実行委員
紫の空に、罅が走る。
そこから明るい光が射し込んだと思えば、次の瞬間には元の世界に戻っていた。
地面に突き立てられていたはずのつららは消え、戦闘の痕跡は跡形無く消えていた。
「うう……お兄ちゃん……っ」
外の音が戻ってくると、玄関前で倒れたままの夢積の泣き声が聞こえてきた。
僕は重い身体に鞭打ち、夢積の隣に向かうと、小さな身体を抱き上げた。
膝や肘を擦り剥いていた。血が滲んでいるのを見て、僕は奥歯を噛んだ。
「戦い」に関係無いはずの夢積を、巻き込んでしまった……くそっ。
「……とりあえず、中に入ろう。夢積の怪我の手当てをしなければ……」
「そ、それはそうですけどっ」
夢積を中に運ぼうと立ち上がると、ふらつく僕の身体を支えるようにアエリアが手を伸ばしてきた。
「志輝くんだって、ボロボロですっ。ですから私が、二人の怪我を手当てします」
そう言うアエリアも、上限を超えて能力を行使した過負荷によって、顔色がかなり悪かった。
「……とりあえず、付いてこい」
その真っ直ぐな瞳には、何を言っても無駄だろう。今は仕方なく、アエリアの力を借りることにした。
空き部屋の一つに入ると、救急箱を取り出し、ベッドに寝かせた夢積の傷口に消毒液を掛ける。
「いたっ……」
「我慢してくれ、夢積」
あらかじめ傷口を水で洗っておいたので、消毒さえ終われば後は絆創膏を貼っておけば大丈夫だろう。
「お兄ちゃん……怖かったよおっ……ふえぇん」
手当てが終わったことで気が緩んだのか、レオに捕まっていたことを思い出して、夢積は泣き出してしまった。
「もう大丈夫だ、夢積。……今度は僕が、怖い奴を追い払ってやるから」
僕は夢積の頭を撫でながら、自分の無力さを痛感していた。
もしあの実行委員が現れていなければ。
僕とアエリアは、レオに殺されていただろう。
そして、あの狂気の青年は、僕を殺した後で夢積を殺すと言っていた。
僕があの場で死んでいたら、夢積までもが……
体力を付けるために、明日から慎次郎さんに体力作りの話を聞こうと思っていたが、思いを改める。
今すぐにでも、僕は力が欲しい。夢積を……孤児院の人達を、これ以上危険に晒さない為にも。
「……志輝くん」
アエリアが、僕の肩にそっと手を置く。
「貴方の怪我も……」
「僕のはいい。自分でする」
視線は夢積に向けたまま、小さく声だけで答える。
「……わかり、ました」
それ以上アエリアは何も言わず、僕は夢積が泣き疲れて眠るまで、頭を撫でていた。
僕は無力だ。
だから、力が欲しい。
能力者から子供達を守れるような、強い力が。
太刀川市内にある、ビジネスホテルの一室。
意識を取り戻し、他の部屋に聞こえてしまうのではないかという大声で、レオが悶絶していた。
「ぐあああああっ!!いってええええええっ!!!!」
「だから言ったんだよ。止めてやって正解だっただろ?」
ちなみに今のレオは、暴れられないように全身を縄でぐるぐる巻きにされている。両足だけ、ズボンの裾を捲られ、無数の切り傷で真っ赤になっている素足を晒している。
レジストは喚くレオに嘆息しつつ、レオの足に丁寧に包帯を巻いていく。
「あんたの瞬風脚は、媒介になってる足にかなりの負荷を掛ける危険なものだって言っただろ?」
レジストが与えたレオの能力は、足を渦巻く風に変え、その風を思いのままに操るものだ。
しかし、超自然的な力を行使するのだから、その負荷はやはり大きいもので。
「まだ足が残ってるから良いものを……もしこれ以上やってたらあんた、この足無くなってたんだよ?」
「うるせェ、俺の身体のことなんだからてめェの気にすることじゃね……いってええっ!!足踏むんじゃねェよババア!!」
「足があるからわかる痛みだ。あんたこのままじゃ足無くしそうだし、今のうちに、足があるって感覚を噛み締めとくんだね」
手のかかるパートナーを眺めて呆れつつ、レジストはレオと対峙していた少年達を思い出す。
(あの子達も、能力による負荷が身体に出てるはず。来るべき“その時”までの間、無事でいてくれてるといいけど……)
あの少年……シキ・サクライの担当になったあの娘が、“その時”の為の準備をしてくれている。
あの娘と、そして私達の準備が整うまでは。
(悪いけど、参加者に死者は出させないよ……実行委員会共)
夜。僕は一人、自室に籠もっていた。
夢積を寝かしつけた後、アエリアは少し話をした後に自宅へ帰った。
また明日、学校で詳しく話を聞くつもりだ。
今まで能力は、一日経つことで上限がリセットされてきたのだが。
今日は上限を超えて、四回能力を使っている。
明日、通常通りに三回分能力が使えるか……少し不安だ。
それに、能力が劣化する可能性だってある。
明日はより慎重に、データを取ってみるべきだろう。
……いや、もし仮に、明日も能力者からの襲撃を受けてしまったら。
データ収集の為とはいえ、能力一回分が使えなくなると考えると、確実に不利になってしまう。
生き抜く為に能力を研究するのに、研究する為に能力が使えなくて死んでしまっては本末転倒だ。
学校の授業がデータ収集に一番適しているが……例えば、襲撃が来ないで、上限がリセットされる直前の時間があれば。
上限がリセットされる時間が、日付が変わると同時だと仮定した場合……
「志輝、いるかい?」
不意に、慎次郎さんが部屋に入ってきた。
「あ、いたのかい?ノックしたのに返事が無かったから……」
「……ごめん、考え事をしていたから」
一度思考を巡らせると、周囲の情報が全く入ってこなくなるのは僕の悪い癖だ。
「何か用?」
「志輝にお客さんだよ」
「……客?」
昼間にレオというお客さんが来ているから、僕はどうしても警戒してしまう。
しかも、通常はあり得ない、夜という今の時間の訪問。疑うのも当然だ。
「それにしても志輝、あんな可愛い女の子の友達がいるなんて、羨ましいなあ♪」
可愛い……?
慎次郎さんは、可愛い女の子に目が無いという一風変わった人だけれど。
僕には、慎次郎さんがここまでイキイキするような女の友達などいない。
……かなめは幼なじみだし、アエリアは形の上では仲間だ。客観的に見て可愛くないと言えば嘘になるが、それらは友達とは少し違うものだ。
「客間に通してあるから、志輝もすぐに行くんだよ?」
……正直、行きたくないな。
だが、もしその客とやらが新たな能力者だとしたら……また、この孤児院を危険に晒してしまう。
それを避けるためにも、行かなければならない……のだが。
「ほらほら、可愛い娘は待たせるものじゃないよ、志輝♪」
「……手、引っ張らないでよ」
何故か張り切っている慎次郎さんが、僕の手を掴んで客間まで引っ張っていく。
大丈夫、だろうか。
慎次郎さんは僕を客間に入れると、すぐ扉を閉めてしまった。
一体何だったんだ……僕は心の中で嘆息し、その客に視線を向ける。
「……お茶、お代わり」
驚愕した。
客という立場でありながらも平然とお茶のお代わりを要求してきたのは……
あの日、目の前で交通事故に遭い、後に僕に未来眼の能力を与えた、ピンク髪の少女だった。
「お前……僕の担当の、実行委員らしいな」
レジストの告げたあの娘とは、こいつのことだろう。
言うと、少女はゆっくりと頷いた。桜色の髪が、ふわりと揺れる。
「聞いたのね。……名前は?」
「興味無い」
「……知らないのね」
少女は無表情のまま、両手で持った湯飲みを僕に向けて突き出してきた。
「お茶、お代わりは無いの?」
「誰が出すか」
「……貴方?」
何故疑問形なんだ。
……この天然というか無礼というかよくわからない少女は、僕のペースを悉く乱していく。
それだけが原因ではないが、僕はこいつに対して、強い怒りを覚えていた。
「お前が僕に能力を与えたせいで、すでに二回、僕は死の危険に晒されている。「戦い」に関係無い人すら巻き込んで……」
「……貴方が、やってみろと言ったから」
それは……その時は嘘だと思っていたからであって。
「それに、今さら元には戻せない。始まってしまったこの「戦い」が終わらない限りは」
「「戦い」に勝つか、負けて死ぬか……ということか」
こくりと頷く少女。感情表現に乏しいが綺麗に整った顔からは、何を考えているのか読み取れない神秘的……いや、不気味さがあった。
「……お茶は?」
「まだ言うか」
「ここのお茶は、美味しいから」
……このままでは話になりそうにないな。
女というのは頑固な生き物なのか。僕の周りの奴はそんなのばかりだから、そんなイメージを抱いてしまう。
僕は諦めて少女から湯飲みを奪うと、新しい茶葉を取り出してお茶を淹れる。
ダンッ、とお茶の入った湯飲みを机に置いてやると、少女はすっと両手で持ってちびちび飲み始める。熱くないのか?
「実行委員は、参加者に「戦い」についての説明をするらしいな」
僕はお前から聞いた覚えが無いが。
遠回しに説明を促すと、お茶をすすりつつ少女は説明を始める。
「……貴方のように、能力を与えられた「戦い」の参加者がいる。今はまだ五人だけど、あと一人加わって、六人になる」
淹れたばかりの熱いお茶を、涼しい顔でぐいぐい飲み干した。
「参加者は、それぞれが欲するものの為に、この世の全ての統べる力を持つ“絶対”を求める。それを手にするに相応しい参加者を決める為、参加者達は戦う」
昼に、アエリアから聞いた通りだ。
「世界を手に入れるための戦い」とは、世界を手に入れられるだけの力を秘めた“絶対”とやらを求める戦いなのだ。
今の話から、さらに訊きたいことが増えた。
「参加者は、六人いるのか?」
「実行委員会がそう決めた」
「それぞれの能力は?」
それが分かれば、もし新たな能力者との戦闘になっても対策を立てやすい。
「分からない」
「……何?」
「戦い」を管理する実行委員が、何故分からないと言う?
「それぞれの参加者によって、発現する能力が違うから」
「どういうことだ?」
「それぞれ、参加者はその人に深く関係する身体の部位に、その人を象徴するイメージの能力が発現するから」
……言葉は意味不明だが、何となく分かるような気がした。
僕はこの銀の左目に、強いコンプレックスを抱いている。だからといって、何故僕を象徴するものが未来なのかは知らないが……それが、僕が未来眼という能力を手にする理由になったということか。
だとすれば、能力自体は与えられたものではなく、実行委員という“きっかけ”を受けて能力者自身が“覚醒”するものなのか。
「能力には、回数制限がある。貴方の場合、現時点では一日三回」
能力の話が出たからか、詳しく説明を始める少女。それはすでに僕自身で調べているが……
「現時点?まさか、能力の上限は増減するのか?」
「能力は使う度に強くなる。より多く、より精密に使えるように」
……今日までの三日間で取ったデータが安定しなかったのは、未来視の能力を行使する度に、その力が成長していたからだったのか。
「上限のリセットのタイミングは?」
「深夜零時。全ての能力に於いて同じ」
僕の仮定した通りだったか。なら今度からは、使用回数を残して日付が変わる直前の30分くらいで、データを取るのがいいだろう。
「上限を超えて能力を行使していた場合、零時を回ることでリフレッシュされる使用回数に影響は出るのか?」
「使用回数には影響しない。けど、上限を超えて能力を使えば使うほど、貴方の眼と脳は過負荷が掛かって危険」
……やはり、眼や脳の痛みは危険信号だったか。上限を超えて、能力を行使しないに越したことはないな。
しかし、使用回数には影響しないのか。これなら、もし能力が成長して上限が増えたとしても、毎日最低三回は能力が使えるということが確定したということだ。常に何回分能力が使えるか、ハッキリさせておく必要がある。
「能力についてはこんなところ」
少女は小さく息を吐くと、また僕に湯飲みを突き出してきた。
まだお茶を求めるのか、お前は。
二度目のお茶をくれてやると……少女はまた、最初はちびちびと、少ししてからごくごくとお茶を飲む。
慎次郎さんが淹れたのと合わせて、三杯は飲んでいるんだよな、こいつは。
「他に、何か質問はある?」
お前の身体の構造はどうなっているのかと訊きたいが、少女が問い掛けているのは「戦い」についてだ。
「実行委員は能力者なのか?」
僕は昼間現れた実行委員……レジストを思い出す。
身のこなし、身体能力、さらには纏う雰囲気さえも、彼女は常人とは明らかに違っていた。
そして目の前の少女も。車に轢かれたというのに病室ではピンピンしていた。雰囲気だって異質だ。どう言い現せばいいのだろうか……存在そのものが、僕の眼に映る風景から浮いているというか。
「私達は能力者ではない」
しかし、少女は首を横に振った。
ちょっと待て。
「女性が男性を抱えて、跳躍一つで民家の屋根まで跳んでいったぞ?」
あれは能力じゃなければ何なんだ。
大人の女性とはいえあの細身で、あの動きができるとは考えられない。
「……語弊ね。実行委員の中には、確かに能力を使える人もいる。限られた人しか使えないけれど」
では、レジストはその限られた人の一人ということか。
「何故能力が使える人と使えない人が実行委員に混在する?」
「……そういうものだから」
はぐらかされてしまった。訊いてはいけない事なのか、もしくは少女自身も詳しく知らないのか。
口振りからして、こいつは能力を使えないようだし。
「貴方は、レジストに会ったのね」
「ああ。奴のパートナーの能力者から襲撃を受けていたからな」
「……レオ・マイオールは好戦的だから。レジストも大変そう」
少しだけ表情に色がついた様子の少女。笑っているのだろうか。
それにしても。
「レオ・マイオール……?それが奴の本名なのか?」
「そう」
「……他の参加者の名前は?」
僕の問いに、少女は頷いた。
「まだ契約していない六人目と、貴方を除けば、全ての名前を挙げられる」
「教えてくれ」
能力が分からなくても、参加者が分かれば……その人物について調べることができれば、発現した能力についても推察できるかもしれない。
少女はじっと僕を見つめたまま、口を開く。
「一ノ宮時雨。アエリア・サダルメリク。レオ・マイオール。日向陽祐」
……なん、だと?
頭が真っ白になる。
最後に、少女が告げた、名前。
「……間違いは、無いのか?」
僅かな望みをかけて問うが、少女は静かに首肯する。
「まさか……そんな、はずが……」
日向陽祐。
僕はその名前を知っている。
何故なら……彼は僕と同じ姫梨ヶ丘学園に通っていて。
彼と僕は、かなめと同じように、幼なじみだからだ。
突如左目が銀に変色した僕を、それでも以前と同じように接してくれた……
「……私はしばらく、貴方の近くにいることになる。「戦い」に於いて、貴方をサポートする為に」
呆然としている僕に小さく告げると、少女はすっと席を立った。
それから何も言わず、少女は客間を去っていった。
「……陽、祐……」
少女がいなくなったことに気付かないまま、僕はただ、幼なじみの顔を思い出していた。