第十二話 オマエハダレダ
魔導具の実技授業が始まったのは、次の日だった。
教室の窓の外では、白い鳥が空を切り、春めいた風が青々とした木々の葉を揺らしていた。校庭の地面に降り注ぐ光が、ちょうどステンドグラスのように模様を描いているのが見える。
けれどアルの心は、その穏やかな風景に溶け込めずにいた。
「これが、魔導具です」
エレナ先生が、教壇の上に黒い布を敷き、その上に大小さまざまな道具を並べた。指輪、杖、ペンダント、カード、石。どれも一見するとただの装飾品のように見えるが、そこに確かな力が込められているのを、アルは肌で感じた。
「魔導具は、魔力を流し込むことで様々な効果を発揮します。今日は一番簡単な“光”の魔導具から始めましょう」
机の上には、子供でも扱えるように簡易化された“光玉”が配られていく。
アルの右隣に座るノエルは、興味津々で玉を眺めながら、くるくると指の上で回している。
「ねぇ、これって、夜でも光るの?」
「光るよ。魔力を流せば、ほら」
アルが指先を玉に触れると、淡い光がぽっと灯った。ノエルが目を見開き、小さく息を呑む。
「わぁ……アル、すごい」
「……簡単なやつだよ」
「でも、きれい。ちょっと貸して」
ノエルが指で玉をつつくが、何度やっても光らない。唇を尖らせて、悔しそうに睨むように見つめていた。
エレナ先生がふっと微笑む。
「焦らなくて大丈夫よ。魔力の流れ方は人によって違うの。ノエルちゃんはね、たぶん“外に出す”より“中にためる”タイプ」
「……それって、どういうこと?」
「あなたは、言葉をしまっておくのが得意でしょう?」
ノエルがはっとして、照れくさそうに笑った。その仕草を見ながら、アルはふと、自分の中の記憶がまた揺れ始めていることに気づいた。
(しまっておく……言葉を?)
地球の記憶。
あのとき、自分は言葉を失っていた。部屋の白い天井、父が優しく、俺を部屋から出そうとしてくれた事、何かを伝えたくて声にならなかった日々――
(あれは……もう、終わったはずだ)
そう言い聞かせるように、魔導具に意識を向け直した。
放課後。
アルはノエルと一緒に、図書室へ向かっていた。
図書室と言っても、まだ小学校低学年の子供たちが使う部屋は絵本や図解の多い部屋で、椅子も小さく、床には柔らかなラグが敷かれていた。
「ここ、静かで好き」
ノエルが呟く。
「うん。僕も」
アルが答えると、ノエルがちらりとアルの顔を見た。
「アルって、ほんとに本読むの好きなんだね。だって、あの授業のときも――」
その言葉は途中で切れた。
なぜなら――
図書室の壁に、大きく黒い文字が書きなぐられていたからだ。
『こいつはうそつきだ』
そこだけ、異質だった。
子供の手で書いたとは思えないほどの太い線、尖った筆跡。まるで何かを呪っているような――そう、“呪い”のような言葉だった。
ノエルが一歩引いて、手を握ってきた。
「……アル……これ、なに?」
「……わからない。でも、たぶん――」
エレナ先生の顔が脳裏をよぎった。授業のとき、呪いという言葉に反応した彼女の、あの一瞬の沈黙。
「呪いは、神聖なものでもあるのよ」
そう言いながら、何かを隠しているような目だった。
数分後、教職員が駆けつけ、現場は一時閉鎖された。アルたちは別室へ移されたが、子供たちの間には不安と疑問が渦巻いていた。
「誰が書いたの?」「“うそつき”って誰のこと?」「なんであんなのが……」
誰もが声をひそめながら、恐る恐る話している。
そして、教室に戻された夕方、アルの机の上に、何かが置かれていた。
小さな紙。破り捨てられた本の切れ端に、震える文字でこう書かれていた。
『オマエハダレダ』
その夜、アルは夢を見た。
いや、“あれ”は夢ではなかった。
白い世界。何もない空間に、ぽつりと立つ自分。そして、その向こうにいた――“地球の自分”。
「やぁ、来たね」
どこか穏やかで、でも哀しげなその声。
「ここは、君の心の奥。忘れたもの、閉じ込めたものが、まだ眠ってる」
アルは答えられなかった。
「うそをついたこと、ある?」
「……あるよ。でも、それって――」
「大丈夫。みんな、そうだよ」
“地球の自分”が、ふっと微笑んだ。
「本当のことって、言葉じゃないんだ。心に、ちゃんとあるんだよ」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
「でも、言えないときって、あるよね」
アルは、うなずいた。
すると“自分”は、優しく続けた。
「それでも、誰かが手を握ってくれたら……ちょっとだけ、救われるでしょ?」
そのもう一人の”俺”は俺の手を握った。
まるで、ノエルの小さな手のぬくもりのように。
朝。
アルは起き上がると、母の作った朝ごはんの匂いにふと、安心する。
「おはよう、アル。昨日、大変だったわね。でも今日はきっと、いい日になるわ」
母の笑顔に、嘘はなかった。
それだけで、もう少し頑張れる気がした。
放課後。
エレナ先生が、アルを呼び止めた。
「アルくん。昨日のこと、心配しないで。先生がちゃんと調べるから」
その声には、どこか祈るような響きがあった。
「……先生、呪いって……こわい?」
アルの問いに、エレナは一瞬だけ、目を細めた。
「呪いはね、“その人の運命の定め”なのよ」
「定め…?」
「そう。だから、形を間違えたら、とても危ない。でも――正しい運命は、必ず誰かに届く」
「正しく使えばいいものだね!」そう無邪気に答えた。
でも先生は笑っていなかった。
ここまで読んでくれて、本当にありがとう。
アルって、ちょっと心が削れてる子だよね。
でも、それって“変”なことじゃなくて、すごく自然なことだと思ってます。
前の人生で後悔があったからこそ、今をちゃんと生きるのが苦しくなるときもある。
優しくされたときに、ふと「このぬくもりを受け取っていいのかな」って迷ってしまう。
心のどこかで、「また壊れちゃうかもしれない」って怯えてしまう。
でも――それでも、
そんな自分のまま、一歩ずつ“つながろう”としてる。
折れたままでも、前に進もうとしてる。
それがアルの強さだと思っています。
ノエルの手、家族のごはん、先生の言葉。
いろんな優しさに触れながら、少しずつ少しずつ、アルの世界が色づいていく。
これからも、そうやって進んでいく彼の姿を、見守っていただけたら嬉しいです。
また次の話でお会いしましょう!