晴れ間の向こうへ
目を覚ました瞬間、まぶしさに律は目を細めた。
天井は見慣れた白。
少し消毒の匂いがする――病院だった。
ベッドの横に座っていた祖母が、息を呑む。
「律……! わかる? おばあちゃんよ!」
涙をぽろぽろ流しながら、
祖母は律の手を握りしめた。
その手が、あたたかくて震えていて
――律はふと、思った。
(あ……“帰ってきた”んだ)
体は重かったけれど、不思議と心は軽かった。
「戻ってきた」と実感できる場所が、確かにここにあった。
医師や看護師が集まり、しばらくして事情が説明された。
――下校中に倒れ、発見が遅れたが、命に別状はなかったこと。
――精神的ショックによる一時的な昏睡状態だったこと。
――おばあちゃんが、毎日毎日、話しかけ続けていたこと。
律は、しばらく言葉を出せなかった。
でも、祖母の顔を見るたびに、あの“宿”のことが胸に浮かんできた。
唐傘。おちょぼ。ぶらんこさん。みみふくろう。
そして、ユメ。
あの場所が夢だったのか、本当にあったのか――
それは誰にも証明できない。
けれど律は、確かにそこにいたと信じている。
数日後、退院して祖母の家に戻った律は、
ランドセルを背負って学校へ向かった。
久しぶりの教室。
少しざわついたけれど、誰もいじわるはしなかった。
先生も、驚いたように笑って「おかえり」と言ってくれた。
給食の時間、律は手を挙げて「おかわりください」と言った。
数人のクラスメイトが「えっ」と驚いた。
でも、律は笑っていた。
午後、空が急に曇ってきた。
体育の授業が中止になり、皆が不満そうに教室へ戻る。
律は、窓の外を眺めた。
ぽつ……ぽつ……
やがて音を立てて、空から雨が降り出す。
ざぁ……ざぁ……と降る雨音が、
律には、まるで誰かの優しい声のように聞こえた。
彼はそっと立ち上がり、誰にも告げずに廊下に出た。
階段を上り、校舎の一番上にある小さなベランダへ。
屋根はあるが、風にあおられて少し濡れる。
律は空を見上げた。
――ユメ。
――聞こえてる?
胸の中で呼びかけると、不思議な風がふわっと吹いた。
雲が、ほんの少しだけ割れ、
雨の隙間から差した光が、律の足元に届いた。
彼は微笑んだ。
そして、誰にも見られないように、そっと涙を流した。
もう、泣くことは怖くなかった。
涙は、悲しみではなく、
誰かに“ちゃんと生きてる”ことを知らせる灯りだから。
その日の下校時、雨はもう止んでいた。
角を曲がった先――神社の脇の小道が、
ふと目に入り、律は歩みを止めた。
木の門は、もうなかった。
看板も、石段も、何もない。
でも彼は、そこに確かに“あった”と知っている。
あの日、誰にも言えなかった涙を流した場所。
優しい妖怪たちと出会い、自分を取り戻した場所。
そして、ユメがいた――
忘れられない、“あめふらしのお宿”。
律は胸に手を当てた。
「ありがとう、ユメ」
空は、少しだけ晴れていた。
地面に残る水たまりの一つに、
どこかで見た傘の形が映っていた気がした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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