帰ってくるストーブ 作、すずの木くろ
今から10年くらい前の冬の話です。
当時大学3年生だった俺は、千葉県のとある大学の近くにアパートを借りて住んでいました。
そのアパート、平屋で4部屋しかないところだったのですが、築40年以上は経っていたと思います。
床は木製で歩くとギシギシ音がするし、天井や壁は得体の知れないシミだらけで隙間風は入り放題で、それはもう酷いものでした。
その分家賃は格安で、1ヶ月たったの3万円。
トイレは共同で、風呂が付いていないため近場の1回150円のボロい銭湯に行かねばなりません。
4畳半の畳張りの部屋で狭いことこの上ないのですが、親の仕送りを受けていない俺にとっては、この格安物件を見つけることができたのは本当に幸運でした。
当時、俺には1つ年下の彼女がいました。
彼女は、例えるならやたらと甘えてくる子犬のような娘で、2人きりになるといつもべたべたと引っ付いてくる娘でした。
彼女との馴れ初めは、当時彼女がバイトをしていたファミレスに私が偶然客として訪れ、彼女のかわいらしい笑顔に一目惚れ。
何とかお近づきになろうと、その時働いていたバイト先を辞めてそのファミレスでバイトを始め、頑張って仲良くなってから告白して見事OKをもらったというわけです。
大学の勉強をしながら彼女と一緒にバイトをし、時間を見つけては、あまりお金がかからないような場所でデートをしていました。
彼女は奨学金をもらって大学に通っていたらしく、親からの仕送りもゼロだったようです。
それでバイトをして家賃と生活費を稼いでいたらしいんですが、週5でバイトを入れていた彼女は金銭的にも勉強時間的にもかなり大変な生活を送っていたようです。
付き合ってから半年ほど経った頃。
確か12月頃だったと思います。
俺は彼女に、一緒のアパートで暮らすことを提案しました。
家賃は折半の15000円。
電気代やガス代は俺持ち。
その代わり、毎日食事(食費は折半)を作って欲しいという条件です。
彼女は大喜びで快諾し、幸せな同棲生活が始まりました。
何だかんだで、掃除も洗濯も全て彼女がやってくれました。
当時俺の部屋には、前の住人が置いていってくれたという年代物の石油ストーブがありました。
長方形の箱に格子状の柵のようなものが前面に付いていて、火をつけると真っ赤になる心棒の裏手が鏡のようになっているものです。
昨年までは、このストーブで何とか冬の寒さを耐え忍んでいました。
ですが、このストーブは鏡の部分が酷く曇っていて、いくら掃除しても全く綺麗になりません。
こういうタイプのストーブって、鏡が汚いと熱が反射しないから、ストーブの傍にいてもちっとも温かくならないんですよね。
それで、彼女と同棲することになって浮いた家賃から、俺が新しくストーブを買うことにしたんです。
せっかくだからたまにはいい物を買おうってことになって、電気屋で15000円もする最新式の石油ストーブを買いました。
このストーブは四角い台座みたいな部分の上が円筒状になってるもので、火をつけると周囲全てが暖かくなる素晴らしい代物でした。
今まで使っていたストーブは売れそうにもないし、ゴミに出そうということになりました。
数日後。
ホームセンターで買ったロープでストーブを縛って俺が背負い、2人で市の環境センターにまで1時間くらいかけて徒歩で運び、300円くらいの手数料を払って引き取ってもらいました。
それでそのままアパートに帰ったんですが、先に部屋に入った彼女が「えっ!?」って声を上げました。
「なになに、どうしたの?」と俺も部屋に入ると、そこにはさっき捨てたはずのストーブがありました。
先日買った最新式のストーブの隣に、捨てに行く前と同じ状態で置いてありました。
俺も彼女も意味が分からなくて、「え? なんで?」と狐につままれたような表情になっていたと思います。
それで、お互い確認するかのように、
「ねえ、さっきこのストーブ捨ててきたよね?」
「捨てたよ。絶対に捨てた」
と言って、またそのストーブを凝視しました。
俺たちは何だか気味が悪くなってきて、もう一度捨てに行こうって話になりました。
持ち帰ったロープを使ってストーブを縛り、俺が背負って再び市の環境センターに向かいました。
環境センターに着いて、さっき渡したのと同じストーブを同じ職員に渡します。
その職員もついさっきのことなので覚えていたみたいで、
「あれ? さっきこのストーブもらいましたよね?」
と怪訝そうな表情で言いました。
俺たちはもう気味が悪くて仕方がなかったら、適当に返事をしてストーブを職員に渡し、首を傾げる職員にまた手数料を払ってアパートに戻りました。
また部屋に戻ってきたらどうしよう、なんて思いながら、今度は俺が最初に部屋に入りました。
部屋には先日買った最新式のストーブがあるだけで、ゴミに出したストーブは戻ってきていませんでした。
それで俺たちは安心して、「おかしなこともあるもんだね」って笑って、その日は夕飯を食べて銭湯に行って寝ました。
次の日の朝。
俺は一緒の布団で寝ていた彼女の悲鳴で飛び起きました。
「どうした!?」
と俺が隣でぶるぶる震えている彼女に尋ねると、彼女が震えながら部屋の一部を指差しました。
するとそこには、昨日捨てたはずのストーブが、最新式ストーブの隣に置いてあるではありませんか。
なんで?
どうして?
と混乱しながらも布団から起き上がり、部屋の窓や玄関の鍵を確認。
当然ながら全部閉まっていて、誰かがこじ開けたような痕跡もみられません。
合鍵は彼女しか持っていないため、誰かが鍵を使って入ったということも考えられません。
むしろ、わざわざゴミに出したストーブを、俺たちの部屋にまで持ってきて置いておくなんて意味不明で馬鹿げた真似をするようなやつなどいるはずがありません。
俺はこのストーブを叩き壊してしまおうと思い立ち、ストーブに近寄ってその異変に気づきました。
暑い。
ストーブの周囲が異様に暑いのです。
まるで今までストーブを全開で焚いていたかのように、古い石油ストーブの上の金属部分が熱々になっています。
ためしに水道で手を濡らして、手から水滴をストーブに落とすと、「ジュッ」と音を立てて水滴が蒸発しました。
もう気味が悪いを通り越して、俺たちは怖くなってしまいました。
正直、このままストーブを破壊して外にたたき出してしまいたかったです。
ですが、もしそんなことをしたら何が起こるか分かったものではありません。
俺たちは怖いのを我慢して、ストーブが冷めてから再びロープで縛り、俺が背負って2人で近くの寺に向かいました。
寺なら何とかしてくれるかもしれない、とぱっと思いついての行動でした。
寺に着くと、その寺の住職っぽい人が庭で掃き掃除をしていました。
その住職さんは俺たちを見ると、
「何をわけの分からんものをつれてきたんだ」
と渋い顔をしました。
こちらからは何も話していないのにそう言われ、俺は「やった、この住職さん本物だ」と内心ほっとしました。
そこで今までの経緯をその場で説明したのですが、その住職さんは
「それは払いたくない。もう少し使ってやれ」
と意味不明なことを言ってきました。
俺たちはこのストーブが気味悪くて仕方がなかったから、そこを何とかと無理を言って、渋る住職さんにストーブを引き取ってもらいました。
俺たちは安心して部屋に戻り、いつものように夕飯を食べて銭湯に行って寝ました。
次の日の朝。
俺が目を醒ますと、隣に寝ていた彼女が布団から起き上がって不思議そうな顔をしていることに気がつきました。
「どうしたの?」
と俺が声をかけると、彼女は
「ストーブがない」
と言って再び部屋を見回しています。
釣られて俺も部屋を見回すと、確かに先日買ったばかりのストーブが部屋のどこにもありません。
部屋の窓や玄関の鍵を確認してみますが、鍵はしっかり掛かっていて誰かが入ったような痕跡もありません。
わけが分からず、とりあえず昨日の寺に行って話を聞いてもらおうということになりました。
朝食も食べずに俺たちが寺に行くと、住職さんが昨日と同じように掃き掃除をしていました。
住職さんは俺たちを見ると、「ああ、やっぱりな」と昨日と同じ渋面のまま言いました。
俺たちが何かを言う前に、住職さんは一言、「ついてきなさい」と言って、寺の本堂に入っていきました。
俺たちもそれに続いて本堂に入ります。
するとそこには、昨日持ってきた古いストーブと、今朝部屋から消えていた最新式のストーブが並んで置いてあるではありませんか。
「なんで? なんでストーブがここにあるの?」
と住職さんに聞くと、住職さんは話してくれました。
何やら難しい話を延々と聞かされて細部は覚えていないのですが、概要は次のようなものでした。
・この古いストーブは、もうストーブだけどもストーブじゃないものになっている。
・前の所有者にとても大切に使われていた。
・古いストーブは、新しいストーブに強く執着している。
・いわゆる怨念のようなものではなく、ただ一緒にいたいという恋慕のようなもの。
・古いストーブは新しいストーブが恋しくなって、自分で戻ってきたり新しいストーブを呼び寄せたりしたのだろう。
・2つのストーブを一緒にしておけば害はないと思う。
・お前たちの仲の良さを見て、羨ましくなったのだろう。
とのことでした。
住職さんはそう説明すると、「2つとも持って帰って使ってやりなさい」と言いました。
ですが、捨てても帰ってきたり寝ているうちに勝手に熱くなったりするようなストーブなど気味が悪くて使えないので、再び住職さんに頭を下げて引き取ってもらいました。
以上が私の体験した不思議な話です。
怖いような怖くないような、おかしな話で申し訳ない。
ただ、大切にされた物には何かが宿る、ということは本当にあるんだな、と思った体験でした。
あの古いストーブは、俺が買った新しいストーブに一目惚れをしたのでしょうか。
すずの木くろ 代表作『宝くじで40億当たったんだけど異世界に移住する』
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