こそ完璧に、彼女を護り抜く為に。
「……僕を、殺す気か」
「真咲を救う為なら」
一基のその答えを聞いて、何故かジェダイトはくくっと笑っていた。敗北したのは彼の方だと言うのに、勝利を確信したような余裕だけがそこにはあった。
「……何がおかしい」
「僕の言葉を忘れたかい、カズキ。僕は『君に勝ち目はない』って何度も言ったと思うけどね」
「ジョークなら笑えねぇよ。テメェは現に俺に負けて――」
「『浄化の星』の団員には、全員、ある魔術がかけられている」
謳うように、彼は言う。
「命を落としたその瞬間に発動し、その団員の周囲十キロ圏内の人間を容赦なく殺害する、大規模呪術がね」
ぐらりと、視界が揺れた。
今度こそ完全に、一基の積み重ねた足場が崩れ落ちる音がした。
「言っている意味が分かるかい? 僕を殺せば君も、街の住民も残さず殺される。あのメイドの少女も、だ」
「――ッ」
「だから言っただろう、君に勝ち目はないと。君には初めから『勝利条件』自体が成り立っていないんだ。これは勝負なんかじゃない」
ジェダイトの言葉で、一基はどこか納得する。
ジェダイトはずっと余裕を見せつけてきた。そこには単純に、一基との実力差があったのかもしれない。
だが、無数の使い魔を喚起した状態でジェダイトが無謀に突っ込む理由にはならない。普通の魔術師なら膨大な魔力を前に形成を立て直す道を選ぶはずだ。
それすらしなかったのは、一つ。
東雲一基は自分を絶対に殺せないことを理解していたからだ。
「さぁ、どうする。僕を殺して街を滅ぼすか、僕を生かして彼らを不老不死の歯車にするか。どちらにしても、君の護りたかった相手は死ぬけどね」
ジェダイト・ジェルマンは嗤う。どこまでも汚く粘ついた笑みを浮かべて、歓喜に声を震わせている。
そんなふざけた状況を前に、一基は腹の底から何かが零れるような感覚に落ちた。
それは、笑みだった。
ジェダイトの笑みに重ねるように、勝手に笑いが零れてくる。
「……はは」
笑うしかない。
もうこれは、笑うしかなかった。
「あはははははは!! そうかよ、そういうことかよ!!」
どの道を選択しても、真咲は死ぬ。彼女を生かす道は存在しない。
彼女を救う為に立ち上がったというのに、そんな選択肢が存在しなかった。一基が求め、諦め、もう一度だけ手を伸ばしたそんなちっぽけな願望は、目の前で打ち砕かれる。
だがそれでも、選ばなければいけない。このままにすれば無差別に無関係な人間が巻き込まれる。それだけは絶対に阻止しなければならない。
そして。
東雲一基は。
容赦なく、ジェダイトの腹に剣を刺した。
「――は? ば、ぅ……ッ!?」
理解できない様子のジェダイトに現実を突き付ける為に、一基はその状態でねじった。
体内を内側から破壊される激痛に、絶叫と共にジェダイトの瞳の焦点がずれていく。
「っがぁぁぁあああああ!? な、カズキ! 何をしている!? 僕を殺せば即座に呪術が――」
「……テメェは、本当に馬鹿なんだな。自分が『浄化の星』を利用する側だったから、本格的にその理念に興味がないのか」
一基はただ、刃を突き立てたまま、冷酷に言葉を紡ぐ。
「『浄化の星』の団員全員に魔術をかけた? それは誰だ。『浄化の星』の団長か? ――なら言うが。団員の数だけそんな呪術を発動し続けるなんて不可能だ。半径十キロだぞ。《緩やかな死》や《死の業火》にも匹敵するそんな上級魔術をそんな数で発動待機させていて、魔力が足りるとでも?」
「その程度なら、僕ならどうにか――」
「ただの上級呪術なら、な。――柳光二の言い方じゃ、『浄化の星』は穢れを知らない子供まで殺すことはない。ただの呪術にそんな選別までかければ、単発の発動すら並の上級魔術師でも手を焼くような容量と魔力だろう。――もちろん、並列契約を前提にして、だ」
「……何、だと……っ?」
「断言するが、これだけの使い魔を並列に繋いだ俺ですら、それを団員の数だけ用意するなんて絶対に不可能だ。魔力も容量もそんな呪術には全然足りてねぇ。それは、不老不死を一人じゃ行えないって理解したテメェにだって分かるはずだぜ?」
ジェダイトの言うような魔術が存在するとして、それに要求される使い魔のスペックは、おそらく現在の魔術師の技術では用意できない。見合うだけの使い魔を用意したとしても、それと契約を結べるだけの魔術師がいないのだ。
「……『浄化の星』に、そんな嘘を団員につく理由があるとでも? ないはずだ。ならばそれを覆すだけの技術があったということだ。あるいは抜け道が――」
「理由ならあるさ」
断言すらした。
「『浄化の星』の正しい団員の望みは、穢れた魂を浄化し導くことだ。だからこそ、彼らが死に際に後悔するとすれば、それは多くの魂を浄化できずに先立つこと。――きっと連中は、そんな後悔すら魂を濁らせる原因になるとか思ってんだ」
だから、彼らは嘘をついた。
大切な信者の為に、必要悪の嘘を以って彼らの魂を浄化しようとした。
「そんな呪術が用意されていると思っていれば、心おきなく死ねる」
「……ふざけるな。そんな憶測に何の意味が――」
「証拠に、女ライダーは俺に敗北した瞬間、命乞いをしたぞ。あいつはそんな魔術がかけられていると知っていたなら、絶対にそれを駆け引きの材料にしただろうに、そうしなかった。理由は一つだ。――あいつは『浄化の星』に妄信していなかった。だから、上層部はそんな嘘をつく必要がなかった」
その言葉で、ようやく、ジェダイトの瞳に絶望の闇が滲み始める。
存在しないと思っていた自分の『敗北条件』が、ここに来て明確に姿を現している。そこでようやく、彼は自らの命の危機を知ったのかもしれない。
それはもう、あまりに遅すぎたけれど。
「テメェはそんな嘘に騙されて、最後の手を誤った。それを交渉材料に活路を見出すはずだったのに。……まぁ、『浄化の星』を騙して利用したのはテメェなんだ。自業自得か」
そして、一基はジェダイトに突き刺した剣から手を放し、別の使い魔をコンクリートの地面から引き抜く。
今度こそ、その命を刈り取る為に。
「それは、ただの推論だ……っ」
ジェダイトは、そう吠えた。
あまりに無様に、不格好に、まるで命を乞うかのように。
「可能性は否定できない! 本当に僕が死んだ瞬間に呪術が発動するかもしれないんだぞ! そうなれば、君は――」
「そのときはそのときだ」
切り捨てるように、一基は言う。
ジェダイトの言うことは理解している。結局、確たる証拠はどこにもないというのは事実だ。
だがそれでも、一基は手を引こうとはしなかった。
「そうなったら、今度は一人残らず俺が救う。ただそれだけだ」
高慢とさえ映る覚悟を言葉に変える。だがそれは、ただの強がりなどでは決してない。
この手で誰かを救う。
その為だけに、彼は魔術師となったのだから。
一基はジェダイトの首に刃をかける。
醜い叫喚と共に、鮮血が散った。




