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エルザがいつものように、中庭のベンチで昼食を取ろうと外に出ると、午前の授業で運動場を使っていたのであろう生徒たちに遭遇した。
すでに昼休みに入っているため、早く食堂へ向かおうと生徒たちの大半は急ぎ足で、その流れを、エルザは端に避けてやり過ごす。
その中で見知った顔を見つけて、声を掛けようと手を上げたところで、ボールが飛んでくるのが目に入った。授業で使用したのであろうそれを、面白がって男子生徒が投げたのだが、その先にいるのは不運なことにエルザが声を掛けようとしたハインリヒ・ユーレリア。この国の第三王子である。
「危ない!」
エルザはとっさにハインリヒの前に出て、ボールを顔面にくらう。エルザの顔面で勢いを殺したボールは、てん、てん、と軽い音をたてて転がっていく。
「すまない!大丈夫か!?」
投げた男子生徒は慌ててエルザに駆け寄り謝罪するが、投げたその先に第三王子ハインリヒがいたことを認識し、顔面がサーと青く変わる。
いくら学院の中では身分制度は関係なく平等、などとうたっていても、王族の顔に傷をつけるなど、不敬もいいところだ。
仮にボールが顔面にあたっていたのがハインリヒだとしても、本人は「気にするな」と許してくれただろう。しかし、その影響を恐れた家が、当該者をよくて隣国の学校へ転校させるか、悪くて廃嫡にしただろうほど事は重大だっただろう。
「大丈夫ですぅ」
と、弱々しく返事をしたエルザの鼻からは、たらりと血が垂れた。
「これは大変だ、私が医務室へ連れて行こう」
ハインリヒはエルザを連れて医務室へ向かうため、学院内へと足を戻す。泣きそうな顔をしている男子生徒には微笑んで「ご苦労」と声を掛けてやる。
心なしか、ハインリヒの表情は満足そうだ。
「一人で行けりゅはら、大丈夫でふよ?」
鼻をハンカチで押さえながら、エルザはフガフガとハインリヒに断りを入れる。
「いや、エルザがいなければあのボールは私に当たっていたからね。お前は私の命の恩人ともいえる。ああ、この感謝の気持ちをどうしても伝えたい。そうだ、次の休みにお礼のお茶会を開こう。大丈夫、私的な会だから私とお前と、未婚の男女が二人きりはまずいから妹も同席させよう。そうしよう。迎えの馬車を手配するから、必ず来るように」
勝手に約束を取り付けたハインリヒは、エルザを医務室へポイと放り投げると、返事を聞く間もなく去って行ってしまった。
待って、王宮で王子とお茶会とか行きたくない。というか、冷静になったら、今も王子の背後には筋肉マッチョの護衛が付き添っている。わたしがボールを受けなくても、あの護衛が庇ったんじゃない?
エルザは去って行くハインリヒと、筋肉護衛の後ろ姿を恨めし気に見つめる。
医務室で鼻のあたりを冷やしてもらい、出血が止まったことを確認したエルザは再び中庭へと向かう。残り少ない昼休みでサンドウィッチを食べなければ、午後の授業を空腹で受けることになってしまう。
中庭のいつものベンチには、ジルが座って待っていた。
「やぁ、エルザ。今日は来ないかと思ったよ」
「ジル先輩、ちょっと色々ありまして」
来ないかもしれなかったから、待ってなくてもよかったのに、と思ったが、ジルがいてくれたことが嬉しいエルザは、それを口にしない。
エルザの鼻先から出ている詰め物を、ジルは興味深げに見る。
すでに鼻血は止まっていたが、心配した医務室の先生が、エルザの鼻にガーゼを詰めてくれたのだ。
「どうしたの?それ」
エルザはさきほどあった出来事を説明した。ハインリヒから王宮でのお茶会に誘われたことも伝え、相談する。
「ハインリヒ先輩とのお茶会って、断れますか?行きたくないんですけど」
「いや、ハインリヒのその感じだと、絶対断れないと思う。あいつが異性をお茶会に誘うのなんて、初めてじゃないか?しかも、妹姫。大事に離宮で育てて守って、外に出さないあの妹姫を同席させる?どういうことだ」
ジルは眉間にしわを寄せて考え込む。エルザが思っていたよりも、状況は面倒くさいようだ。
「俺が一緒に行って、いや、妹姫もいるお茶会に誘われてもない俺がついて行くのはさすがにまずい……」
ブツブツと呟くジルだが、解決策は見つからないらしい。
「あの、ジル先輩。大丈夫です。ちょっとお王宮に行って、お茶飲んで、すぐに帰ってきます」
ジルは心配そうにエルザを見つめて、小さな手をそっと握る。
「知らない人に声をかけられても、お菓子をもらっても、着いて行っちゃだめだよ?」
エルザは縦に大きく首を振る。もちろんです!
「俺以外の男と目を合わせてもダメ。俺以外の男の名前を呼んでも、ダメ」
エルザは目をそらした。それは、ちょっと難しいかもです。
「俺がそばにいなくても、ずっと俺の事を考えていて。エルザは俺の唯一だって、忘れないで?」
エルザの顔は真っ赤に染まる。先輩、色気がマシマシで、鼻血が再び出そうです。
何とか鼻血を出さずに持ちこたえたエルザだったが、午後の授業は魂が抜けていて、同じクラスのオリバーに心配されてしまった。「ノート貸してやるよ」とぶっきらぼうなオリバーの優しさが沁みる。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
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