彼女の温もり、彼女の眼
温かい。
アエリアの温もりを、服を通して感じる。
腕が腹に回されていて、きゅっと締め付けられている。
理解できない。何故、彼女は僕を抱き締めているのだろうか。
「アエリア」
「少しだけ、このままで……このままで、いさせてください」
彼女の表情が見えない。だが、声や腕が震えている。
何故だ。彼女は何を考えている。
以前かなめに恐怖のあまりに抱きつかれたこともあったが、それと同じなのだろうか。
「また予知夢を見たのか?」
「……黙っててください」
帰ってきた声のトーンが低い。何か違うようだ。
あのアエリアに黙れとまで言われてしまった以上、僕はどこか気圧されるものを感じて口を噤む。
どうしたものか。レジストは他の奴が探しているだろうが、人手は多いに越したことは無い。
彼女も緊急事態であることは理解しているはずだが。
「志輝くん……私、貴方に出会えて本当に良かったです」
少しして、彼女はそんなことを言い出した。
「初めて出会った参加者が貴方だったから、この「戦い」を今まで生き残れた。貴方が私と手を組んでくれたから、貴方が一緒に戦ってくれたから」
一つ一つ連なっていく言葉は、まるで遺書のように、儚く僕の耳に届く。
「感謝、しきれませんね。私、志輝くんに助けられてばかりで」
「助けたつもりはないがな。協力者は利用し合うものだ」
「ふふ、志輝くん、初めて会った時みたいなこと言ってます。でも……そうだとしても、いいんです。私は勝手に、志輝くんに助けてもらったんだって思ってますから」
「勝手にしろ。僕は知らない」
「じゃあ勝手にします。私、志輝くんにたくさん助けられました。だから、私も協力者として、志輝くんを助けてあげたいって思います」
腕の力が強まる。ちょっと苦しいくらいだ。
強まれば強まるほど、彼女の震えをより鮮明に感じ取れる。
彼女は、何を思っているのだろう。
「私、志輝くんの孤独に、お邪魔したいってずっと思っていました。貴方の孤独の、隣に居れたらと。信じてもらえなくても、利用されるだけでも、私のことを欲してほしいと思っていました。それはかなめさんよりも、エリクシルさんよりも」
僕の孤独の、隣。
「志輝くんのこと、好きです。誰よりも、貴方を想っています」
彼女は、僕の孤独の、隣に居ようとしたのだ。
僕の孤独の心までも、彼女はその優しさ……強いエゴを以って、包み込もうとしたのだ。
「……本気か。僕の気色悪い目の色は知っているはずだ」
「銀の瞳も黒の瞳も、どちらも志輝くんだけの魅力です」
「化け物だぞ」
「私だって、化け物ですよ。志輝くんと同じです」
「そもそも僕達は「戦い」の参加者だ。殺し合う間柄だろう」
「志輝くんだけになら、殺されてもいいですよ」
平然と返って来る答えに、驚きを超えて呆然としてしまう。
「冗談じゃない。疲れているだけじゃないのか、アエリア」
「う、酷いです志輝くん……私、一生懸命、本気の告白をしているんですよ?こんな恥ずかしいこと、志輝くん以外に言えませんよぅ」
殺されてもいい、なんてのは恥ずかしいなんて問題じゃないと思うのだが。
まさか、アエリアが僕に恋愛感情を抱いていたとは。信じられない。
「……どうですか、志輝くん。答え、聞いてもいいですか……?」
不安げな声が、僕に掛かる。
しかし、僕が恋愛など有り得ない。人を疑うことしかできない僕が、誰かを愛することなどできないはずだ。
月乃の時もそうだ。僕の深い疑心は人を不幸にする。だから、僕には恋愛以前に人を信じられないんだ。
できない、はずなんだ。
僕は彼女の腕を解き、その温もりが離れ外気に冷えることを感じつつ彼女と向かい合う。
彼女は俯き、美しい青の髪で表情を隠していた。
白い頬が、耳まで紅潮している。息も荒い様子だ。
行き場をなくした両腕は下がり、スカートの裾を握って恐怖を堪えている。
誰も信じられない。彼女だって、いつ裏切るかわからない。全て演技である可能性もゼロではない。
だが、これまで彼女を見てきた事実として、彼女は人を裏切れるような器用な人間じゃないことはわかる。
彼女は、本当に僕を……僕の孤独を、僕の疑心をも受け入れてくれるのだろうか。
「……僕は」
思考が巡り過ぎて、何かが振り切れたような感覚。
「お前を殺すつもりなんて、ない」
真っ白になった頭に残っていたのは、彼女の儚げな微笑みだった。
「だが、お前の期待したような仲には……なれない」
彼女の手から、力が抜けたのが見えた。
「怖いんだ。僕は誰かに裏切られる以上に、信頼した誰かを裏切ってしまうことが。僕の疑心はお前をも裏切り得る。それが、怖い」
ただでさえ、いつ僕の中の獣が現われるかも分からないというのに。
これ以上、僕は何も失いたくない。彼女との協力関係も、その上に置かれた彼女の信頼も。
「すまない、アエリア」
彼女は顔を伏せたままで、頬に涙を伝わせた。
「……志輝くん、ごめんなさい」
謝るのは、こっちの方だ。
そう、彼女に告げようとした時。
顔を上げた彼女を見て、僕は言葉を失った。
彼女の右目が、深黒に染まっていた。
「夢の通りに、真剣に向き合ってくれて、良かったです」
「アエリア……何だ、その眼は」
僕の右目のように、彼女の右目が黒く染まっている。しかし、その色の質はまるで違う。
彼女の右目は、まるで焦げたか腐ったかのような、黒ずんだ様子だ。
「じきに……私の中の獣が、出て来ます。ですから志輝くん、最後のお願いです。私を、殺してください」
「……何を、言っているんだ」
彼女の身体が、白い肌が、時間が経つにつれ斑点のように黒ずんでいく。
その肌は黒くなった後、強烈な冷気を放ち白い煙を放っていく。
「昨晩から、予兆がありました……でも、間に合ってよかった、最後に貴方に私の気持ちが言えて、本当に良かった。ですから……私の獣が大好きな人を殺さないように、貴方が私を殺してください!」
「ぐっ……」
炎に焼かれているかのように、黒ずんでは煙を放つ彼女の身体。目の前にいた僕は、彼女から放たれる冷気に押し飛ばされてしまう。
強い冷気は次第に吹雪となって、彼女の氷に焦がれる姿も白く見えなくなる。
彼女から少し距離が離れてしまった。立ち上がると、足元に氷でできた日本刀が転がっていた。
アエリアが作り出した、彼女を殺めるための凶器だ。
「早く……もう、獣を抑え切れませんっ! 志輝くんっ!!」
殺すつもりはないと、言ったばかりなのに。相変わらず勝手が過ぎるぞ、アエリア。
僕の能力による身体強化でも、流石に彼女を中心に吹き荒れる猛吹雪を突っ切ることはできない。
一か八か、この刀を彼女に向かって投げるしか攻撃する方法はない。
だが、僕は。
『しき、くん……おねがい、です……』
吹雪の轟音で聞こえないはずの彼女の囁きが、聞こえた気がして。
『Open Your Eyes……』
「アエリア、“止まれ”ぇぇっ!!」
彼女を見通した魔王眼が、一瞬吹雪の勢いを弱めた。
彼女の残った最後の意識を僕が乗っ取る。
内側の獣が、今にも彼女を食い破ろうとしていたのを感じ取る。
その動きを押さえつけて鈍らせる。まだ、彼女自身に力が残っている間に。
「すまない、アエリア!」
僕は、拾い上げた氷刀を彼女がいるであろう吹雪の中心へと投げつけた。
強化された腕力で打ち出された氷刀は弱まった冷気を切り裂きながら、その奥を目掛けて突き進む。
刀が刺さったかどうか、それを確認する間もなく、強制的に彼女の意識とのリンクが解除されてしまった。
リンクが途切れたということは、魔王眼の対象に支配するべき意識がそこから消えたということ。
それはすなわち、「彼女が死んだ」ことを意味する。
「ビュオオオオオオオオオオオオオッッッ!!」
だが、感傷に浸っている時間も与えられないようだ。
吹雪が再び強くなったかと思えば、中心から禍々しい獣の遠吠えが轟いたのだ。
そして吹雪の中に混じって、投げたはずの氷刀が飛び交い、僕の足元に深く突き立った。
刀は彼女の身体を突き刺すことは出来なかったようだ。
「獣……」
自らが生み出す冷気の渦を引き裂いて現われたモノは。
熊よりも大きな身体で、全身の至る箇所を氷の外骨格で覆った、狼のような姿をした黒い獣だった。
鎧のような白い氷からはみ出る黒い体毛の毛先は冷気で鋭く固まり、先端に行く程に美しい青へと染まっている。彼女と同じ青だ。
自身が放つ冷気が周囲の空気中の塵を氷結させ、簡易的なダイヤモンドダスト現象を引き起こしている。
野生的な荒々しさを体現したレオの獣と違い、アエリアの獣はどこか高貴で理知的である印象だ。
恐怖よりも麗美を感じさせるその獣は、高貴な風格を持って一歩一歩僕に向かってくる。
分かっている。あれは彼女じゃない。あの獣に、彼女の意識など存在しない。
僕は彼女の形見となった氷刀を地面から引き抜き、かつて彼女から教わったやり方で隔離空間を発現する。
ファミリアが来ないことを祈る。ここにいる獣もまた力の結晶だが、これは奴にだけは絶対に引き渡してはいけない。
この獣だけは、絶対に、僕の手で止めを刺してやらなければならない。
「行くぞ……アエリア」
僕は手に持つ氷と目の前の氷狼の二人に呼びかける。
同時刻、レジストを探しに住宅地周辺から回っている陽祐は、協力を頼みにかなめの家の前まで来ていた。
だが奇妙なことに、インターホンを鳴らしても彼女はおろか家族の誰一人として応答をしないのだ。
彼女の父親は働きに出ているのだとしても、母親は専業主婦だと聞いている。買い物にでも行ってしまったのだろうか。
仕方ない、と彼女の家を後にしようとした時。ふと見上げた彼女の部屋の窓から、かなめがこっちを見ていたことに気付く。
彼女は部屋に居た。今はカーテンの奥に引っ込んでしまったようだが、彼女の姿を確かに見かけた。
「かなめ!」
無礼を承知で、陽祐は彼女の家に上がった。
何故か施錠はされていなく、玄関に上がると真っ直ぐかなめの部屋に向かう。
昔、志輝と二人でかなめの部屋で遊んだことを思い出す。だが、懐かしんでいる場合ではない。
さっき見かけた彼女の様子はどこかおかしかった。まるで、俺に会うのを避けているように見えたんだ。
彼女の部屋に辿り着き、そのドアを勢い良く開ける。
「きゃっ!? よ、陽祐……?」
かなめはやはり部屋にいた。もう昼も回るのに寝間着のままで、どこか疲れている様子をしている。
「どうしたの? 何か、用事?」
「どうかしたのはそっちじゃないのか、かなめ? 何か様子が変だぞ」
話しながら、部屋を軽く見渡してみる。何かが、この部屋の何かが気になるのだが……
「えっと……あんまりじろじろ見られるの、やめてほしいんだけど」
そう言う彼女の足元、ベッドの下の暗がりから、一瞬ではあるが、何かの光が発せられたことを見逃さなかった。
「ちょっとすまない」
「って言ってるそばから何しようとして……っ!」
かなめを一旦ベッドの上に乗せて、光の正体を探ろうとベッドの下に手を伸ばした。
手に触れたのは、手に収まる程の小さな水晶の欠片だった。部屋が暗いからか、水晶自体も黒いもののように見える。
俺はこの水晶に見覚えがある。以前の戦いでレジストが、倒れたフィアーズから能力を吸い取る時に利用されていたモノだ。
そしてそれは、昨日見た“絶対”と同類のモノであるだろうと直感した。
「どうして、お前がコレを持っているんだ!?」
「わ、私……」
かなめに詰め寄り事情を聞こうとすると、瞬間、俺達を取り巻く世界が変質したことを感じる。
空が紫色に染まった。隔離空間が発現されたのだ。
これでは能力者ではないかなめと、世界が切り離されてしまう。話が聞けない。
しかし、隔離空間の中でも、かなめは姿を消さずに居た。
以前、能力者レオの血を浴びていたことで、能力者と誤認されたかなめが隔離空間に残っていたことがあった。
「お前、また誰かの血を?」
だが今の見た様子では誰かの血を浴びたとは思えない。
かなめは紫の空にかつての恐怖……俺が与えてしまった恐怖を思い出したのか、震えてその場にうずくまってしまった。
この状況で隔離空間が発現されたということは、目覚めたレオと志輝やアエリアが戦闘を開始したということだろうか。
すぐにでも助太刀に行きたいところだが、かなめが心配だ。せめてケアが来てくれれば、かなめを任せることができるのだが。
「私……私、ね……」
震える身体を押さえ込もうとしながら、かなめは俺に言葉を向けた。
とんでもなく突拍子な、言葉を。
「私の中に……レジストさん、入っちゃったみたいなの……」
かなめの中に、レジストが入る……?
「どういうことだ?」
聞かずにはいられない。探していた人の名前が出たのだから。
「今朝レジストさんが私の家に来て、私にその水晶を当てたら何か光が私に入ってきて、そしたら私の身体が真っ二つに割れて、その中にレジストと大きな猫みたいなのが入ってっちゃって……」
彼女自身も混乱しているのだろう、言っている意味がよくわからない。
だが、どうやらレジストはこの水晶を使って、かなめに能力を与えたらしいことはわかった。
隔離空間で動けるのは能力者だけ。そして、この水晶にはフィアーズの能力が吸収されているはず。
フィアーズの能力は、自らが異次元的な空間を自在に作り出し、そこに様々なモノを収納するものだった。
かなめの身体が真っ二つになるのはよくわからないが、例えばそれがフィアーズほど能力の強まりがない時の、能力発現のきっかけだと考えられる。そういえばそんな話をフィアーズ自身からも聞いた覚えがあった。
つまり、彼女は自身に与えられた能力で空間を作り出し、その中にレジストと獣が入り込んでしまったということだ。俺は志輝ほど頭は回らないが、そう考えていいはずだ。
「かなめ、もう一度その能力を使うことはできるか?」
「ええっ、何で私が変な力使えちゃったこと知ってるの!?」
考えはやはり当たっていたようだ。でもかなめ、今はいちいち説明している場合じゃないんだ。
「や、やってみる、けど……」
かなめはふらふらと立ち上がると、深呼吸を数回繰り返した後覚悟を決めた面持ちになる。
「く……あぁっ……」
彼女の身体が、頭からつま先まで縦に真っ二つに割れる。断面図はかつてフィアーズがケアを閉じ込めていたあの空間と同じ、複数の絵の具を混ぜたかのような混沌色をしている。
本来能力者でないかなめが無理矢理能力を発現させているんだ。心身のダメージは俺達の比じゃないだろう。
「ありがとう、かなめ」
俺は彼女が開いた異空間へと、その身を投じた。
何か、遠くから声が聞こえてくる。
女性の声だ。必死に、何かを訴えている。
俺は嫌でも思い出す、かつての異空間の創造主への嫌悪感を振り払いながら、その声のする方へ進んでいく。
そして、見えた。見つけた。
「頼むよ坊主……思い出してくれよ、自分のことを」
傷だらけの身体で、レオの獣に必死にしがみつくレジストの姿。
全身と言っていいほど切り傷が刻まれ、血まみれになっているその姿を。
獣は目を覚ましていた。レオの瞬風脚と同じように、鋭利な旋風を起こしてはレジストを切り付けていたのだろう。
こうなった経緯を問い質したいところだが、このままではレジストの命が危ない。すぐにでも手当てが必要だと遠目でも分かる。
「レジスト! 今助ける!」
俺は両腕を炎で灯し、その炎を噴き出す推進力で一気に獣の前まで突っ込む!
獣は俺の存在に気付き、長い前足をバネに大きく跳躍し距離を取る。
「待ってヨウスケ! 坊主はまだ、完全に死んじゃいないはずなんだ!」
レジストは獣の鬣にしがみついたまま叫ぶ。そんなことが、有り得るのだろうか。
「コイツはまだ人間の心を持っているんだ! コイツはユエルを、カナメ嬢ちゃんを覚えていた!」
かなめを、覚えていた?
獣が、かなめを。どうして。
「暴れていたコイツは嬢ちゃんを見た途端に動きを止めたし、ユエルという名前にもちゃんと反応を示している! 彼女らは坊主にとって大きな存在だった、だからコイツ自身にも、坊主の記憶が残っているはずなんだ!」
獣はレジストの言葉を嫌がるように、身体を振り回してはレジストを剥がそうとする。
満身創痍のレジストはそれでも強く獣から離れず、言葉をかけ続けている。
「アンタ、シキ達と一緒に戦って、ただ乱暴に力を振り回すだけじゃダメだって気付いたんだろ! この「戦い」で勝ち残って、欲しかったモノがあるんだろ! 思い出してくれよ、坊主!!」
レジストの叫びは、獣に届いているのだろうか。俺には、もうそいつがレオだとは思えないのに。
獣は鬱陶しいのか、両脚を風に変換して、渦を巻きつつ上昇していく。
レジストの身体がずれ落ちそうになる。鬣を掴んで踏ん張っているが、彼女にもうそこまでの余力が残っているとは思えない。
まずい。俺は再び炎を噴出させ、彼女に向かって推進する。
「グァアアッ!!」
これまでの鬱憤を晴らすかのように、獣は一気に渦巻いていた風を解き放った。
能力による制御が消えた暴風はすぐ近くのレジストと、レジストに向かう俺をまとめて襲う。
「火之迦具土ッ!!」
俺の腕の炎が一気に膨れ上がり、俺の背後で巨大な爆炎の魔神を象る。
炎はそのまま荒れ狂う風に突っ込み、その威力を大きく相殺させる。
その間にレジストを、炎を解いた片腕で抱える。
「ぐああっ!」
片腕だけでは力不足だった。獣の暴風は俺の炎すら巻き取って、爆炎の竜巻となって俺とレジストを遠くに弾き飛ばした。
かろうじて炎のクッションを作り出し、床への直撃は免れたものの、その衝撃は二人にダメージを与えるのに十分過ぎた。
俺は自分の身体の痛みよりも、腕の中にいるレジストを気にかける。
腕の中に広がる大量の血の生暖かさと、僅かに下がっている彼女自身の体温が、俺の脳裏に考えたくない最悪の事態を想像させる。
「ぐぅう……ばか、やろう……」
彼女は瀕死になりながらも、あの獣をレオと信じて疑わない。
どうすればいいんだ。俺は、奴を倒していいのか。
「頼むヨウスケ、アイツは……」
言葉の途中で、レジストの力がすっと抜けた。
まだ寝息がある。死んじゃいないが、このままでは間違いなく力尽きてしまう。
一旦外に出られれば、いやこのまま出たらかなめが獣に襲われてしまう危険がある。
しかしレジストをこのまま放っておくことは出来ない。彼女にはすぐに手当てが必要だ。
獣を倒すしか、道はない。だがそれは、レジストの思いを無下にしてしまう。
俺達が獣を連れ帰った昨日から、彼女の様子は別人の様に変わってしまっていた。
今の彼女は昔のような凛々しさはなく、まるで幽閉されていた奴隷のような仄暗い眼をしていた。
かつて俺がしてたものと、同じ眼だ。
だから、俺は彼女の気持ちに同情できてしまう。同情してしまうからこそ、彼女の最後の希望とも言えるあの獣を倒してしまった場合の、その結果が容易に推測できてしまうのだ。
獣は俺達がその場から動かない様子を観察するように見やった後、この異空間の更に奥を目指して走り出した。
この空間は術者自身の意思が無い限りは永遠に閉ざされ続ける。かなめが空間を開かない限り、獣を逃がすことはない。
倒さなくても、せめてダメージを負わせて気絶させることができたなら。
現状を打破するには、どうしても獣と戦う必要がある。
俺は渦巻く迷いをレジストに預け、獣の後を追った。