(プロローグ)
篠山啓太は、昔から“明晰夢”を見る体質だった。
夢の中を自由に歩く。
空も飛べる。
手を伸ばせば、空気の冷たさすら感じる。
ほとんど現実と変わらない。
異様に精度の高い夢。
その日も――
いつものそれだと思っていた。
薄い霧が漂う森。
湿った土を踏む。
ぐしゃり。
足裏に粘りつく感触。
――おかしい。
リアルすぎる。
風の匂い。
肌を刺す冷気。
時間が流れる“重さ”まである。
「……いや、これ夢の解像度じゃなくない?」
そのとき。
――たすけて
――だれか
――たすけてよ
子供の声。
胸を、掴まれた。
冗談じゃない。
本気の悲鳴だ。
「おいおい待て、イベント発生かよ……」
半分ツッコミ、半分警戒。
声の方へ踏み出す。
だが森は深い。
枝が絡み、視界は開けない。
そのとき――
ずるり。
背後で、湿った音。
反射で振り向く。
青い塊。
半透明。
ゆらり、と揺れる粘体。
「……スライム?」
どう見てもRPG序盤の“最弱枠”。
「いや待て。俺、まだチュートリアル受けてないんだけど?」
ぴょん。
跳ねた。
速い。
想像より、はるかに速い。
足を引こうとした瞬間、
湿った地面で滑る。
冷たい感触。
全身を包まれる。
「ちょっ、待っ――」
飲み込まれる。
視界が青に染まる。
耳鳴り。
呼吸が奪われる。
「マジで? 速攻で? 俺の異世界ライフ、開始三分で終了?」
肺が焼ける。
意識が沈む。
ここで終わりだと――理解した。
……終わらない。
闇の中。
自分が、消えない。
むしろ――
何かが、触れてくる。
(……あれ?)
(……あれ? なんで、消えないの?)
声。
自分じゃない思考。
幼いようで、だが妙に冷静な“何か”。
(……おい、お前だれだ)
(……おまえ、だれ?)
境界が揺れる。
溶ける。
だが、消えない。
二つの意思は溶解しない。
並ぶ。
並列で、存在する。
その瞬間――
身体が変質する。
粘度が変わる。
内部で何かが脈打つ。
どくん。
どくん。
普通のスライムではない。
人間でもない。
「……え、ちょっと待て」
(……これ、ぼくたち、どうなってる?)
理解が追いつく。
俺は“食われた”のではない。
内部に残った。
スライムの身体の中に、
二つの魂が同居している。
しかも――
明らかに、普通じゃない。
「……これって、アリ?」
(……アリって、なに?)
森の中。
青い粘体が、静かに震えた。
異世界生活は――
最弱モンスターの内部から始まった。




