*7. Why did you say that?
家の中はきちんと整理整頓されており、部屋の隅で一人の少年が床に座っていた。紫色の猫耳パーカーを着ている彼の役柄は、諏訪に聞かずともすぐに分かった。きっと彼は『チェシャ猫』だ。俺ら三人に背を向けて座っている為、顔までは確認が出来なかったけど。彼も俺が知る人物だとしたら、ダイナはもしかしたら俺と関係する者だけを集めたのかもしれない、とぼんやりと考えて。
「……諏訪、家の中は散らかってるんじゃなかったのか?」
「どうやら違うらしい。……召使たちも寝てるしな」
こそこそと、俺は隣の諏訪に耳打ちをすると、彼も同じように小声で返してきた。
予め彼には『家の中は相当荒れている』と聞いていたのに、それどころかすごく綺麗だ。その上部屋の中に居るカエルの召使たちは皆立ったまま、もしくは座ったまま寝ていた。
「あぁ、なんかね、みんな寝てるのよねぇ。起こすのがかわいそうになるくらいに」
響先輩は諏訪の言葉を聞き取ったのか、心底不思議そうに首を傾げてみせる。彼女は大きな椅子に座って編み物をしていた。俺たち三人は顔を見合わせる。普段の彼女と今の『侯爵夫人』の彼女では、目立った違いは無い。記憶すらあるままなのではと疑うくらいに。
何を思ったのか、寝たままのカエルの召使に来人先輩は近づくと、指先で召使を突き始めた。起こそうとしているのか、それとも様子見なのか。先輩の意図が読み取れない。その様子をじっと見ていた時だった。
――だめ。起こさないで。
頭の中にそんな言葉が思い浮かんだ。ハッとして俺はあたりを見渡すが、周りには寝ている召使と、彼らをつつく来人先輩、観察する諏訪に、編み物を続ける響先輩しかいない。部屋の隅にいるパーカーの人物は依然こちらに背を向けたままだ。
今のは一体……?
「それであなたたちはどうしたのかしら? 道に迷った? それとも私に何かご用?」
ふと顔をあげて響先輩はそう問いかけてくる。ふわりと優しい笑みを浮かべて。その言葉で俺は一気に現実に引き戻された。
「え、あ……そ、それは」
響先輩の問いかけに諏訪が口ごもる。「『侯爵夫人』が赤ちゃんをあやしている」と諏訪は言っていたけど、赤ちゃんの姿はここにはなかった。もしかしたら、彼が読んだこの物語とは、既にもう話がズレ始めているのかもしれない。としたらどうすればいい? どう答えればいい? 必死に頭を回転させる。
「――わ、私たち、猫を探していて!!」
嘘だ。咄嗟に口から出た嘘だった。諏訪、来人先輩、響先輩の視線が一斉にこちらを向く。猫というワードに反応したのか部屋の隅の少年が、びくりと肩を震わせたのが分かった。
「猫?」
響先輩が聞き返す。
「そうです。猫です。に、ニヤニヤ笑う、猫がいると、聞いたので」
そう諏訪が言っていたから。『チェシャ猫』はニヤニヤ笑う猫だ、って。緊張で声が若干震える。
「私そんな猫見たこと無くて、ぜひ一度見てみたいと思ったので……」
そう言い終えて響先輩を見る。すると彼女は軽く吹き出した。
「ふふふ。おかしなことを言うのね、あなたは。猫はみんなニヤニヤ笑うものよ」
「そ、そうなんですか?」
なんだそれ。初耳だぞ。
「ええ。猫は部屋の隅に居るわ」
部屋の隅、あの少年のことだろう。俺はその少年の方に近づいて行った。来人先輩も俺の後をついてくる。
「俺はお部屋の掃除の手伝いに来ました」
と、諏訪の声がする。掃除だなんて一体何を考えてんだ?
「掃除って。片付いてるのに……」
「……記憶に関する物を探そうとしてるんじゃないのか」
背後の来人先輩はボソリと呟いた。なるほど、それなら自然と物に触れることが出来る。諏訪ってやっぱり頭が良いなぁ。
「んにゃぁ? 君たち、だぁれ?」
「え……ッ」
俺ら二人が少年に近づくと、彼はくるりとこちらを向いた。見覚えのあるその顔に思わず声をあげかけた。
――少年の正体は俺のクラスメイトの時雨影夜。猫みたいな黄色い目をこちらに向けると、パーカーと同じ紫色の前髪が動きに合わせて揺れる。
「知り合い、か。その反応見ると」
「クラスメイトです……」
「後々ネタにされかねないな」
簡単に予想がついてしまう。そんなの絶対やめてほしい。
時雨は手に白い物を持っていた。遊び道具、には見えない。一か所が尖っていてまるで何かのツノみたいだ。
「僕に何か用?」
黄色い目が俺たちを捉える。敵意は見えないけど何を考えているかはまでは分からない。
「えと……あなたが、『チェシャ猫』さん?」
「そうだよ。僕が『チェシャ猫』だよ」
ビンゴだ。彼は俺の問いかけに素直に答えると立ち上がる。パーカーにショートパンツ、黒いロングブーツという出で立ちだった。
「あなた、この家に住んでるの?」
「それはどうだろうねぇー?」
ニヤニヤ、というより、ニコニコという笑みを見せて時雨は言い返してくる。
猫ってのは皆こういう感じなのかよ。こちらの質問をまともに返してくれないらしい。
「もしかして君たち僕を散歩に連れていってくれるの?」
「あぁ。そうだ」
時雨は首を傾げて問いかけてきた。すると俺が何か言う前に、後ろの来人先輩がそう答えてしまう。ぎょっとして俺は来人先輩を見た。散歩? ただでさえここ周辺は道が分からないのに。
「猫について行けば何か分かるかもしれないぞ。記憶がまだ無いから、物語の進行通りに動くはず」
来人先輩は補足と言うように、俺の耳元でそう告げた。
あ、そうか。まだ時雨は自分を『チェシャ猫』だと思いこんでいる。先輩の言うようにある程度は物語通りに動くはずだ。諏訪といい先輩といい、頭の機転が効いてすごく助かる。
「そっかぁ!! じゃ、早速行こう!!」
時雨は嬉しそうな笑みを見せ、手に持っていたツノを放り投げてはドアに向かった。来人先輩がその後を追う。俺は床に転がったツノが気になって、それに手を伸ばした。このツノなのかそうじゃない物の正体をよく確かめたい。
指先がそれに触れた瞬間、脳裏に一人の少年、少女にも見える人の姿が思い浮かぶ。
「こ、れって……!!」
――記憶だ。俺の知らない、誰かの記憶の元。俺の知らない人の物に出会うのはこれが始めてだ。関係がある人を集めているのではと思ったが違うらしい。ちゃんと届けなきゃ。思い出させないと。でも一体この物の持ち主はどこに……?
「こ……違う、『アリス』!!」
自分を呼ばれる声にハッとして、俺は慌ててツノをエプロンのポケットに突っ込んだ。
「ご、ごめん、今行くね!!」
玄関の方を見ると来人先輩と時雨が立っていた。急いで二人の方に行くと、俺たちはドアを開けて外へ出ようとし、その前にちらりと諏訪と響先輩の方を見る。二人は既に作業に入っていた。
一歩外に出ると風が頬を撫でる。穏やかな優しい風だった。時雨は一足早く歩きはじめ、俺と来人先輩はその後を追う形で並んで歩きはじめる。家の裏を通ると、またもや森に続く道があった。
「諏訪、家に居たままで良かったんですか?」
「あぁ、あいつはあそこに残るって。何か他にありそうだって言ってたから」
「そうですか……」
ずいぶんとご機嫌なのか、時雨はスキップをしながら歩いていた。
俺はポケットの中にあるツノに再度触れる。再び脳裏に映るのは、少女、なのか、それとも少年なのか。中性的なその容姿は普段の俺と似通った雰囲気を感じる。自惚れているわけじゃない。今脳裏に映っている人物の方が俺より何倍と可愛いと思う。
「元気だなあ、時雨は」
先を歩く彼を見て苦笑を零した。
あいつの記憶も見つけなきゃ。でも、時雨の好きなものなんて知らないし、第一そこまで接点があるわけじゃない。クラスメイトとしてしか接したことがないからだ。
「クラスでもあんな感じなの?」
「あー、んー。どうだろう。実はそこまで関わったことが無いんですよ」
先輩の問いかけには素直に答えた。嘘をついても仕方ないしね。
「へぇ。クラスメイトなのに?」
「……クラスメイトなのに、です」
痛いところ突かれた。普段からあまりクラス活動に積極的じゃないせいだな。部活に入っているわけでもないし、放課後はバイトがあるし。
「ま、これを機会に仲良くしてみれば良いんじゃない」
のんびりと先輩は頭の後ろで手を組んで言う。
「そう、ですね。それもいいかもしれない、です」
こくりと頷いた。ぐいぐい来られるのは苦手だけれど、人と仲良くするのが嫌な訳じゃあない。……適度な距離感を保ってやってみようかなとぼんやり思った時だった。
「あ!! お茶会してるじゃん、僕も混ぜてー!!」
時雨の嬉しそうな声が響いて俺らの耳に入った。俺と来人先輩は顔を見合わせる。
「まさか。お茶会って、あの?」
「あの、お茶会だな。かの有名なキャラのお出ましだぞ」
俺の言葉に先輩は頷き、同じタイミングで時雨の方に走りだした。
今度は誰が居るのだろう、と不思議とわくわくしている自分がいた。いつの間にか『アリス』に馴染んできているのかもしれない。黒ちゃや来人先輩が言っていたように少しずつ楽しめてきているのかも。本当慣れってのは怖いなあ。
時雨を追いかけた俺たちの前に現れたのは、大きなお屋敷とその手前の木の下のテーブル。テーブルの上にはティーカップやお菓子などが見え、イスには既に先客が座っていた。座っていた一人には見覚えがあった。ポケットの中にある、白いツノに触れる度に浮かぶ人物と同じ顔をしていたからだ。やはり見た目で男女の区別はつきそうにない。
もう一人、その人物の座っていた一人の少女が時雨を見ては勢いよく立ちあがる。ツノの持ち主はそれに驚き、その拍子に持っていたティーカップから少し紅茶が零してしまったのが見えた。
大きな緑色の帽子をかぶり、眼鏡をかけた彼女は嬉々として目を輝かせる。
「あー『チェシャ猫』くんだねぇ? さあさあいらっしゃい。不思議で素敵なお茶会の始まりだよ!!」
――イカレ帽子屋、『マッドハッター』。それは紛れもなく彼女のことだった。