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学院から少し馬車を走らせた先にある街の高級店街を、ジルとエルザは歩いていた。
「好きなブランドは?素材とかデザインにこだわりはある?」
有名ブランドの鞄店のショーウィンドウを眺めながら、ジルが問いかけてくる。エルザはフルフルと首を横に振り、不思議そうにジルを見上げた。
「特に好きなブランドもこだわりもありません。というか、何かを購入する予定はありません」
しかもこんな貴族か裕福な平民しか来ないような店で、エルザは普段から買い物をしない。
「あー、よかったら通学用の鞄をプレゼントさせてくれないかな。きみの鞄、木から落ちた時に持ち手が少し破れてしまっていたし」
察しの良いジルは、エルザの鞄が木の枝に掛かっていたことが昨日の自分の発言のせいであるだろうと確信していたのだ。
「持ち手が切れていたのは少し前からで、わたしが繕うのを怠っていただけなので大丈夫ですよ」
「あの鞄、ちゃんと名前の刺繍入ってたし、大事にしてるんだろう?毎日の通学に使うと傷みやすいし、あれは普段のお出掛け用にしたらいいよ」
名前の刺繍は母が入れてくれた。ずいぶん小さな頃から使っている大事な鞄だ。
けれど、だからといってジルに鞄を買ってもらう所以はない。
「それに、二人でお揃いの鞄を持つとか、俺たちの親密さを周囲にアピールするのに最適だと思わない?」
「確かに……」
ジルのヒロイン(仮)として活動する気持ちはいっぱいあるが、具体的な内容は一つも考えていないエルザは簡単に納得してしまう。
「ということで、これはきみにヒロイン役を頼んだ俺の必要経費。さ、一緒に鞄を選びに行こう!」
ジルの言葉に流されるまま、いくつか鞄店を見て回ることになった。
「教科書を入れるから、このくらいの大きさは必要だよね?」
「この色は可愛らしいですけど、毎日使う物だから、汚れが目立たないこっちの色のほうがいいんじゃないですか?」
「お、これ開けやすい!」
「あれ、これってジル先輩が使っている鞄と同じ色……」
濃紺のその鞄は、普段ジルが使用している鞄と同じ色合いに見える。エルザは鞄をひっくり返してみたり、斜めから見て色味を確認してみた。
「うん、やっぱり綺麗な色。月夜花草の花びらにそっくり」
「エルザは月夜草花、見たことあるんだ?」
「はい、小さい頃に親戚の家で。夜にしか咲かないからって、お昼寝をたくさんして夜更かしをした思い出があります」
4、5歳の頃だったろうか。母と一緒に母の姉のところに数日滞在した時の思い出だ。伯母には自分と同じ年頃の息子がおり、二人で眠い目をこすりながら花の開花を待った記憶がある。
ジルは何か考え事をしているのか、口元に手を当て難しい顔をしている。
「ジル先輩?側溝に小銭落とした、みたいな顔してますけど、どうしました?」
思いがけないエルザの発言に、ジルは思わず笑ってしまう。
「はは、何それ。ちょっと考え事をしていただけだよ。エルザはこういう時『わたしといるのに他のことは考えないで』とか言わないんだね」
「そっちこそ、何それ、ですよ。誰といて、何を考えるかなんて、個人の自由じゃないですか。ジル先輩が目の前に落し物はあるのに簡単に手が届かない、みたいな表情をしてたから気になっただけです」
「ここは王族も御用達の店だからね。ここの鞄を俺がきみにプレゼントしたのが知られたら、エルザはヒロインというより高級品を貢がせた悪女と言われてしまうかな、と考えていたんだよ」
エルザは突然出てきた『悪女』という強いワードに驚いて大きな瞳をさらに大きく見開く。
「ヒロインな上に、貢がせ系悪女って、わたしスペック高すぎません?」
ブハッとジルは吹き出してしまう。
「エルザにとって悪女はスペック高いの?はは!きみの価値観が謎なんだけど」
笑い転げるジルを、エルザは不思議そうに見つめる。
「ジル先輩が笑ってるの、初めて見ました」
「えー俺いっつもニコニコしてると思うけど?」
「はい。いつもニコニコ微笑んでます。でも、声を出して笑うところを見たのは初めてです。同じ年頃のバカッぽい男の子って感じでいいですね!」
エルザのちょっと褒めていない言葉に、ジルはなぜか嬉しそうに笑って、彼女の小さな手を握る。
「きみはまだ悪女ってレベルには早いから、流行りのみんなが持ってるような鞄にしよう!」
そう言って、手頃な物から高級品まで取り扱っている、シンプルな品揃えの店にジルはエルザを連れて行った。
学院で指定の鞄はないが、ほとんどの生徒は無難な同じようなデザインの鞄を使用している。まさしくそういった鞄が並んでいた。
「このデザインでどう?」
ジルが手に取ったのはシンプルなありふれた学生鞄だった。持ち手もしっかりしており、ポケットや留め具も使いやすそうだ。
「はい、いいと思います!」
やはりヒロイン部の活動の一環での贈り物とはいえ、あまりに高い物は分不相応だ。手頃そうな品物にエルザは安心して同意を伝える。
購入する鞄が決まると、ジルは店員としばらく奥で話をして戻ってきた。
「せっかくだからお互いの色がついたチャームをつけてもらうことにしたから、出来上がるまで少し時間がかかるらしい」
「お互いの色!それは親密感でますね」
さすがたくさんの女性にプレゼントを贈ってきたモテ男だけある、とエルザは感心してしまう。こっそりと素材やパーツを特注品に変更する相談をしていたことなど気が付いていない。
形は確かにありふれた学生鞄だが、それが高級バージョンであることはエルザには秘密だ。
もしかしたら、彼女は一目見てその素材の違いに気付くかもしれないけれど、とジルはひっそりと未来のエルザを想像して微笑む。
エルザは地元の図書館の端から読み漁っていた中で、悪役令嬢が活躍する乙女小説も読みました。
自分で運命を切り拓いていく悪役令嬢のカッコよさ、リスペクトです!