魔王開眼
エ「未来眼も魔王眼も、その本質は変わらない」
エ「貴方は瞼を開けばいい」
エ「星の意志は、貴方の力になるから」
身体中に巡る、未来眼以上の強い力の流れは、僕の黒い右目を始点にしている。
ずっとコンプレックスを抱いていた左目ではない。未来眼を行使していた、銀色の瞳ではない。
正常だと思い込んできた漆黒の右目が、今、僕の「異常」となっていた。
「魔王、眼……だと……?」
「志輝くん……その能力は……」
男の足元で陽祐とアエリアが驚いている。僕の能力である未来眼は消え、参加者ではなくなったと思い込んでいるから当然の反応だ。
未来眼は確かにもう視えない。でも、今の僕にはこの魔王眼がある。
この能力の効果は把握している。まるで説明書が脳内にインプットされているかのように、使い方が理解できている。
僕の本来持つはずだったモノ、その眼から見える黒い世界の中に、屈強な肉体を持つ男がいる。
「助けに来てやったぞ。二人とも」
「助けだとぉぅ~?」
僕の能力発動に身構えた男が、身の回りに何もないことを確認したのか、余裕の表情でこちらに近付いてくる。
「何をしたのか知らんが、ワシはこの通りピンピンしとるぞ! 坊主、お前みたいなもやしっ子がワシと力比べしようってかぁ?」
エリクシルはこの男のことを特殊部隊と呼んでいた。となればキュリオと同等くらいには腕の立つ能力を持っているはず。
まずはその能力、見極めさせてもらうぞ。
「そのつもりだ。不正を犯してまで“絶対”を我が物にしようとする奴らのことだ、大きな力を求める弱者の力などたかが知れてる」
この程度の挑発で手を見せるとは思わないが、打てる手は全て打つ。
しかしこの挑発、自分自身にも突き刺さってくるものがある。内心で苦笑する。
だが、男は歩みを一旦止め、こちらの顔を薄い糸目の奥から覗き込む。
「坊主、喧嘩は不慣れだろう? 小学生でも、こんな見え透いた挑発には乗らんわ」
男は薄い嘲笑を浮かべつつ、身体のサイズに相対して小さく見えるハットを、木の幹のように太い指で摘んで空に弾く。
「大方逆上したワシが能力で襲い掛かるところを避け、その対策を考えようって魂胆だろうがなぁ」
空に消えたハットを気にせず、男は右腕を高々と振り上げると。
「ワシは十分この肉体だけで勝てるのだぁあああああ!!」
巨木が倒れるかのように、全力が込められた腕をがむしゃらに振り下ろした。
寸前に後ろへ跳躍するが、腕が地面に打ちつけられて生み出された衝撃が僕の身体を吹き飛ばす。
もう未来眼ではないのに、右目の黒いフィルターに意識を回してしまっていた。頭では分かっていたが、無意識についてしまった癖は直さないといけないな。
投げ飛ばされた空中で、アクロバットに体勢を立て直す。身体強化も、確実に未来眼の時より強力だ。
難なく着地し、さらに距離を離すと、いつの間にか戻っていたらしいハットを指でくるくる回しながら、男が晴れやかな笑顔をしていた。
「どうにもワシの見た目から、パワー系能力を行使する力馬鹿だと思われるようだがなぁ。ワシはどちらかというとお前さんのような頭脳派、インテリ系なんだぞ? お仲間ってわけだ、ぶわっはっはっはっ」
「僕を仲間だと言う奴は全員阿呆だが良いのか?」
あそこに転がっている二人なんか、特にそうだろう。心の中で、また笑う。
「まぁだこのワシを引っ掛けるつもりか! 引っかからんと気付けよ坊主!」
男は笑顔を崩さず、またハットを高く飛ばす。それを合図に、その巨体がこちらに突撃してきた。
能力を発動する気配がない。このまま能力を隠しつつ、僕を倒そうというのか。
……作戦、変える必要があるか。
足に力を込めて、前方へ大きく跳躍する。
魔王眼の恩恵が予想以上に発揮され、突進する男を高く飛び越え、そのまま二人が倒れている位置を追い越すところまで距離を取ってしまった。
今までは全力を出す意識が必要だったが、今度はセーブする意識が必要になるのか。強すぎる力というのも考え物だな。
男は突進の勢いを殺せず、木々の中に突っ込む。今のうちに、二人を起こすとしよう。
「お前、志輝じゃないみたいだ」
「馬鹿言え」
陽祐とアエリア、二人はそれぞれ周囲の泥を浴びて見苦しい姿になっていた。
アエリアもやはり女性として、男性に汚い姿を見られたくなかったらしく、精一杯そっぽを向いている。
「お前達、奴の能力を見ているか?」
「ええ、あの人は……きゃっ!?」
アエリアが答えようとしていると、突然僕の足元が唸りを上げる。
共に、林から地面を伝って、一筋の大きな亀裂がこちらに伸びてきていた。
この地鳴りと地割れ。奴の能力か。
「ぶわっはっはっはっ、知ったところでこの大自然の力! 坊主にはどうにもできまい!」
地震の中を平然と歩き、男が戻ってくる。こっちはまともに立つことさえ難しいというのに。
この男確かに、見かけや言動に似合わず慎重な性格のようだ。
一網打尽を狙えるチャンスと知れば、知られることも承知で能力を行使する。
だが……能力さえ分かれば、もう僕の勝ちは決まったようなものだ。
揺れる世界の中、僕の右目のフィルターが男の姿を見据える。
「志輝くん、このままじゃ私達っ……」
アエリアは再び伏せた地面の断層が徐々に開く様子を警告する。このまま放置すれば、僕らの足元が崩れて断層の隙間に落ちることになるだろう。
だとしても、眼は逸らさない。
「その名も漢気アースクエイク! この地割れは深いぞ、坊主!!」
男の薄い目が見開くと共に、僕達の足元の亀裂が大きく広がった。
隙間に落ち、地層を滑る僕達。
「させま……せんっ!」
その中でアエリアの身体から冷気が立ち上ると、下方に氷の床が敷かれ僕達の落下を防いだ。
「アエリア、全員に氷の膜を張れ! 陽祐に上まで運んでもらう!」
「任せろ、まだ余力はある!」
僕の指示に二人が頷く。アエリアが三人を薄い氷で包むと、陽祐が作り出した火之迦具土の手に支えられて地上へと押し戻した。
地面に降り立つと、その炎が消える。陽祐は最後の能力の発現だったようだ。
アエリアも同様か、全身が血の気を感じないくらい青ざめていた。
能力者二人が全力で掛かって、敗北するような相手。
しかし、僕は内心で笑う。勝てる。揺るぎ無い自信があるからだ。
「仲間の能力に助けられたようだがぁ、坊主一人だけでこのワシを倒せるか?」
男は盛大に笑いながら、僕に向かって歩みだす。
この男も、未だ行使されない能力を見極めようと挑発を行っている。僕が作戦として使った手だ。
勝つための策略を立て続ける姿勢、確かに僕とタイプが似ている。
違うのは、形勢逆転を狙う術か。男は能力をここぞの一撃までとっておくことで、攻撃力の高い反面事前に察知され易い、地形全体を襲う能力を最大限に生かしている。
僕の能力は……相変わらず、攻撃的な要素はないけれど。
「準備は整った。僕の勝ちだ、実行委員」
強気な態度で、男を見据える。
「なァにィ? ……待てぇ坊主、もしやその能力は、ワシを攻撃するものではないのか?」
僕の自信に不審を抱き、男は体格に似合わず、一瞬の動揺を見せる。
ここまで一切攻撃を行わなかった僕が、突然勝利を宣言するのだ。男からすれば気味の悪いことだろう。
僕は右目に一層意識を集中させる。その眼は、男のみを映す。
眼はもう開いている。後は“見る”だけ。
「「だとしても、ワシの前に小細工は通用せんぞ」ぉ!」
「……何ぃっ!?」
僕と男の言葉が重なり、僕は笑みに、男は驚きに口を歪める。
「僕はこの眼でお前を捉えた。行動、思考、能力、全てを見通し掌握するのが、魔王眼の能力」
そしてその効力を発揮するには、その対象を時間を掛けて観察し続けなければならない。その準備が整ったから、僕は男の全てを見通すことに成功した。
今僕の右目に捉えている男の考えを、紡ぎ出すであろう言葉を、僕は辿り、“操作”する。
「僕の意志に従い、お前は自分で能力を封じた。もう、僕に地震は使えない」
「馬鹿なことをッ!」
男は顔中に冷や汗を流しながら、僕に向かって突撃してきた。
「坊主にこのワシの「呪い」が操れるわけがなかろうがぁ!!」
一見逆上しがむしゃらに突撃したかのように見えるが、その直線上には僕だけでなく疲弊した陽祐とアエリアもいる。動けない僕の仲間をも狙うことで、僕を逃がさないようにして行動を起こしている。彼のその思考をも、僕は見ている。
僕は右目に、その先にある男の思考に命令する。
「右へと逸れろ」
「右へと……はぁっ!?」
一瞬の思考へのジャミング。男は突撃の軌道を命令通り彼から見て右にずらし、僕達の横を通り過ぎてから急停止した。
「ワシは今何を……何故右に逸れてしまったんだぁ!?」
「お前はもう僕の支配下にある。僕にお前の攻撃が届くことは、もう無い」
この挑発を受けた男は、横切ってから背を向けたままの僕に向かい能力を行使する気でいる。
僕の眼に見られていなければ、魔王眼による操作が無効になる、そう考えている。
何故彼はそう考えたのか。能力で読み取るまでもなく分かる。僕がここに来た時、この能力の名を告げたからだ。
いつかのアエリアやレオとの戦いで彼女らは、その能力の名を自身の誇りとして口に出したのだろうが、僕は男にその能力を誤認させるために敢えて情報を与えたのだ。
対象を決めて能力を行使して以降、僕は男からなるべく視線を外さないようにしていた。ならば相手は、僕の能力が、対象を見続けることでその効力を発揮するものだと推理できる。
しかし男の推理は外れだ。一度対象の全てを見通した後ならば、この魔王眼は相手を見なくてもその意識に働きかけることができる。
「「“地震”は起こらない」」
僕と男の言葉が重なる。男がそう言うように自然に意識を操作し、能力の発動への意識を無意識的に失わせる。
それは本人にしてみれば、発動するはずの能力が、僕の能力によって封じられたように錯覚するだろう。
仮に地震を起こすことだけが男の能力でなかったとしても、地震を起こす現象としての能力が使えないと思い込んでしまったなら、後は本人の思考が勝手に「能力が使えない」と意識を抑制するフィルターを降ろすはずだ。
「な……何故、何故ワシの力が出ない……っ!?」
困惑の声を背に僕は、静かに、意識の支配を続ける。
膝から下の力を抜く。
「こ、これはぁっ……」
全身を細かく震わせる。
「ま、まさか、ワシは……」
……ここまですれば、戦意を喪失できただろう。
「きょ、恐怖しているのか……あの、坊主にぃ……わ、ワシが……あぁ……」
人間の感情は、身体の動きや状態から生じていると聞いたことがある。
ならばその無意識的な行動を僕が制限し命令していけば、強く直接的に相手に干渉せずともその意識をコントロールすることができるだろう。
男はすっかり歯の根が合わない程に全身を抱えて震え、大柄な身体を小さく縮込ませて僕に脅えていた。
パワーだ頭脳派だと言ったところで、お前の思考を乱すのだから関係無い。
この眼の前では、お前はただの阿呆だった。仲間だとは微塵も思わないがな。
『Close Your Eyes……』
男が地面にしゃがみ込み震える姿を監視できる位置に立ちつつ、魔王眼を解除した。
右目のシャッターが消え、視界が鮮明になる。
男はもう能力による支配がなくても、既に自分の意識として、僕を恐怖し続けるのだから。
「志輝……」
ふらついた足で、陽祐とアエリアは何とか立ち上がった。二人は男の様子を見て困惑している。
その筈だ。男が一人で勝手に戦闘を放棄したように、二人の目には映っているのだから。
「あいつはもう僕を襲わない。このまま放置しても問題無い」
「そ、そうなんですか……?」
半信半疑、といった面持ちだが、二人としてはやはり疲労の方がウエイトが大きいのだろう、警戒を幾分か弱め、大きく息を吐いた。
「助けてくれて、ありがとうございます。志輝くん」
「本当に助かった。でも志輝、お前のその能力は……」
「……帰ったら話す。今は帰って治療を受けたほうが得策じゃないのか」
二人は既に能力を使い切り満身創痍だ。まだ他に追っ手がいないとも限らない以上、無意味にここに長居する意味は無い。
孤児院に帰ろうと振り返ると。
『やだなあ。どうしてこんなところで小さくなってるんだい? スペリオル』
木々の合間から、緑色の発光と共に声が広がった。