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19話 グッバイ追跡者 11

「奥井さん、もうロケハンを終わらせてきたんですか?」

 僕が感心して尋ねると、奥井さんは軽く頷いた。

「ええ、神社で裏山の撮影許可もちゃんと取ってきましたよ。まあ、早起きして動けば、時間は有効に使えますからね」


 さすが元自衛官、そして将来一流になる男は違う。

 まだ朝早いというのに、すでに仕事を終えているなんて、僕には到底真似できない。


「さすがですね」と僕が言うと、奥井さんは少し謙虚に肩をすくめた。

「いやいや、ただの習慣ですよ。まだまだ勉強中ですしね」


 その横で、すでに温泉と朝食を堪能したサダコが、まるで子供のように眠たそうにしていた。

 温泉のせいか、目が半分閉じていて、テーブルに伏せそうな勢いだ。


「サダコ、起きてる?」

 僕が少し声をかけると、サダコはぼんやりと顔を上げ、眠そうに「うん、大丈夫――たぶん」と小さな声で返す。見るからに眠気に勝てていない。


「今から取材だぞ。ちゃんと起きてくれよ」

「うん、でも温泉と朝食でお腹いっぱいだし、もう一回寝たいなぁ……」と言って、またテーブルに突っ伏しそうになっている。


「寝るなって……」

 サダコのリラックスぶりに僕は少し呆れつつも、気持ちはわからなくもない。


 ☆☆☆


 サダコが温泉宿の女将さんに別室で寝かせてもらえることになり、僕たちはご好意に甘えて彼女をそこで休ませた。

 まったく、彼女の図太さには感心するが、今はミーティングを優先しなければならない。


「さて、ミーティングだが、住民への聞き込みは女性陣にお願いする。彼らの信頼を得るには柔らかいアプローチが必要だし、女性のほうが話しやすい場合もあるからね」


 女性陣が頷き、僕は次の班の説明に移る。


「神社への取材は、中嶋さん、奥井さん、そして僕が担当する。神社の裏に何か手がかりがありそうだから、詳しく見ていこう。奥井さんのカメラワークが頼りだ」


 奥井さんはニヤリと笑い、「任せてください」と自信たっぷりに応じた。


「それから、裏山へのフィールドワークは男性陣にお願いする。足場が悪いかもしれないけど、冒険心で何か発見できるかもしれない」


 ゼミのカップルも裏山行きを希望していたが、ちょっと心配だったので、阿部さんに確認する。

「阿部さん、大丈夫か? 裏山は結構険しいぞ」


 すると、阿部さんはにこりと笑いながら「鍛えてますから、問題ありません」とさらりと返した。

 その自信に満ちた態度を見て、僕は彼女に全幅の信頼を置くことにした。


 それに比べて、今は女将さんの部屋で寝こけているサダコ。

 どこまでもマイペースで、目の前の阿部さんとは大違いだ。


 今回は前回の飛び込み取材とは違い、正式に許可を得ているので、さすがに嫌がらせや危険なことは起きないだろう。

 それに加え、今回のメンバーにはフィールドワークに慣れた上級生も多数いる。

 現地の村人たちとの関係も比較的良好で、緊張感は前回ほど強くない。


「じゃあ、みんな。くれぐれも気をつけてくれ。何かあったらすぐ連絡して、無理は禁物だ」と僕は全員に声をかける。


 学生たちの表情は真剣で、特に裏山班のメンバーは気合いが入っている。

 中嶋さんも奥井さんも、プロフェッショナルとしての準備が万端だ。

 取材許可がある分、安心感もあり、取材がスムーズに進む予感がした。


「それじゃ、各自分担に従って行動しよう。何かあったらすぐに報告を頼む」と最後の確認をすると、みんなそれぞれの任務に向かって散っていった。


 ☆☆☆


 前回、掃除をしていた年老いた禰宜(ねぎ)に、僕は今回の祭りについてもう少し詳しいことを訊いてみることにした。

 特に気になっていたのは、あの黒塗りの男たちについてだ。


 神社に着くと、禰宜はいつものように箒で境内を掃いていた。


「前回、男たちが黒く塗った顔で山に入っていたのを見たんですが……あれ、どういう儀式なんですか?」


 禰宜は手を止め、ゆっくりと僕の方を向いた。

 その目は静かで、深い海の底のような奥行きを持っている。

 少しの間、間が空いたが、彼は淡々と答えた。


「ああ、黒塗りのことかい?  ビックリしただろう? 古い風習でな。若い宮司――息子なんだが……まあ、詳しくは知らんだろうな」と言って笑う。


「あの黒塗りは、山の神さまに仕えるためのものだ。御山に住む存在に姿を隠すためのものだよ。言葉を発さず、誰が参加しているかもわからないようにすることで、村人たちは自分たちの守護をお願いしに行くんだ」


「守護……それで顔を塗ると?」


「そうだ。黒は、闇を表す。闇に溶け込み、山神さまに見つからないようにするためでもある。そして、顔に書かれた白い文字……それは、一種の『契約』だな。古くから、村人たちは山神さまと交わした契約を大切にしている。その契約が破られないよう、毎年こうして確認するんだ」


 やはり高齢の禰宜に訊いて良かった。

 もし、若い宮司に訊いたら、それらしいことを教えられて終わりだろう。

 チラリと奥井さんを見ると、手応えのある写真が撮れたのか僕の目を見て頷いてくれた。


 グラビア雑誌であれば若いアイドルの写真が載っていれば良いのだろうが、オカルト雑誌では全く傾向が変わる。

 集落の長老的な人の話や写真があれば、説得力も売り上げも違うのである。


「若い人は、古い習わしにはあまり詳しくない。ただ、村の者にとっては、こうした儀式が大事なんだ。それを理解してくれればそれでいい」


 禰宜の言葉には重みがあり、村の伝統と信仰が今も息づいていることを感じさせる。


「まあ、お前さん方がそれを見てどう感じるかは、そっち次第だな」


 僕はその言葉に一瞬だけ戸惑いを感じたが、同時に、この村の祭りの持つ異様な魅力を再確認した気がした。


「ああ。そうだ。契約が成功すると、どうなるんですか?」と、僕は少し間を置いてから尋ねた。

 禰宜は僕の質問に答える前に、また静かに箒を動かし、地面に溜まった落ち葉を寄せていた。

 その仕草には何か含みがあるようにも思えた。


「契約が成功すると……山神さまは村に豊穣と守護をもたらすと言われているね。山の獣が村人を襲わず、作物も豊かに育つ。災害や不幸からも村が守られるんだよ」と禰宜はゆっくりと話し出した。


 中嶋さんが少し間を置いて尋ねた。

「それでは、黒塗りの顔に白い文字が書かれているのは、成功したということなんですね?」


 禰宜は、口元に笑みを浮かべながら軽く肩をすくめた。

「祭りだからな。それは皆、成功したってことにするんだよ。そうでもしないと、おっかなくてやってられないだろ?」と笑いながら答える。


「村の祭りってのは、外から見れば奇妙に見えるかもしれない。でも、ここではそれが当たり前なんだ。山神さまの怒りを鎮めるための儀式であり、村の絆を再確認する大事な行事でもある。だから、村人は外の人間に知られるのをひどく嫌がるんだよ。田舎者だと馬鹿にされると思っているからな」


「なるほど……」中嶋さんは深く頷きながら、真剣な眼差しを禰宜に向けた。

「外からの視点で見ると、確かに少し不思議に思うこともありますが、そういった背景を知ると、村人たちが外に見せたくない気持ちも理解できますね」


 僕は黙って二人の会話を聞きながら、村人たちの内面にある葛藤や不安が、この祭りに込められているのかもしれないと考えていた。

 村の秘密を守りながら、同時に何かを訴えようとしているような、複雑な感情がそこには隠されている気がした。


「だがな、契約が失敗すれば……」禰宜は少し声を潜めた。

「山神さまは怒り、その怒りは村全体に降りかかる。昔、何度か失敗したことがあるんだ」


 僕は、その話に少し背筋が冷たくなるのを感じた。

 この村では、ただの祭りや儀式ではなく、本当に何か大きな力が動いているように思えた。

 現代の感覚では捉えきれない、深い信仰と恐怖が根付いているのだろう。


「だから、村人たちは毎年こうして顔を黒く塗り、契約を交わしに山に入るんだ。神に祈り、自分たちが守られるように。そして、村の平穏が続くようにと願って」


 禰宜の語る言葉には、村の古い信仰と、それに対する畏怖がしっかりと感じられた。

 この契約が、村の運命を左右しているということが、ただの伝説ではなく、村人たちにとって現実そのものであるようだった。


「失敗すると……別の誰かの魂に取り憑かれることがあるとか言われていたんだ」と、禰宜は低い声で言った。その瞬間、空気が重くなった気がした。


「昔から、山神さまが取り憑くと狐憑きだとか、色んな言い方をしてきたもんだ。山神さまが契約を破った者に罰を与えるのは村の言い伝えさ。しかし、最近になって……村の外でも似た話を聞くようになったよ」


「似た話?」と僕が聞き返すと、禰宜は周囲を見渡し、慎重に言葉を選んでいるようだった。


「……最近亡くなった若い政治家がいただろう? あの人、前にここへ来てね」

「上原という人ですか?」


 禰宜は深く息をつきながら答えた。

「ああ、そんな名前だったな。止めるのも聞かずに山へ入って行った。泥だらけで帰って来て。変な人だったよ。でもわしにはわかったんだ。あの人、山神さまと降りて来たんだって」


 禰宜の言葉には、ただ事ではない重みがあった。

 上原が山神と何らかの形で交わったという話は、僕の中で何か大きな謎を呼び起こした。

 彼が一体どんな契約を交わし、どんな運命を背負うことになったのか、その真相を探らずにはいられなかった。


「山神さまは、外の者にも影響を与える力を持っているのかもしれん。だから、村に限らず、どこであろうと契約を軽んじてはならないということだよ」と、禰宜は話を締めくくった。


 この村の祭りや儀式は単なる伝統行事ではなく、何かしら現実の影響を持っているのかもしれないという考えが、僕の頭の中を駆け巡った。


 ☆☆☆


 中嶋さんと奥井さんが写真と取材のチェックを進める中、僕はそっと禰宜に声をかけた。

「異界との境目って、ご存じですか?」


 その瞬間、禰宜の顔色が急に変わった。

 まるで何か禁忌に触れたかのような表情だった。


「そのことを……どこで聞いた?」と、低い声で問い返してきた。


「若い政治家が来たと仰ったでしょう。彼が言っていたことなんですが」

 僕は正直に答えて、様子を伺う。


 禰宜はあたりを見回し、一瞬の緊張感が漂った後、短く息をついて囁いた。

「ここでは話せない。帰るまでにもう一度会おう。今度は二人だけで」


 その言葉を聞いた瞬間、僕は何か大きな秘密に触れたという予感がした。

 この村には、まだ僕らが知らない深い闇がある。

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