第五章 8
暗闇だった。
どこまでも続く、薄暗い空間。
光もなく、音もなく――ただ、静寂だけが広がっている。
その中で、ルカは膝を抱え、うずくまっていた。
「……」
何も見たくない。
何も思い出したくない。
ただ、ここで――動かずにいたかった。
その時。
「そこで、何をしてるの?」
不意に、声が響いた。
ルカの体がわずかに震える。
「……何もしていない」
短く、吐き捨てるように答える。
「何もしてないのに、そんな顔するの?」
淡々とした声。
どこか、感情の読めない響き。
「……うるさい」
「ほっといてくれ」
返事は、返ってこなかった。
だが――
気がつけば。
ルカの視界は、別の場所へと変わっていた。
そこは――家の中だった。
見覚えがある。
いや、あるはずだった。
だが、どこか違う。
壁も床も、まだ新しい。
生活の匂いが染み付く前の、出来たばかりの空間。
「……ここ……」
ゆっくりと視線を巡らせる。
その先に――
ひとつのベッドがあった。
小さな体が、静かに眠っている。
赤ん坊だった。
男の子のような服を着た、幼い命。
規則正しい呼吸。
穏やかな寝顔。
それを見た瞬間、ルカの胸がわずかにざわつく。
そこへ――
「……あなた」
優しい声が、部屋に響いた。
振り向く。
そこにいたのは――
「……母さん?」
若い頃の、母の姿だった。
まだどこかあどけなさを残した、柔らかな表情。
その隣には――
「父さん……」
同じく若い、父の姿。
二人は、ベッドの中の赤ん坊を見つめていた。
「あなた……この子の名前は何にします?」
母の問いかけに、父は少しだけ考え込む。
「そうだな……」
そして、ふっと笑った。
「大物になる名前がいいな」
「……あっ、そうだ!」
思いついたように、声を上げる。
「英雄、ルカルドから名前をもらおう!」
母が驚いたように目を見開く。
「あなた、そんな簡単に……」
だが、すぐに柔らかな笑みへと変わった。
「……でも、いいかも?」
父は、誇らしげに言う。
「お前の名前は、ルカだ!」
「英雄から、もらった名前だぞ!」
その声は、どこまでも明るく――優しかった。
二人は顔を見合わせ、静かに微笑み合う。
その光景を――
ルカは、ただ見ていた。
何も言えず。
ただ、見ていることしかできなかった。
胸の奥が、じんわりと痛む。
温かくて――そして、苦しい。
その時。
「あなたは、英雄から、名前をもらったのね」
また、あの声がした。
振り向く。
だが、そこには誰もいない。
ただ、声だけが存在している。
「……」
ルカは、目を逸らした。
もう、見たくなかった。
この光景も、この声も――全部。
「もう……いい」
小さく、呟く。
「ほっといてくれ……」
その場にしゃがみ込み、再び膝を抱える。
暗闇が、ゆっくりと周囲を覆っていく。
光は消え、音も消える。
残るのは――
閉じこもろうとする、ルカの姿だけだった。
――
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