第11話 「その幸せを他人にまで押し付けるんじゃねぇよ!!」
降り出した雨が窓を叩きつける。その音が鼓膜を埋め尽くす。
真っ暗な部屋で、ベッドに横たわる真咲を前に、一基はただ座りこんでいた。
う、と詰まらせたような声がして、一基は勢い良く顔を上げる。眠ったように静かだった真咲が、微かに瞼を開いていた。
「あ、れ……?」
ゆっくりと首を回して、真咲は状況を確認しようとする。倒れる寸前の記憶が曖昧になっているのだろう。ややあって、彼女は自分がベッドの中にいることに気付いた。
「……急に倒れたんだぞ。『浄化の星』が何かしたのかって、すげぇ焦った」
「一基様が心配してくれるなんて、嬉しすぎてもう一回倒れちゃいそうです」
「茶化すなよ」
笑おうとする、笑顔を取り繕おうとする真咲に、一基は低い声でそう言った。まるで、銃口を突き付けるように。
「何で、倒れた?」
一基はその質問を投げかけた。
本当は、とっくにセレーナから聞かされているのに。
「一基様と一緒に暮らせると思って、ずっと緊張していましたから。それで疲れが溜まってたんだと思います。あと、単純に夜中に起こされて眠かったのかも」
「……嘘だ」
呻くように、一基はそう言わなければいけなかった。
そんなありきたりなことで「そうだったのか」なんて頷けるような次元ではない。
「どうしたんです、一基様?」
「セレーナ・ローゼンクロイツ。あの人はさ、今でこそ独立十字騎士団の団長で、戦闘用魔術に秀でている。けど、元々セレーナは治癒魔術に特化した人間だ。――一目見ただけでも、相手が今どんな状態なのか、医学的、魔術的に判断できる逸材だ」
その言葉に、真咲がびくりと肩を震わせた。けれど彼女は唇を引き結んで、その意味が分からなかったと、そんな振りをし通す。
だから一基は、続けるしかなかった。
「セレーナの見立てじゃ、お前のそれはただの疲労なんかじゃ――」
「あ、あはは。そんな恐い顔しないで下さいよ。本当に、大したことじゃないんです。ただちょっぴり疲れやすい病気って言うかですね」
真咲は笑って、必死にごまかそうとする。
それが、一基の胸を締め付ける。
「……魔術師は、魔術以外で死ぬことはない」
その言葉を、突き刺すように一基は口にする。
「これがどういう意味か分かるか? 魔術師は魔術師になった瞬間に、持病でさえ命を脅かされることはなくなるってことだぞ」
もちろん完全に回復する訳ではない。ただ決して悪化せず、使い魔と契約している限りは発症もしない。寛解、という言葉が妥当だろうか。
ここまで突きつけて、しかし真咲は真実を口にしようとはしなかった。
とっくに、一基は知ってしまっているのに。
だからもう、一基の方からその事実を言う他なかった。
「……先に謝っておく。勝手にカバンを漁って悪かった」
そう言って、一基は真咲を包んでいる布団の上に、一つの紙袋を置く。
それを見た瞬間に、真咲の顔が今度こそ隠し切れない驚愕に染まる。
「魔術的な治療薬。対象が丸薬を呑むことで座標を特定し、治癒魔術に特化した魔術師が自動で魔術を行使し症状の改善に当たる。そういう特殊な薬だよ、それは」
「……っ」
「入っていたのは二種類。体表を紫外線から守り虹彩の表面に黒い薄膜を展開するものと、体の免疫力を正常に保つもの。これ、どうしたんだよ」
「いや、それは、別にわたしのものじゃ――」
「いくつか飲んだ形跡がある。第一、夜中に水を飲みに台所に来てたのは、本当はこれを飲む為だったんだろ」
もう、真咲には言い逃れできそうな余地はなかった。
追い詰められているから、と言うよりは、一基に嘘を突き通そうとしていることに罪悪感を抱いているのだろうか。その顔は、ほんの少し辛そうに見えた。
「……もう一度だけ聞く。何でお前は倒れたんだよ?」
真咲は俯いたまま、一基の問いにすぐには答えようとはしなかった。
けれど、どこかで決心がついたのか。――それとも、もう諦めてしまったのか。
やがて崩れ切った笑みと共に、酷く乾いた声で真咲は告げた。
「呪術、です。小学校三年生の頃に、そういうテロに巻き込まれてしまったんです。――あ、大丈夫ですよ! 呪術的な病気って言っても、わたしのは感染しませんから」
「……分かってる」
「それで、症状は薬で分かっているとは思いますが、メラニンの合成の阻害と、免疫力の低下です。でも本当に大丈夫ですよ、どっちも命に関わるほどじゃ――」
「分かってるんだよ、そんなことは……っ!」
思わず、泣き崩れるように一基は呻いてしまう。
セレーナの見立てがあって、ここに彼女の為の薬がある。それだけの判断材料があれば、いくら一基でもその呪術の正体を見破れない訳がない。
「魔術名は、《緩やかな死》だ」
その名を聞いて、今度こそ完全に真咲の表情が崩れた。それを悟られないようにか、すぐに一基から視線を逸らして、ただじっと握り締めた自分の手を見つめていた。
「最初に遺伝子を無理やり解析して、その際に対象に《影喰らい》と同等の苦痛を与える。その後は順に段階が進んでいって、最後は苦しみ悶えさせて殺してやろうって言うクソみたいな呪術だ。そのくせ、解呪の方法がまだ見つからねぇ。何てったって、使用者にすら解除できねぇように作られてるからな」
初期症状はメラニンの合成の阻害。これによってアルビノのように肌は白くなり、瞳は赤くなり、髪の色素は失われる。――瞳にだけは黒い薄膜を乗せた真咲の見た目と、完全に一致する。薬がなければ外出さえままならないようなレベルだろう。
中期では免疫力の低下。これは命を脅かすほどではなく、あえて苦痛を引き延ばすかのように肺炎寸前の風邪を繰り返す段階だ。ただし、魔術師の『魔術師は魔術以外では殺せない』という特性すら食い破って病気を繰り返されるが、ここまでなら、魔術の治療薬でごまかせる。
そして。
後期には消化器系に不全を引き起こし、栄養素を体内に取り入れる術を失って、飢えと渇きにもがき苦しみながら死に至る。この段階ではもう、どんな治療も意味を成さない。
そういう人に苦痛を与えることだけに特化した、あの腐った結社が大好きな魔術だ。
「そして、意識障害は中期から後期への過渡期で発生する症状だ……っ」
それはつまり。
こうして突然気絶し倒れた真咲には、もうほとんど時間は残されていないと言うことだ。
「――っ」
耐え切れなくなって、一基は壁を殴りつけた。ガン、と音を立てたのは壁に張られた板か、あるいは、彼の拳そのものか。
「……あと、どれくらいだ……」
絞り出すような声だった。
泣きそうにぐちゃぐちゃに崩れた顔で、それでも一基は問いかける。
「お前、あとどれくらい生きられるんだよ……っ」
「……正直、分かりません。病室に閉じこもっていれば、あと半年は大丈夫だろうってお医者様は言っていましたけど。でも、こうして外に出てしまっている以上はどうなるか」
ぐらり、と。
一基の足元が酷く不安定になった。
あと、たった半年。
ありとあらゆる自由を全て犠牲に捧げてきただろうに、それでも成人すら迎えることも出来ず、この十六の少女は死へと誘われる。
何も、していないのに。
彼女がそんな重荷を背負わされる理由なんて、どこにもないのに。
「だから、なのか……」
あぁ、と一基は納得してしまう。
何故彼女がこんな唐突に一基の元を訪れ、頑として立ち去ろうとしなかったのか。
騎士団にいた頃は色々な病院にも見舞いだ何だで顔を出していたし、出会ったのはその時だろうか。一基はどこで見かけたかもろくに覚えていないが、それでも真咲にとって一基は恋する相手だ。そして、彼女の命はもう長くない。最期を迎える前に、少しでもその相手と過ごす時間が欲しかったのだろう。
魔術の存在を知りながら、詳細な知識がないのも当然だ。呪術に侵された人間に魔術の存在の説明はするだろうが、使い魔やその仕組みについてまでは説明されない。彼女の中途半端な知識は、そこが原因だ。
他にも数あった、些細な疑問が全て解けていく。
荷物が少ないのも、元々、病室に収まる程度のものしか彼女は持っていないから。
親が住み込みの働きを許可しているのも、そもそも真咲には親がいないから。とうの昔にテロに巻き込まれて、亡くなっているのだろう。後見人も、真咲の意志を尊重するスタンスを取っているのかもしれない。ただそれだけの話だ。
セレーナのロボに過剰に反応していたのも、病院じゃ動物と触れ合うなんて難しいからだろう。免疫力が低下させられているなら、薬があっても敬遠するのは当然だ。
納得は出来る。
けれど、一基にはそんな行為を認めることは出来なかった。
「だから俺のところに来たって言うのか……っ。どこで会ったかも覚えてない俺なんかと過ごす為にか。入院したままでいれば、まだ保つかもしれない命を削ってか!?」
叫ぶ。
自分にはそんな価値がないから。
対して、真咲はすっと落ち着いた声で言う。
「真っ白い病室には、何もないんです。ずっと退屈で、何も出来なくて。だから活力が欲しくて、一基様の為にって料理の本とか掃除の本とかいっぱい読んで、それでも何にも満たされなくて。ただただ、無駄に毎日を過ごすしかなかったんです」
一基を見据える真咲の瞳は、温かさに包まれていた。それはまるで、もう覚悟を決めてしまったかのようだった。自分の境遇を、受け入れてしまったかのようだった。
「でも、もう後がないって知って、わたしは決めたんです。最後はどんなに短くたって、幸せな日々を、ほんのその一欠片でもいいから欲しいって」
だから、彼女はここに来た。
薬だけは貰って、それでも確実に寿命を摩耗させて。
「たった数日でしたけど、それはもう輝くような日々でしたよ。それは、全部一基様がくれたものです。出来るなら、わたしはずっとここにいたいんです」
「……やめろよ」
一基の声は、泣き喚く子供のように惨めな声だった。
真咲の言葉を聞く度に、胸が捩じ切れそうだった。
「今すぐ病院に戻るんだ。半年あれば、もしかしたら解呪の方法が見つかるかもしれない。お前にそんな呪術を撃ち込んだ奴が死んで、勝手に解けるかもしれない。こんなところで命を散らすんじゃねぇよ……っ」
そんな言葉を漏らす一基を、真咲はただ睨むように見つめていた。
「こんなところ、は撤回して下さい」
彼女の怒りを、一基は初めて見た気がした。声に荒々しさは微塵もないのに、叩きつけるような感情だけが載せられていた。
「真っ白な世界で息をする人形になるのなんて御免です。わたしはこの場所で最期を迎えたいんです。わたしの幸せはわたしで決める。たとえ一基様でも――」
「その幸せを他人にまで押し付けるんじゃねぇよ!!」
とうとう、一基が耐え切れなくなった。
真咲の言葉を遮ってまで、ただ無様に吠えた。
「俺にはお前を幸せになんて出来ない! そんな責任を背負えない!! お前の都合でお前が勝手に救われるっていうのは分かってる。だけど! お前は俺の目の前で俺に尽くしながら命を削って、きっと最後には死んでいくんだ。そのときに、お前は幸せだったって笑うのかよ! たった一人も救えないっていう現実を俺に押し付けてか!? ふざけんじゃねぇよ!!」
世界は残酷だ。
もう人が苦しむ様を見たくない。ただ誰しもを救いたい。
そんな優しき願いを抱いた者を踏み潰すように、世界は理不尽を産み落とす。
「……もう、終わりだな」
零すように一基は言う。
二度と戻らないと知りながら。
「契約は、これで終わりだ」
「一基様!?」
「どの道、俺があの『浄化の星』と戦うなら、お前はセレーナに預けてた。それが病院になるだけだ」
「そんな、勝手に――」
「勝手はお前だ。これ以上、俺を苦しめないでくれ……っ」
目を伏せたまま立ち上がり、一基は背を向けた。
酷く粘ついた足取りで、そのまま部屋を出る。
涙と共に呼び止める彼女を置き去りにして、そのまま決別と拒絶を込めて、分厚い扉が音を立てた。




