信じない
『えーん、えーん!』
また、あの映像だ。
『みんな、どうしたの?』
小さい頃の、映像。
『なんで、ないてるの?』
忌まわしいあの日の、映像だ。
『どうして、ぼくからにげるの?』
僕の左目が、何の前触れもなく、突然銀色に変色した、あの時の。
『こわいよう……うわーん!』
『こないでよう、こっちこないで!』
『ばけものだっ、にげろーっ!』
昨日まで仲の良かった友達は、皆手のひらを返すように僕を嫌った。
『こんな恐ろしい子だったなんて……』
『もう家の子ではない、出ていけ!二度とその眼を見せるな!』
昨日まで僕を愛してくれていたはずの両親も、拒絶した。
信じれるモノなど、無い。人間は、必ずどこかで裏切る。
今は仲間だと言うアエリアも、幼なじみだと笑うかなめも、いずれは僕を裏切る。
だって、陽祐がそうだったのだから。
『……すまない。悪いが死んでくれ、志輝』
実行委員フィアーズの言う“妹”が何かは知らないが……
陽祐は、僕の命を狙った。
殺す気はないと、言っていたのに。
眼の事があった後でも仲良くしてくれた、数少ない幼なじみで……親友だと、思っていたのに。
人間は、裏切る生き物だ。
だから僕は……誰も、信じることができない。
信じて、裏切られるだけなら。
誰も信じない方が、まだマシだ。
意識が、戻る。
「っ!?」
途端に、全身に痛みが走った。少しでも力を入れると身体中が痺れる。これは、筋肉痛か?
「……目が覚めた?」
声は僕の視界の外から掛けられた。その声の主に、僕は嘆息する。
「見て分かるだろう……エリクシル」
「そうね」
視界の端に、緩やかに伸びたピンク髪がチラチラ見えた。
何をしているんだ。ここは僕の部屋だぞ……
……僕の、部屋?
「おい……っ!?」
飛び起きるのと同時に、全身に痛みが走る。くそ、筋肉痛が。
「何故、僕もお前も、この部屋にいるんだ?」
僕は学園の校庭にいて、アエリアの説教を聞いていて……そこで、目の激痛に倒れたはずだ。
左目は、今はもう痛みを感じない。コンタクトは外したままのようだが。
「一ノ宮時雨とアエリア・サダルメリクが運んできた」
「……そうか」
一度どこかに去ったと思ったが、戻ってきてまで僕を助けたのか、時雨は。律儀な奴だ。
「お前は何故?」
「貴方の、実行委員として。「戦い」の事後処理は、私の仕事だから」
淡々と告げるエリクシルは、視界の端で用意していたらしい、濡れタオルを僕に持ってくる。
「まだ横になってて」
「……貸せ」
「あ……」
誰かに看病してもらうというのが我慢できず、エリクシルの手からタオルを奪うと自分で額に乗せて横になる。
「……目を見せて」
エリクシルは僕の顔を覗き込んで、左目に……銀色の目に注目する。
この眼をまじまじと見られるのは、嫌いだ。
手で覆い隠してやりたいが、筋肉痛のせいで腕が上がらない。
為す術もなく、僕はエリクシルの接近を許してしまう。
澄んだ翠の瞳が、僕に近付いてくる。
「……能力が、進化、したのね」
「進化……?」
あの戦闘の時、左目に熱を帯びた感覚。あれは、未来眼の能力が進化したというのか?
「予想より、早い……ぶつぶつ……」
何かを小さくつぶやくが、ぼそぼそとして聞き取れなかった。
僕から顔を離すと、エリクシルは僕の近くに腰掛ける。僅かにベッドが軋む音がした。
「貴方の能力は、特別。貴方の能力は他の参加者と違って、攻撃する能力ではないから……今度から、能力を使う時に、貴方の身体能力が上昇するようになった」
……なるほど。陽祐の連撃を避けられる体術は、進化した未来眼の能力によるものだったのか。
「未来を映す能力の効果時間も伸びているはず。……進化したことで能力の条件が変わった、と言うべき?」
説明する側が疑問形になるな。
「どういうことだ」
「今までコンタクトを外してすぐ発動していた能力は、コンタクトさえ外していれば、手を翳すだけで発動できるようになっている」
……思えば、今までの戦闘の中で、たまにその行動のショートカットができていたような気がする。
もしかしたら、能力はその時の精神状態に影響されるものなのかもしれない。
「また、一回の発動の終わりも、手を翳すことが条件になった。そうしなければ、いつまでも能力を使っている状態になる。長時間の能力発動は、上限を越えて能力を使う時と同じく危険」
……能力に終了条件が付いた代わりに、少しの間なら未来を見る時間が伸びたということか。
レオや陽祐が常に能力を発動したままにしていられたのは、彼らも能力を成長させていたからだと。
能力の継続にも当然負荷が掛かるだろう。能力を終了させないまま長時間経ったから、その負荷によって激痛が走ったということか。
「試してみる?」
「すでに今日、三回使って……」
そこまで言って、僕ははっとする。
今は、何時だ?
隔離空間が発動している時の、異質な雰囲気は感じられない。時間の流れが進んでいるはずだ。
「貴方が倒れて、今日で三日」
「……何?」
軋む腕を何とか持ち上げ、腕時計を確認する。
確かに、あの戦いの日の三日後の、夜中だった。
三日も、僕は眠っていたのか。
「あれから、敵襲は?」
あれだけ僕を殺す気だった陽祐とフィアーズだ。陽祐は僕の家を知っているのだから、襲撃をしてきてもおかしくはないはずだが。
「……なかった」
少し間を置いた後で、エリクシルは答えた。……そうか。
「未来眼」
「ああ、やってみる」
何故かエリクシルに急かされ、僕は左目に手を翳し、未来眼の能力を発動した。
すると、左目にまた熱い感覚が現れる。筋肉痛も感じられなくなった。
左目の視界には銀色のシャッターが降り、今から数秒後の映像が常に映し出されている。
確かに、今までの未来眼とは違う。進化した、というのは間違っていない表現だ。
僕は再び左目に手を翳す。すると銀色のシャッターが消え、帯びていた熱も引いていく。身体にまた、疲労感が現れる。
この能力による身体能力強化は、一時的なドーピングのようなもののようだ。疲労感がないからといって無茶な動きをしたら、身体が耐え切れずに悲鳴を上げるだろう。
僕が今筋肉痛に苦しめられているのも、陽祐の攻撃を避ける為に、体力の限界に達していたからだ。
「わかった?」
「……少しはな」
だが、どうして能力が進化したのか……進化した能力の内容をこいつが知っているのか、疑問は残っている。
それらを投げ掛けてやろうとするが、先にエリクシルが口を開いていた。
「他の能力者と……参加者と、共闘しているのね」
「……そうらしいな」
やはり、不思議に思うのだろうな。僕だって未だに、この共闘には疑問を感じている。
お互いに殺し合うはずの「戦い」で、その参加者が手を組むなどと。
「貴方、友達がいるのね」
「……どういう意味だ」
「貴方は他人と距離を置いているから。冷たく突き放す言い方をするから、友達を作るのが下手そう」
い、言いたい放題言ってくれる。
……だが、確かにこいつの言う通りだ。僕は他人を拒絶している。信じる事に意味などないと、身を以て知っているのだから。
「アエリアは変な奴だから、敵である僕を勝手に仲間と言った。僕は信じてはいないがな」
「……そう」
僕の反論に対して無表情を崩さず、エリクシルはベッドから降りる。
「貴方は、寂しい人なのね」
「……何だと?」
僕に目を向けず、どこか遠くを眺めてつぶやく。
「私も……同じ」
その横顔は、深い哀しみを湛えていた。
こいつも、同じ?……僕と?
「……無茶しないで」
それだけ告げると、エリクシルは部屋から静かに出ていった。
あいつは……何者なんだ。
その頃、住宅街の細い道。
「だー……くそっ」
満天の星空に苛立ちをぶつけようと、レオは上を向いて文句を吐く。
彼の身体は、ボロボロだった。
ついさっきまで、炎を操る能力者と戦闘していたのだ。
レジストの介入で中断させられたが、怒りが収まらないレオは、ダメージを負ったまま夜の太刀川市をうろついていたのだ。
「俺は……まだ、戦えるってのに……」
最近の俺ァ、何かおかしい。
朔来志輝と戦った頃からだ。レジストのババアが邪魔することが多くなったり、変な侍に見逃されたり……満足な戦いができてねェ。
破壊し足りねェ……物足りねェ!
生きるか死ぬか……そんな戦いの中でこそ、俺は俺だと感じられるのに。
「うおっと……」
ドサアッ!
限界を超えた足がバランスを保てなくなり、誰もいない道に、仰向けに転がってしまった。
くそォ……まるで俺が何かに負けちまってる、雑魚みてェじゃねえか。
俺は強者だ。誰にも負けねェ、最強なんだ。
なのに、このザマァ何だ。
「……星すら、俺を見下すのかよ。畜生……」
その時、倒れるレオに向かって、歩いてくる足音があった。
「もー志輝ったら……せっかくお見舞いに行ってあげたのに、門前払いってどういうこと?リンゴ剥いてあげよって、張り切って来たのに……」
夜の道に、一人の少女が歩いていた。
シキ……朔来志輝のことか?
だったらちょうどいい。またあいつと戦って、今度こそ切り刻んで……
今は、ちょっとキツそうだが。
「……え?ちょ、ちょっと……だ、大丈夫ですかっ!?」
少女は、レオに気付いたようだ。夜中の住宅街だというのに、大声を出して近寄ってくる。
肩まで伸びた黒髪を左右で二つ結びにしている。見た目が幼く見えるのは、日本人だからか。朔来志輝と同じくらいだろう。
「うるせェな……散れよ」
「すごい怪我……どうしよ、救急車を呼んだ方がいいのかな……」
「おい、人の話を……」
「せめて、応急手当しなきゃっ!」
少女は手に持っていた籠に被せてあった布を、レオの足の傷に丁寧に巻く。
抵抗するだけの力が残ってねェのが、無性に悔しい。
……慣れた手つきだ。やかましいわりに、手先は器用なのか。
「余計な事すんな……刻まれてェのか?あァッ!?」
「こんな大怪我して凄んだって、格好悪いだけだよっ!黙って、動かないでいて」
「かっ!?」
格好悪い?この俺に向かって、格好悪いだと?
……ちっ……今の俺が無様なのは、分かってっけどよ……認めたくねェけど。
でも……何か釈然としねえ。レジストみてェに、いらねえ事ばっかりしやがる。
俺はお前に施しを受けてもらう程、弱かねェんだ!
「もうっ、変に動くからまた血が……」
「うるせェ、さっさと失せろ!殺すぞ!!」
力を振り絞って怒声を放ってやれば、大抵の女は脅えて逃げ出す。これでさっさと消えてくれ。
だが……このガキは、逃げなかった。
「……あんた、私の幼なじみにそっくり」
「……知らねェな、てめえの友達なんざ」
俺がどれだけ吼えても、こいつは逃げない。手当てを止めない。
相当頑固で、お節介で、迷惑な奴だ。あのババアよりも……
「俺に構うな」
「やだっ」
「消えろっ!」
「い、や、だっ」
「だったら死ねェッ!!……っ!?」
込み上げる怒りに任せて瞬風脚を発動しようとすれば、凄まじい激痛が足だけではなく全身を駆ける。
そのまま、意識が落ちた。
「…………」
「……え、嘘……気絶、しちゃったの?」
少女は慌ててレオの頬をはたくが、反応が無い。
代わりに、彼の寝息が聞こえてくるだけ。
「……そうやって、人の好意を受け取るのが下手なとこ。……志輝に、そっくり」
小さくため息をつくと、少女は重い青年の身体を引き摺って、すぐ近くの一軒家へと運んでいく。
玄関の名前には、千種とあった。
翌朝。朝食を終えた僕は制服に着替えるが……姫梨ヶ丘学園には行かない。
早朝に、陽祐から連絡があったのだ。一対一の、勝負をすると。
今日、僕達の「戦い」に決着をつけると。
僕は部屋の奥に眠っている、あるモノを取り出す。
「一ノ宮の姓……どうりで、聞いたことがあると思った訳だ」
それは、使い古された、一本の竹刀。
過去に僕は、慎次郎さんの勧めで剣道をかじった事がある。
体力が無くて練習についていけず、技能が身に付く程長くは続かなかったけれど。
その時通っていた、市内の道場。そこの師範の姓が、一ノ宮だった。
師範には一人息子がいたという話も聞いていた。エリクシルに名を聞いた時にすぐ思い出せていれば、少しは正体が分からない不安を和らげることもできただろうに。
竹刀を入れる袋に書かれた名は、朔来。元は慎次郎さんのものだ。
僕の能力だけでは、陽祐に勝つことはできない。せめて、攻撃できる手段を用意する必要がある。
構えぐらいしか覚えていないが、未来眼による攻撃の見切りと合わせれば、何とか戦っていけるはずだ。
殺しはしなくとも……いや、殺す気で戦わないと、陽祐に殺されるだろう。
もう戻れない。「戦い」の参加者である以上、もう、あの時のようには戻れないんだ。
甘い考えは捨てろ、朔来志輝。
陽祐は、僕の命を狙っているんだ。
戦わなければ、生き残れないんだ。
「……行こう」
一人つぶやき、僕は部屋を出る。
「おっと。おはよう、志輝」
と、部屋を出てすぐ、慎次郎さんと遭遇した。
「おや、懐かしいのを持っているね。もしかして、剣道、また始めてくれるのかい?」
慎次郎さんは昔剣道をやっていたようで、小さい頃、僕が剣道に興味を持っていた一時期は本当に嬉しそうだった。
「今日の授業に必要なだけだよ」
「そ、そうか……残念」
愛想笑いで誤魔化すと、目に見えて落胆する様子の慎次郎さん。こんなに子供っぽい……いや、表情が豊かな成人男性もそうはいないだろう。
そんな僕の恩人を、「戦い」に巻き込むわけにはいかない。
「行ってきます」
「いってらっしゃい。気を付けるんだよ」
いつもと変わらない挨拶を交わして、僕は家を出る。
学園とは反対側の道を行き、指定された戦いの場……太刀川市郊外の森へ向かう。
「来たか。……志輝」
森の奥地に着くと、どこからか聞こえた陽祐の声と共に、隔離空間が展開される。
僕のではない。陽祐が発現したのだろう。
「決着……付けるのか」
「……ああ」
陽祐は答え、木々の陰から現れた。
しかしその表情は、前回よりも、ずっと深い戸惑いの心情を表していた。
「……志輝。少し、話を聞いてくれないか?」
何を言いだすのかと思うと、陽祐はその場に座り込んでしまう。
隙だらけだ。わざと隙を作って、僕の攻撃を誘導しようと言うのか?
「何の話だ?」
攻撃はせずとも気は抜かない。竹刀の袋を掴み、いつでも扱えるようにしておく。
「俺が……お前を殺そうとした、理由だ」
陽祐が……僕を殺そうとした、理由。
「戦い」の参加者だから、ではないのか?
「冥土の土産に、教えてくれるのか?」
「……聞いてくれ、志輝」
そう言って、座り、うつむく陽祐は。小さく、儚い存在に見えた。
「お前を狙う理由だけじゃない。……俺の、戦う理由も」
紫の帳が降りる森の中、陽祐は語りだす。
遡るは、あの“事件”の数日後。
彼が全てを失った、その後の事だった。