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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

2人だけの神さま

作者: 南南西

 “…… 洞窟 …… わたし ルル■……”


――――薄暗い洞穴の中で、1人の少女が湖の前でうずくまっていた。

 齢は10を超えたばかりで、頬にはまだ幼さが残っていた。


 外では大量の水が絶えずごうごうと音を立てている。

 幾度もの昼と夜を過ぎてなお、大雨は降り注ぐ。

 濁り切った水が川を成すように、洞窟の前を流れ続けていた。


 洞窟上部に空いた、人ひとり分の穴だけが外の光を中へと通し、湖を煌めかせている。

 しばらくすると、洞窟の入口の方から何やら声が聴こえてきた。


「……ル……、ル……ルトー……、ルルトーー!」


 1人の少年が、暗闇の中から現れた。

「奥の水たまりにサカナがいたんだ。出られなくなってたみたい」

 少年は瞳を輝かせていた。

 その魚は彼らにとって久しぶりの、ちゃんとした食事の材料になるものであったからだ。

 興奮冷めやらぬ少年を前にして、ルルトは淡々と言葉を発した。

「何匹いるの?」

「4匹だった!」

「だった?」

「1匹味見したから!

おいしかった! だから3匹」

 ルルトはため息をついて言う。

 「……1匹はきょう焼いて食べてしまいましょう、のこりはひらいて乾燥させる」


 ルルトは年齢に似合わず大人びていた。

 そして、そのような子供――特に女の子は大抵、やんちゃな子があまり好きではない。

 このいたずら好きで正直な少年の振る舞いに頭を掻くのは、もう何度目になるだろうか。

 ルルトの前に少年が腹ペコで現れたのは数日前のことだが、もっと長く手を焼いている気がする。

 手首に墨を入れていないことから、ルルトやルルトに近い村の人間でないのは初めから確かだった。

 長々と旅をしてここまでたどり着いた、というのが現在のルルトの見立てだ。


 まあ、人手のある方が“儀式”には役に立つよね。

 ルルトが少年を受け容れたのは、何も純粋な善意のためではなかった。




 “魚 …… 火 …… 掟 ”


「お祈りをして! 何度言ったらわかるの」


 華奢な声が洞窟内に響く。

 怪訝そうに見つめるルルトを前に、少年は当惑している。

「えぇ、でもさめちゃうよ、早くたべないと」

 ルルトは深くため息をつくと、壁に書いた掟の一覧のうちの一文を指さした。

「言ったよね?

ここにいたいなら、同じあるじさまを崇め奉らないと駄目だって」

 食前の祈りに関する、たどたどしい3行程度の文章。

 「そんな無礼なことをしてると、また神さまが土を震わして、すべてを水に流してしまうの」

「そう言われても」と少年は小さくぶーたれている。

「わたしの村だって、きっとみんなの祈りが足りなかったの。

そのせいで……」

 声が張り詰めるルルトに、少年は口をつぐむ。

「……あなたがどうなろうと知ったことじゃない。

 でも、わたしを巻き込まないで!」

 ルルトはきっぱり言うと、腕を上下と左右に、円を描くように動かしたのちに、お祈りの言葉を唱え始めた。

 少年も口を尖らせながら、見よう見まねでたどたどしくそれに続いた。

「主よ、今日も糧を授けられんことを至上の歓びとし、お恵みを今日も頂戴いたします」

「……し、じょうの…………いたします」


 食前のお祈りが終わった後、少年は魚を均等に分けながら、ニヤニヤしながら話し始めた。

「でも、ルルトの村では神サマの生まれ変わりはハチだったんだろう?

 神サマがこさえた蜜を村と森とで分け合ってる、って」

 少年は曇り一つない澄んだ瞳でルルトを見つめている。

「いまは、なんでサカナなんかに変わっちゃったの?

 もしかして……ホントは甘いのニガテだったりして?」

 くっくっと笑う少年に、ルルトはそっぽを向いて頬杖をついた。

「これからは魚をお恵みになるの、だから水をお流しになった。

 わたしはきっと、あるじさまに試されている」

 ルルトは小さくした魚のほぐし身を口に入れ、ごくりと飲み込む。

「蜂がいなくなっても、もう一度“久遠”の花が咲くような村を作れるのかどうかを」


 ルルトがあまりに真剣な表情をしているので、少年はそれ以上からかうのをやめた。

 その日も外では轟々と水の流れる音が途切れることなく続いていた――――。




“…… …… ミ■カ 描く”


 ――――その日、ルルトの朝は遅かった。

 寝ぼけた眼をこすると、少年が棒切れを使って、壁に何かを描いているのが見えた。

 道具に使うにはあまりに心もとない、か細い棒切れ。

 ルルトは顔を横に向け、呆れたような表情で声をかけた。

「そんな細くて長い棒きれ、何に使うのよ。

 火起こしにも使えないじゃない?」

 少年はニッと歯を見せる。

「何をしてたのかまだわかってないんだ。

ねぼけてる?」

 ルルトはムッとして勢いよく起き上がった。

 すると、ドーム状の壁一面に様々なものが黒い液体で描かれているのがわかった。

「……何これ」

「絵だ!

ウチではよく描いてたんだよ」

 ルルトは壁画を舐め回すように眺めた。

 よくみると、ルルトが今までに行ってきた儀式の様子や、魚や火など神さまに関係があるものも描かれていた。

 ルルトは初めて自分の振る舞いを他人の目線から見た。

 それに自分から見ても上手く特徴を捉えていると思ったので、ちょっと恥ずかしくなる。

「……なかなか上手いじゃない」

 ぽつりとつぶやいた言葉に、少年の目が輝きを帯びる。

「あっ、そーだ!」

 壁とルルトの間に割り込んで、少年は彼女を見下ろした。

「オレの名前はね、ミワカっていうんだ!」 

「……いっ」とだけでルルトの言葉が切れて、彼女は目を点にする。

 ルルトは、少年の名前をいままで積極的に聞こうとはしなかったけれど、やんわり聞いてもはぐらかされていた。

 これまで、彼には名前がないのだと思っていた。

「い、いきなりどうしたの!?」

 驚くルルトを尻目に、ミワカは笑顔を浮かばせながら壁画の中央の方を見上げた。

 2人が寄り添うようにして並んでいる、一際大きな絵が描かれている。

 「ウチの村のオトコは、護りたいヒトにだけ名前をおしえるんだ! オキテにくわえていい?」

 ルルトは最初、言っていることがよくわかっていなかったようだったが、しばらくすると耳の端まで顔中が一気に紅くなった。

 「なっ何なの急に! よっ……余計なお世話ね!」

 ミワカはキョトンとした顔でルルトを見つめていた。


 ルルトはしゃがんで脚を抱えながら、しばらくモジモジしていた。

「なんで……わたしのこと、護りたいって」

「もちろん、ルルトがオレの絵をほめてくれたから!」

「……んえぇ?」

 ルルトの気の抜けた声に構わず、ミワカは語り続ける。

「オレ、村じゃ一番絵がヘタで、バカにされてて。

 ルルトが初めてだよ、オレの絵をほめてくれたのは。

 だから絵がウマいって言うやつがいなくなったら、オレの絵がウマいってことにならなくなるだろ?」

 ルルトにはミワカの言っていることがよくわからない。

 でも、堂々と目の前でわたしを護ると言ってくれた人に会ったのは初めてだった。

「……勝手にすれば」

 ルルトはそのまま、しゃがんだ脚の中に顔を引っ込めた。




“…… 火 …… 誓い”


 ――――洞窟内は常にひんやりとしているのだが、夜になるとことさらに冷たくなる。

 湿った冷気は容赦なく2人の体温を奪っていく。

 そこで、洞窟の入口辺りから流れてきた流木を日中乾かし、それを用いて夜に火を焚くことは、彼らの生活に欠かせない日課となった。


 が、今日は日当たりが良くなく特に湿っぽい日であったので、火をつけることに苦労していた。

 「下! ちゃんと支えてて!」

 「代わろうよ! 手が豆だらけになっちゃうって」

 ルルトは必死に紐を左右に引いて、紐をくくりつけた棒を流木に擦り付ける。

 1時間近くもこの状態が続いており、ルルトの手には血が滲み始めていた。

 洞窟の中はすっかり暗くなり、お互いの顔は殆ど見えなくなっている。

 血の匂いを察知したのか、制止するミワカの語気が強くなる。

 「ムリすんな! オレがやる!」

 「いいの! 全部、やらないと、気がすまないでしょ!」

 ルルトはミワカの言葉も聞かずに勢い良く紐を引っ張ろうとするが、彼女の手には殆ど力は残っておらず、紐はただふるふると震えるだけだった。

 そしてルルトは、力なく尻もちをついた。


 ミワカは暗闇の中を探り、痙攣しているルルトの血だらけの手を優しく握る。

「大丈夫、このくらい……」

「大丈夫じゃない」

 真剣な眼差しで彼女のいる方を見つめ、口を開いた。

「オレが来るまでの間、ルルトがどんな生活を送ってたのかはわからない。

でも、今はルルトのそばにはオレがいるんだ。

それを忘れないでほしい」

 今までに見たことがないようなミワカの真剣な顔が、上部の穴から零れる月の光に照らされていた。

 ルルトははじめ呆然としていた。

 だが、やがて頬を膨らませぷいと向こうを向くと「ん」と紐と棒を差し出した。


――ミワカが紐を引っ張り始めてからしばらくすると、辺りに煙の匂いが立ち込めてきた。

 ルルトは空気を入れようと火種に近づく。

 フッと息を入れると、火種は一気に燃え上がり、お互いの顔を照らした。

 おもいがけず目と鼻の先にミワカの顔があった。

「ち、ちか……」

 ルルトは動揺して、ミワカのおでこに自分のおでこをぶつけてしまった。

「ふゎぁっ!?」

 ミワカの方はなんとも無かったが、ルルトの方はおでこを触ったまま顔を赤らめて硬直していた。

「あ……あっ…………」

「だっ、だいじょーぶか!?」

 駆け寄っておでこを触るミワカ。ルルトは更に放心してしまう。

「もしかして、当たりどころが悪かったか……?」

「ち、違うの……ちがう、から……」

 いつもとは違った様子でおでこをペタペタと触るルルトを前にして、ミワカはニヤリと口角を上げ、彼女のおでこをツンとつついた。

「やっ、やめなさい!」

「やった! 弱点みつけたー!」

「ひっ、人をからかうと罰が当たるって掟にあるからね!」

 ミワカはからかいながら、逃げるルルトを追いかける。

 ルルトもしばらくすると、なんだかおかしな気分になってきて笑いだした。

 ルルトはその日の火の儀式のことなどすっかり忘れてしまっていた。

 2人の無邪気な笑い声が洞窟の中に響いていた――。




“…… 黒い 水 …… ”


 ――――かつては日の光に照らされると底まで見えた湖。

 しかし、日を追うごとに次第に、黒ずんで濁った色に変わってきていた。

 湖を蝕むこの黒い液体は、ミワカが壁画を描いたときに使ったものであった。

 壁面いっぱいに絵を描いたときは、湖底の方まで棒切れを深く突っ込まなければ取ることが出来なかった。

 それが今では、手で水を掬うだけでその一部が手の中に入ってくるほど、水面に近づいている。

 水が美味しくなくなった上に、湖に紛れ込んだ魚も黒い液体に身体を掴まれると、やがてパクパクと口を開けながら水面に浮かび上がってしまう。

 外ではあいも変わらず激しい濁流が一帯を覆っていることに加え、更にこの頃は大雨が昼夜問わず降り続いていたため、今までと変わらず外に食料や水を取りに行くこともできなかった。

 2人が食べるものはどんどん少なくなっていった。

 食べ終わった魚の骨をむしゃぶるなどして、ただただ飢えを凌ぐほかなかった。


 ある日、ルルトが突然泣き始めた。

 突然というよりは、堪えきれなくなったという方が近いだろうか。

「……きっとあのとき、火の儀式を忘れてしまったから」

 ルルトはしゃくりながらぽつぽつと口に出す。

「神サマが怒って、水も魚もどこかに持っていってしまったの」

 ルルトは止めどなく零れる涙を手で拭い続けた。

「私が、もっとちゃんとしていれば、ミワカも儀式を忘れずに済んだのに……!」

 「違う、ルルトのせいじゃない、違う」

 「でも、でも……!」

 ルルトは堰が切れたように泣きじゃくった。

 それはミワカが初めて見る姿であった。

 ミワカにはただ側にいることしかできなかった。


 しばらくしてミワカは何かを思いつき、小物をこしらえ始めた。

 湖に流れ着いた柔らかい金属、小さな石ころ。

 それらを丁寧に、1つの形にまとめていく。

 しばらくすると、ミワカはルルトに優しく語りかけた。

「……やっぱり、ルルトのせいだと思う」

「ほらね……そうなの」

「でも、ルルト《《だけ》》のせいじゃない」

 そう言うとミワカはブレスレットをルルトの手に、勝手に結び付けた。

 ルルトは赤くなった目元を擦り、きょとんとしていた。

「オキテを追加!

このブレスレットをつけている2人のうち、どっちかがオキテを破ったら、どっちか罰を受けなければならない!

でも、もう一方はシアワセになる!」

 ルルトはぐしゃぐしゃになった顔を上げ、ミワカの自慢げな顔をまじまじと見る。

「……何よ、そのテキトーな掟……」

「でも、これならルルトが罰を受けても、オレがシアワセになるでしょ? そのシアワセをルルトに上げれば、ほら、元通り!」

 ミワカの無垢な笑顔を見たルルトは、またホロホロと涙を流し始めた。

「意味分かんない、もう……。

ほんとうに、ミワカは……」

 ミワカは優しい面持ちでルルトの涙を拭った。

 そのまま棒を手に取り、その先に黒い水を付けると、ブレスレットを壁画に描き加えた――――。




 “花 …… 探す …………”


 ――――食べ物が食べられなくなってから、もう何日たったのかわからない。

 黒い液体をどけて、なんとか掬い取れた少しだけのきれいな水を2人で分けて飲む生活も、そろそろ限界が訪れてようとしていた。

 2人は体力を消耗しないためになるべく動かないでいた。


 ルルトが火を起こすための流木を取りに行こうとするときだった。

 手にも、足にも殆ど力が入らない。

 身体は鉄のように重く、何か鈍器でぶたれたかのような鋭い痛みが脈打つように彼女を襲った。

 ルルトは全身の力が抜けたように倒れ、意識を失った。

 ミワカもまた体力の消耗が激しかったため、腕の力だけで下半身を引きずるようにしてルルトに近づいていった。

「ルルト、しっかりして……!」

 ミワカが彼女の頬に触れると、強い熱が彼の皮膚を伝った。

 ルルトは浅く呼吸をしたまま動かない。

「イヤだよルルト……。

ルルト以外に誰がオレの絵をウマいって言ってくれるんだ……」

 彼女の苦しげな白い表情は、月の光によって皮肉にも一段と奇麗に見えた。

――ミワカはその顔を見て、気力も体力も湧いてきたような気がした。


「……オキテは絶対だったよね」

 さっきまで立ち上がれなかったのが嘘のように、ミワカはすくっと立ち上がる。

「動かなくてもどうせ限界がくるなら」

 拳を強く握りしめた。そして壁の掟の欄の最下方に1つ文言を付け加え、うなされているルルトの方に近づく。

 ミワカは自分の顔をルルトの顔の近くに寄せ、おでこをくっつけた。

 ルルトの表情が少し和らいだような気がした。


 ミワカはかんたんな箱や袋、そして流木でできた船を作り上げて、洞窟の入口前に立つ。

 目の前ではいつもより激しく濁流が端を打ちつけていた。

 なぎ倒された大木や、巨大な岩、そしてかつて民家の形をしていたと思われる瓦礫も一緒に押し流されていた。

 しかし、ミワカの決意は固い。

 ミワカは大きく深呼吸をすると、濁流の中へと飛び出していった。


 ――ルルトが意識を取り戻したのは、それから1週間後のことだった。

 熱は大分消え、身体も動けるほどには軽くなっていた。

 洞窟の外は今までにないくらいに静かで、さらさらと穏やかな川の音が聴こえてくる。

 日の光が洞窟内を照らし、周囲には羽虫が多く飛んでいるようだった。

 「ミワカ……どこ? ミワカ……?」

 ルルトは辺りを見渡すために立ち上がった。

 壁の方に眼を見やったそのとき、ルルトの息が詰まった。


 彼女の眼に飛び込んできたのは、目も口も開いたまま壁にもたれ、微動だにしていないミワカの姿だった。

 彼の周囲には多くの羽虫が漂っていた。

 「うそ、うそ……」

 ルルトはただ単純な言葉を繰り返しながら、フラフラとその方向へと近づいた。

 よく見ると、ミワカの肉の部分にも虫がうじゃうじゃと湧いているようだった。

 ルルトは血相を変えて羽虫を払い、虫を取っ払った。

「……近づくな」

 払っても潰しても虫がどんどん、ミワカの穴という穴から這いずり出てきた。

「近づくな……ッ!」

 取っても取っても虫が出てくるので、ルルトは黒い液体を湖から取り出し、彼の身体にかけた。

 羽虫は寄り付かなくなり、身体についていた虫も液体で息が詰まったのか、それ以上出てこなかった。

 ルルトは真っ黒になったミワカを抱きかかえて大粒の涙を零し続けた。

「ねぇ……なんで? なんで私のために……? ミワカ……?」

 ミワカが命を落とした理由はすぐに理解できた。

 彼の手には、薬草や木のみが握られていた。


 やり場のない悔しさや怒りがルルトの心の奥底から込み上げてくる。

 ルルトは不意に、洞窟の上に空いた穴の方を睨みつけた。

 穴から見える空は澄み渡るほど青く、太陽の光がそこから燦々と降り注いでいた。

 憎しみをぶつけるには、空はあまりに広すぎた。

「ねぇ、神さま?

なんでミワカを連れて行ってしまったの……?

なんで私じゃ……。

掟を破った私じゃなかったの……?」

 ルルトはミワカの冷たい身体を抱きしめて泣き続けた。

 ルルトは虚空に向かって叫び続ける。

「それなら、もう神さまなんかいらない!」

 ルルトは目線をミワカの顔の方に落とす。

「本当は、神さまなんか信じられなくなってた……。

あんなに蜜を捧げて、あんなに儀式を繰り返したのに。

お母さんもお父さんもみんなも、村も家も祭壇も何もかも、すべて流れていったから。

1人になっちゃったから」

 涙がミワカを包む黒と交ざり、灰色が点々と現れる。

「でもキミが、ミワカがここに来てくれた。

キミが私のそばを離れないように、ちゃんとした理由が欲しくて……。

お願い、だから……」


 ルルトはふと、掟の一覧の方を見上げた。

 「……これは?」

 涙を拭うと、掟の一覧の最下方に文言が1つ、つけ加えられていることに気がついた。

 「花を…………探しに行けというの?」

 ルルトはミワカの身体をゆっくりと下ろす。

「掟は、絶対だったよね」

 ふらふらと洞窟の外に出たルルトを、村が丸々入ろうかというほどの大河が出迎えた――――。


*     *     *


 「そして“…… 尽きる …… 誓い …… 久遠 ”で、終わりか……。

ここで途切れていると、いうことは……?」

 神妙な面持ちで独り言を呟きながら壁を見つめる、サファリジャケットを着た男。

 彼は中腰を崩さぬまま、痛む腰を叩きつつ、壁に書かれた言葉をわかるものから解読していた。

 それらの言葉は、何やらある一定の規則をもって並べられているようだった。

 背後では彼と似た背格好の男女が、様々な場所をくまなく調べている。

 その中の1人がしきりに男に話しかける。

 壁には何か黒いもので描かれたと思われる壁画が残されていた。

 子どもの落書きみたい、とつぶやいた言葉が洞窟内を反響する。

 儀式の様子を描いているようなものが大半で、その中央には2人の子供が寄り添っているような絵が確認できた。

 解読を続ける彼に1人の男が近づく。

「隊長、やはり古代文明とのかかわりはそこまで強くないかと思われますが……。

性質としては宗教的秘密結社に近いものと考えられます。

 当時の風俗を垣間見るという点では、学術的価値は十二分にあるとは思いますがね」

 隊長は部下の言葉にうなずいているものの、すでに心ここにあらず、といった状態である。

 隊長は頭が留守になっているような態度で部下に指示を出す。

「……生活痕が多い。まだ何かあるはずだ」


 ――――昨年、衛星情報とレーダーシステムを駆使した調査により、とある大河一帯に複数の古代遺跡があることが判明した。

 この地域では古くから、かつて栄華を極めたと云われる小規模な古代文明の存在とその風俗が、先住部族の間で伝承として断片的ながらも伝わっていた。

 しかし、物的証拠や遺跡など、伝承以外にその文明の謎を解明する手掛かりはほとんどなく「空白の期間」として考古学会からは忘れ去られていた。

 だが継続的な地質研究の成果により、この一帯を流れる大河が複合的な大災害によって形作られたことが判明した。

 そして大河の形成と前後していくつかの文明が消失した可能性が高いことが次いで分かった。

 そして先述した古代遺跡の発見によって注目を集め始めた、ということである。

 今回、地域の大学の研究者で構成された研究チームが「空白の期間」を解き明かすため、実地調査に踏み切っていた。


「うわぁ?!」

 突然、男の野太い声が響く。

 隊長と他の隊員たちが一斉に声のした方に集まると、上半身だけを出して必死に縁にしがみつく隊員の姿が、 キャップライトの光に照らされていた。

「大丈夫か?!」

 男たちは力を合わせてぬかるみに嵌った男を引っ張り出した。

「すみません、何やら急にぬかるみに嵌ってしまいまして……」

 隊長は引き上げられた隊員の衣服についた黒い液体を手で掬い、ライトで照らした。彼はしばらくそれを見つめる。

「……そうか、アスファルトか!」

 隊長の手指の隙間から黒い液体がどろどろと地面に落ちた。

「ここはおそらく、かつては淡水湖だった。

環境の変化によって地中から湧き出たアスファルトに侵食されてしまっていたのだ。

アスファルト湖には生物の遺骸を保存する作用がある。つまり」

 すると、身体に纏わりついていたアスファルトを払いきった隊員が口を開ける。 

「……実は、ぬかるみに嵌っていたとき、脚に何か硬いものが当たったような感触がありまして」

 隊長は眼の色を変えて、すぐに採掘作業の指示を出した。

 調査チームは、スコップを使って液状のアスファルトをかき出していく。

 数時間の重労働の末に現れたのは、その大きさから子供のものと思われる人の腕骨であった。

 隊員一同は驚愕し、1人が喜びを隠しきれない様子で声を上げた。

 「保存状態は良好なようです! これを分析すれば……」

 隊員たちが慎重に遺体を引き上げたそのとき、何かブレスレットのような物体が2つ、腕骨に引っかかっているのが隊長の眼に入った。

「待て、それは……」

 隊長は中央のひと際大きな壁画と、ブレスレットを見比べる。

「この壁画に描かれているものではないか?」

 その物体には特徴的な紋様が施されており、奇しくも壁画に描かれているものと一致した。

「……ブレスレットを付けるなんて文化、この一帯の文明にあったでしょうか……?」

 首をかしげる隊員。

 指摘はその通りで、装飾品は数あれどブレスレットを付ける文化は聞いたことがなかった。

「け、研究史を塗り替える成果になるのでは……!?」

 チームが色めき立つ中で隊長は「いや」と深く考え込んでいた。

「ここまでに出会った一帯すべての先住民たちに、手首に墨を入れる風習があったのを思い出してほしい」

 彼らの手首の墨は土着の神との契約を示すという。

 命にも代えがたきその印を隠す装飾品の存在は、通説が間違っていない限り考え難い。

「じゃあ、やっぱり関係ないと」

 研究チーム一同は肩を落とした。

 肩を上げたり下げたりが忙しい彼ら――研究者とは大抵そういう生き物だ――をよそに、隊長は壁画を眺めて続けていた。


 隊長はふいにゆっくりと口を開けた。

「古代文明との関係を見出せないのなら、作業は中止して原状回復をしないか」

 えっ、と隣の男が声を漏らす。

「何故です?

確かに今回の目的には叶わないかもしれませんが……、素晴らしい壁画も残っている。

後のちには歴史的な発見になるかもしれません」

 隊長が「これは私の手前勝手な憶測に過ぎないが」とつぶやく。

「ここはおそらく――我々が踏み入れてはいけない世界だったのではないか?

薄々気づいているかもしれないが、文章も壁画も生活痕も、すべて位置が低いところにある」

 大人がいなかった、とどこかからつぶやく声が聞こえた。

「頼れるものが何一つない中で、彼らは自らを護るための居場所を作った。

ここは――彼らだけの為の聖域だ」


 一同は先ほどまでの興奮と落胆を一切失っていた。

 哀しむでもなく、慈しむでもなく。

 ある者は帽子を脱ぎ、ある者は目を瞑り、ただ沈黙していた。

 彼らは、いまできる限りの畏敬を思い思いに表した。

 そこはもう、すでに祈りの場となりつつあった。

「その聖域を侵し、高潔な魂の行方を阻む権利のあるものは、過去にも現在にも、そして未来にも、誰にもない」


――調査チームは原状回復の後にその場を去った。

 報告によれば洞窟を調査した結果、


“調査の結果、文明発見の手がかりとなる遺構は存在せず”


 とのことであった。


 洞窟のそばで、大地を埋め尽さんとばかりに花が美しく咲き乱れていた。

 現地の言葉に照らすと、その花の名は“久遠”という。


Fin

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