3
楽しいお茶の時間が終わり、エルザはメイドが馬車まで案内してくれるというので、二人に挨拶をして別れた。マリアンヌを待機していた侍女に預けると、ハインリヒの元へ侍従がやってきて、公爵令息ジル・クリスターの訪問を告げた。
ハインリヒはにやりと笑って、彼の待つ部屋へと足を向ける。
ジル・クリスターは、来客用に常に整えられている応接室の一室で、落ち着かない様子でソファーに座ったり立ったりを繰り返していた。
いつもハインリヒとお茶をする時は、彼の私室近くの応接間に通されるが、今日はそこからは遠い、いくつもある応接室の一部屋に通されている。
当たり前だ、約束も取り付けずに訪問するなど、貴族として礼に欠ける行いだ。
そんなことは当然わかっているが、エルザがハインリヒと王宮で会っていると思うと、いてもたってもいられなくて、来てしまったのだ。
ジルはこれまで自分が恋愛に奔放であったという自覚がある。どんな女性だって、子供だって大人だって、人間であれば、いや、そこらに落ちている枯葉でさえ、彼は愛おしいと思える感性の持ち主なのだ。そんな男なので、相手に求められれば惜しみなく愛情を与えてきた。けれど、それらはどれも等しく野に咲く花を愛でることと変わらぬ愛であったのだ。
それが気づけば、たった一人の女の子のことばかり、考えるようになっていた。
素直で率直で、一生懸命で、生粋の貴族である自分とは分かり合えないだろう価値観を持っている平民のエルザ。
妖精のような見た目の可愛い女の子は、知れば知るほど好きになるし、わからないことが増えていく。
初対面の時とは違う髪色で現れた彼女は、問いただしたところで、すべてを教えてはくれないだろう。エルザが自分から打ち明けてくれるのを、ジルは待とうと決めている。
しかし、それと同時に障壁となるものはこっそりとすべて取り除いてしまおうとも考えていた。そのため、密かに公爵家の力を使って彼女の過去を探ろうとしたが、いまだジルの求めている答えにはたどり着かない。
それゆえに、エルザの気持ちが自分に傾き始めたことがわかっているのに、関係を進められず、距離を保つような態度をとってしまう。
彼女が学院に通う前まで暮らしていた家。義理の父やその家族のことは簡単に調べがついたが、それ以前のエルザの出生に関わる内容が、まったく入ってこない。
ちらりと見えた黒い髪は、第三王子であるハインリヒと同じ色で、そこに繋がりはあるのだろうか。親しくしているハインリヒではあるが、王族故か元来の性格か、聞いたところで教えてくれはしないだろう。
「待たせたな、ジル」
ハインリヒは、侍従を従えてゆっくりと王族らしい動作で、部屋に入ってきた。第三者を連れているということは、やはり真実を教えてくれる気はないのだろう。
「いや、勝手に待っていたのはこちらだ。急な訪問で申し訳ない」
「私とお前の仲だ、気にするな」
鷹揚な返事をした後、ハインリヒはクックッと笑う。ジルはいぶかしく思い、問いかけた。
「なにが可笑しい?」
「先ほど、エルザとも同じような会話をしたと思ってな。私とエルザの仲だから、と」
ジルの頭にカッと血が上る。普段の彼らしくなく、鋭い目つきで友を睨みつけた。
「それはどういう意味だ?」
「そのままの意味だ。見たらわかるだろう?」
からかうように、ハインリヒはジルへ言葉を返す。
「わからない、わからないんだよ。調べてもそこにたどり着かない。だからといって、無関係ではないんだろ?」
苦虫を噛み潰したかのような表情のジルに、ハインリヒは眉を上げて、おどけたように言う。
「公爵家の諜報もそんなものか。ならば直接エルザに聞けばよいではないか?」
それが出来たら、俺はこんなところでカッコ悪く、彼女と会っていた男の元を訪ねたりはしていないというのに。
「エルザなら、さっき別れたばかりだ。今頃、馬車に乗るところだろう」
「失礼する!!」
ジルはハインリヒに別れを告げ、走り出した。
◇◇◇◇◇
メイドに案内をしてもらい、エルザは馬車に乗り込んだ。
入り組んだ王宮の中で、何度も角を曲がり、上ったり下がったりして、体力に自信があるエルザも、座ると「ふぅ」と息をつく。知らぬ間に王族の居住域に案内されていたため、普通よりも何倍も時間をかけて、複雑な通路を通って案内されていたのだ。
「では、出しますよ」
という御者の声がしたが、「あ、待って!え!?」と困惑の声が続き、馬車の扉が開けられた。
額から汗を流すジルが、そこにはいた。走ってきたのだろう、肩は上下し、髪も乱れている。
「ジル先輩?」
ポカンとするエルザを無視して、彼は勝手に向かいの座席に座ってしまう。「出してくれ」と御者に告げて、ゆっくりと馬車は動き出した。
御者さんは、普段はちゃんと知らない人が馬車に近づいた時点で止めますが、顔見知りの公爵家嫡男のため、言うことを聞いてしまいました。
後でめっちゃ反省します。




