約束
「着火!」
河水樹の声と同時に、獣の四方に創り出された砲台が火を吹く。
だが弾は獣に到達する前に凍りつく。爆発せず、寸前のところで勢いを失い落下した。
先程までとは比べ物にならない冷気が、今の獣を纏っていた。まるで王が纏うマントのように、風雪が吹き荒れていた。
「まだまだァ……!」
河水樹は次の砲台を創り直し、獣の前方から一点集中で砲撃する。
獣自体に弾を当てるのではなく、弾同士を爆発させた衝撃と熱量で攻撃する作戦だ。
「ビュァアアッ!」
効果はあった。獣は爆風と熱によって氷の台座の奥に追いやられた。
僕はそれまでの戦いの衝撃で砕けた氷の破片を武器に、後ろから獣に回り込んでいた。
倒れている獣の喉元まで素早く近付き、僕の身体が凍り付くより先に破片を突き立てる!
しかし、獣はすぐに飛び上がって体勢を立て直した。
「ぐああっ!!」
飛び上がると同時に振り回された氷装の尾の攻撃を喰らって、今度は僕が氷の床を転がっていく。
両腕で咄嗟にガードをしたため直撃ではなかったが、そのせいで両腕の感覚がなくなっていた。
折れているのか砕けているのか、はたまた壊死しているのか。僕の腕はもう、この戦闘で使い物にならなくなってしまった。
もう氷の破片も握れない。それでも、僕はあいつを殺す。
「よくも志輝くんを……あんたはあたしが殺してやる!」
近くでは河水樹が、恨みの声を上げていた。
立て続けに幾つも砲台を創り続けた河水樹。能力の限界を考えた温存か、攻撃の手を一旦止めている。
寒い環境にいるためか、彼女のアルビノの肌は一層血の気を感じなくなっていた。
獣の方はそのまま氷の台座から降り、河水樹が残した武器の山の上に着地する。
降り立つと同時に武器の山は丸ごとひとつの氷山となって凍り固められてしまった。
「あたしの能力が無駄になっちゃった。志輝くん、ホントに意地っ張りだね」
「黙れ」
「何でそんなにあの子を殺したがるの? 今の志輝くん、ちょっとおかしいよ」
「煩い」
「そんなに、アエリアの事が好きだったの?」
「お前は恋愛感情以外に物事を考えられないのか」
「だって世の中は好きか嫌いかの二択だよ。どっちかしかないんだから」
河水樹はそう言うと、僕の身体を力強く引き寄せ、唇を重ねてきた。
僕の腕が動かない、止める術がないのを知って、唐突に。
あまりに常識外れで突飛な行動に一瞬止まってしまったが、僕は首を振って唇を離す。
「ふざけるな」
「ふざけてなんかない。あたしは本気だよ、志輝くん」
唇に感触が残っている。柔らかく痺れ、しかし冷たい、河水樹の口付け。
その感覚には違和感があり、感じる痺れが唇から段々下がっていくのだ。
それは両腕にまで到達し、僕の動かなくなった腕に途端に感覚が蘇る。
「あたしの創造心は、たぶんこれで最後。ほら、あたし自分のことよりも志輝くんのことを優先してる。これでもまだ、あたしが志輝くんを愛していることを信じられない?」
河水樹は紅い瞳を薄めて、穏やかに笑う。
一体何なんだこいつは。魔王眼を用いても理解できないような奴に、僕が好かれているとでもいうのか。
この「戦い」で出会ってきた奴にはろくなのがいない。僕はお前なんかに情は動かされない。
「僕はお前が嫌いだ」
「知ってる。でも好き」
僕はもう何も言わない。無駄だ。こいつには、何を言っても。
獣がじっと僕と河水樹を見つめている。そう、僕はこいつを殺してアエリアの願いを果たす。そのために戦っているんだ。
それは恋愛感情じゃない。自分の命が消えそうな中でも僕を信じてくれていた彼女の、愚直なまでに人を信頼しようとした心を、裏切りたくないからだ。
腕に感覚が戻り、ついに傷まで癒えた。魔王眼の身体強化が再び発動し、腕に熱が入る。
「待たせたな、アエリア」
僕は獣ではない、その憑代だった少女に呼びかける。
僕の声に獣が反応する。獣は自身から放つ冷気をマントのように纏い、僕に注意を向けている。
僕はさっきとは別の氷の破片をその場で掴むと、台座を飛び下りて獣に直接飛び込む。
「志輝くん、そんなことしたらッ!」
獣の纏う冷気は、自身に向かってくる砲弾すら近寄らせず凍らせてしまう程に強い。
そんな中に生身ひとつで飛び出せば。
「死んじゃう、志輝くんッ!!」
何故そんな行動に出たのか。
未来眼の時は相手の出方を読み取った上で行動できるから、突飛な行動だとしても必ず意味を持つ結果となった。
でも今は魔王眼、その先の事など見えはしない。
ただ、自然に身体が動いたのだ。
獣を殺す。そう強く思った時、僕は自分の身体を動かしていたのだ。
何故かなんて、そんなこと僕は知らない。
冷たい風が加速度的に強くなり、肌を刺す痛みになる。
身体中に満ちた熱が、再び冷まされていくのを感じる。
そして、白い世界が僕を支配した。
初めて僕が未来眼という能力を手にして、対峙した能力者との「戦い」。
その最後は呆気ないものだった。僕の渾身の突進がただの体当たりになり、僕と能力者はもつれて転がった。その所為でお互いの戦意と集中が途切れて、決着がうやむやになったのだ。
それが僕の「戦い」の緒戦の記憶であり、殺し合いのシステムを超えた“協力関係”を結ぶきっかけであった。
何故、今になってこんなことを思い出してしまったのだろう。
白い世界の中心に、一粒の光を見た。
獣の瞳、かつて彼女がしていた琥珀色の瞳が、真っ直ぐに僕を見据えていた。
僕と、眼を合わせていた。
だから試した。僕の身体が凍り付く前に、獣へ、魔王眼の支配を。
『約束を果たすぞ、アエリア』
冷気のマントが剥がれ、その瞬間身体に熱が戻る。
破片を握る力が蘇り、戻った力を込めて腕を突き出す。
伸ばした破片の先が、獣の眉間に突き刺さった。
「ビュゥゥウアアアアアアアアッッ!!!!」
獣は痛覚で魔王眼の支配から抜け出したのか、両前足を勢い良く叩き付けて空中に逃れようとした。
僕は悶える獣によって破片から振り解かれたが、獣が足で砕いた氷の山……河水樹が作っていた武器が反動で飛び出たものを蹴って後を追う。
その衝撃によってか、獣へ続く道筋の先に、アエリアが作っては攻撃のために用いていた、先端に向かう程鋭利になる氷塊……氷柱が浮いていた。
槍、鉾、様々な武器と砕け散る氷塊の柱の上を駆け、手の皮膚が剥がれる痛みも忘れる程力強く握りしめ、僕は獣へ最後の突進をする。
そして、懐に入った。
「ありがとう、アエリア」
獣を肩に抱くように、氷柱を獣の腹部に突き貫く。
力の結晶である獣から、力が抜けていく感覚が全身で理解できる。
空中で一つの塊となった僕と獣はそのまま氷の上へと落ちていく。
しかし、力がなくなりモノとなった獣の死骸が下に回り、僕と地表の緩衝剤となった。
「僕を信じてくれて、本当に……」
僕の身体は、まだ少しだけ獣の熱を感じている。だがそれもすぐに冷えるだろう。ここは、氷の世界なのだから。
緊張が緩んだのか、意識せずに解除される魔王眼。
凍える世界の中、僕は獣の死骸の上で眠りに就いてしまった。
次に目を覚ました時、空は夕焼けに染まっていた。
隔離空間が解除され、何事もなかったように緑の木々が生い茂る、山の広間に世界は戻っていた。
僕はどうやら、木陰で眠っていたようだ。
ここに獣の姿はない。隔離空間の中で死んだモノは、あの空間と共に消滅したのだろう。
しかし、あんな状況で気を失ってしまうなんて。不用心にも程がある、あの場には河水樹がまだ残っていたというのに。
考えが回りだしてようやく思い出した河水樹という存在は、周囲にいる気配はない。代わりに、ズボンのポケットの中に紙が入っていることに気付く。
開こうとして、僕の右手が凍傷でボロボロになっていたことを思い出した。直に氷を握りしめていたからだろう、皮膚がずれて血が滲んでいた。
動かすのも躊躇うが、奴からの伝言なら嫌でも見ておいた方がいいはずだ。我慢して、どうにか紙を開くと。
『連れて帰る元気なくてごめんね また明日』
それだけが書かれていた。見たことはないが、間違いなく河水樹の字だろう。
何が「また明日」だ。僕は会いたくないぞ、もう。
僕はゆっくりと身体を起こし、山道に出る。
孤児院に帰ろう。これだけ時間が掛かってしまったんだ、恐らくレジストは見つかっているはずだ。
それに、アエリアについても報告しなければならない。
僕は右手の肉に少しだけ残った氷の粒を眺めながら、帰路を辿る。
身体の奥の何かが、疼いた気がした。
『レオ・マイオールとアエリア・サダルメリク、二人のアルーフがやられてしまったようだね』
太刀川市内を浮遊するファミリアが、ホログラム体を通行人に見せつけるように動き回る。
しかし人々は彼女の存在に関心を持たない様子だ。試しに帰宅途中のサラリーマンを目隠ししてみるが、彼はぼうっと疲れた表情を変えずに歩いてゆく。まるで、存在そのものを感知されていないようだ。
『アルーフを使って“絶対”発動の条件を満たす……あまりに「戦い」が続かないから、ちょっとズルしてやろうかと思っていたけど』
ファミリアは反応が返ってこないことに落胆し、車道の中心を闊歩することにした。
信号は青に変わったばかりだ。車は待ちくたびれていた分速度を上げて、彼女に向かいアクセルを踏み込む。これもまた、彼女の身体を貫通して何事もなく通り過ぎてゆくのだが、やはりドライバーの表情は変わらない。彼女は少しだけ、悲しい顔をした。
『結果的にはちゃんと殺してくれるじゃない。人の姿をしていないだけで、そんなに簡単に殺してくれるようになるなんて思わなかったな。アエリア・サダルメリクについては意外だったけど』
彼女はこんこんと、その場にしゃがみ込んでは床を叩いた。実際には触れていないので音は鳴らないし手も痛くないが、これは合図の役目を持っているので関係ないのだ。
この合図をきっかけに、先程通り過ぎた車が突然、爆発を起こした。
『まさか彼女までもがアルーフに喰われてしまうとはね。あれはボクが最後の一押しをしてあげて、初めて殻を破ることができる手筈だったんだけどな。嬉しい誤算ってモノだね、これはさ』
爆発の後、その音と風で非常事態を悟った先程のサラリーマンは、一瞬の内に上顎から上を何かによって吹き飛ばされ、鮮血を吹き上げながらコンクリートに沈んだ。
『とすると、残る三人の参加者たちにも、勝手にアルーフを解き放ってくれる可能性があるってことだよね。そしてそのアルーフは参加者によって問題なく殺されるから……うん、しっかり最後の一人が人の姿で残ってくれそうだ。良かった、最後の一人までもアルーフだったら、ボクが全然嬉しくないしね』
この通りは隔離空間ではない。ここで起こった凄惨な事件は、消えることなく明るみの中に残る。
『すべて……すべてが漸く軌道に乗ってきた。これでボクの目的も、そろそろ最終フェーズに入ることができる。そうだよね、キュリオ?』
名前を呼ばれ、彼女の近くに紅い塊が落下する。着地と同時に、車道の上に鮮血の花が咲いた。
「えへへ、さいきんのふぁみりあはきゅりおにやさしい! いっぱいにんげん、たべさせてくれる!」
花の中心には、人間だったモノ……今では彼女の食糧となった肉片を持った、キュリオがいた。
「またさんかしゃ、たべていいんだよねっ? おいしいの、いっぱいたべていいんだよねっ!?」
『参加者は一人にしてよね。一人喰われちゃえば、もう一人がアルーフになっても最後の一人は人間のままだから』
「えーっ、きゅりお、きいてたのとちがうー!」
ここに来る前に沢山食べさせてあげたというのに。ファミリアは心の奥でキュリオの食欲に呆れていた。
『実行委員の奴ら、そんなにマズかったのかな? 質はともかく、量ならたくさんあったと思うけど』
「うーん、ほとんどがふつーのあじだったよ? きゅりおね、むかしにたべたじっこういいんとね、さんかしゃのあじがすきー!」
『そっか。そう言ってくれると、ガードも喜ぶと思うよ。優しい子だね、キュリオは』
「えへへ~」
ホログラムの手で撫でる素振りをするだけで、キュリオは満面の笑みを浮かべる。
この子は仲間にしていて一番使いやすい。ボクの計画に不要になった実行委員共を皆殺しにするのに、彼女の能力と食い意地は本当に役に立った。
まあ、最終フェーズに入ればこの子も不要になるんだけど。
『さ、今頃みんな疲れ切っているだろうし、楽してゆっくり食事を楽しんできなよ』
「うん! いってきまーす!」
全身血まみれの少女が、夕焼けの朱に混じって飛んでいく。目的地は前回彼女が行った場所と同じ、さくらい孤児院だ。
残ったファミリアは次第に騒がしくなっていく通りを悠然と進みながら、キュリオの後を追う。
表情が狂喜に歪み、それが発端となったのか、ホログラムが剥がれ落ちていく。
その内側に見えた姿はファミリアとはとても似つかわしくない、穏やかな微笑みを浮かべる人物の姿だった。
完全にホログラムが消えると、その人物は踏みしめた地面を見下ろし、何事もなかったように歩道に戻ってから再び歩き始める。
「私の願い……叶えてくれよ。エリクシル」
集まり始めた人混みに紛れ、その人物は姿を消した。
その場に残るのは、彼が残した邪悪の意思だけ。
エリクシルはその意思を前に、瞳を伏せて立ち尽くしていた。