サダルメリク
僕がエリクシルと改めてパートナーになったその日。魔王眼を手に入れ「戦い」に復帰したその日。
帰ってきた僕とエリクシルは、全員に全てを話した。
エリクシルの能力による「戦い」のシステムの捏造、未来眼の真の姿としての魔王眼、“絶対”を用いたファミリアの目的。全てを。
「河水樹白里さんはどうなるんですか?」
ひとしきり説明が終わって、ケアが口を開いた。
「彼女はこの「戦い」での私のパートナー、それは変わらない。彼女のサポートは引き続き行うつもり」
「無茶苦茶ですね。彼女は「戦い」を推進させるために向こうが用意した参加者でしょう? 彼女へのサポートはつまり、こちらの目的の障害を自ら用意することになる」
エリクシルの変わらない表情に、バリアは疑念を隠せない様子だ。
彼ら参加者のパートナーとしての実行委員達は、上層の企みを全く知らされていなかったのだから当然だろう。
「この情報も貴女の捏造した偽物である可能性もあります。貴女が向こう側からのスパイでないと言い切れない以上、手放しで信用するわけには行きませんよ」
いつもならこうした疑心は僕が抱えているのだが。当事者といえども、相手を疑いたくなる気持ちはよく理解できる。
「河水樹白里が過度に干渉しないように抑えておく。戦闘になれば、すぐに引かせる。「戦い」はもう体裁を保っていないけれど、彼女自身は戦い続けるだろうから」
「彼女を制することが出来ると? ですが……」
「バリア、やめてください」
エリクシルの態度や言葉に苛立ちを覚え始めていたバリアに、アエリアの声が掛かる。
「私はエリクシルさんを信じます。志輝くんは実際新しい能力で私達を助けてくれましたし、エリクシルさんは元から私達の仲間じゃないですか!」
「アエリア、貴女は甘過ぎる。その無防備な信頼は、敵に首元を曝け出しているだけだとまだ分からないのですか」
どうやら矛先がアエリアに向いてしまったようだ。彼のこのような姿を見るのは初めてだが、こうした言い合いは初めてではないようだ。
「身近な人すら信頼できずに、平和な世界は作れません!」
「この世界には貴女のような人だけが生きているわけじゃない。今までもそういう輩を相手にしてきたでしょう?」
「でも、そうした人たちも、本当はきっと優しい心の持ち主のはずで……」
「貴女の戦う理由を思い出してください。皆が皆貴女の思う人でないからこそ、貴女は命を懸けて世界を救おうとしているのではないのですか?」
「止めなさい二人共。少し頭を冷やすべきよ」
二人の間にレイズが割り込み、二人の喧嘩が一旦落ち着く。
「……部屋で休みます」
バリアは眼鏡を指で押さえつつ、客間を後にする。
事態の把握が追いついていないのだろう。混乱するのも仕方ない。
「戦闘の後で皆疲弊し切っている。今日は休んで、今後については明日また話し合いましょう」
二人の仲裁のついでに、客間に残る僕達にも声を掛けるレイズ。彼女の冷静さが、今は一番頼りになる。
今、一番冷静でいられる……いや、ようやく冷静になれたのが彼女くらいだからだろう。
混乱を運んだ当事者の僕とエリクシルを除けば、疲れきったアエリアと陽祐、事態を飲み込めないバリアとケアしかいない。
僕達もまばらに客間を出て、それぞれの部屋に帰る。
レジストの様子は、見ていられない。
翌朝。僕はバリアに呼び出され、彼の部屋にいた。
「以前から考えていました。貴方には、話しておくべきだと」
開口一番、彼は僕の目を見据えて告げた。
「アエリアの、“過去”について、です」
あいつの、過去。
確か前に、あいつのことを知って欲しいとか言っていたようだが。
「あいつの戦う理由に関係しているのか?」
「察しが良くて助かります。貴方がパートナーだったら、私も仕事がやりやすかったでしょうね」
真顔で冗談を言う性格、なのだろうか。ピクリとも動かない表情の不気味さにはエリクシルで慣れているが、彼の冷徹で鋭い眼差しには未だに慣れない。
「……彼女は元々、とある小国の貴族の娘でした」
こちらの反応を待つこともなく、彼は話を始めていた。
その小国で神事を行う家系の長女だった彼女は、両親や妹、世話役の執事と幸せな日々を築いていました。誰にでも優しく、でも間違いに正しく立ち向かえる、強い娘だったそうです。
ですが彼女の妹の十二歳の誕生日の夜に、事件は起こりました。
家の人間が全員寝静まっていた深夜、強盗が襲いかかってきたのです。
国でも有数の貴族の位でしたから、狙われやすいのは当然。対策のセキュリティは万全でした。
それでも小国故の至らなさか、ただの野蛮な悪党に容易く突破されてしまった。家は荒らされ、金品は奪われ、家族も使用人も惨殺されました。
しかし、彼女だけは、アエリアだけは生き延びていたのです。
アエリアは悲劇のヒロインとして国中から憐れみの目を向けられ、身寄りの無い彼女を養子に引き取りたいと申し出る人々は後を絶たなかったそうです。でも彼女はどこにも行かなかった。
彼女は国王に謁見しました。彼女は、あの強盗達を家に襲わせたのは国王なのではないかと、強く疑っていたからです。
国王の評判は決して悪くなく、国民からの支持も厚い優秀な指導者として有名でした。
サダルメリク家とも関係は良好だったのにも関わらず、彼女の突然の詰問を受けた国王は、彼女を反逆者として追放しました。
国民の彼女を見る目は一転、信頼できる国王を不当に罵った反逆者として彼女を見るようになりました。彼女は死刑囚として牢屋に収容され、様々な恐怖に身も心も苦しめながら、執行の日を待っていました。
そして執行前日の夜、私は彼女と鉄檻越しに出会いを果たしました。
私はこの国のどこかに、担当になるであろう人物の存在を感じ取っていたからです。
冷え切った地下牢の中で白い息を吐く彼女に、私は「戦い」と能力の説明をしていました。
彼女の目は虚ろでした。精神も擦り切れて、疲れ果てていたのでしょう。
「私に……ください、その力……私にしがらみを壊す、異能の力を……!」
彼女に氷装骨の能力が覚醒されるや否や、彼女は白い肌を介して手当たり次第に周囲を凍らせ、砕いた地下牢を脱獄しました。
私の制止も聞かずに、彼女はその足で王の眠る王宮に侵入。近衛兵達を巻き込みながら、緊急事態に飛び起きた王と対峙しました。
「死に損ないめ、あの時死んでおけば、あのような生き地獄を味わうこともなかっただろうに!」
王は彼女の言う通り、本当は悪の王でした。どのような意図があって一家を陥れたのかは分かりませんが、何か都合の悪い事を知られたために口封じを行ったのでしょう。この手の話ではよくあることです。
彼女は能力の限界も知らず、ただ乱暴に力を振るって王を氷塊に閉じ込めました。それだけでなく、国一つを一枚の氷山にしてしまいました。
全てを終えた彼女は限界を超えた痛みに苦しみながら、眠りに就きました。
目を覚ました彼女は自分の行いを強く悔い、このような悲劇を二度と繰り返させない、争いや奪い合いの無い世界を手に入れたいと願いました。
私が出会ってからしばらくは、以前の生活のせいか弱々しく塞ぎ込みがちな様子でしたが、悲劇が起こる前までの明るさを取り戻したいと、持ち前の芯の強さで自分を奮い立たせていました。
そして二人で様々な国を巡りながら、参加者の国籍が最も多い日本を目指し、太刀川市に辿りついた、というわけです。
初めてアエリアと戦った時、彼女が口にしていたことを思い出す。
……世界中の人達が幸せに暮らせる世界を作るために。
自分が経験した悲劇のことだけじゃない。日本に来るまでに回ってきた国々の争いや奪い合いを見てきたアエリアは、その全てを救いたいと考えているんだ。
自分の事のように、相手の事を考えている。
あいつは馬鹿だ。本当に。
それがただのエゴだと、あいつは気付いているのだろうか。
だが、話を聞いていて不思議に思う箇所が多々ある。
「何故、あいつは強盗に殺されなかったんだ。どうして王が強盗を仕向けたと知っていた?」
「そう。問題はそこにあるのです」
バリアは眼鏡の縁を押さえ、一呼吸置いた。
「彼女は神事を行う家系の娘だとお話しましたが、彼女はその血が特に色濃く受け継がれていたようでしてね。……いわゆる巫女、と言えばいいのでしょうか。彼女は能力や自分の意識とは別に、予知能力を働かせることができるようなのです」
アエリアが、予知能力を持っている。
時雨がキュリオに殺されること、自分の腕が噛み千切られることを、彼女は夢で見たと言っていた。
「代々霊的な能力に長けていることから、“神の声を聞く者”としてサダルメリク家の人々が神事に携わったそうですが……根拠が弱いので到底納得できませんが、どうやら彼女はそうした体質のようですね」
僕はエリクシルから、“絶対”がどういうものかを聞いている。それはこの世界の偶然を決定する確率“星の意思”が形を持ったものであり、考え方によっては「神」そのものと言える。
もし神を星の意思だとすれば、アエリアは星の意思の断片、未来の確率を読み取ることができる能力を持っている、そういうことになるのではないか。
能力を破られただけで数日間も彼女が衰弱していた理由も、氷装骨とは別の能力が働いていて満足に心身が休まらなかったからだと考えるなら納得もできそうである。
「私がこれを貴方に話した理由はですね。貴方の魔王眼を使って、アエリアの全てを読み取り、その能力を解明してほしいからです」
一人思考に耽っていたが、バリアの予想外の言葉によって一気に現実に引き戻される。
僕の魔王眼で、アエリアを見ろというのか?
「彼女自身も、予知能力の不透明さに苦しんでいます。この能力を能動的に引き出すことができるようになれば、ファミリア達の野望を阻止する大きな助けになるとは思いませんか」
「待て……そうだとしても、成功する保障はないぞ」
僕の魔王眼は昨日覚醒したばかりだ。対象の内面の全てを把握し掌握できる能力ではあるが、相手自身も把握できていないような潜在能力を、僕が操れるのだろうか。能力として発動を強行するにはまだ力が足りないように思えるのだが。
「では、今すぐでなくても構いません。機が熟したら、彼女を視てください」
まるで実験だ。
魔王眼はどんなに細微な僕の思考も相手にトレースさせてしまう。半端な精神で見ようものなら、スペリオルのように強い後遺症を遺してしまう可能性がある。
それに、どうにも仲間を相手に能力を使用するのは気が引ける。まだそれを行うには……
待て。誰が仲間だ。
確かに共闘はするが、仲間だとは認めていない。向こうが言ってきただけだ。僕はそう思っていない。
最近の僕の思考はどうにもおかしい。まるでもう一人の自分が居るかのように、知らずに誰かを頼りたがっているような考えになってしまっている気がする。
獣の襲撃を経て気が弱くなってしまったのだろうか。あの時も陽祐やアエリアに驚かれる程僕は信頼だ何だと口走っていたらしいが。
「どうしましたか、一人で顔色を変えて」
「……いや」
バリアに見られていた。
しばらく妙な気まずさに居心地の悪さを感じていると。
唐突に、部屋のドアが強く叩かれた。
「バリア! 志輝もいたか、二人共レジストを見かけなかったか!?」
返事を待たずに転がり込む陽祐。その形相、只事ではない何かがあったのだろう。
「彼女が見当たらないんだ、レオの獣も!」
その言葉に、頭の血の気が引く感覚を覚える。
彼女の昨日の様子は痛々しくて見ていられなかった。そんな彼女が誰にも知らせず獣を連れ去るなんて。
どこに連れていく。情の深い彼女のことだ、もし獣の中にレオの存在が重なっているのだとしたら……
「ファミリアに獣を引き合わせるのは危険だ」
奴に、獣について聞きに行く可能性だって、考えられる。
「獣を連れている以上、すぐには市内を出られないはず。手分けして市内を探りましょう」
「わかった、俺はアエリアにも声をかけてから向かう。志輝は先に行っていてくれ!」
「ああ」
アエリアの事もあるが、今はレジストの件が最優先だろう。
僕は孤児院を飛び出し、市内を巡りつつ、昨日スペリオルと対峙した山奥を目指した。
魔王眼の能力は未来眼よりも上限が少ない。下手に使うと不意の襲撃に備えられないので温存するつもりだが。
昨日能力によって軽々と超えられた山道は、今の僕には最悪の獣道となっていた。
よくこんなところを駆け抜けたものだ。身体強化の能力の有用性が身に染みる。
能力が覚醒して強くなったと思っていても、能力が無ければそれまでの弱い僕のままだ。
それでも時雨に鍛えられた分だけの体力はついていると信じたいが、この悪路は流石に堪える。
木々や茂みを掻き分け、ようやく昨日戦った、開けたエリアにたどり着く。
昨日はここにスペリオルとファミリアがいた。それを話してある以上、レジストはそれを頼りにここに来るだろうと踏んだのだが。
「……いない、か」
昨日の戦いでついたであろう痕跡以外に、新しくついたような足跡は見られなかった。
読み違えたか。とんだ無駄足を踏んでしまった。
焦っている。嫌な予感が、僕の身体を駆け巡り不安を呼び起こす。
“絶対”と獣の血、ファミリアの目的。
ピースはすでに揃えられている。あとはそれが噛み合うだけだ。
そんな造作もない手順を行うだけで、世界は奴の勝手な都合でリセットさせられてしまう。
止める術は、あるのか。
ふと、山を駆ける冷たい風が木々を一際強く揺らした。
僕は後方に人の気配を感じ、温存していた魔王眼に手を伸ばす。
右目から全身に熱が満ちる。向こうが先手を取ろうと、対処できる余裕を持てるほどの身体強化だ。
相手は誰だ。ファミリアか、新たな実行委員か。
振り返り、気配の主を見る。
「し、志輝、くん?」
「アエリア……か」
敵かと思えば、味方だ。僕は本当に焦り、冷静でないのだろう。
「レジストさんが居なくなったって聞いて、ここに来ているんじゃないかと思って……志輝くんも、ですか?」
「違ったようだがな」
「……そうですか」
アエリアは何の疑いもなく、僕に近寄ってくる。
彼女を見ると、嫌でも今朝のバリアの話を思い出してしまう。
彼女が能力を手にするまでの、一連の悲劇を。
「でも、志輝くんがここに来るとは思いませんでした」
「何故だ」
「レジストさん、本当にレオさんを大切に思っていたんですね。私がもし同じ立場で、大切な人が獣の姿にされていたら……そんな呪いをどうにか解いてあげて、元の姿に戻してあげたいって、思います」
アエリアは静かに、優しく、悲哀と慈愛を織り交ぜた微笑みを浮かべる。
「その術を知っているかもしれない人がいるのだとしたら、僅かでも希望があるのなら、それに縋りたいと思ってしまいます。だから、レジストさんはファミリアさんを探しているんじゃないかなと。そう思って来てみたら、志輝くんがいるんですから、驚きました」
彼女はとても優しく、暖かく、冷たい。
「志輝くんでも、ロマンチックな考えをするんですね。それとも、冷静に状況からの推測ですか?」
「……偶然だ」
アエリアに僕の考えが読まれていた、なんて屈辱的だ。僕は適当に流し、山道を降りようと振り返る。
その瞬間。
「ごめんなさい、志輝くん」
僕の背に、衝撃が伝わった。
「……アエリア、何を」
背に、温かさが広がっていく。
それは腰を回り、腹にまで及ぶ。
僕は、彼女に抱き締められていた。