表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/46

第45話 特性解放者

 朝焼けが水鏡神社を包み込み、穏やかな光が神社の境内を照らしている。

 静かな空気の中で、薄桃色の光が柱に反射し、境内の古びた木々を柔らかく染めていく。


 日の出の瞬間、神社全体がまるで時が止まったかのように静寂に包まれている。

 その美しい景色を見つめる僕の目の前で、三周目の僕――オカルト教授が、禰宜の老人と静かに話している。


 彼らの言葉は届かないが、何か重要な話をしているようだ。

 僕は曲がり角の影に身を隠し、二人の会話を見守ることにした。


 ――やがて、オカルト教授がゆっくりと足を進めて神社を後にする。

 その背中を見送りながら、僕はひとつ深呼吸をして、恐る恐るその場を離れた。


 数歩踏み出すと、禰宜の老人が神社の階段を降り、ひとりで考え込んでいる姿が見えた。

 その肩はわずかに竦められ、視線は地面に落ちたままだ。

 何か深刻に思案しているようで、誰かが近づく気配にも気づかないようだ。


 僕はしばらくその姿を見つめ、ゆっくりと近づいていく。

 足音を立てぬように、静かに歩を進める。


 そして、老人に声をかける。


「あの――なんと言ったらいいか……僕は、さっきの”僕”なんです。四周目の」


 少し言葉を詰まらせながら、温和に、軽く話しかけたつもりだった。

 だが、老人は僕を見上げることなく、絶句したまま、しばらく返事もできなかった。

 その沈黙に、僕は少しばかり動揺を覚える。


 ――当然だろうと思う。


 こんな話、誰も信じられるわけがない。


 ☆☆☆


「この手紙を書いた記憶はありますか?」


 僕がそう尋ねると、老人は目を閉じ、しばらくの間、力なく首を振った。

 僕はその反応を見逃さず、続けた。


「おそらく、あなたもループしている。それも相当な回数を」

「なんだって?」


 老人の目がわずかに震えた。

 何かに気づいたようだが、すぐにまたその目線は地面に戻る。


「おかしいと思っていました。あなたは本当にここに実在する人なんですか?」


 その問いかけに、老人はしばらく黙っていた。

 まるで答えを探しているかのように、時間が止まったように感じた。


 やがて、老人はゆっくりと口を開いた。


「別の時間軸から来た。記憶を失い、禰宜として誰にも認識されぬまま幾星霜を経てきた」


 その言葉は、僕が想像していた以上に重く、そして痛々しく響いた。

 僕は一歩、また一歩と慎重にその真実を追っていく。


「あなたは、ここで認識されていない。僕はあなたが怪物に消されたのだと思い込んでいた。それでここの宮司さんに訊いてみたんです。そしたら――この神社に禰宜は最初からいなかったと」


「そうか」


 老人の声は、どこか遠く、理解を超えた場所に響いているようだった。


「教えてください。あなたは一体、誰なんですか?」


 ☆☆☆


 真夜中、水鏡池の周りには三十人あまりの男女が集まっている。


 闇に包まれたその光景は、不気味さを増していた。

 風が一切ないのに、木々の枝が微かに揺れる音が聞こえてくる。

 しかし、その揺れは不自然で、まるで何かの指示に従っているかのように感じられた。


 これから男の日記に習って入水の儀式を行う。

 とはいえ、サダコから順番に水鏡池の水に触れればいいだけのことだ。


 一人ひとりが、池の縁に触れ、次々に姿を消していく。

 最初は静かな動作だったが、やがてそれがルーチンとなり、誰もが恐怖に引き寄せられているかのようだった。


 その瞬間、誰かが悲鳴を上げるが、それもすぐに消えた。

 声は響かず、ただ無の中に吸い込まれるようだった。


 次の人物が池に触れると、その姿も掻き消える。

 その行為が繰り返されるたびに、辺りの空気は重くなり、まるで時間そのものが圧縮されていくように感じた。


 そして、突然、世界が反転した。


 昼夜の境界が曖昧になり、薄暗い霧が池の周囲を取り巻いている。

 木々は不自然に歪み、曲がりくねった枝が奇妙な方向を向いている。

 その景色は、どこか異質なもの、常識では説明できないものを感じさせた。


 生き物の気配はなく、ただ冷たさだけが支配している。


 この場所は、僕がかつて迷い込んだ時間軸の果てのようだ。

 昼も夜もわからず、すべてが固定されたように動かない。


 そして、ふと目の前に上原雄介が現れる。


 廃人のように佇んでいるその姿は、まるで精神が壊れてしまったかのようだった。

 あの恐怖が、今、再び僕を包み込んでいく。


 ☆☆☆


 霧の向こうから、遠くに悲鳴が響く。


 その音は次第に近づき、振り向いたとき、初老の女性が腰を抜かして縋り付いてきた。

 目を見開き、震える声で言う。


「前の――最初の私がいたんです!」


 女性は息を切らし、恐怖に支配された目を見開いたまま答える。


「落ち着いてください。遭遇したのは、今さっきのことですか?」

「ええ。そうです」


 僕はその答えに深く頷き、霧の中を見つめるが、何も見えない。

 目を凝らしても、ただ薄い霧と暗闇が広がるばかりだった。


 そのうち、次々に周囲から息を呑む声が聞こえ、続けて悲鳴が上がる。


 それに反応した禰宜の老人は、ため息をつきながら歩いてくる。


「ドッペルゲンガーというやつでしょうか?」


「自己投影に近い。自分がでっち上げた怪物だよ。安心しろ。迷い込んだわけではなく、自ら来た者たちは慣れてくる」


 その言葉に僕は冷や汗をかきながら考える。


「奴らはこの時間軸に自らを閉じ込めようとする。あらゆる手段を使ってな。本当は出たくなんてないんだ。この時間軸の王さまなんだから」


「それじゃあ僕らは全員、自傷行為を繰り返していたことになる――ループが終わらないはずだ」


 それが僕の頭に浮かぶ、最大の疑問だった。


 手紙を届けたのも、新田を唆したのも、怪物の名をかりた何周目かの僕だったとしたら。

 ――しかし、あくまでそれは憶測に過ぎない。


 人間は、自分と同じ結論に誰もが至ると思いがちだが、現実は違う。


「この世界は崩壊する」


 恵理が言った通りだった。

 彼女の本能が感じ取ったもの、それは間違いなく正しかった。


 どれだけの人間が、どれほどのループを繰り返し続けてきたのだろう。

 もはやそれは摩耗し、薄く擦り切れ、そして間もなく消える。


 僕はその先に待つものを知っている。


 怪物は存在する。


 何周目かの自分と対峙するその場所に、僕らはついに足を踏み入れてしまった。


 ☆☆☆


「ここは、なんなんですか?」


 禰宜の老人が霧の中から穏やかに答える。

「時間の狭間。言ってしまえば異界。あの世。冥府。そんな世界だ」


 僕はその言葉を理解できないまま、恐る恐る尋ねる。

「し、死んだってことですか?」


「そうじゃない。ただし、選択しなくてはいけない。この閉じられた世界から出るか、あるいは滅びていく時間軸と運命を共にするかを」


 僕の胸に重いものが押し寄せる。


「あなた――あなたは、留まることを選択したと?」

 老人は黙って頷き、目を細めた。


「ああ。それで、君が言う”特性”のある者にしか認識されなくなった。滅んだ時間軸の亡霊だ――できれば、君にはこうなってほしくはない。いいや、誰にもだ」


 その言葉が僕の心に深く突き刺さる。

 あの日記の男は、結局、時間の中に閉じ込められたのか。


 そして――摩耗して、魂だけが時間軸から放り出されたのだろう。

 その姿は、もはや時間の流れに囚われた亡霊のようなものだ。


「同じことを繰り返すのは麻薬だよ。破滅するとわかっていながら――やめられない。自分の中から怪物を創り出してでも」


 その言葉が、まるで記憶の中で響いてくるようだった。

 まさにその通りだ。ループの中で僕たちは、自らを破壊する道を選び続ける。


 何度も繰り返すことで、目の前に立ちはだかるのはもう、過去の自分が創り出した化け物だけになってしまう。


 恐怖、絶望、そして無力感。

 それでも、再びその世界に足を踏み入れることを選んでしまう。


 やめられない。


 最初は意志を持っていたはずなのに、次第にその力が削られていくのだ。

 僕は言葉に詰まって、ただ静かに老人を見つめた。


 存在が、確実にあやふやになっていっているのがわかる。

 視認ではなく、感覚的に。


 どうやら、この場所ではそれが自然なことのようだった。


「私が書いた手紙と、古い日記を返してくれ」


 その言葉に僕は息を呑み、手元の手紙と日記を差し出す。

「どうするつもりですか?」


 老人はしばらく黙っていたが、やがて小さな微笑みを浮かべる。

「君が言った通りの店へ行って、君が言った通りに預けることにする。また来る次の君のために――」


 その瞬間、禰宜の老人は霧の中に溶け込むように消え去った。


 ただ、静けさと霧だけが残り、僕はその場に立ち尽くした。


 ☆☆☆


 サダコの顔をした恵理が歩いて来た。

 悲鳴でもあげていれば可愛げがあったのだろうが、芝居でもないのに、そんなことをする女ではない。


「この時間軸は終わりだよ。あまりにも矛盾が多すぎる。どう考えたって、もう容量限界だ――見ろ」

 僕はこの世界の端を指差した。

 ボロボロと消えていっている。


「さあ。行こう」

「待って! 行くってどこへ?」


「この時間軸の端から出るんだよ。脱出するには、それしかない」

「待ってよ。ここに居れば、また繰り返せる――そうじゃない?」


 これだ。僕は、彼女のコレが嫌だった。

 約束も、取り決めも、直前になってひっくり返す。


 ドタキャン癖が出た。

 付き合いきれない。


「は、端から出るって――見なさいよ! 崖じゃない! そんなの自殺と変わらないわ!」


「自殺って、君も一度、死んだじゃないか」

 僕は冷静に恵理を見た。


 おそらく、こうなったら彼女は行かない。


「残念だよ。君はサダコとして生きるんだね?」

「は――そうよ? 悪い? 売れない芸人だっけ? 私ならきっと売れてみせる。絶対に」


「それはそれは、ありがとうございます」

 恵理に頭を下げた人がいた。


 三十人あまりの中の一人。

 名前は思い出せない。

 中年女性である。


「私たちだけで行きましょう」

 僕は、中年女性に手を引かれて歩き出した。


「サダコなのか?」

「はい」


 返事の仕方に愛着がある。

 ああ。彼女だ。


 もう霧の向こうに恵理は消えている。


 世界の端から出ること。

 ――たった、それだけのことを共有した仲間たちのうち、何人が脱出できただろうか。


 脱出できなかった者たちは、この時間軸に縛られ、やがて霧の向こうへと消えていく。

 そして、脱出した者たちはどこへ行くのだろう。


 そんなことを考えながら、僕は残された場所を見つめていた。


 霧の中、消えゆく世界の端を。


 ☆☆☆


 前畑くん――いや、武山先生が霧の中から現われた。


「やあ。来たね」


「お父さん」

「うん。そう言われるのは――なんだか、おかしい気がするよ」


 無理もない。

 見た目は大学生と、中年女性なのだ。


「まさか、断崖絶壁が時間軸の端だとは……」

「ええ。さきほど恵理が拒否しました。残念です」


「むりやり放り出すわけにもいくまい。なにせ、すべてが憶測だ。実際、目の当たりにしても――とても理解が追いつかない」


「先生がそう仰るなら、我々はもっとです。とにかく、僕はもうループするのはうんざりしているんですよ。やり方は教えたんだ。意思さえあれば、今引き返した人も再び戻ってくることでしょう」


「それまで、この時間軸が保てばいいが」


 先生の一言で僕らは無言になった。


 ☆☆☆


 霧の中の怪物が、僕らを追いかけてきた。


 あらゆる誘惑を投げかけてくる。

 先生は、猛然と走り出していた。


 僕もサダコの手を取り、その後を追う。

 先生も。僕らも。


 なにかを叫んで断崖絶壁から飛んだ。


 三十人あまりの老若男女が、集団で飛び降りる。


 端から見れば、レミングの集団自殺に映るのか?

 あれは迷信だと、どこかで読んだなと思った。


 ”特性”ある者が見れば、怪物に追われて逃げて行く人々?

 霧の中で、足を踏み外した哀れな犠牲者?


 一瞬で、色々考え、それからサダコを見る。

 彼女も僕を見ていた。


 怪物がなにか言っている。


 どうでもいい。


 僕らは手を繋ぐ。


「待ちなさいよ!」


 恵理の声が頭上から聞こえてきた。

 そうか。


 僕らはもう――飛び降りていたんだな。


 恵理は摩耗した時間軸のなかで、限られた永遠を生きていく。

 それが彼女の選択なら尊重しようと、僕は思った。


 彼女とはもう遭うこともないだろう。

 僕は胸をなで下ろし、それから突然、理解した。


 そうか。

 わかった。


 恵理。

 怪物は君だ。


 僕をこのループに閉じ込めていた怪物は――


 もう、どうでもいいことだな。


 ☆☆☆


 コマ送りのアニメーションのように、何十、何百、何千――幾星霜の僕が一瞬で通り過ぎていく。

 体を変え、同じ時代を、同じ魂が延々と。延々と。繰り返して。繰り返して。繰り返して。


 僕の魂は深い時空の海の底へ沈んでいった。

 底だと思った海底の更に深くへ潜り込んでいく。


 怖くはなかった――というより、思考ができなくなっていた。

 底の底は、岩盤の上に広がる無意識の世界。


 俗に言う、あの世であろう。

 僕は死んだのか。


 魂が沈んでいく。

 岩盤のなかへと。


 魂のなかへと。

 内宇宙へ。


 いちばん、おくへ――


 僕は、やっと、僕でなくなった。


 僕はこの世界から消え去っていった。

 お読みいただきありがとうございました。

 ブクマ、いいねボタン、評価、感想など、お気軽に。

 カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Xアカウントへ 河田真臣@カクヨム&小説家になろう カクヨム版へ カクヨム 遊びに来ていただけると嬉しいです。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ