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ウィザード・オブ・ビギナーアーツ  作者: 九条智樹
第三章 I save to the last man. 「でもわたしは救われた」
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第16話 「でもわたしは救われた」


 迸った炎と共に、刃が一基の頬を掠めていく。

 単純な初級魔術ではあるが、与えるダメージもただの斬撃より倍加する。まして、炎は全ての生物が本能的に畏怖するものだ。

 掠めただけで、一基は通常の倍以上の距離を取って離れた。じんじんと皮膚に走る痛みが、一基に必要以上の警戒を強いる。


「……そうか、《死の業火(インフェルノ)》は呪術であると同時に、火炎系の魔術だったな。初級魔術のくせに威力が高いってのは、その上級魔術の為に必死に身に付けたってところか」


「元々、僕はオールマイティだったのは知っているだろう? ほんの少し炎に特化したに過ぎないよ。――さして威力が高いということもないはずだけどね」


「そうかよ」


 一基はそう言って、地面を蹴った。左足は相変わらず死んでいるが、片足だけでも魔術の補助があれば十分な距離を跳べる。

 刃の表面に水を生成し、剣閃を走らせる。

 火を打ち消すには水が一番手っ取り早い。発火点に達するだけの温度と、燃焼に必要な酸素を同時に奪えるのだ。

 しかも相手は、油や薬品、金属などを同時に操らずに放たれた、ただの初級魔術の炎だ。これならば、多少の魔力差を覆しても相性の有利は余りあるだろう。だから一基の魔術の選択は、間違っていない。


「――けど、その程度で勝てるほど甘くはないよ」


 ジェダイトの握る剣が、炎を纏う。

 その斬撃を黒い剣で受け止めた瞬間、一基の掌握する水が蠢き、ジェダイトの炎へと絡みつく。これだけで、その炎は消えるはずだった。

 なのに。

 白い煙が立ち上るだけで、その業火の勢いは決して衰えない。


「――ッ!?」


「相性で覆せるのは、()()()()()()だよ。君はその次元にすら立っていない」


 奪われる熱よりも遥かに多くの熱を与えられているのだろう。触れた水を一瞬で蒸発させるだけの、だ。それはそのまま、ジェダイトの使い魔の有する魔力と、一基の魔力の差を表している。


「君は使い魔を魔力量ではなく構造で選んでしまった。だから、こうして僕の使い魔に競り負ける。――セレーナの使い魔を借りて喚起しておきながら、だ。反吐が出るね」


「騎士団辞めて日本に来たんだ。前みたいな刀をぶらぶらさせて歩ける訳ねぇだろ」


 答えながら、一基は剣閃を繰り出す。

 だが左足は死んだままだ。そんな状態の斬撃に重さなどあるはずもない。

 容易く弾かれ、カウンターで斬撃を浴びせられる。

 ただの斬撃、そのはずだったのに。

 斬られた箇所から、ただの創傷を超えた激痛が発せられる。


「――っがぁぁぁぁぁああああ!?」


「痛覚の増幅は呪術の初歩だぞ。その程度も弁えずに僕の領域に足を踏み入れるな」


 激痛に悶える一基を見下して、ジェダイトは言う。


「――勝ち目があると思っているのか?」


 その言葉が、胸に突き刺さる。

 それは、一基が一番理解していることだったからだ。


「魔術はあのセレーナから習ったとは言え、君に才能は微塵もない。そして頼みの武術は、僕が教えたものだ」


 ジェダイトの握った長剣が光る。


「まして、八年も現役を退いていたんだ。戦闘に関して素人の呪術師ならまだしも、僕に敵うはずがないだろう」


 乱舞のように振り回されるジェダイトの剣を、一基も合わせて弾き続ける。

 言われるまでもなく、一基だって理解している。そもそも騎士団にいた頃でさえ、一基は一度だってジェダイトと手合わせをして勝てた試しがない。

 それでも、引き下がるわけにはいかない。


(諦めんな。初級魔術しかねぇ俺の強みを考えろ……っ)


 迫るジェダイトの剣閃を弾きながら、一基は必死に思考を張り巡らせる。

 単純な力比べで勝てないのなら、卑怯でも何でも策を弄する他にない。だが事前の準備が出来ないこの土壇場でそれを成すのは、あまりにも難しい。


(単純な一撃必殺はほぼ望めない。けど、初級魔術だけなら腐るほどインストールしてある。組み合わせろ。無数のパターンの中で、一番勝率の高いものへ――ッ!)


「考えてることが丸分かりだよ、カズキ」


 思索に僅かに意識が取られた、その隙に。

 ジェダイトの左手に、もう一つ剣が生み出される。


「――ッ!?」


 単純な問題として、二振りの剣を躱すだけの余力が一基にはない。片足を奪われた状態では、足捌きによる回避は不可能。だがこちらの剣一つでは、どうしても二つの斬撃は防ぎきれない。

 そして。

 感覚的な操作のみで発動する魔術は、精神的な余力を奪われた時点で、ほとんど無力化されたに等しい。


「――クソ!」


 完全に手詰まりになる前に、と一基は魔術を発動する。

 生成したのは、極細の鋼線。端に錘を付け、窒素を噴出させてそれを飛ばす。

 無数に飛んだワイヤーが、この空間に鋼の結界を作る。一本では受け止められなくとも、数多の鋼の糸が絡まり、ジェダイトの二本の剣の動きを止める。


「――失策だね」


 だが。

 ジェダイトはその鋼の檻を、一笑に伏した。


「まさか、自分の魔術なら己の身が傷付かないとでも思ったかい?」


 二本の剣でワイヤーを絡め取り、そして、そのままジェダイトは一基めがけて振るう。

 無数の鋼線が、そのまま一基の身を引き裂く。


「――っぐ!」


「とは言え、やはりかすり傷程度は僕も負う訳だが。――いやいや、良い演出だ。おかげで僕のシナリオに近づいている」


 倒れ伏した一基に、ジェダイトは笑いかける。


「……俺がそんなに邪魔かよ。別にセレーナに――」


「あぁ、それと」


 まったく一基の会話には応じる気はないらしく、ジェダイトは言う。


「そう何度も僕の女を呼び捨てにするなよ。――殺すぞ」


 ジェダイトの剣が、とっくに使い物にならなくなった左足を貫いた。


「――――ッ!?」


 痛みに痛みが上書きされて、もはや叫ぶことさえ出来なかった。そのまま崩れ落ちるように一基は悶える。


「これでも手加減はしてあげているんだ。僕に手傷くらいを負わせてくれないものかな」


「ここで抵抗せずに死ねば、テメェのシナリオにケチ付けられるんだよな。そいつも悪くはねぇよな……っ」


 適当に笑って、一基は息を整える。

 状況の不利は変わらない。だがそれでも、一基は「けどな」と続けた。

 一基は諦めない。魔術でも剣術でも一基は劣る。だが、初級魔術のバリエーションだけならジェダイトにも勝っているはずだ。使い魔の容量を大幅に圧迫する上級魔術を持たない一基だからこそ持ち得る勝機だ。


「まだ、足掻かせてもらおうか……っ」


 細いワイヤーを寄り集め、一本の鞭のようにしならせる。これで二本目の剣には対抗できる。

 ジェダイトの放つ二刀の斬撃を、一基も同様に左右に構えた武器で往なし続ける。


「……近接戦闘で僕に敵うはずがないと、ついさっき言ったばかりだけど?」


 一瞬の踏み込みだった。

 気付けば、一基が左に握っていた金属の鞭が弾き飛ばされていた。

 片足だけでも跳び退る一基は間合いを取り直し、ジェダイトの動きに対応しようと試みる。


(痛みも消えねぇし神経も死んだままだが、どうにか生きてる部分だけでも地面を蹴れるようになってきた……。まだ、まだ状況は覆せる……っ)


 思考と共に、一基は使い魔に大量の液体を纏わせる。そして振り抜く動作に合わせて、ジェダイトへとそれをぶつけた。

 防ごうとしたジェダイトだったが、攻撃の為に硬度や圧力に調整はかけていない。交差させて構えた二本の剣に衝突した途端、その塊はジェダイトの全身を濡らした。どろりとした液体が、彼の足もとでしたたり落ちる


「これは、水じゃない……? ――油か!」


「あぁ、これで炎系魔術は全部封じたぜ」


 ただの油の生成という初級魔術でありながら、おそらくジェダイトが持っているであろう中級以上の炎の魔術すら封殺した訳だ。

 初級魔術だけで、相手の放つ魔術を封じていく。単なる相性だけでの相殺ではなく、相手に使用できない状況さえ作る。これは無芸の一基の得意分野だ。

 まだ勝てる見込みはある。

 そう思う一基だが、しかし、ジェダイトの笑みは決して消えなかった。


「来い、カズキ。君のささやかな抵抗すら意味を成さないことを、今度こそを教えてあげよう」


 安い挑発に舌打ちして、一基はさらに魔術を走らせた。



 だが、一基の逆転劇は訪れなかった。



 炎を放てば、水で掻き消される。

 風を生み出せば、木々を生み出されて防がれる。

 金属の盾を生み出せば、真正面から打ち砕かれる。

 無数の初級魔術を、ジェダイトは完璧な形で返していく。全ての弱点を突いて、ただの一撃で一基の攻撃を終了させる。


「――どう、なってやがる……っ」


 あり得なかった。

 一基の方が魔術の種類は圧倒的に多い。仮に攻め落とされるとしても、少ない魔術を単なる力技で押し切られる――そういう流れのはずだった。

 にもかかわらず、ジェダイトはそれらを同じだけの種類の魔術で対抗してみせた。

 まるで。

 初級魔術を大量にインストールしている、東雲一基のように。


「俺の使い魔は、確かにテメェの使い魔に比べて魔力で劣る。だけど、容量に違いはないはずだ……っ。限界まで初級魔術をインストールしてある俺に、どうしてテメェが追いつける。テメェの中には容量を食う中級魔術も上級魔術も入ってるはずだぞ……っ!?」


「……君は馬鹿か?」


 呆れたように、ジェダイトはため息をつく。


「僕は『浄化の星』に入ったと言っただろう? 呪術をインストールして僕の使い魔の容量を圧迫してしまえば、セレーナにバレるかもしれないじゃないか。――なら、もう一つ用意すればいい」


 そう言って、ジェダイトは己の胸を指す。


「僕はもう一つ使い魔と契約して、胸に埋め込んである。二つあれば上級魔術をいくらかインストールしていたとしても、問題なく君のバリエーションにも対抗できるという訳だ」


「なっ――!?」


 驚きを禁じ得なかった。

 通常、魔術師は一人につき一つの使い魔と契約する。高位の魔術師であれば複数の使い魔と契約することもあるが、それでも基本的に予備としての意味合いが強い。感覚的な操作で発動する魔術を混線させずに扱うというのは、それだけ難度が高いのだ。

 二つの使い魔を完全に併用するとなれば、その実力は一基の想定を遥かに超える。


「君に勝ち目はない」


 ジェダイトは、事実を突き付ける。

 一基の目から戦意が少しずつ失われていく。

 ――それでも。

 握った剣だけは離さない。


「……気に入らないな、その目が」


「テメェみたいなクズ野郎に気に入られたらお終いだ」


 そう言って一基は右足に力を込める。

 まだ一基は諦めていない。手は残されている。

 しかしおそらく、チャンスは一度。

 ただ一撃に全てを懸けて、ようやく届くかどうかというラインだ。

 それでも、一基はその一手にかける。


「終わらせる」


 呟いた直後。

 一基の全身が、砲弾のように打ち出される。


「――ッ!?」


 左足が使用不能になっていた時点で、一基の高速移動はないとジェダイトは踏んでしまっていた。だが、初級魔術でも窒素を爆発的に噴出させれば、六十キロの人間くらいは軽く打ち出せる。その身にかかる衝撃を無視すれば、の話ではあるが。

 その虚を突くように、一基の握った刃が黒く煌めく。

 切先が、ジェダイトの胸へと届く。

 切先から確かに刃が肉を裂く感触が返ってくる。


(行ける……ッ!)


 一基はそう確信した。

 だが。


「――素晴らしい!!」


 身を半回転させるように、ジェダイトはその刺突を躱した。切先は胸の肉を一文字に切り裂くが、その心臓どころか骨にさえ届かない。

 完全な失敗だった。


「――ッ!」


 そして一基は気付く。

 ジェダイトがこうして一基と剣を交えていた理由は、一基を犯人に仕立て上げる為だ。自分は必死に一基を説得しダメージを負ったが、どうしようもなく殺害することで鎮圧した。そういうシナリオの為だ。

 今ここで、致命傷に届き得た一撃をジェダイトはその身に刻んだ。

 既にジェダイトには、東雲一基を生かす理由はどこにもない。


「あぁ、確かに終わりだね。君の敗北だ」


 ジェダイトが殺気と共に呟く。

 振り抜かれる斬撃を、一基は無理やりに剣を引いて防ごうとする。

 タイミングだけは、どうにか合わせられた。



 だが、一基の握っていた黒い剣が、粉々に砕け散った。



「――な……っ!?」


 理解が出来なかった。

 しかし、現実をまざまざと見せつけるように、黒い破片が舞い散っていく。

 同時、左手の甲に浮かんだ幾何学模様が徐々に薄れて消えていく。

 使い魔と魔術師を結ぶパスが。

 魔術師を魔術師たらしめるものが。

 一基の唯一の勝機が。


「使い魔は砕けた。これで、君はもう瑣末な抵抗すら出来ない。それどころか、そこらに頭を打ち付けただけで死ぬような脆弱な身体になり下がった訳だ」


 その事実を突き付けられて、一基の瞳に絶望の色が滲む。

 元より、勝機があった訳ではない。

 絶望的な戦力差があった。覆す術など思いつかなかった。それでも、使い魔さえあればどうにかなったかもしれない。魔術さえ使えれば、まだどこかに逆転の糸口はあったはずだ。

 だが、それすら潰えた。

 この身はもう、ただの人のそれだ。


「終わりにするよ、カズキ・シノノメ。これで僕は、セレーナをようやく手に入れられる」


 掲げた剣は、何度も見た。

 だけれどそれは、今まで見たどの瞬間よりも禍々しく輝いて見えた。

 終わる。

 全てが、この瞬間に。



 ――はずだったのに。



「一基様――――ッ!!」



 甲高い声が、エントランスに響く。

 同時、ジェダイトの肩に金色の毛の塊が激突した。


「――っぐ!?」


 完全に油断していたのか、痛みにジェダイトが顔を歪める。その隙を突くように、彼の横をすり抜けて一基に駆け寄る影があった。


「無事ですか、一基様!」


 その声の持ち主を、東雲一基は嫌というほど知っている。

 たった数日しか共に過ごしてないとは言え、それでも、きっとこの八年で最も深く繋がっていた相手だ。

 だから彼女の死に自分が耐えられなかった。だから自分勝手に遠ざけた。

 なのに、彼女はここに来た。

 神崎真咲は、たった一人の主人の元へ。


「何してやがる!?」


 一基から出てきた言葉は、紛れもない叱責だった。

 ここがどんな場所かなど、今さら問う必要もないだろう。命の保証など出来るはずがない。そんな危険なところに足を踏み入れるなど、馬鹿のすることだ。


「一基様が心配で――ッ」


「邪魔をするなよ、小娘」


 ジェダイトの声が、重く響く。

 刹那。

 メイド服に身を包んだ真咲の背中で、鮮血が散った。


「真咲!?」


 一基が叫ぶ。そのまま、倒れてくる真咲を抱き止めた。


「殺すよ?」


 ジェダイトはそう言って、興味なさげに刃を振りかざした。

 二人まとめて、止めを刺す気だ。

 一基一人だったならそれも受け入れたかもしれない。だが、関係のない真咲まで巻き込んで死ぬなど、認められるはずがない。

 魔術なんて使えなくなっても、それでも、それだけは絶対に認めてはいけない。


「コン!」


 一基の呼びかけに呼応するように、狐の使い魔は灰色の煙を吐き出した。自衛の為、使い魔が自動で発動できる魔術を一基はインストールさせていた。それがギリギリで役に立った。

 その煙に紛れて、一基は真咲を抱えて走り出した。神経の死んでいる脚など関係ない。絶対に、彼女は助けなければいけない。

 狐の使い魔を回収して、そのままエントランスを駆け抜ける。幸い電気は通っていたか、エレベーターは開いてくれた。

 その中に転がるように身を入れ、嫌にゆっくり閉まるエレベーターの閉ボタンを連打する。その速度があまりにもどかしかった。


「逃がす訳がないだろう」


 ジェダイトの声がする。

 だが、彼の剣が突き立てられる寸前、扉が閉まる。間一髪で鉄の箱が屋上を目指して上昇していく。

 そしてそこで、ようやく一基は真咲の怪我を見た。

 暗い箱の中ではよく見えない。だが真っ赤な血が、背中を縦に引き裂いた傷から溢れ出ているのだけはすぐに分かった。

 深い。

 下手をすれば傷は骨に届いているかもしれない。


「しっかりしろ、真咲! 畜生、お前なんでここに来た!?」


「それはほら、一基様を追跡する魔術をこっそりと……」


 えへへ、と真咲は酷く青ざめた顔で笑う。それが、あまりにも痛々しかった。

 こんな姿が見たくなくて、一基は真咲を遠ざけたのに。

 こんな人を見たくなくて、一基は魔術師を辞めようとしていたのに。


「……俺がどうしてお前を病院に入れたと思ってんだ。何で、俺なんかの為に命を投げ打つんだよ! 俺にそんな価値は――」


「ありますよ」


 噛みつくように、しかし明るく真咲は言った。

 そのたった一言で、一基の表情が揺らぐ。


「一基様は頭がいいから、きっと気付いていますよね? わたしの《緩やかな死》が、いつ、どこでかけられたか」


「――っ」


 真咲の指摘に、一基は否定の言葉を継げなかった。それは彼女の言う通り、もう理解してしまっていたから。

 ジェダイト・ジェルマンは、八年前のテロの目的について語っていた。

 ある魔術の試行だと、彼は言った。大規模魔術でありながら、対象と深く長く繋がれる稀有な呪術を行使したと、そう言った。《死の業火》は、自らすら解呪できないそれを隠蔽する為のものだ、とも。

 そんな呪術は多くない。大抵は隠蔽に使われた《死の業火》のように即時効果を発揮して、その場で死に至らしめて終わりだ。時間をかけて殺す呪術の場合なら、ほとんどが個人を特定して発動される限定的なものだ。――まして、解呪できないほどのものなど。

 ジェダイトの求める魔術で、一基に心当たりがあるのはただ一つ。

 延々と苦しみを与え続ける為に造られた、非道な呪術。

 ――《緩やかな死(スロウ・ディスペア)》だけだ。


「わたしは、八年前のテロに巻き込まれた人間です。本当なら、あの日にもう死んでいた」


「でも、生き残ったんだろ。どんな偶然かは知らない。ならこんな無駄なことで命を削るんじゃねぇよ。俺なんかを助ける為に、これ以上命を使うんじゃねぇよ……っ」


「偶然じゃありません」


 真咲は、そう言った。

 血の気の失われていく顔で、けれど、確かに笑みを浮かべて。


「わたしは、一基様に助けられたんです」


 殴りつけられたように、一基はその場で動けなくなる。

 助けられた。

 そのたった一言が、一基が胸のどこかで必死に覆い隠した大切な何かを、引きずり上げようとしてしまう。


「あの業火の中、あと少しでわたし自身も炎に呑まれる、そんなときにあなたは颯爽と駆けつけて守ってくれたんですよ。それどころか、とうに家族を失くしたわたしを見て、一緒に涙を流してくれさえした」


「……何を、言ってんだよ」


 一基には、こんな色白で金髪の美少女に見覚えがない。いくら幼かろうと、この美貌であればその面影くらいはあったはずだ。

 だが、そこで気付く。

 神崎真咲は、《緩やかな死》に侵されている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その前は、きっと、どこにでもいる普通の少女だったはずだ。

 例えば。

 小学生くらいの、茶髪の少女だったかもしれない。


「わたしの初恋は、あの瞬間だったんですよ」


 くすりと、少し恥ずかしそうに彼女は笑う。

 それが一基の胸を更に圧迫する。何かが砕けていくような痛みがあった。――けれどそれは、どこか心地いい。

 ワイヤーが巻き上がる音しかない空間で、ひだまりにも似た温かさに包まれていく。

 それでも、その事実から一基は目を逸らす。身体が、頭が、心が、そこに気付いたら耐えられないと喚き散らしている。


「ふざ、けんなよ。俺は間に合わなかった! お前の家族を一人だって助けられなかった! お前の幸せは、何一つ護れなかった!!」



()()()()()()()()()()



 もう一度、銃口を突き付けるように真咲は言う。

 その事実から目を背けようとする一基の手を掴んで、勝手に沈み込んでいく彼をまだそこに引き止めようとする。


「一基様は言いましたよね。人には人を救えない、って。あれは嘘ですよ。だって私はこうして生きています。こうして大好きな人の腕に抱かれて、今は最高に幸せです」


「違う……っ。それは、お前の家族を護れなかったクソ野郎の腕だ」


「違いませんよ。わたしは幸せですよ。この命を、大切な人を守る為に捧げられて」


 そう言って、真咲は一基の頬を撫でる。

 彼女の血の付いた指が、一基の濡れた頬を拭う。

 冷たい透明な滴が温かい赤と溶け合い、ぽつりと落ちる。


「わたしは一基様からたくさんのものを頂きました。だから、少しでも一基様に返したかった。わたしの幸せはきっと、一基様が幸せでいてくれることだから」


「……やめろよ。勝てねぇんだよ。ジェダイト・ジェルマンには! ただの人間になり下がった俺じゃ、逆立ちしたって勝てやしねぇ!!」


 情けなく、どこまでも無様に一基はそう吠えるしかなかった。


「知らないんなら教えてやる。さっきお前を斬った男が、八年前のテロの真犯人だ。お前の呪術をかけた張本人だ。俺とはスペックが違い過ぎる。勝てる道理なんかどこにもねぇんだよ!」


「……一基様は、とても優しくて、臆病な方なんですね」


 そう言って、真咲は笑い続ける。

 まるで全てを見透かしたように。


「自分と同じ境遇の人を作りたくない。だから、誰かを救う魔術師になりたい。とても立派な志だと思います。――だけど、失敗してしまった。たった一度失敗して、自分にその女の子が重なって、思い出しちゃったんですよね」


「――っ」


 何も、言い返せなかった。

 一基よりも一基の心を理解して、彼女はそれを言葉にしてしまう。


「またそんな想いをするんじゃないか。そう思ったから、一基様は『人には人を救えない』、なんて悟ったようなふりをして遠ざけた」


「……っ」


「でも、駄目だった。目の前で誰かの命が危険に晒されていて、一基様はそれを見過ごすなんて耐えられなかった。だけどまた失敗はしたくない。そう思ったから、一基様は目的をすり替えた。個人的な憎悪ってことにして、相手を殺したいから殺すんだって嘘を言って、その剣をもう一度取ってくれたんです」


「違う……」


 何も違わない。

 真咲は一基の心を抉って、その奥にあった柔らかい部分を曝け出させてくる。

 温かくて、大切で、見失ったままにしてはいけないものを。


「だから一基様は宣言するんです。『お前を殺す』って。そう言わないと、自分の心を騙し切れそうもなかったから」


「……っ」


「だから一基様は、いま泣いているんです。どんなに言い繕ったって、彼を殺すことがわたしを助けることに繋がってしまっているから。また失敗することが、本当に怖くて怖くて堪らないから」


 だから、一基は膝を折った。立ち上がることすら諦めた。

 けれど真咲は続ける。

 まるで手を差し伸べるかのように。



「でも、もう大丈夫ですよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。一度だって一基様は、失敗していないんだから」



 あぁ、と、一基は頷く。

 彼女の言葉に、八年もの間、胸で凍っていた感情が疼き始める。

 熱かった。

 ボロボロになってもう動けないと思っていた身体に、その何かが流れ込んでくる。


「待っています。一基様が、最高に格好良く、もう一度わたしを助けてくれることを」


「――勝手なこと言うんじゃねぇよ……」


 笑う真咲に、もう力はない。失血や痛みで気を失っていた。

 それでも彼女の頭を撫でて、一基は誓う。



「そこで待ってろ。お前は俺が、必ず救う」



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