残された者と真実:前編
(side:シェリル)
私には姉がいた。エリカ・サンライト。姉は…お姉ちゃんは私の憧れだった。聡明で、気品があって。お父様とお母様の間に男の子が生まれなくて、お姉ちゃんが王位を継ぐことになっても動じず、さらに私に同じレベルの教育をするように言ってくれたらしい。
自慢じゃないけど、私とお姉ちゃんは仲が良かった。お姉ちゃんはいつも私を気にかけてくれたし、私もお姉ちゃんを支えたいと思っていた。
けど、いつからかお姉ちゃんは私を避けるようになった。噂では私の才能に嫉妬しているらしい。そんなわけがない、あのお姉ちゃんが嫉妬なんて。
しばらくして、お姉ちゃんが奴隷売買の現場を摘発したと報じた。その頃にはお姉ちゃんは悪女という評判が広まりつつあった。
そんな中、実は奴隷売買を摘発したのはその領地を治める領主で、お姉ちゃんがその功績を奪ったという噂が囁かれるようになった。お姉ちゃんが悪女という評判はさらに広まった。
私には、お姉ちゃんがそんなことをする意味が分からなかった。功績が欲しかった?お姉ちゃんは継承権第1位なのだ、功績はいらないはず。
嫉妬した?あのお姉ちゃんが?
さらに時が経つと、お姉様は沢山の貴族を処罰するようになった。どうしてか分からなかったけど、お姉様なりの考えがあるのだろうと思う。お姉様は私より知識があって、現実を知ってる。私が教育でしか知らないことを、お姉様は政務として経験している。私はお姉様には敵わない。
だけど婚約者のシドルはそうは思っていないらしい。
「エリカ殿下は何を考えているんだ?」
「分からないわ。でもお姉様のことだから、きっと何か考えがあるはずよ」
「いーや、違うね。彼女はもう昔の彼女じゃないんだ。何があったか知らないが、エリカ殿下は悪女になってしまったんだ」
「そんなこと言わないで。私はお姉様を信じる」
「エリカ・サンライトは悪女である」
この頃になると、お姉様の悪評は国中で囁かれるようになっていた。そしてそれは民衆だけでなく、騎士や役人までもが囁くようになっていた。
驚くことがあった。お姉様が婚約者であるガイルとの婚約を破棄したんだそう。
お姉様とガイルの婚約は完全な政略で、その間に愛が無いということは私も知っていた。
婚約破棄の理由は、「ガイルの実家であるブラスタル公爵家が罪を犯していたから」らしい。けれど、具体的にどんな罪なのかを発表しなかったので様々な憶測が飛び交った。
お姉様…ガイルとの婚約を破棄してどうするのだろう。彼以上に婚約者として釣り合う人はいないはずなのに。
お姉様は、ガイルにとある令嬢を紹介したそうだ。
「今のあなたには、このくらいの女がお似合いよ」
と言って、フィオナ・リーン伯爵令嬢を紹介したらしい。お姉様、そんなことを言う人だったかしら。もうお姉様は、私の知る優しいお姉様では無くなってしまったのだろうか。
そう疑い始めてしまっている自分がいた。
更に驚くことがあった。ガイルが紹介されたフィオナ伯爵令嬢は、実はガイルの幼なじみで、ガイルとお姉様の婚約が締結される前は結婚を約束していたくらいの仲だったらしい。
そのことに民衆は「ざまぁみろ」と言っていたけれど、これも全部お姉様が考えていたシナリオだと思うのは、私がお姉様を信じたいと思っているからなのだろうか。
先日、新しい処刑装置とやらが導入された。「ギロチン」というそれは、凶悪な見た目をしていた。恐ろしく巨大な刃がギラリと輝くその様は恐怖そのものだった。
この頃になると、私はお姉様が変わってしまったという自分の中の疑いを消すことが出来なくなってしまった。去年結婚し、夫になったシドルに相談しても、それが正しいと言われてしまった。
お父様が王位を退いた。そして規則にならい、お姉様が即位した。お父様とお母様は王宮を離れ、隠居するそう。
王宮でさえ、この隠居が「お姉様が邪魔な両親を追い出した」と言う者が多かった。
そしてお姉様が即位したことに不満を感じている者も多かった。
「なぜあのような悪女が女王になるのか。妹のシェリル殿下の方が女王に相応しい」
という旨の話をする貴族が多い。でもこれはお父様とお母様が決めたことで、それにお姉様は昔から即位するために沢山勉強していたことを知っていたので、肯定は出来なかった。
そういえば、お姉様がおかしくなり始めたのは、政務を経験するようになってから。お父様もここ数年、体調が不安定だったし、もしかすると政務を経験した時の重圧とか、ストレスとかでおかしくなってしまったのかな。
運命の日の前日。私の執務室にいた私とシドルのもとに、息を切らして役人が飛び込んできた。
「お姉様が私の命を狙っている」
そう聞かされて、私は頭が真っ白になった。お姉様が、私を?
シドルはこうなることを予想していたらしい。そして、明日お姉様を問い詰めて、場合によっては斬ると言った。
お姉様…一体いつから?いつから、何があなたをそうさせてしまったの?昔は大好きなお姉様だったのに。
…ううん、きっとお姉様は変わってしまったんだろう。
前例のない女王となる重圧が。
思えばいつからか、お姉様は私に負い目を感じているようだった。
ああ、お姉様。きっとあなたは何を考えているのか、私に言ってくれることはないのね。
私は、お姉様が何をしようとしているのか、何を考えているのか、分からなかった。
運命の日。私はシドルと共にお姉様の座す謁見の間を訪ねた。お姉様はそこに座っている。
「エリカ・サンライト!貴様の悪事もここまでだ!今すぐその王座から降りろ!!」
隣でシドルが叫ぶ。お姉様、あなたはこれにどう答えるの?
「よくいらっしゃったわね、シドル、シェリル。何か御用かしら?」
お姉様は冷静に、まるで何も知らないかのように座っている。
「貴様の悪事は全て分かっている。観念しろ!」
「あら、怖いわね。はい、これでいいかしら?」
なんと、お姉様は一切抵抗したり、顔を顰めたりすることもなく投降した。何かがおかしい。まさか、まだ余裕でいられるような隠し玉を持っているというの?
「っ、貴様を縛らせて貰う」
これにはシドルも面食らったようで、一瞬詰まっていた。
「どうぞ、牢屋でもどこでも連れて行って」
「連行しろ」
「はっ」
お姉様は大人しく地下牢へ連行されて行った。
どうして?
どうしてそんなに呆気ないの?
「なあ、シェリル。俺には、エリカが何を考えているのかさっぱり分からんのだが」
「奇遇ね、私もよ。お姉様は何をしようとしているの…?」
こうしてお姉様の逮捕劇は、一切の盛り上がりなく幕を下ろしたのだった。
その後、私が国王代理として一時的に即位することになった。そのうち正式に私が女王として即位することになるだろうけれど。
そして手続きや整理の傍らで、地下牢にいるお姉様から聴取をした。地下牢のお姉様は少しやつれた様子だった。
「お姉様、どうして私を殺そうとしたの」
「それは、物語に必要だったからよ。物語を進めるには、それが必要だったの」
「だから殺そうとするのか?この悪女め」
シドルはお姉様を恨んでいるようだ。
だけど、私はどこか引っかかる感触を感じていた。何か、重要な要素を隠しているような──。
それはそれとして、やつれるお姉様が見ていられなくて、食事の改善を命じた。するとお姉様は無事にもとの美しい姿になった。シドルはいつも贅沢な食事をしていたからこの程度でやつれるのだ、と憤っていたけれど、お姉様、昔からかなり質素な食事をしていたはず。
王族としては質素、という程度なのかもしれないけど…。
別の日、お姉様の牢屋を訪ねると、変な匂いがしていた。お姉様は平然としていたのでその場では言及しなかったけれど、後でシドルに聞くと、彼は若干気まずそうにしながら
「男の体液の臭い」
だと教えてくれた。男の体液…つまりそういうことなんだろうか。お姉様は体を許したのだろうか。
また別の日。お姉様の足に傷があった。明らかに切られた傷だった。当然だけど、自傷他害のおそれがあるからお姉様に刃物なんて与えていない。お姉様に聞くと、騎士に切られたという。
許せなかった。罪人とはいえ、王族だ。私はすぐさま騎士を尋問し、下手人を炙り出した。そして下手人を秘密裏に処理した。表立って処罰すると士気や何やらに関わる、と言われてしまい、秘密裏に消すしかなかった。お姉様に傷をつける輩は許さないということを示したかったけど、出来なかったのは悔しかった。
その日、私はシドルと共にお姉様を訪れ、
「お姉様の処刑を望む声が多すぎて、無視できなくなってしまった」
と言った。お姉様はそれに動じることなく、
「そう。遂にその時が来たのね」
と言った。シドルは
「諦めたようだな。大人しく処刑されることだ」
と言っていたけど、私は何か大変な思い違いをしているような、知らなければならないことを知らないような、不思議な焦燥感に駆られた。
お姉様の言い方が、まるでこのことが最初から分かっていたかのような口ぶりだったから。
お姉様の処刑は、ギロチンを用いて行われた。皮肉にも、お姉様が開発を命じたギロチンは、お姉様自身が初めて使われることになった。
民衆はこの処刑に熱狂し、石を投げるなどの非道な行為をしようとする危険があったため、私が独断で騎士にそれを防ぐよう命令した。案の定石を投げる不届き者が現れたが、騎士が尽く防いでみせた。
お姉様は最後に言い残すことはあるかと問われた時、
「そうね…シドル、シェリル。これからは、あなたたちを主役とする新たな物語が始まるわ。精々輝いて、幸せに生きることね」
と言った。ああ、お姉様。どうしてあなたはこの期に及んでそんなに冷静でいられるの?どうしてこうなってしまったの?
「どうして…そうね。未来のためかしら」
未来のため。お姉様の口から何度も聞いた言葉。
そして処刑の直前、お姉様は
「恵まれていた」
と言おうとしていた。
恵まれていたのならこんなことをしなければ良かったのに、と思ったのはもう遅いのかな。
お姉様の処刑からしばらくしないうちに、国内でとある小説が人気になった。
それは私とシドルを主人公として、悪役であるお姉様を討つという王道物語だった。この小説が流行したことにより、王家を支持する声が再び大きくなった。
余談だけど、その小説の作者は「ライサ・エイリー」という、誰も知らない謎の人物だった。
■ ■ ■
(side:シドル)
俺ことシドル・グラードリヒは、サンライト王国第2王女であるシェリル・サンライト殿下の婚約者だ。
俺は優秀だと自負している。実際に殿下の婚約者として選ばれたのだ。
だが俺も自覚しているのだが、俺にはとある欠点がある。それは、
「1度信じたことを曲げない」
ということ。よく言えば芯があるといえるが、実際は考えを曲げない頑固者ということだ。
そんな俺には、最近腹が立つことがある。それはシェリル殿下の姉である、エリカ殿下だ。
彼女は姉であるが故に継承権が強い。そもそも今の王家に男性の跡取りがいないので、このままいけばエリカ殿下が時期国王になるのだろう。
が、俺はそれが許せない。なぜなら最近、エリカ殿下は悪女の如き行動をしているからだ。
ある時はシェリル殿下に嫉妬し、またある時は貴族の功績を奪っているという。
そんな者が、姉であるからというだけでシェリル殿下よりも王位に近いというのが許せない。
エリカ殿下は最近、貴族を処罰することが多くなっている。なぜだ?彼らが何をしたというのだ?
更には自身の婚約者であるガイル様の実家、ブラスタル公爵家が罪を犯したという根も葉もないであろう理由でガイル様との婚約を破棄した。許せん。
シェリル殿下は姉であるエリカ殿下が暴走していることに心を痛めているようだった。俺はその姿を見ていられず、俺が支えになりたいと言って結婚を申し込んだ。シェリル殿下も俺の意思を受け止めてくれて、俺たちは夫婦となった。
エリカ殿下は、今度は処刑装置を作ったらしい。これで気に入らない人間を処刑しようとでもいうのか?
陛下が王位を退くと発表した。俺は一抹の期待を残していたが、その期待が応えられることはなく、エリカ殿下が即位した。なぜシェリルではないのだ。
恐れていた事態になった。
陛下はシェリルを殺す気らしい。役人からの告げ口で事前に知ることができて良かった。
俺は次の日、陛下を追い詰めることにした。これ以上悪事を働かせないために。
エリカ陛下は全く抵抗することなく投降し、連行された。なぜだ?もう諦めたというのか?
地下牢のエリカを初めて訪ねた時、シェリルがエリカがやつれている、と言った。
それまで王宮の豪華な食事を食べていたんだ、牢屋の飯でやつれるような身体だったんだろう。
シェリルは優しく、エリカの食事を改善させた。するとエリカの体調は回復したらしい。シェリルに感謝しろ、と思う。
別の日。前回の面会から少し期間が空いてしまったが、エリカの牢屋を訪ねると、異臭がした。
この臭いをシェリルは何か分かっていなかったが、男の俺にはわかる。この臭いは、男の体液の臭いだ。後からシェリルに聞かれて気まずかったが、なぜ臭うのだ?
そういえば、地下牢近くの騎士は男ばかりだったな。まさか…
エリカは騎士を籠絡して抜け出そうとしているのか?
そんなことは無かった。その後もエリカは怪しい動きをすることは無かった。シェリルはエリカを何とかして生かそうとしていたが、王宮へ入ってくるエリカの処刑の嘆願が、無視できない位になってきた。さらには大臣や役人も処刑に賛成しているため、エリカを処刑せざるを得なくなった。
シェリルは悲しんでいたが、俺は当然だと思った。
エリカの処刑はギロチンを用いて行われた。自分の作ったギロチンで処刑されるなど、皮肉なものだ。
■ ■ ■
(side:ガイル)
オレはガイル・ブラスタル。この国の第1王女であるエリカ殿下の婚約者だ。
でもそれは政略でしかない。俺と殿下の間に恋心はなく、形だけなのだ。
ある日、殿下はオレにこう言った。
「自分が何をしても、信じるか」
オレには否定する権利はないので、はいと言った。すると、
「『幸せだ』と言わせてみせる」
と言ってきた。ハッ、できるもんならやってみろってんだ。
ある日、オレは殿下との婚約を破棄された。何故かというと、オレの父であるブラスタル公爵が罪を犯したかららしい。ふざけやがって。オレは何のために愛する幼馴染を置いてお前の婚約者になったというのだ。
だが、殿下が紹介してきたのは、オレの幼馴染であるフィオナだった。
オレはなぜか、殿下との婚約を破棄されたら愛する幼馴染と結婚することができた。
確かに、幸せだと言わされてしまった。
そうしてフィオナと領地経営をしていると、
「エリカ・サンライトが処刑された」
という情報が入ってきた。
エリカ殿下…いや、陛下か。彼女の悪評はオレのところにも何度も入ってきていたため、なぜと思うことはなかった。
が、間接的とはいえオレとフィオナを結ばせてくれた彼女を偲ぶことくらいはしておこう、と思った。
何故かフィオナはオレよりも彼女の死を悲しんでいたが。