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続きです。現実側です。
騒がしい。というより喧しい。
廊下を無規則に動く存在を煩わしく感じるが、何も考えずに人の波を潜り抜ける。
同じ規格の制服に身を包み、俺には誰を見ても性別以上の差異を判断することが難しい。立場上関わりのある生徒の顔と名前は一致できるようにはしているが、どうせ一定期間で入れ替わるのだから必要ないとさえ思う。
右腕に抱えるのは授業の準備と生徒の出席簿。授業を終えて職員室には向かわず理科準備室へと足を向ける。正直、職員室の雰囲気があまり好きではないので必要な場合以外は準備室で過ごすことが多い。
人の少ない廊下を一人で歩くこと数分、薄暗い部屋の前に到着する。室内に明かりが無く、人のいる気配も感じ取れない。扉を開けて室内に入ると強烈な色が目に飛び込んできた。それは赤色よりは淡いが彩度が高く、室内が薄暗いのと相まってより強烈な存在感を放っている。
宛ら一輪の花火が打ち上がっている様だ。
俺はゆっくりと呼吸を整えてから入口の隣にあるスイッチに手を伸ばし、部屋に明かりをつけた。
埃っぽい部屋には長く使われているのであろう古い机と座る度に甲高い奇声を上げる椅子が置かれている。置かれている机は二つに対して椅子は四脚あるが一つとして同じ椅子がない。
机は使える面積を大きくするためなのか、二つある机をくっつけてあるのだが机の上には書類や器具が乱雑に放置されており、小さな隙間を埋めるようにして花火を打ち上げている花瓶が置かれている。
「・・・さすがに片づけるべきだろうな」
今にも雪崩の起きそうな紙の山を見て思う。どうせなら棚も一緒に整理してしまおう、そんなことを考えながら手に持っていた荷物を机に置く。整理はされていないが使用頻度の高いものの置き場所は机の決まったところに置くようにしている。
片側の壁一面に沿うようにして置かれている棚には、試験管やビーカーのようなガラス器具、試薬を小分けにしてある褐色瓶、試験管立てやガスバーナーのような実験器具の予備などが納められている。その他にも細々した器具や道具が隣の領域を侵蝕しつつ、一応は決められた場所に置かれている。
とりあえずは机の上から始めようと思い、不要な書類を纏めていると扉をノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
そう言って返事をすると開いた扉の前には眼鏡で痩身、白衣を着た男性が立っていた。
「あっ、お疲れさまです。どうかされましたか?」
「お疲れ様です。少し確認したいことがあり寄ったのですが、お忙しそうですね」
痩身の男性は入口の前から動かず室内を見回している。
「別に大丈夫ですよ。それで僕に確認したいことと言いますと何でしょうか?」
同僚で同じ理科の科目を教える教師ではあるが少しの苦手意識を感じることもある相手だ。
「先ほど私の授業で学生実験を行ったのですが、その際に生徒がビュレットの先端を欠けさせてしまって使い物にならなくなったのです。予備はあるのですが少しばかり調子が良くないのでこちらにあるものをお借りしたいのです」
正直、普通の高校生を相手に実験の授業を行うのは面倒が多い。大抵の生徒は実験の意味も意義を理解していないし、実験と聞けば授業より楽だと考えている生徒も多い。実験の印象というものが小学生の時と変わっていないのである。少し不思議な現象を見るイベント程度にしか思えないのだろう。
「良いですよ。ビュレットってことは中和の実験ですか?」
「そうです。まあ、どれほど意味があるかはわかりませんがね」
この人もきっと実験が好きなんだろうなと思える表情をしている。
「確かこっちの準備室に殆ど使っていないビュレットがありますよ。むしろ生物の実験ではあまり使う機会が無いので化学実験室の方で使って頂くのが良いかもしれませんね」
俺としては部屋にある器具が少しでも減ってくれるとありがたいので、出来れば化学準備室に押し付けてしまいたいくらいだ。
「ありがとうございます。では折を見て化学準備室で管理するようにしましょうか」
「わかりました。すぐに必要ですか?」
「いえ、すぐに使う予定はありません。しかし、どうせここまで足を運んだので持って帰れる分は頂いていくことにします」
俺はビュレットが綺麗に収められている箱を棚から取り出す。
「ここに入っている分だけで全部のはずですけど、このまま持って行かれますか?」
「はい。そうします。ありがとうございました」
箱を受け取った化学教師はそのままの姿勢で身を翻し、歩みを始めようとするが何かが気になるのかもう一度こちらに目を向けてくる。
「他にも何か必要なものがありますか?」
「いえ、そうではなくそこに飾られている花が気になりまして・・・」
俺も一緒になって室内にある花に目を向けた。
「ああ、知人から貰ったんですよ。一人暮らしの部屋に置いておくよりは良いかと思って持ってきたのですが、この部屋では浮いてしまいますよね」
俺個人は花は愛でられてこそだとも思っているので、どこかの教室に飾った方が良い気がしている。ただ、俺は担任としてクラスを受け持っているわけではないので気の向くままにどこかの教室で世話をするわけにもいかず少し勿体ないなと考えていたので、
「もしよろしければ先生のクラスで飾りませんか?ここに置いておいても僕くらいしか目にする人間がいないですし教室に飾っておいた方が花も本望でしょう」
「ですが、世話をする者がいませんよ。無為に枯れさせるのはちょっと・・・」
「それならそこまで心配ないですよ。今は綺麗に咲いていますが友人の話だとそろそろ寿命がくるみたいですから、むしろ綺麗に咲いているうちにたくさんの人に見てもらった方が幸せでしょう。」
「そうですか・・・。テスト前ですし少しくらい目の保養になるかもしれませんな。では、授業後に受け取りに来ます」
痩身の化学教師は本来の目的を達成して、準備室に足を動かした。
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