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小学生 ブル公


 俺が小学生の頃はまだテレビゲームなどもなく、子供達の話題といったら学校のことかテレビ番組が、話のネタになっていた。特にテレビで人気のコントのドリフや、キャンディーズなどのアイドル歌手の話で盛り上がっていた。

 元日本兵が帰還して“はずかしながら、帰ってまいりました”などの流行語が生み出されたように、まだ戦後日本を引きずり昭和の匂いが色濃く残る時代だった。

 そんな、俺が小学生だった時代は近所付き合いなんかも今みたいに希薄でなく、町内会などはかなり活発に活動していた。特に市営住宅なんかの場合は、ひとつの家族みたいなもので、近くを歩いていても「ヒロちゃん、どこいくの」とか、よく声をかけられた。しかし、年齢を重ねていくうちに少々うるさく感じたものだ。

 そんな近所付き合いが密な時代、当然、玄関から出ると目の前に隣の玄関がある立花家と尾川家は、家族ぐるみの付き合いとなり、まるで親戚のような関係になっていた。



「いってきまーす!」

 月曜日の朝、僕は食べ掛けの食パンをかじりながら家の中に向かって声をかける。そして、勢いよく玄関から外にとびだした。すると、ちょうど真向かいの玄関の扉が開いた。

「おはようヒロちゃん、いつもありがとね」

 尾川さんちのお母さんが僕に挨拶すると、後ろからおずおずノリちゃんが出てくる。

 僕は小学6年生になり、4つ下のノリちゃんは小学2年生になっていた。髪を三つ編みにしたノリちゃんは、ふっくらとした頬っぺたの可愛らしい女の子になり、将来はさぞもてそうだと予感させる女の子になっていた。

 僕達ふたりのお母さんが「いってらっしゃーい」と、手を振り見送るなか僕らは小学校に登校する。それが、ノリちゃんが小学生になってからの日課になっていた。といっても小学校へは集団登校なので、団地内にある広場に小学生が集まっての登校だったけど。

 人見知りのノリちゃんはいつも、僕のシャツの裾をつまむように握って、後をついてくる。どこに行く時も、団地内で時おり催す盆踊りや花火大会など、季節の行事の時もいつも僕の横でシャツの裾を握っていた。僕はノリちゃんに頼られてると思うと、誇らしくもあり少し照れくさくも感じていた。

「ヒロにぃ、もう皆集まってるよ」

 ノリちゃんの声に広場を見ると、もう20人ほどの小学生が集まっている。

「タッチン、遅いぞ。今、遅いからおいていこうと話してたところだ」

 同じ団地に住む同級生のノボルが声をかけてきた。

「わるい、わるい」

 僕が返事すると、ノボルが先頭に立ち、皆は学校に向かって歩き出す。この団地では6年生は僕とノボルしかいないので、僕かノボルかのどちらかが皆をまとめて集団登校していた。

「タッチン、土曜日の全員集合見た?」

「うん、やっぱり茶は面白いよな」

「ちょっとだけよー」

 ノボルが物真似をして、僕がお返しとばかりにピンクレディーの振り真似をしていると、クスクスとノリちゃんが笑っている。

 そんな朝のほのぼのとした登校途中、突然後ろから皆の悲鳴が聞こえてきた。僕らが驚いて振り返ると、1匹の野良犬が皆に向かって低い唸り声をあげていた。

「タッチン、あの犬ブル公だ」

 ノボルが野良犬を指差し叫んだ。

 誰が名付けたのか知らないけれど、流行っていたTVアニメに出てくる犬と同じあだ名のブル公は、最近ちかくの公園に住みついた野良犬だった。昨日の日曜日にも誰かが噛まれたらしく、近所の大人達の話題にもなっていた野良犬だ。

「タッチン、どうする」

「ノボル、近くにいる大人の人を早く」

 泣きそうな声で聞いてくるノボルに答えると、ブル公を睨み付ける。といえばかっこいいけど、実際は僕も足はガクガクと震えて、今にも小便をちびりそうになっていた。いやもう、少しちびってたかもしれない。

 周りでは他の子供達が逃げ惑い、ノリちゃんは僕のシャツの後ろの裾を強く掴んで、わんわん大声で泣き出した。その泣き声に誘われるように、ブル公が唸りながら僕らに近付いてくる。ノリちゃんだけは絶対に守らないと。

 泣き声をあげるノリちゃんを背中に意識して、僕は勇気を振り絞ってランドセルに差していた縦笛を引き抜いた。僕は威嚇するように縦笛をブル公の前で振り回すけど、縦笛に噛み付いたブル公にあっさりと奪われる。僕に怒ったのか、ブル公は激しく吠えかけ、飛びかかってきた。

 その後の事はよく覚えていない。ノリちゃんだけは絶対に守らなきゃと、その思いだけが頭の中を飛び交い、僕は無我夢中でブル公にしがみついていた。その際、今まで感じたこともない、引きちぎられるような痛みを腕に感じ、ノリちゃんの泣き声がいつまでも耳にこびりついていた。


 僕が気付いたらいつの間にか、病院のベッドの上で寝ている。何故か横には、シャツの裾を握ったノリちゃんが寝ていた。その顔には涙を流したあとをのこして。

 僕が起きたのに気付いたのか、ベッドの周りを囲っていたカーテンを開けて、僕の母さんとノリちゃんのお母さんが顔をだした。

「あらっ、起きたの。腕痛くない」

「ヒロくん、うちのノリちゃんをかばって、犬に噛まれたと聞いたからビックリしたわよ」

 僕はブル公に激しく右腕を噛まれたみたいで、20針も縫う大怪我だったみたいだ。そう聞くと不思議なもので、何だか右腕がズキズキ痛みだしてきた。

 僕が顔を歪めたのを見た母が、

「今は麻酔が効いてるからいいけど、後でかなり痛むとお医者様が言っていたから、今日は病院でお泊まりね」

 僕は母の話を聞きながら、横で眠っているノリちゃんを眺める。

「ごめんなさいね。うちの典子は、ヒロくんからひき離そうとすると、泣き出して手を離そうとしないの。でも、ヒロくんは、うちのノリちゃんの王子様になったかもしれないわね」

 ノリちゃんのお母さんが、にっこり笑って言う。

 僕が恥ずかしくなり俯いていると、横でノリちゃんがもぞもぞと動きだした。

 どうやら僕達の話し声で起きたようだ。

「ノリちゃん」

 僕の声に目を開いたノリちゃんが、ジーと僕を見つめると、

「ヒロにぃ……大丈夫?」

 シャツの裾をぎゅーと握りしめ、心配そうに僕を見上げる。

「大丈夫だよ」

 僕がにっこり笑うと、握りしめていた指が少しゆるんだ。

 その後、ぐずるノリちゃんを僕やお母さん達が説得してやっと納得したのか、ノリちゃんはお母さんに抱えられるように帰っていった。

 夜になる頃には、兄や仕事帰りの父さんなんかも病院にやってくると、「よくやったな、えらいぞ」と、大喜びで褒めてくれたりした。僕も自慢顔で喜んだりしていたが、母は複雑な顔をしていた。

 その夜、僕は高熱を出し、結局退院するのに3日かかった。狂犬病も心配されたが大丈夫だったようだ。それと、ブル公はその後見かけなくなった。どうやら大人達がどうにかしたようだ。僕はブル公が少しかわいそうに思ったりもした。



 これが俺の小学生時代におきた、もっとも印象に残っているブル公事件だ。

 大人になったノリちゃんにブル公事件の事を尋ねると、

「えー、そんな事あったかな。うーん、まだ小さかったから覚えてないわ」

 そう言ったけど、照れたように少し赤くなるノリちゃんを見て、絶対に覚えているはずだと思った。



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