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ホタルとコクワガタ

作者: 浅井 直正

どうしてこんな当たり前のことが描けないんだろう。

 

 もう15年は昔の話だ。


 当時、故郷であるところの小さな温泉町から脱出できずに悶々としている私がいた。

 まだ、二十歳そこそこだった私にはその町は小さすぎた。でも脱出できる方法が分からない。

 性欲やら、野心やら、その他象形できない感情もろもろを晴らすように、私は夜、あるいは車一台通らない夜中に町の自分で作った7kmばかりのランニングコースを走った。

 まるで、日々満タンになるガソリンを空っぽにしようと懸命にあがいているようだった。 いや、私は実際、懸命にあがいていた。泥壁にピッケルを突き立てているような日々だったと回想する。

 

 私のランニングコースはまず、近所の浜辺を往復したあと、河をひたすら登るようにして走り、温泉街に入りそこの観光会館という一応のどん詰まり地点からまた浜辺に近い実家にもどるというものだった。町の端から端の往復だった。それだって一時間半で済んでしまう。要するに実に退屈な町だったのだ。

海岸も砂浜も都会から来た人からすれば新鮮なものかも知れないが三日もすれば飽きる。そこに住んでいるものならなおさらだ。サーファーからすれば名所らしいがあいにく私はサーフィンに興味が無かった。

 

 ともかくそれは15年前くらいの今日あたりだったと思う。

 いつものようにランニングシャツを着た私は耳にイヤフォンをして家を飛び出した。

 私のお気に入りはシロップ16gというバンドでこの時点ではとっくに解散していた。

 翌日という曲が好きだった。その当時はその曲を糧に生きていたようなものだ。

 

 さて、それはいつものランニングになるはずだった。

 砂浜の波打ち際を走っているとき、小さなわずかに光るものを認めた。

 なんだろう、アオリイカかクラゲか? と生物に無頓着な私はその光源に近づいていった。それは淡く光っては消え、また淡く光っては消えた。あぁ、と私は勘づくものがあった。

 ホタルだ。

 この町ではこの季節、別に珍しいものでもなんでもない。

 観光資源にもなっているがなぜ、海岸にいるのだろう。しかも波打ち際に。

 私はそれを周辺の波で濡れた砂と共にすくい上げた。

 まだ生きている。懸命に光っている。

 私はその姿にその光景に胸を打たれずにはいられなかった。

 手のひらに乗せたそれから濡れた砂を払ってやる。

 小さな足がかすかに動いている。

 そしてまた淡く光っては消える。

 心臓の鼓動のようだと私は思った。

 そいつを手のひらに乗せたまま私は走り出した。

 

 いつものランニングコースが違って見えた。

 手のひらの鼓動がそうさせたのだろう。

 私はこいつを間違った道から戻してやりたかった。

 エゴだと言われようがなんとしても戻してやりたかった。

 波打ち際の光源の正体を知れば誰だってそう思うに違いない。

 やがて河沿いのコースに入っていった。

 河原の流れる音がする。戻してやったぞ。

 するとどうだろう。

 手のひらの上にある命がより強い鼓動を放つようになったではないか。

 見間違いなんかではなかった。

 驚いているのもつかの間、そいつは手のひらから舞い上がって行った。

 高く高く、今まで瀕死だっただろうに、そいつは飛び上がって行った。

 私はしばらくの間、その光の行く末を見ていたがやがてだっといつものランニングを再開した。


 それを思い出したのはついさっき、件のバンドのライヴの帰り道であるところの最寄り駅のエレベーター内でじっとしているコクワガタを認めたからだった。

 このままだと、朝、清掃員に埃と一緒に捨てられる命だということが明白だった。

 私は15年前と同じことをした。

 最初は力なくなすがままにされていたそれは、闇夜を感じるにつれ、私の腕の上でもぞもぞと動き出した。

 その口に付いている小さな刃は次第に鋭さを帯びていくようであった。

 最終的にはそいつを腕にくっつけたままアパートの前まで行って近くの木にくっつけた。

 私は満足して部屋の中に入っていった。


 このようにして世界は廻るものだ。

 もし、15年前にあのときあの場所を走っていなかったら。

 もし、バンドが再結成していなくて、私が今日ライヴに行かなかったら?

 久しぶりにまともな飯でも食べようと定食屋に入らなかったら?

 そこでハイボールを頼んでいなかったら?

 そして腹一杯になりまっすぐ帰ろうとあのエレベーターに乗らなかったら?

 そしてそして、もしそのすべてがひとつでも欠けていたらなにも書けずに悶々とした日々を過ごしていた私がこうしてこのエッセイを投稿することもなかった。

 この久しぶりに感じている手応えもこうして噛みしめることもなかった。


 世界はこんな、もしで溢れかえっている。

 いわゆる、そういう伏線はありましたよね? というやつだ。


 それを小説でやろうと思ったらなかなかうまくいかないものだけれど。

 

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