第二十八話 負けられない日
今日は、学園でも年に一回しかない特別授業の日だった。
午前は剣術試合、午後は魔術試合。
朝から生徒たちの空気は妙に熱く、訓練場の石畳まで落ち着かないほど温まっている。
「おーい、アル!今日の対戦相手見てきたぞ!」
教室の扉を勢いよく開いてルイスが叫ぶ。
静かにこれないかな?
胸に嫌な予感が走り、俺は机に突っ伏したままぼそりと言った。
「……誰?」
「カリナ!!」
教室がざわめき、何人かが同情するように肩を叩く。
なぜか一人は「南無……」と呟いた。
カリナ──
朱い髪を結い、勝気で短気で、誰よりも強い少女。
剣術も同年代では頭一つ抜けている。
ルイスが言う。
「前さ、実技演習の時アルが勝ったもんね?」
俺が返事をするより早く、背後から声が飛んだ。
「アル。昨日のことは忘れて、今日は全力で来なさいよ!」
振り返ると、腰に手を当てて仁王立ちするカリナ。
挑発と期待が混ざった笑み。
……ほんと、心臓に悪い。
「恥かかないようにね」
「……そっちこそ」
鼻で笑うカリナに胸がざわついた。
本当は“勝ったらデートしてください”なんて言えたらいいんだけど……
俺は中身中三、外見六歳という地獄みたいなギャップを抱えている。
どう考えてもまだダメだ。
倫理的にも精神的にも。
気持ちを切り替え、訓練場へ向かう。
周囲は「火花散ってるぞ」と騒いでいた。
訓練所、今日は試合会場。
に入ると、もう誰かと誰かが戦いあっていた。早いなもう始まってるんだ。
大体こういうのって開会式みたいなのないの?
観客席が湧き、剣の音や掛け声が訓練場に木霊する。
石畳は冷たく、空気には汗の匂いが混ざっていた。
ルイスが言う。
「負けたら昼ごはん奢ってあげるよ」
「そこは勝ったらだろうが!」
「え?あーそっかそっか!でも勝ったらにしたら前カリナとアルで戦ってさ、アルが勝ったんだからいけちゃうじゃん?」
「そんなの分かんないだろ」
「まぁ実際……でも野暮か、頑張れよ」
「ん?うん、でも頑張って負けるが一番嫌だな」
「そうだな、勝てよ」
「あぁ、」
そして、時は早く。
俺の出番がきた。
向き合ったカリナは、もう“戦う目”をしていた。
その目に刺されるだけで、心臓が痛い。
「手加減なしよ」
「あぁ。カッコ悪いのは避けたいしな」
「それと、カリナ命脈線は禁止だかんなー?」
「分かってるわよ!」
「がんばれ二人ともー!」
ノエルの声が響いて、少しだけ緊張がほぐれた。
審判ゼルク先生の腕が下ろされ──戦いが始まる。
「行くわよ!!」
カリナが一瞬で間合いを詰める。
踏み込みの速さが化け物じみている。
振り下ろす剣が閃光のように白く光り、空気を裂いた。
「っ……!」
受け止めた衝撃が腕を震わせ、骨にまで響く。
一撃ごとに視界が揺れる。
「まだよ!」
斬撃。
斬撃。
斬撃。と幾度になく繰り返される。
全力で受けとめるだけで、呼吸が追いつかない。
剣は俺の得意分野のはずなのに──押されている。
彼女の剣に宿るのは“努力の濃度”そのものだ。
それが重い。
悔しいほどに。
決定打。
読めなかった。
肩に痛みが走り、膝が崩れた。
「勝負あり!」
歓声が上がる。
カリナは息を弾ませながら、汗の奥に笑みを覗かせた。
「……悪くなかったわよ。今度、一緒に──」
最後の言葉は歓声でかき消えた。
おい、そこ大事だろ。なぜ聞こえない。
「……午後は魔術で返す」
でも負けちゃったな。
せっかくだ。ルイスに昼ごはん奢ってもらえるんだ、
切り替えよ。
そうすると心が少し切り替わった気もした。
昼休み。
さっきまで嘘みたいに燃えていた訓練場が、すっかり冷えていた。
剣を握った手だけが、まだ戦いの熱を覚えてる。
屋台で買ったパンをかじりながら空を見上げると、薄い雲がゆっくり流れていった。
ルイスのやつ、観客席にいなかったな。せっかく奢ってもらえると思ったのに。
今日だけは、校庭が祭りみたいだ。
いつもなら絶対ない屋台が並んで、人と声が波みたいに揺れてる。
今もなお、誰かと誰かが、訓練場でぶつかりあってる音が聞こえる。
ルイスとノエル、どうだったんだろう。
生徒用の観客席もあるけど……人が多いところは苦手だから、俺は屋上からこっそり見下ろしていた。
街の人たちも来てた。
……親は来てるのかな?
いや、そもそも今日大会あるって言ってないな。
ていうか俺自身、今日だって忘れてたし。
風が少し冷たくなって、午後の気配が近づいてくる。
カリナも屋台の何かを口にしながら、屋上に一緒にいた。腕に巻かれた包帯が目に入るたび、胸がきゅっとする。
カリナは俺を見ると、ほんの一瞬だけ視線をそらした。
剣で勝ったからじゃない。
あの顔は……なんだ。意地か、悔しさか、照れなのか。
言葉じゃなく、沈黙だけが横で呼吸していた。
でも、もうすぐ午後の部——魔術。
カリナの魔法、まだ一度も真剣に見たことがない。
どんな景色になるんだろう。
どんな音がして、どんな光が生まれるんだろう。
興味と緊張が胸の奥でぶつかりあって、静かに熱を上げていく。けれど、曇り空の下、空気がじわじわ湿り、冷えていく。
魔力の流れが体の底から整い始めているのが分かる。
「……負けられないな」
自分だけに聞こえる声で呟いて、立ち上がった。
「カリナ、そろそろ行こう。」
カリナは一瞬だけ目を見開いて、ふっと息を吸い——
そのまま、静かに頷いた。
午後の空気が、戦いの色に変わり始めた。
午後の訓練場。
薄曇りの空がゆっくりと沈んでいく。
湿った空気が肌に貼りつき、鼓動だけがやけに大きく響く。
目の前のカリナは、
もう剣を振ってたときの彼女じゃない。
──覚悟を決めた、戦士の顔だ。
「また勝つわ」
微笑みでも挑発でもない。
ただまっすぐ見てくる目が、胸の奥を刺す。
「でも、どんなアンタが来るのか……楽しみにしてる」
なんでだろう。
ただの試合のはずなのに、
この一言が喉の奥にひっかかって息が苦しくなった。
負けたら嫌だ。
自分でも気づかないくらい、その気持ちが大きかった。
「……大丈夫。楽しい試合になるから」
審判の腕が振り下ろされる。
「始め!!」
次の瞬間、カリナが跳んだ。
気づくより先に、空気が裂ける。
音は後から追いかけてきた。
カリナの姿が一気に視界いっぱいへ迫る。
――バチンッ!
「水弾!」
放たれた水弾が、顔の横を鋭く抜けていった。
頬を掠めた風が冷たいはずなのに、背筋の奥が熱くなる。
速い。
怖い。
だけど──心が震える。
(来いよ、カリナ……!)
俺は両手に魔力を通し、水を纏わせた。
腕と腕をクロスにする。指先から冷たい膜が生まれ、流盾をする準備をしとく。
ドゴンッ!!
水弾が直撃し、全身の骨が鳴った。
足が土を噛む。膝が揺れる。それでも倒れない。
「まだよ、焔絡!!」
カリナの声が火花になったみたいに弾けた。
腕を振り抜くと同時に、炎の鞭が生まれる。
しなる赤い光。空気が焼ける匂い。
皮膚を刺す熱が、本能を無理やり呼び覚ます。
避けるので精一杯だ。
頬に熱が噛みつき、喉が灼ける。
(こいつ……こんなに魔法使えたのかよ……)
でも、逃げたくなかった。
逃げたら今日という日を、絶対に後悔する気がした。
「……俺だって、ここで終われない!」
俺は深く息を吸い、魔力の流れを細く、鋭く絞る。
水が一本の線になる。
心臓の鼓動と魔力のリズムが、完全に一致した。
足元で風が膨らむ。
“風の起爆” 押し出すイメージ。
「水槍!」
カリナの目が、驚きにわずかに開いた。
「速っ──」
直撃。
水が弾け、カリナの腕が弾かれる。
よろめき。ほんの一瞬の隙。
でも、その一瞬があれば十分だった。
(届く──!)
俺は全身の水を右腕へ集中させる。
熱い。
腕の中で心臓が脈打ってるみたいだ。
風が足元で唸り、体が前へと撃ち出される。
ズドッ!!
景色が線になり、距離が消えた。
目の前にカリナ。
驚いた顔――でも、奥には確かに嬉しそうな光。
なんでそんな顔するんだよ。
そんなの、勝ちたくなるに決まってる。
「……ごめんな」
拳に渦巻く水が爆ぜた。
ゴッ──!!
渦が衝撃ごとカリナを包み込み、地面へ叩き落とす。
水が跳ね、音が消え、
世界が一瞬だけ、静止した。
審判の声が遠く霞む。
耳鳴りだけが残っている。
「勝者──アル!」
カリナはゆっくり体を起こす。
悔しさと、どこか誇らしげな笑みを浮かべながら。
「……完敗よ。魔術じゃ、アンタに敵わないわ」
胸がじんと熱くなった。
勝ったはずなのに、苦しい。
女の子を痛めた罪悪感と、それでも全力で戦ってくれた嬉しさが混ざる。
俺は呼吸を整え、震えた声で言った。
「ありがとう……次は、剣で勝つから」
カリナは炎で服を乾かしながら、いつもの調子に戻る。
「ふふ、楽しみにしてるわ。ねぇアル──またダンジョン行くわよ。もっと強くしてあげるから!」
胸の奥で、何かが小さく鳴った気がした。
「……あぁ。二人で強くなろう」
視線がぶつかり合う。
その瞬間、どちらも同じ未来を見ていた。
「ねぇアル。さっきの水槍……本気じゃなかったでしょ?あれ全力で撃ってたら、私、腕一本なくしてたわよ」
「いやいや。カリナは女の子だし、全力で撃てるわけないだろ」
「そうね。でも――最後は殴ってきたけど?」
カリナはくすっと笑う。
「……ごめん。でも、試合だし」
「ふん、覚えてなさいよ?」
カリナの視線が少しだけ逸れ、耳が赤くなる。
「……次は負けない。アルが“本気じゃないと勝てない相手”になってみせるから」
「望むところだ」
その即答に、カリナの頬がほんのり赤く染まった。
「……言ったわね。後で後悔しても知らないんだから」
どうでしたでしょうか?
是非感想などお待ちしております!




