なんでもできる
朔来志輝がまだ「朔来」でなかった頃。
朔来慎次郎は「声」を聞いた。
かつて孤児だった慎次郎はさくらい孤児院に拾われ、成人してからも孤児院を出ることはなかった。
彼にはある時から「声」が聞こえていた。
親代わりになって育ててくれた「朔来」氏に人一倍懐いていた慎次郎は、朔来氏が不慮の事故に遭い帰らぬ人となってから、朔来氏が孤児院を心配しないようにと院長の座を守ろうとした。
彼に聞こえる「声」は次第に大きくなっていた。
ある時、自分に語りかけてくる「声」の正体を朔来氏だと信じ込んだ慎次郎は、その「声」の示すまま、とある研究を始めていた。
「星だ。星を見たがっている。父さんはきれいな星が見たいと言っているんだね」
それが、「星の意志」だった。太刀川市の外れにある山、その奥深くに聳える大樹の根元に見つけ出した巨大な黒水晶と莫大なエネルギーは、慎次郎の意志をより確固たるモノとするに十分過ぎた。
「声」に導かれるまま、彼は“絶対”を作りだしたのだ。
しかし、研究を続けていくことで“絶対”の完全な利用にはより高い純度の「星の意志」を秘めた存在が別になくてはならないことに気付く。
星の意志の幾つかを取り出して特定の人間に与えることで、その人間の本質と精神イメージを具現化して操ることの出来る能力を発現できるシステムは既に完成していた。だが、最初にクリエイターになってしまった慎次郎自身を能力者とすることはできなかった。
この頃から慎次郎は人体実験にも手を出していた。かつて愛してやまなかった孤児院の子供たちは、既に彼にとって替えのきくモルモットとしか映らなかった。
おしめを替えたことすらあるような赤子や、学生時代のガールフレンドだった留学生、孤児院を共に支えてくれていた職員……彼に善意を持って「研究」に協力したモノ達は、皆記憶と存在を奪われ“実行委員”として生まれ変わらせた。
それでも、彼らに能力を与えても、“絶対”は完全に機能しなかった。まっさらな状態から作り出した能力者でも、純度が高い「星の意志」は宿っていなかったのだ。
ではさらに純度を上げるにはどうすれば良いか……その思考の果てに、蠱毒へ辿り着くのは彼にとって容易だった。
能力者同士で殺し合い、最後まで生き残ることができる強い力を持ったモノの血を使えば、今度こそ“絶対”は完全な力を見せてくれるかもしれない。
そこで、彼はただの殺し合いにゲーム性を持たせ、賞品として“絶対”の持つ強大なエネルギーを仄めかすことで「手にいれたくなる欲望」を剥いて積極的に殺し合ってくれるだろうという期待を込めた。
そうして「世界を手に入れるための戦い」となって志輝達参加者に示されることとなったのだ。
「確かに私の研究はまだまだ足りなかった。特にアルーフなんかね。星の意志が一定以上にまで膨れ上がると人間を星の意志そのモノにまで変質させてしまうなんて、考えもしなかったよ。そんなことが分かっていれば、もっと早い段階でレオ・マイオールのアルーフを効率よく利用できたと思うんだ」
数々の獣による妨害を未来眼と魔王眼で捌き続け、ようやく月に到達した僕とエリクシルの前で、まるで月がそのまま繋がっているかのように白く巨大な神殿、その玉座に腰掛けた男が微笑む。
「だがそれでも構わない。何せ、研究結果で一番期待していなかった最悪の二人こそが、殺し合いを生き抜くパートナーとなって私に求めていたモノを全て与えてくれたのだからね。本ッ……当に、嬉しいよ」
「朔来、慎次郎」
「もう「慎次郎さん」とは呼んでくれないのかい? 志輝」
「当たり前だ。僕の、最大の裏切り者だからな」
慎次郎はまた口元をふっと歪める。すると僕の頭上に影が降り、真上に新たな獣が創られたことを直感する。
『Open Your Eyes……』
右目の視界に黒のシャッターが降り、真上を見上げることなく攻撃の位置を予測して回避する。
魔王眼が掌握したのは獣が持つ本質となった能力。これまでに何匹か同じ種類の獣と戦ったことで、それと同じパターンのモノかどうか、それがどういう奴かを判断できるようになった。
この荒々しい感情の中に煮え滾る憤怒を抱く炎の性質は「紅蓮拳」。陽祐と同じ種類の獣だ。
太陽のように強い発熱を両翼に持つ怪鳥は、その自慢の翼で僕を焼き尽くそうと再び迫ってくる。
これをかわすにはエリクシルの「操作指」しかないが、ここに来るまでにかなりの回数を重ねている。使用限度が近いと本人からも聞いている。
この一回、持ちこたえてくれ、パートナー。
「操作指」
エリクシルの声が小さく鳴った。途端に怪鳥の翼から熱が消え、代わりに冷気が翼を取り巻いて溶岩を固めていく。
怪鳥は飛べなくなってそのまま墜落すると、地面に叩きつけられると共に緑光となって消滅した。
「私が裏切り者だというのなら、何故エリクシルは君の裏切り者じゃないんだい? だって彼女、君を刺したんだよ? この私の命令でさ」
「こいつが僕を裏切るつもりなら、もっと上手くやっているはずだ。こいつは元から胡散臭いんだ、今更一回刺されたくらいで裏切られたなんて思うものか」
「ははっ、かわいい女の子は正義ってことね。確かにその通りだ」
そんなことを言ったわけじゃない。
「もう無駄なんだからさ、やめたら? 戦うの。私は既にこの星を支配し始めている。歴史は今も書き変わっていくし、星の意志もそれに従っている。君が何をしようとしても、私はそれを蚊ほども気に留めないくらいに強力で絶対的な存在だ」
慎次郎は語りながら、ゆっくりと玉座から立ち上がる。すると白の世界に緑色の光が何本かの線になって走った。まるで血液が流れていく人間の体内にいるように思える。
「君もどうやらアルーフと同じ存在に成り下がっているようだから、ここまで“絶対”を支配した私からすれば、指先ひとつでも触れるだけで君の存在そのものを星の意志として吸収することだってできるよ。たかが指先で、ちょっと埃を払うようになぞるだけで君は死んでしまうんだ。私にとって君はそれくらいどうでもいい存在なんだ」
僕の良く知る笑顔のままで、慎次郎は僕に向かって歩いてくる。
「昔、私は悩んでいた。参加者として扱う予定だった子が、能力の副作用でやたらに人肉を食べだすようになってしまっていてね。能力者同士の戦いに出す前に餓死しそうになっちゃってさ。その時だったかな、私の親友が子供をウチに遊ばせに来ていたんだよ。かわいい子だった。両親の愛情をいっぱいもらって、疑うことを知らない純粋無垢な子だったんだ。くりくりした黒目が印象的でね。とても……壊してやりたかった」
彼は僕の右目、魔王眼を発動しより深くなった黒色の瞳を覗いている。
何を喋り出したんだ、この人は。
「だからちょっと、おやつを食べて昼寝をしちゃったそんな子に、試しに私のクリエイターとしての能力を使って星の意志を与えてみたのさ。そうしたら、まだ私の能力も完全じゃなかったのかな。魔王眼の能力が最初に発現してから、度々反対側の左目がさ、黒から銀色に明暗するようになっちゃってさ。後日また親友がその子を連れてきた時、瞳の色が変わって気色悪いから孤児院で引き取ってくれ、なんて手の平返してたんだよ。笑っちゃうよねぇ、ちょっと前まであんなに子供の事を天使のように可愛がっていたのに、たった左目の色が変わっただけで悪魔の子みたいに化け物扱いなんてさぁ」
慎次郎は立ち止まった僕の目の前に来て、張り付いた笑顔をより狂気に満たして見せつける。
「君の純粋な人を信じる心、取り戻してあげるよぉ! その呪われた目から解放して、君を私の作る理想郷に連れて行ってあげるからさぁ!!」
僕を陥れた全てのしがらみは、朔来慎次郎にあった。
昨日まで信じて疑わなかった、僕を捨てた両親よりも親に近い存在だと信じ込んでいた。
でも違った。両親は最初から僕を疎んでいたわけじゃなかった。
結果は変わらないけれど、僕が両親に捨てられるのは決して揺るがない過去の事実だけれど。
僕の生を、最初から否定されていたわけではなかった、のかもしれない。
たったそれだけのことが分かって、それで十分だった。
だから。
僕は笑った。
「教えてくれてありがとう、「慎次郎さん」」
「は?」
目の前でいきなり名前を呼べば、一瞬くらいは隙を作れるはず。そしてそれは見立て通りだった。
彼が僕に触れるより先に、僕は僕自身に縛り付けていた最後の鎖を解き放つ。
それは、僕が僕自身を否定する思い。
生まれてきたことそのモノに対する自己嫌悪、苦しみ。
最初から化け物で、人間じゃなくて。
だから、誰にも向き合えるわけがなくて。
信じようとしても裏切られる、より先立つ、生まれてきてはいけない僕が人に信じられるはずがないという諦念。
己の生への否定、その鎖が今、砕け散る。
思えば、僕の能力は魔王眼にしろ未来眼にしろ、能力自体が相手に攻撃できる能力ではなかったというのも、この鎖のせいだったのかもしれない。
僕には無理だ、戦えない。その信念がモチーフとなって、僕の能力は覚醒したのではないだろうか。
そして獣と融合して理解した、未来眼と魔王眼の真の能力についても今なら説明がつく。
未来眼は本来、見たモノの未来を見通す能力ではなく、見たモノの未来を決定付ける能力だった。
しかしそれを僕は弱い心で見てきたから、ピンチの時の映像が見えたり、敵の攻撃を避け切れない映像が見えたりしたのだろう。できるはずない、その心が僕の未来をピンチな状況へと決定付けてしまった。数多くの苦戦を自ら強いる結果になってしまったのだ。
魔王眼は対象の意識や思考を掌握する。だがその実態は自分の意識や感情を相手にトレースさせる能力だったようだ。
ただ掌握し、動きを制限させるだけじゃなく、自分が恐怖の感情を強くイメージしてトレースさせれば、対象の中にある恐怖の感情が現れて精神を揺さぶれることができたようだ。
これも僕が自身を否定していたから、精神操作の効果が薄まってしまっていたのだろう。トレースがうまくいかなかったり、すぐに解除されることもあった。
そうした心の弱さを作っていた、その楔は確かに解き放たれた。
僕は最後の最後に、自分自身を信じる事を覚えた。
この心は、僕以外の能力者はすでに最初から持っていたモノだ。
僕だけがずっと、同じラインに立てないでいた。だから、アエリアや陽祐、仲間たちと対等に思えてなかった。でも、今は違う。
ようやく僕は、人を信じることを、人が信じてくれた僕を信じることができそうだ。
慎次郎が僕を絶望させようと嘲笑う姿のまま、止まっている。
僕の意識だけが、少しだけ前の時間に遡っているようだ。
ゆっくりと僕の唇が動き、それを受けて慎次郎も長く感じる一瞬の呆気に取られる。
全てがスローモーションの世界で、僕の意識だけが同じ感覚を持っている。
「なんでもできる」
そう言ってみた。声は出ないし、誰にも聞こえないけれど。
今の僕には、精神的な限界を何も感じない。奇妙な程爽やかで、感じたこともないほど清々しい気持ちだ。慎次郎への裏切りの憎しみも、今の僕の前ではささいな事でしかない。
だから……なんでもできる。
僕は久々に作った笑顔をやめて、いつもの無愛想な表情で告げた。
「「真実眼」、開け」
僕の黒と銀が混ざり合って、両目が同じ調度の薄墨色に染まる。
同時に、世界が青白い光に包まれた。




