理不尽な
時「今回は、私達が担当のようだ」
レイ「そのようね。……今回のサブタイトルは「理不尽な」というものらしいのだけれど」
時「理不尽、か……私には、あまりに辛い言葉だ」
レイ「そうね。私にも、貴方にも……いいえ、私達だけではないはず。誰もが理不尽に辛い思いをして、理不尽に耐えながら生きている」
時「私がこの「戦い」に身を投じたのも……全ては、理不尽が理由になる。私は、理不尽に屈しない。何があろうと、護るべく物を護ってみせる」
レイ「貴方のその想い、朔来志輝にも伝わるといいわね」
時「そうだな……私は信じている。志輝はいずれ、私をも超える強い心を持って、この「戦い」に一つの道を見つけてくれると」
レイ「貴方がいつも私に話していた……参加者を殺めず、「戦い」を終結させる方法、ということね」
時「その時まで、私は皆の命を護りぬく。一人も殺さず、殺させず、「戦い」から解放する。実行委員に縛られた、貴公もだ」
レイ「……ええ、そうね。頼りにしている」
時「あの日の誓いは、この刀に」
夕飯を終えると、僕は中庭に出ていた。
特に理由は無い。
いつもは夕飯の後片付けで、この時間は忙しいはずなのだが。
今日は……いや、最近は、孤児院に住み着いたレジスト達が家事をしている。僕の仕事がなくなってしまったのだ。
個人の時間が増えたのはいいのだが、時間が余り過ぎて逆に暇の潰し方が分からない。
普段は本を読んでいるが、買って積んでいた本は昨日までで大体読み終えてしまっている。
少しの間眠れたお陰で疲れはだいぶ取れて、眠気は無い。
部屋にいてもいいがやる事がなく、家をうろついていたら中庭に辿り着いたのだ。
すっかり暗くなった夜空を見上げると、星が瞬いていた。
見上げていると首が痛くなってくる。僕は縁側に腰を落ち着け、目を閉じて涼しい夜風を身に受ける。
「隣、いいかしら」
ふと声を掛けられ、目を開く。振り向けば、畳んだエプロンを小脇に抱えた、レイズが後ろにいた。
特に断る理由も無く、僕は頷いて答えに代える。レイズはくすっと微笑うと、僕の隣に座った。
「食器、洗い終わったわ」
「また皿を割ってないだろうな」
「き、今日こそは、割っていない……」
僕はじっとレイズを睨む。
共同生活初日の夕食後、食器の片付けを担当したレイズは、手を滑らせたとかで大皿を一枚割ったのだ。
他にも、レイズが食器に関わる担当になると、必ずと言っていい程一枚は被害が出る。
僕としては、これ以上レイズに食器を頼みたくはないのだが。
『クールで美しいお姉さんが、食器を割ってしまうドジっ娘だなんて……ギャップ萌えだね!!』
そう言って、度々わざと慎次郎さんはレイズに食器を頼んでしまうのだ。一時の萌えとやらの為に、食器を消費しないでもらいたい。
しかし、今日は割っていないらしい。狼狽えている姿が信憑性に欠けるが……後で皿の数を確認しておく必要があるな。
「……いい風ね」
夜風がそよぐ。レイズの薄墨色の髪はなびき、月光を受けて自ら光っているように見える。
萌えとか言う変な感情とは別として、感覚的に、美しいと思った。
「貴方は、時雨に気に入られているのね」
「……弟子への気遣いだろう」
いきなり何を言いだすかと思えば。僕はあいつに気に入られるような事は何もしていない。気に入られようとも思っていない。
「それだけじゃない。きっと貴方は……人を殺める能力を持っていないから。人を殺めない能力で、これまでの「戦い」に臨んでいたからよ」
人を殺めない能力……僕の左目に宿る、未来眼の能力か。
確かに、僕以外の参加者達は、炎や氷など、加減次第で人を殺せる力を操っている。
その中で唯一、戦う能力を持たないイレギュラーが僕だ。戦う力の無い僕を、時雨は護りたいのだろう。
人を殺さず、殺させない為に戦う時雨なら、分からなくもない。
僕の命は、この集団の中で一番危険なモノだと言えるからな。
しかし……何故。
「何故時雨はこの「戦い」に、参加者同士の殺し合いに参加したんだ?」
僕は抱いていた疑問を、レイズにぶつけてみた。
前に本人に訊いてみたが、答えを返さなかったからだ。
愚直なまでに、自分の信念を曲げない男。もし何かを“絶対”に求めるにしても、殺し合いだと分かれば参戦する事など無いはずだ。
僕のように、詳しく知らないまま参戦したのなら話は別なのだが。
「……そうね。貴方には、話しておくべきなのかもしれないわ」
静かな夜風が、二人の間を吹き抜ける。
その時彼は、ここからずっと遠い、山の奥にいたの。後で聞けば、剣道道場の合宿に行っていたと言っていたわ。
その日は朝から強い雨で、それでも目的地に向かおうと、彼らはバスを利用していた。
私も偶然、そのバスに乗り合わせていた。私と契約するべき人間が、近くにいるかもしれないと感じたから……
そこで、悲劇は起こったの。
当時、少し強めな地震が来た。車内でも感じるくらいの揺れで、バスは急停車したの。
その時、雨のせいで緩くなっていた山の地盤が、地震の影響で大きな土砂崩れを起こした。
それが、私達の乗るバスを直撃したのよ。
うねるような山道を進んでいたから、車体は比較的低かった下の道に落下して、上からは泥土が次々にのしかかってきた。
周りの人間が血を流して動かず、車体も重量に耐え切れず音を立てている中で……私は、時雨と知り合った。
運良く他の人間に護られ、重傷ながら死なずに済んだ時雨はただ、“命”を求めたわ。
自分のじゃない。唯一彼以外に意識のあった他人……私の命を。
『私も……もうじき死ぬ、しかし……貴公には、どうしても生きてほしい……』
その時私は、他の乗客がクッションになっていて、他と比べれば軽い怪我で済んでいたのだけれど。
車体が落ちた場所は崖にほぼ接しているくらいで、雪崩る土石流は勢いが強く車体を飛び越えていたわ。車体を完全に覆い尽くすまでには、少しの猶予があったの。
時雨は立ち上がれないくらいの大怪我を負っていたのに、手元に転がっていた竹刀で運転席の窓を打ち砕いた。
でも強化ガラスだから、砕けはしても通り抜けることはできない。竹刀だって先端が折れてしまった。
『護れ、ないのか……生きている、命を、未来ある、命を……』
無力に打ち拉がれる時雨は、涙を流した。自分じゃない、他人の命を護れなかったことに対して。
愚かな程に真っ直ぐで、馬鹿なくらいに他人を大切にして、出会ったばかりの私の為に涙を流して。
……私はその時……自分が実行委員であること、「戦い」の参加者は異能の力を行使できることを話してしまった。
能力を手に入れられたなら、ここから脱出することができるかもしれない、と。
重傷の身に、私は何を言っているんだろうと、愚かしい自分に後悔したわ。
でも、時雨は頷いた。身体を引き摺って、私の手を取った。
『私に、力を……命を護る力を、与えてくれ……!!』
契約は結ばれた。時雨は消えそうになる意識を、左手の爪を一枚剥がす痛みで保ち続けて……鋼縛爪の能力を手にした。
真っ先に隔離空間を発現させて、自身の周囲の空気を固めてギブスを作り、重い身体を精神力だけで立ち上がらせた。
折れた竹刀の強度を上げて、何度も何度も横になったバスの天井を叩き続けて……ついに、何とか通れる程の穴を開けることができた。
動ける私は時雨を連れてバスを脱出した。けれど、隔離空間の中に存在しない他の人間は、助けだすことができなかった。
安全な場所まで二人で歩いている途中で、何度も時雨は謝っていた。悔やんでいた。
彼らを助けられなかったことを、命を護れなかったことを。
後になって、救えなかった彼らの墓前で、時雨は誓ったわ。
『私は、この力で、命を護ろう。護れなかった貴公らの分まで、命を護ろう。争う者に命の尊さを教え、命を護る者へと導いてみせよう。……様々な、理不尽な破壊から、命を護れる者になれるように』
実家の道場に師範が遺した、一ノ宮の宝刀を手にして……そうして、時雨は「戦い」に身を投じたの。
……僕は少しの間、放心していた。
前にニュースで見た記憶がある。とある山が土砂崩れを起こし、バスにいた人間が全員生き埋めになった、という事故を。
バスには大木の一部が刺さっていたと思われる、大きな穴が開いていたという話も。
その時は速報だったから、被害者の詳細は分からなかった。また、地震は他のところでも被害を出していたので、他の記事に埋もれてしまったのだろう。
通っていた時以降で一ノ宮の剣道道場には全く行かなくなっていたから、てっきりまだ道場は続いていると思っていたが……
一時的とはいえ世話になった師範の死を今更聞いて、虚無感が僕を襲っていた。
「……こんなところね」
「そう、だったのか……」
呆然としてしまう僕の頭に、ふわりと何かが乗った。
レイズの手だ。僕がいつも子供達にやっているように、優しく撫でてくる。
放心していたせいかもしれない。僕は、その手に抵抗できなかった。
「時雨には、年が近く、道場の弟子で、親友であった少年がいた。時雨は多分、彼と似た貴方を、とても気に入っているのだと思う」
……成る程。
やたら僕の事を護りたがるのは、自分の信念以外にも理由があったからか。
「……いずれ、僕と時雨が戦うことになれば……」
「……貴方が勝てるかもしれないわね」
撫でる手を離すと、レイズはまたくすっと笑う。
しかし、その目の端には、涙があった。
「……でもね。実行委員として変な事を言うと、貴方達二人は対峙してほしくない。倒れるならせめて、別の参加者との戦いで倒れてほしいと思っている」
また、夜風が吹いた。
「貴方達二人には、いつまでも師弟の仲でいてもらいたいの。……ふふ、私は何を言っているのか」
「……本当に、な」
涙を指先で拭き取ると、レイズは静かに立ち上がった。隣に置いていたエプロンもしっかり拾って。
「朔来志輝。貴方と話していると、不思議と居心地が良い。つい素の自分が出てしまうくらい……」
そう言って、星空を臨むレイズ。釣られて僕も空を見上げていると、いつのまにかレイズは姿を消していた。
実行委員には、変な奴しかいないらしい……本当に。
時雨は、命を護る為に、殺し合いに参加した。
矛盾していると分かっていながら、それでも。
そうまでした彼は「戦い」の果てに、“絶対”に、一体何を望むのだろう。
誰かの命を護り続ける為の、永遠の命だろうか……まあ、願いなど個人のエゴだ。僕が推測したところでどうなるわけでもない。
夜風も段々と冷えてきた、そろそろ自室に戻ろう。
立ち上がり、縁側を後にしようとすると。
「あはははは、みーっけたーっ!」
場違いな程甲高い子供の声が響くと同時に、隔離空間が発現された。
いつもと違い、紫ではなく赤……しかも濃く暗い、血を思わせる赤い空だ。
通常よりさらに居心地悪い空間が、肌に嫌な感覚を与えているように思える。
「うーっ、きになる!はやくたべたいなっ、さんかしゃ!」
さっきの声が、空から降ってくる。
しかし、その本体は何故かふわふわと浮いている……ふざけているのか?
「シキ、そいつは危険だ!すぐに離れて!」
隔離空間を察知し、こちらに駆けてきたレジストが叫ぶ。危険、なのか?
見た目は、普通に子供のようだが……千里みたいなシルエットだが、距離があって見えづらい。
「レイズ、志輝を頼む」
「ええ」
つい子供に集中していると、突然誰かに手を引かれたのと同時に、僕の横を何かが通り跳んでいった。
「抜刀!」
子供と空中で対峙し、力強く叫んだのは時雨だった。手を引くのは、さっきまで話をしていたレイズだ。
「きゃうっ!?」
子供の身体が、庭に落下する。時雨の剣技によって、叩き落とされたようだ。
実行委員達が逃げている、玄関外の塀の陰に僕は連れていかれる。
「何という事なの……こんなに早く、“特殊部隊”が来るなんて!」
レイズは僕の手を握ったまま、あの子供を見て顔を真っ青にする。特殊部隊?
「実行委員の中でも、かなりの力を持った者達の事ですよ。性格にも問題があり、普段は幽閉されているはずなのですが……」
予想していない事態なのか、説明してくれるバリアも落ち着きがないように見える。
幽閉、されるくらいに問題があるのか?あいつは。
「こんな時に、レオの奴はどこほっつき歩いているんだ!!」
レジストが拳を強く握る。
夕飯の後、レオ、陽祐、ケア、エリクシルはどこかに出ていってしまったのだ。
隔離空間の発現に気付いて戻ってくるだろうが、早く来てほしい。
アエリアは、何をしていたのか……遅い登場で、今ようやく時雨と合流した。
僕は何故か逃がされたが、能力者として戦うべきだろう。未来を見る力で彼らのサポートをすれば、戦闘は有利になるはずだ。
固く握られた手を振りほどこうと強く引っ張るが、レイズは離さない。
「離せ、レイズ!」
「駄目だ!彼女は……キュリオだけは、貴方が行けば二人の足手まといになる!」
僕が、足手まといに……?
「いくら未来を先読みしても、避けきれない攻撃の前には無意味でしょう?彼女は、時雨が貴方に護る余力を裂いては勝てない」
手を引っ張る力が、なくなった。
僕は、荷物だというのか。
戦う力の無い僕は。逃げるだけの僕は。立ち向かえない僕は。
「…………くそっ」
僕は、見守る事しかできないのか。
レイズが志輝を逃がした。
今回の敵は、一筋縄では行かないと本能が告げている。流石に、朝のように志輝を護りながら戦うことはできない。
我が秘技、雲海断刀によって実行委員を弾き飛ばしたのだが……どうにも手応えがない。いや、やはり手加減をしてしまったのだろうか。
現れこそしたものの、彼女はまだ何もせず、武器も持っていないのだから。
「いたたー……とつぜんしゅばっとなにかがきた。なんなんだろ、きになる」
土煙を払うと、ようやくまともにその姿を見る事ができたのだが。
戦慄した。
見た目はただの、小学生くらいの小柄な少女だ。
なのに彼女の口の周りや、腕や服……まるで近くで血飛沫を浴びたかのように、赤黒い血を全身に滴らせていた。
「貴公は、一体……」
「きゅりお、きになる。ここ、たちかわし?」
敵とは思えない無邪気な笑顔と、敵としか思えない血塗れな姿。
今まで以上に常識を覆された感覚が、どうしても精神を掻き乱す。
小さな子供を傷付けていいものか。
しかし、あの少女からはただならぬ狂気を感じる。戦わない訳にもいくまい。
「一ノ宮さん!」
得体の知れない少女と対峙していると、アエリア・サダルメリクが駆け付けてくれた。
「またさんかしゃだ……きになるきになる、どうしてこんなにさんかしゃがいるの?さんかしゃって、おたがいにころしあうんだよね?」
少女は首を傾げる。こんな幼い少女も、実行委員だというのか。
「私達は、貴方達に捕まらないように戦うんです。“絶対”を取り戻す為に」
答えるアエリアの身体から、白い冷気が立ち上る。いつか見た、氷を操る能力か。
その肌が青く発光すると、少女の足下から氷が現れ、足を固定させた。
「今です!」
「うむ」
その隙を逃さず、私は少女に向かって走る。
刀を抜かずとも、鞘による打撃で気絶させられれば……
このような子供に、刃は向けられない。
先ほどの抜刀も、所謂峰打ちだったのだ。だから大きな威力は無く、風圧だけで打ち落とした。
だから、今度も。
腰に差す鞘を抜きつつ、素早く少女の背に回り込む。
「御免」
せめてもの言葉を送り、私は鞘で少女の首を叩いた。
「きゃううっ……」
同時にアエリアの氷も解かれたので、少女は土煙を撒き散らしながら地面を滑った。
ざらざらした地面だ、顔や肌を擦り剥いてしまったかもしれない。
しかし、やはりおかしい。こんな子供を一人だけで仕向けさせるなど。
何か裏があるように思えてならない。例えば、この少女は囮で、他の敵が動く為の目眩ましにした……ようなものだ。
土煙がなかなか晴れない。少女には抵抗できないようにしつつ、敵側の情報を話してもらうとするか。
しかし、少女から恐ろしい何かを感じていたが、何かをさせる前に気絶させれば問題はなかったな。
これならば、志輝に近くにいてもらっていてもよかった。
お前を護れたという充実感を、感じられるからな。
弟子に頼りにされるのは、師匠となった身として嬉しい限りだ。
そうしていずれは、強くなった志輝に、一度くらいは護られてみたい。そう思ってしまう。
……ふ、何を呑気な事を考えているのだ、私は。
鞘を腰に再び差し、土煙の中気絶させた少女に近付こうとすると。
「いただきまーす」
瞬間、私の目の前が真っ暗になった。
馬鹿な。しばらくは目覚めない程の打撃を、与えたというのに……
私は、また…………
……何が、起こったのか。
巻き起こった土煙が、突然晴れたと思えば。
さっきまで存在しなかったはずの巨大な球体が現れていて。
“何かを咀嚼している生々しい音”が、その球体から聞こえてくる。
アエリアが、その様子を見て呆然と立ち尽くしているようだが……時雨の姿が見えない。
底知れない危機感が、まるで僕に未来眼を使えと言っているかのようで。
左目のコンタクトを外すと銀の瞳が晒される。未来眼、発動。
「し、志輝っ!?」
強化された力で無理矢理レイズの手を払い、僕は庭に向けて走る。
何か……何か嫌な予感が……
アエリアの隣まで来ると、嫌でも足が止まった。
「あ……あぁ……」
両手で顔を覆い、アエリアは膝を折って座り込んでしまう。
目の前に映ったモノは、広がった赤い世界は、僕の思考を停止させた。
「もぐもぐ……ゴキンッ、バキッ……ぐちゃぐちゃ」
球体が何かを“食べている”。こちらからは見えないが、口らしいところから赤い飛沫が飛び散る。
その一帯が、大きな、大き過ぎる程の、血溜まりを作っている。
球体の下で、何かが倒れた。
それは、支えるモノを失った、人間の、膝から下の足だった。
赤く染められた足の切断部が、こちらに向いている。
「ガリッ、ゴリッ……ばくっ」
何かを食べ続けていながらも、球体は食べ残した足まで飲み込み、また咀嚼する。
頭がおかしくなりそうな光景に、僕は目を逸らした。
こいつは何なんだ?さっきまでの子供はどこに消えた?
……時雨は、どこだ?
「むしゃむしゃ、ガキィンッ!……?ぺっ、なにこれ、おいしくないっ!」
球体は“おいしくない”モノを吐き出す。
血溜まりの中に、小さな白い破片と共に吐き出されたモノは……半分に折られた、一振りの刀だった。
時雨が、いつも腰に差していた、刀だった。
まさか……
「ごちそうさまっ。うーん、ほかのにんげんよりもおいしかったぁ!でもなんであじがちがうの?きになる……」
球体が緑色に発光すると消え、最初からそこにいたかのように、少女……実行委員キュリオは姿を見せる。
暗いピンク色の前髪の奥から燦然と煌めく深紅の双眸が、僕とアエリアを捉えた。
その口がにいっと笑い歪むが、口元には鮮血がべったりと付いている。涎と一緒に、血が口から垂れていた。
まさかこいつは……時雨を、“食べた”とでも言うのか……?
あの強い時雨が、実行委員に、食い殺されたと……?
何かの悪い冗談なのだろうか。悪夢なのだろうか。
理不尽な破壊に全てを奪われた時雨が、理不尽な破壊から命を護ろうとした時雨が、理不尽な破壊に命すら奪われたなど……虚し過ぎる。
「うー、やっぱりひとりじゃたりない!こんなにおいしいなら、もっとさんかしゃたべたい!」
キュリオは腕から小さな球体を出現させると、それを掴んでこちらに投げ付けようと振りかぶる。
左目が警告している。あれは、避けないとマズい。
僕は座り込んでいるアエリアを無理矢理抱き抱え、この場から一度退避しようとする。
「ちぇいやーっ」
謎の掛け声と共に、球体が投げ付けられる。
着地点にはすでに僕達はいない。しかし、球体は飛んでいる途中で淡く緑色に発光し、さっきと同じくらいの大きさになっていた。
球体は僕達がいた場所を、地面ごと抉り、食らう。
長く距離を置いていなければ、僕達も身体の一部を食われていたかもしれない。
「し……志輝、くん……一ノ宮さんが、一ノ宮さんが……」
顔を覆っていた手が外れ、大粒の涙と、頬に浴びた返り血が露になるアエリア。
一番近くで見てしまったのだ。トラウマになってしまうのも仕方がないとは思う。
しかし、だからといって悲しみに動きを鈍らせれば、こちらが食われてしまう。
……時雨の死に実感が湧かないから、こうやって冷静になれているのだと思うが。
「つちはおいしくない……たべたいのは、にんげん!さんかしゃがおいしいひみつ、きになるきになるーっ」
球体が地面を離れると宙に浮き、その口がこちらを向く。
黒い鉄球に大きな口が付いているような奇妙な球体は、その口元から血を垂らして口角を上げる。
「アエリア、僕の指示で氷の壁を……」
「一ノ宮さん……一ノ宮さんが……」
頭を抱え、呻くだけのアエリア。今は戦力になりそうもないか。
僕には誰かを護る力はない。アエリアを抱えたまま逃げ続けるにも限界がある。
せめて、僕一人で動けたら。
「きれいなおねえちゃん、とってもおいしそう。つぎはおねえちゃんがたべたいなっ」
嬉々とした声と共に、球体が口を開けて迫ってくる。マズい、どこに逃げても追い付かれる!?
「いただきまー……」
「天火明命!!」
球体が口を大きく開いた瞬間、突如降り掛かってきた炎の雨が、球体を地面に叩きつけた。
「ま、間に合ったみたいだな……よかった」
炎と、この声。ようやく来たか、陽祐。
「……残念ながら、間に合ってはいない」
「な、何?」
僕は地面にめり込んだ球体の向こうに落ちている、血溜まりの中の折れた刀を指す。
「そん、な……あの時雨が、やられたのか……?」
陽祐は信じられないといった様子で、髪を掻き上げる。
戸惑いの表情が、次第に憤激へと変わっていく。
「何故時雨を殺したんだ、実行委員ッ!!」
陽祐の両腕の炎が、勢いを強めて燃え上がる。
地面から飛び出た球体がさらに発光すると、口の上に大きな単眼が現れていた。一つ目の球体が、食事を妨害した陽祐を睨む。
「きゅりお、おまえきらい!さんかしゃだけどたべたくない!きゅりお、おねえちゃんをたべるの!じゃましないで!」
血溜まりの中で地団駄を踏み、敵意を露にするキュリオ。怒りの矛先は、陽祐に向けられた。