*8. Why happen it?
「おやおやぁ!! 今日は随分とお客さんが多いねぇ、席足りるかなー? あぁいや僕の席は使っちゃあ駄目だよぉ。ほら『ネムリネズミ』君はもう一つずれて座って。よし!! これで全員座れるはずだよ!!」
各々彼女に促されるままに席に着く。ネムリネズミ君、と呼ばれたのはツノの持ち主だった。眠たそうな表情のまま彼女の指示に従っている。にしてもマッドハッターは――なんともキャラが濃い子だ。俺も来人先輩もぽかんとした表情を浮かべて彼女を見た。
「楽しんでいってねぇ。お菓子もたくさんあることだし。あ!! 待って、お菓子の前にこれを食べてほしい!!」
うたた寝し始めたネムリネズミは、何かを思い出したような彼女のその声に肩を震わせて顔をあげた。そんな様子など気にせずにマッドハッターはテーブルの下から籠を取り出す。勢いよくそれをテーブルの上に置くと、籠の蓋を開ける。その中に入っていたのは――赤くて丸みを帯びた形をした、見覚えのある食べ物だった。
「じゃっじゃーんっ。僕特製のトマトだよ!!」
ドヤ顔を決め込むマッドハッター。俺も来人先輩もトマトを凝視する。まさか『不思議の国』に来てトマトを見るなんて思わなかった。
「トマト、だな」
「先輩トマト好きですか」
「普通だよ。お前は?」
「……普通、です」
「何をぼそぼそ言ってるのさ。ほらほら食べて!! 今朝採りたてのみずみずしいトマトだよ!! 僕が一から育てて作ったんだ。絶対美味しいよ!!」
しかも手作り、一から作ったと言う。マジか。それに自信満々だし。
「ここに畑なんてあったっけ」
思わず疑問が口から飛び出た。来る途中にそんなものは無かったはずだ。
「さあ? もう何でもありなんだなぁ。おもしろいけど。なら俺はチョコの成る木でも作りたいよ」
「いいですね、それ。ぜひとも俺も育てたいです」
チョコの成る木。最高かよ。なんて心の中で呟いたところで、ネムリネズミがふらふらと立ち上がって俺たちの方までやってくる。両手でティーポットを握っていた。
「お茶、です。どうぞ……」
声まで中性的で性別の判断がつかなかった。眠そうな顔つきで、ゆっくりとティーポットを俺のティーカップに向けて傾ける。
手つきが震えていて見ていて不安になった。もしかして寝かけてる?
「あ、あのー」
そっと声をかけてみた。ネムリネズミは腕を止めず、口を開く。
「何でしょう……?」
「えと、あの。あ、お茶ありがとうございます」
ティーカップを見れば紅茶は既に溢れる寸前になっていた。慌ててお礼を言うとネムリネズミはゆっくりとした動作でティーポットを水平になるように持ち直す。
「これ、あなたのじゃないですか?」
それを見届けると俺はエプロンのポケットから白いツノを取り出してネムリネズミに差し出した。
「見覚えは……ないけれど」
「触ってもらってもいいですか」
ツノをぐい、とネムリネズミに近づけさせる。押し付ける形になってしまったが仕方ない。ごめん、と内心で謝りつつも眠たそうな顔のままの持ち主を見上げた。不思議そうに首を傾げ、ネムリネズミはそっと片手でツノに触れる。すると――。
「ッ……!?」
息を呑んだのがあからさまに分かるくらいだった。持ち主は震える手でツノを掴むと、ゆっくりと俺の顔を見る。眠たそうな顔はもうそこには無かった。困惑と驚愕が混じったような表情をしていた。
その表情を見てほっと息をつく。大体分かってきた。この人もちゃんと記憶を取り戻してくれたみたいだ。
「あなたの物ですよね。大事に、なさってください」
そう告げると、ツノの持ち主はゆっくりと頷いた。
「ありがとう。すっかり忘れていたよ。あはは、僕、『ネムリネズミ』か」
「俺なんてアリスですからねぇ」
「君が『アリス』? わ、本当だ。服がそうだもんね」
笑みを零した相手に苦笑で返した。やはりスカートは慣れない。
「僕、部室に居たはずなんだけど気がついたらこんなところに居て……」
後は見た通りだ、と彼は肩を竦める。
「君はどうしてこんなところに?」
「俺も教室に居残って勉強してたんです。そしたらなんか、黒いフードの人が現れて」
「黒いフードの人……?」
彼は眉をひそめ、少々考える素振りを見せた。真剣そうな目をして腕を組む。
そして次にこう俺に言った。
「その話、もう少し詳しく聞かせてくれないかな」
黒いフードのダイナのこと、この世界のこと、記憶のこと。事の顛末を俺は全て話した。
『ネムリネズミ』だった彼は、下山高校の生徒、出雲悠樹と名乗った。俺からして学年が上の先輩だった。話している最中耳を傾き続けていてくれた彼は、何やら怪訝そうな顔をして紅茶を一口飲んだ。
「あ、このトマト美味しい」
「でしょう!! ふふん、何せ手間暇かけて作ったものだからね!!」
「帽子屋からトマト農家に転職したら?」
「えー駄目だよ、ふふふ。だって僕『マッドハッター』だよ。『マッドハッター』が帽子屋をやめたら何て名乗ればいいわけ? それは駄目」
気が付けば来人先輩と帽子屋の少女は楽しそうに会話を交わしている。来人先輩、このままこの世界に残っても上手くやっていけそうな勢いだな。
俺はテーブルの上に合ったクッキーを摘まむと口に含んだ。普通のプレーンのクッキーだった。チョコチップ入ってたらもっと好きなんだけどなあ。
「一つ気になったんだけど、いいかな」
「なんですか?」
「最初にここに来た時、虚空ちゃんは親友に会って説明をされた。そうだよね?」
「ええ、はい。そうです」
クッキーを食べ終えると俺は頷く。何で黒ちゃがここにいたのかまでは知らないけど、それは本当だ。
先輩は紅茶をテーブルに置くと、口を開く。
「――その親友、本当に君の親友なの?」
……え?
一瞬、どういう意味なのか飲み込むことができず、ただただ彼を見つめることしかできなかった。すると彼は一度息を吐いてから言う。
「目が覚めて一番に、遠く離れたところに住んでいるはずの親友が隣に居て、この世界のことについて説明してくれたなんて……話が上手くいきすぎてるような気がするな」
疑ってもなかったことを指摘されて、俺は言葉に詰まった。
例え話が上手くいきすぎていても、あの時の彼女はいつも見ていた黒ちゃと何ら変わりはなかった。どうしても俺は彼女を嘘だとは思いたくなかった。だって、もう会えないと思っていた黒ちゃにまた会えたんだぞ。夢でも良いから会いたいってずっと思ってたんだ。
「でも何もかも親友と同じだったんですよ。本当にそうなら、俺が会ったあの子は一体誰だって言うんですか」
「それは分からない。けど、ちょっと上手くいきすぎてるって思っただけ。それこそ彼女だって傀儡師の手の内なんじゃないのかなって」
頭を横に振り、一つの可能性だと先輩は言う。
かいらいし。未だに意味が俺には分からなかった。一体どういう意味なんだ?
「あの、その傀儡師って何ですか?」
首を傾げて問いかける。あぁ、と彼は声をもらし、少々笑みを零した。
「聞き慣れないもんね。傀儡師っていうのは簡単に言えば」
――突如地面が大きく揺れた。テーブルの上にあるティーポットやお皿が、次々と地面に落ちていった。ガラスが割れる嫌な音が耳に入ってくる。ざわざわと木の葉と葉が擦れる音が大きく聞こえた。
え、え? 地震!? この世界に地震なんてあった!?
慌てて立ち上がってテーブルから離れると、マッドハッターは驚いた顔で辺りを見ていて、来人先輩も椅子から立ち上がってテーブルの下に潜ろうとしていた。そうだ、頭を守らないと……!!
来人先輩の行動で、ハッとして俺も再びテーブルに戻ろうとする、が。
「虚空ちゃん危ない!!」
飛び込んできた出雲先輩の叫び声。え、何? と俺が後ろを振り返った時にはもう遅かった。
巨大な木が、俺に向かってゆっくりと倒れてきていた。