拾参にはなれない―免疫接種・壱―
ぞろり。
直接背骨を舐め上げられたような、不快な音が頭の中に響く。
なぜこうなったのかは、自分でも消化できていない。気が付けば、古民家という言葉がぴったりな場所にいた。全く見覚えのない土地だ。また迷い込んでしまったのだろう。いつもこっちの意思はお構いなしに、謎の空間に放り出される。
初めて都市伝説に遭遇したのは、小学生の頃だった。
「カタツムリ女」と一般的に呼ばれている現象だ。夜の二時から三時にトイレに起きてきた子供、夜更かししている子供の前に現れ、殻の中に子供を吸い込んで食べてしまうという話だった。
その頃私はよく夜中にトイレで起きる子供だったので、いつもドキドキしていた。その日は運悪く、起きたのが二時二十分だった。
「大丈夫、大丈夫。お化けなんてないさ」
ぶつぶつと呟きながらトイレで用を足し、ドアを開けた瞬間、
「こんな時間に起きてる悪い子はだあれ?」
という声が、天井から降ってきた。上を見上げたが何もない。目線を下げると、目の前にカタツムリ女がいた。こちらにのそのそと這い寄ってくる。吸い込まれる、と思った瞬間、父がトイレに起きてきた姿が見えた。その瞬間、カタツムリ女は溶けるように消えていった。
その時、ぞろりと直接背骨を舐め上げられたような気がして、思わず吐き気が込み上げた。
何も知らない父は、
「お、お前もトイレか。さっさと寝るんだぞ」
と話しかけてきたが、私は上の空だった。
季節は夏だった。
半袖の腕を、何となく見下ろしてみた。
そこに、文字が書かれていた。
「免疫接種完了、壱」
という文字が、小さく刻まれているのが見えた。
なんと書かれているのかは読めなかったが、怖くなってトイレから出てきた父に「腕に文字が見える」と見せると、「寝ぼけてるんだな。何も書かれてないよ。大丈夫、大丈夫」と頭をぽんぽんされた。
明日になったら消えているかもしれない、そう思って私はもう一度眠ることにした。
翌朝起きると、相変わらずそこには文字が残っていた。
母にも見せたが「何もないわよ? 熱でもある?」とおでこを触られ、「熱はないわね」と首を傾げられた。
三歳上の兄も同じ反応だった。
こんなにくっきり見えるのに、なぜ誰も気づかないのか。
学校に行った。
家ではみんなに嘘をつかれたのかと思ったが、さすがに学校では無理だろうと友達に聞いて回った。
答えはみんな同じだった。
「そんな印ないよ?」
誰にも見えないのなら、ないのと同じだ。
当時、妙に達観していた子供だった私は、そう納得した。
次に遭遇したのは、中学生の頃だった。受験勉強を必死でしていたのを覚えている。
その頃は「犬女房」という都市伝説が流行っていた。
ある村の地主が犬を殺してしまい、それから家は廃れ始め、生まれてくる男の子は皆、犬を娶る。
そうして再び家が盛り返したという話だ。
ある日、私は遅刻しそうになって走っていた。その時、野良犬のしっぽに気づかず、思わず踏んでしまった。
犬は激しく鳴いた。
「ごめんね、ごめんね」
と謝って、私はまた走り出した。
その日の夜、受験勉強で夜更かししていた私は、ヘッドフォンの右側から「くうん、くうん」と犬の鳴き声が聞こえてくるのを感じた。
慌てて振り返ると、朝のあの犬が、白無垢の花嫁姿で座っていた。
その瞬間、私は見たことのないアパートの一室にいた。
驚いていると犬は、激しく吠え始めた。「そんなに痛かったんだね。ごめんね」と必死で撫でると、犬は次第に泣き止んだ。
冷蔵庫にあった無糖ヨーグルトを犬に食べさせると、犬はだんだんと姿を消していった。
ぞろり。
以前にも経験した、あの不快なものが背中にきた。
ふと、腕を見ると、
「免疫接種 弐」
と書かれていた。
前の文字も、一向に薄くならないというのに。
そう思っていると、いつの間にか我が家に帰っていた。
いつになっても都市伝説好きな人は、必ず一定数いる。
これは私が高校生の頃に流行った都市伝説だ
生煮えさん、沸かしていないお風呂の浴槽にお湯が貯まり、ぐつぐつと煮えたぎる。
首から下に大火傷を負った男性が、煮すぎたじゃがいものように、少しづつ溶け始めている。
声を変えると、
「交代してえ、交代してえ」
と喚き始める、うんといえば自分が男性と交代、嫌だといえば三日以内に死ぬ。
というものだった。
その日私は買ったばかりの白いワンピースを着て、道を歩いていると、小さな男の子にぶつかられてしまった。
「大丈夫?」
と声をかけると、子供は、
「アイスがああ!わああん!」
と泣き始めた、嫌な予感がして見てみると、ワンピースにはチョコレートアイスがべったりとついていた。
正直かなりのショックだったけれど、私は子供に、
「大丈夫?怪我してない?よしよし」
と頭を撫でて落ち着くまで待った。
その夜だった、私はいつものようにヘッドフォンで、大好きなバンドの音楽を聴きながら、勉強をしていた。
もうすぐテストだから気合いを入れないと!
と考えているとヘッドフォンの音楽が止まり、
ぐつぐつ、
ぐつぐつ、
と聞こえ始めた
またか……と思いながら振り返ると、そこには件の生煮えさんが、浴槽ごとそこにいた。
その瞬間私は見たことのない、広場のような場所にいた。
生煮えさんの見た目は、かなりグロテスクで、怖いと思う前に、どうすればいいかを考えていた。
例の言葉を聞かされるのか?と身構えていると、案の定。
「交代してえ、交代してえ」
と聞こえてきた。
私はどうしたらいいかと考え始めたが、思い立ち、生煮えさんの傍まで近寄ると、腕の
「免疫接種 壱」
「免疫接種 弐」
という文字をかざして見せた。
すると生煮えさんがだんだん薄くなり始めた。
ぞろり。
またあの感覚がやってくる。
腕を見ると、やっぱりそこには
「免疫接種 参」
と刻まれていた。
そして私はいつの間にか、自分の家に戻っていた。
以前ほど、ぞわりに意味を感じなくなっていた。
だからこそあの時も、ここに来た理由を考えなかった。
あれからなんども都市伝説に遭遇した。
私の腕には既に、
「免疫接種 拾弐」
まで刻まれている、最早手首の方まで伸びようとしていた。
職場で仕事をしていたある日、私は突然見たことの無い古民家に飛ばされていた。
いつもと順番が違う……
鳥肌が立ち産毛の一本一本が見える。
周りの景色は何もない、ただそこにぽつんと古民家があるだけだ。
仕方なく、玄関をノックしながら、
「すみませええん」
と声を上げる、暫く待っても誰も反応しなかった。
試しに玄関の引き戸を開こうとしてみると、驚くほどあっけなく扉は開いた。
最近はやってる都市伝説は、膨れた赤ん坊。
真夜中に時計が二時九分になるのを見た者の前に、三メートルは超えている、巨大化して膨れ上がった赤ん坊が見えるという。
私は
「おじゃまします」
と言いながら中に入っていった。
そこには誰もいなかった、生活感はあるのに妙に気配がない。
時計の針が二時九分を刺したまま止まっている。
そんなに遠くはない距離から、
「おぎゃあ、おぎゃあ」
と赤ん坊の鳴き声がする。
来た!
と思った瞬間目の前には赤ん坊の姿をして、真っ赤で巨大な怪異が存在した。
その姿はあまりにもグロテスクに膨れ上がり、全ての血管が破裂しそうなほど浮き上がり、手足の代わりに小さな触手がびっしり生えていた。
今までの週間に習って、私は腕の文字を赤ん坊にかざして見せた……が、何も起こらない。
赤ん坊はその場で全く消える気配もない。
そしてそっと私の方に短い触手を伸ばし始めた。
ずぶずぶずぶ
赤ん坊の触手に吸収されようとしている、よく見ると赤ん坊の背面には、今まで遭遇した都市伝説達がみっちりと埋まっている。
私は拾参にはなれないのか。
ずぶずぶと、どんどん沈んでいく。
ここでは、免疫というものが一体何を守っているのか全くわからなかった。
意識が消えてゆく、私もいずれ背面に回るのだろう。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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