ハインリヒ Side
ハインリヒ視点のお話です。
今から十二年前、母上のところに、彼女の妹という、いわゆる叔母が娘を連れてやってきた。
近くまで来たから、という軽いノリで現れた親子は、私たちの黒髪とは違う、茶色の髪をしている。違和感を感じて、従兄妹の髪の毛を引っ張ってみれば、案の定、黒い髪が現れた。
「なにすぅのよ?」
ウィッグが外れるほど強い力で引っ張った私を、零れそうな大きな瞳に涙を浮かべて見るのは、従兄妹のエルザ。
「なんで茶色の髪、かぶってるんだ?」
「くろいかみ見ると、みんなおどろくから」
黒い髪に金色の瞳の私はいつも好奇の目で見られているというのに、気軽に黒い髪を隠してのんきに暮らしているのかと、イライラを感じた。
「ふん」
ポイっとウィッグを投げ捨て、話に盛り上がる母と叔母がいる部屋から出る。後ろから、甲高いエルザの泣き声が聞こえたが、知ったことか。
その日の夜は、月夜花草の開花を見るからたくさん昼寝をするように言われた。ユーレリア国では王宮でしか生育していないその花は、元々は母の祖国であるキリシア国のものだったという。この国とは気候が合わず、手を掛けられる王宮のみで、育てている。
たったの数日、しかも夜にしか咲かないその花は、まるで月に照らされた嬉しさを表現する夜空のような、美しい濃紺。とある有名なブランドが、この独特の色に布地を染めるのに成功したと、先日聞いた。
昼寝から目覚めて、まだ眠い目をこすりながらエルザは現れた。花の前に座る私の横に、毛布を持ったままちょこんと隣に座る。
もう先ほど泣いていたことは忘れたのか、単純そうな顔をしているからな。
「食うか?」
瓶に入った飴玉を見せると、嬉しそうに「くう!」と頷く。彼女の瞳と同じ菫色の大きな飴玉を、口に放り込んでやる。片方のほっぺを膨らませてまるでリスのようだ。
「エルザは何歳だ?」
「よんたい」
親指を一本折って、四本の指を立てた手を、私の目の前にかざす。
「そうか。私は五歳だ。わたしのほうが一つ、お兄さんだな」
恥ずかしながら、まだ妹が生まれる前の私は、自分より小さい子供と接する機会が少なく、小さなエルザを前に、兄気分を味わっていた。
私の父は、母である側妃の他に、正妻である王妃様がいて、その方の子供が三人。私にとっては兄と妹が存在してはいたが、離宮で生活する私は式典などでしか顔を見ることさえなかったため、自分と異なる色彩の彼らを兄妹と感じることはなかった。
その点、エルザは私の母と同じ黒い髪に紫の瞳で、どこから見ても血の繋がりを感じた。
「おにいたま?」
飴玉を口に含んだまま、モゴモゴと喋るエルザに、私は満足して頷く。
「そうだ、お兄様だ」
この国では珍しい黒い髪も、王譲りの輝く金色の瞳も、彼女は臆さず真っ直ぐに見てくれる。この子がそばで笑っていてくれたら、この広い王宮でも、私は悲しみや悔しさに打ち勝てるのでは、と、月夜花草の花びらが開く様子を見ながら考えた。
さきほどまでうるさくお喋りをしていた母が、気付けば後ろにいた。エルザの母も、彼女を後ろから抱きしめながら、花を見ている。
「キレイねぇ、あら、寝ちゃった?」
母親の腕の中で、エルザはすぅすぅと小さな寝息を立てて眠っていた。
彼女は安心できる場所で、安らかに育っているのだ。最初に挨拶をした時の、市井で育ったというわりに美しかったカーテシーを思い出す。この子は、大事に大切に、どこでも強く生きていけるように育てられているのだろう。私の心の安寧のために、ここにいてほしいとは、言ってはいけない。
王宮では人の悪意にさらされて生活しているようなものだ。この可愛い子は、自由に笑っているほうが似合っている。
私はまだ芽吹いたばかりの小さな欲が成長しないように、唇を噛み締めた。
キラキラと輝く彼女への気持ちは、宝物のように心の底に鍵をかけて、明日を向いて生きていく。
何年も経った頃、この親子が不法入国した、との連絡が入った。どうやら山伝いに国に入り、関所を通らなかったようなのだ。呆れながらも、入国の許可を出してやる。
それからさらに数年経ち、スミリアル学院の二年生に進級した年の新入生に、頭の悪そうなピンク色の髪を見つけた。三年生のジョルジェット先輩が生徒会室に連れて来たその子は、菫色の瞳をしていて、すぐにエルザだと気が付く。
私と目が合った彼女が「しまった」という顔をして、私の存在に気付かずにヒロインを引き受けたこと、王家と関りを持つ気がないことがわかった。
王家と繋がりがあると知れたら、場合によっては政略の駒に使われるかもしれないので、私も知らぬふりをしてやる。初対面として振る舞う私をよそに、私の幼なじみで生徒会長のジル・クリスターとは親し気に付き合っているのを見ると、なんだか面白くない気持ちが沸き上がってくる。
少しくらいいいだろう、と王宮で茶会を開けば、妹のマリアンヌもよく懐いて、思いがけず楽しいひと時となった。
なににも執着しなかった幼馴染のジルが私の可愛いエルザに夢中になっている。退屈だった学院も、しばらく楽しめそうだと、笑みが零れた。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございました。




