その一
ひらひらと舞う紅葉は朝焼けのように赤く、夕焼けのように朱い。
ひらひらと舞わせる風は音が立たぬ程の微風で、時には木を揺らす程の号風だ。
この山には鬼がいるという。髪も、その瞳も紅く、気性は荒い。人々には、そう言い伝えられていた。
そのため、その山に人は近付かなかった。どんなに急ぎでも、面倒だろうと、その山を人は迂回して行くため、山には動物が増えた。
─────それから数百年後、その山は何度か開拓するという話が出たが、その度、開拓に携わる誰かが亡くなったり、病気になったり、怪我をしたりと、不幸が連続した。そのため、開拓は中止となった。
「───なぁにが祟りだ」
シャクリと林檎を丸かじりした男性は、髪も瞳も、紅かった。着ている着物は和服で、紅く、良い生地だ。
「俺のこと見て足を滑らせて転げ落ちただけだろが」
器用に木の上で横になっている彼は、人々から鬼と呼ばれている者だった。
この山の奥には神社がある。鬼神を祀る神社だ。ちゃんと神主もいる。
ふと、鬼が木の元を見ると、たくさんの動物が集まっていた。彼らは鬼を怖がらない。この山では鬼は神に値するからだ。
「なんだ、食いもんが欲しいのか……」
食べかけの林檎を動物達の方へと投げると、降ってきた林檎に、動物達が群がった。
「なんだ、そんなに腹が減ってたのか?」
数個林檎を動物達の方へ投げて、鬼は木から降りた。
とくにすることもない。退屈な日々。そんな毎日を百年前、突然現れた彼らが変えてくれた。
「朱里様ああぁぁぁ!!!!!」
「うるさいっ!!聞こえている!!」
いつの間にか社に足が向いていたことに朱里は一人笑った。
情けなく名を呼ぶのは、大和 楓だ。
黒髪は肩で切り揃えられていて、ひどく童顔だがこれでも中学三年生だ。身長も、きっと低い方なのだろうと朱里は思う。
「勝手にどこかに行かないで下さいよぉ」
息を荒くして、止まる楓は朱里を見た瞬間びくっと固まった。
「あの……怒ってます?」
いきなり何を言い出すのだこの小僧は。
朱里の眉間に皺が寄る。
「怒ってねーよ」
「そのわりには……顔がいつもよりも険しいと言いますか……」
それはいつも俺の顔が険しいという意味か?と朱里は顔を更に険しくした。
違いますっ!!と焦って言う楓はわたわたと慌てる。
「それより、なんの用だ?」
「いや、あの…………空気が……震えていたので、また誰かが暴れたのかと……」
「それくらいお前が何とかしろ。できるだろ」
「僕の力が及ばなかった時はどうするんですか!?」
「そのくらい分かるっ!!」
楓がやられそうになった時、必ずその波動がやってくる。それを感知すればいいだけなのだ。
「ですが…………うぅ……傍に居てくださいよぉ」
「なんて頼み方してんだ。俺は神だぞ?神主であるお前は俺を奉る義務がある」
「分かっております。失礼しました。自分の力でやって参りますー」
ぶーぶー、と不貞腐れたように言い放って、今でも空気を揺らしている奴の元へと向かった。
この山に住むモノは基本穏やかだ。だからとくに害があるわけではないが平穏過ぎる上環境が整っている。なにより人間が入ってこないことが魅力だ。おかげで余所者が後を立たないのはここ数十年。人間の世界が開拓をじゃんじゃん始めるようになってからだ。
「俺の領地に入ってくるなんざ命知らずだ」
俺には、そいつらを倒すことのできる力を持った強い人間の一族がいるのだから。
さて、朱里に一人で倒してこいと言われた楓は不安半分やる気半分で山を駆けていた。手には自作のお札と刀がある。どちらも魔を退治するためのものだ。
魔と向き合わなければならないのに、こんな面持ちでは飲み込まれてしまう。そのことを幼い頃から叩き込まれていた楓はいつの間にか気を引き締めていた。
やがて、空気の震えが一番濃い領域に入った。息をするのも重い。これは毎度のことだ。
清廉な空気を汚されるのは楓としても快くない。細々とした穢れの祓いは楓がやるはめになるのだ。高校受験の勉強をしなくてはならない身として、迷惑この上ない。
ざあっと風が動いた。黒い影がこちらへと意識が向いた。
来る!!と思ったと同時に楓はその場から飛び退いた。すると、周りの木をなぎ倒し、楓が先程までいた場所に大きな窪みができた。
さぁっと、神木達の悲鳴が楓の耳に届いた。サッと血の気が引く。
「よくもっ!!」
黒い影の周りを神木一本を挟む距離で走る。三角形を作るように、三ヶ所に札を神木に張り付ける。スッと手を胸の前に当てた楓は、ふっと息を吐き、神木の近くの空気を吸う。そして、人差し指と中指を合わせて立たせ、指先にふっと息を吹き掛けた。
札が少しはためき、輝いた。その輝きは札と札を繋ぎ、黒い影をその場に縛りつけた。結界の完成である。即席なのでいつまで持つか分からないが。
「ぐうううぅぅぅがああっッガアァァァ!!」
理解できない声を上げて黒い影がもがくが、結界はちっとも揺るがない。
「鬼灯丸よ。我が意思に沿い、我が名をもとに答え給えっ!!!」
自らの名を心の中で叫ぶと、波紋のようなものが足元に出現し、そこから紅の鞘に収まった刀が出てきて、楓の手に収まる。走りながら鞘を抜き取り結界の中の黒い影に近づいていく。
しっかりと刀を構え、神木を伝って黒い影の頭上まで来ると、もがく黒い影へと刀を振りかざした。
刀の切り口から、朱い炎のようなものが出て、黒い影をみるみる覆い尽くし、やがては黒い影が完全に消え失せた。それと同時に結界の札が燃え落ちる。
黒い影に倒された神木達に近付く。
「ごめんなさい…………」
今でも神木達の悲鳴が耳に残っていた。
「終わったか?」
呑気な声がして、楓は鎮痛な面持ちで朱里を見た。
「あぁ、その神木は一回清めてから燃やさないとな」
ムスリとした顔で朱里を見た楓に、朱里は呆れたように見返した。
「いい加減慣れろ。木だって永遠に生きられるわけじゃない。いつかは朽ちる。こいつらはそれが早かっただけだ」
朱里が言っていることはよく分かる。だけどどうしても理不尽さが拭えないのだ。そこがまだ未熟だと朱里にいつもいつも指摘されてしまう。
こんな時に思うのは両親のことだ。両親ならば心の整理の仕方やもっともっと上手い戦い方を教えてくれたと思う。けれど楓の両親はもうこの世にいない。
楓が一歳の時にこの山に大きな穢れが舞い込んできたのだ。その穢れを浄化するために、楓の父を筆頭に親族や陰陽本部も人員投入し穢れを浄化及び穢れ本体の末梢に挑んだ。結果は勝利。しかし喜べるほどの余裕もない勝利だった。封印と引き換えに命を差し出した楓の父に陰陽本部長は栄誉を送ったが朱里は激怒していた。礼状を持った陰陽本部の使者を山に入れないほどに。
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